近頃、竹宮恵子先生の出版物が色々出ていてうれしい限り。
高校生時代に風と木の詩に出会って、十年以上・・・あらゆるマンガや画集を
集めました。LPなんかも。
美少年といえばジルベールがまず浮かぶので、相当影響を受けました。
個人的にJUNEの表紙の画集が欲しい。大きい画で見たい。
持っていない号も沢山見つけられません。
来月発売の風木の画集「少年の詩」
楽しみですね!!
レースのブラウスとか、クラシカルな衣装のジルベールが好き。
アールヌーボーを感じさせる植物も好き。
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少し前のNumeroだけど、Gucciの記事がすごくツボ!!
一度でもいいからこんなドレス着てみたい〜
JUGEMテーマ:DOLL、耽美的、少女的趣味、ヴィクトリアン、夢見人形
久しぶりのparabolica-bis。
個人的には雑誌『夜想』の世界観に、西條冴子さんの人形はよく合っていると思っていた。それが現実になって感無量。
4つの部屋では、他の展示会も開催。
あえて予備知識を入れずに行ったら、シュヴァンクマイエルの原画展も開催されていた!!嬉。
公式ページ
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2015/10/saeko_saijou.html
〜2015/10/26まで。
いつも作り込まれた空間が印象的な西條氏の展覧会。 今回は金色の綱が下がっている。
それは綱ではなく、会場に張り巡らされた編み髪だった。 そこに『ラプンツェル』の物語を連想するのは容易だろう。
アンティークの家具、博物学的な小物、レースやリボンに囲まれたお嬢様の夢の部屋だ。
少女の人形があるためだけでなく、髪に女性性を強く意識させられる。
それは人形用の人工毛だが、“髪”と考えると呪物的な様相がある。 区切られた非日常に重みが増し、正に結界だと思った。
会場の奥には隠されたように小部屋が用意されていた。 人一人がやっと通れる入り口の中には、表の会場とはまた異なる様相になる。
深緑色の壁に黒髪が張り巡らされているので、色白な人形たちの肌と、陰陽の対比を強くする。 鴉の姿、骨や柩、頭部だけの人形たちが置かれた隔離された空間は、隠蔽されたもの、見てはいけない暗い死を連想させる。
部屋に入ると、訪れた人は秘密を暴露した発見者のようだ。
壁の色味も相まって、小部屋でありながら深い森の中で迷うような感覚もある。
森に死のイメージを連想するものは、洋の東西を問わず何処にでもある。童話の中にも……『赤ずきん』『ヘンゼルとグレーテル』のように。彼らは森の中で迷って狼や魔女に遭遇し、限りなく死に近い所へ行っている。『白雪姫』もまた森に迷って死の淵に追いつめられていたようなもので、そこで7人の小人に救われるも、毒林檎を持った継母がやって来て仮死状態になってしまう。
この2つの部屋が織り成す二面性は、童話が持つファンタジーそのものだった。
公式ページ
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2015/10/svankmajer_bricolage.html
〜2015/10/26まで。
シュヴァンクマイエル氏が挿絵を担当したラフカディオ・ハーン『怪談』と、彼の作品集『人形劇・虫・博物誌』の原画が展示されていた!
トリミングに感嘆する。
私は未だに、上手に使いこなせていないから……
ヨーロッパのアンティーク童話や教訓譚、或いは社会風刺や世相の挿絵版画から人物やその一部分が切り取られ、その部分から顔を覗かせる日本の浮世絵の妖怪たち。
妖怪の目や顔の部分のトリミングが一致しているためだろうか?元々が非日常の存在なので、多少欠けても違和感が無いというか……存在が馴染んでいる気がする。
本来居たはずの人物の痕から顔を覗かせている――
その表現自体、怪談話の本質をついていると思った。
以前、北川先生にコラージュが生み出す非日常性――既存のものを分解し再構築する際に必要とされるものについてお話を聞いた。
先生は「エルンストが相撲の浮世絵を使ったコラージュを作っていたが、日本人である我々から見たとき相撲はあまりにも身近なものなので、非日常的な雰囲気を感じさせない」といった趣旨の言葉とおっしゃっていた。
2011年『魔術★錬金術 -ヤン・シュヴァンクマイエル、マックス・エルンスト、上原木呂展-』でその作品と思しきものを拝見した。
確かに、私が今振り返って思うのは、コラージュ作品である衝撃よりも“力士の浮世絵”というイメージしか残っていなかった……画面いっぱいの力士の姿は迫力があるので、当時の西洋の方々からすればよりインパクトがあったと思う。
その話を踏まえると、『怪談』のコラージュは日本の妖怪のなんたるかを理解したうえで、それを殺さず、和洋折衷で独自の世界観を再構築していると思った。
『博物誌』の原画は、シュヴァンクマイエルらしさ溢れる作品だった。
奇想の作品はアルチンボルドの系譜だ。
おそらくアンティークの解剖図や博物誌から、切り取ったパーツをコラージュして作った極彩色の手彩色版画。
パーツが本来持っている機能からかけ離れ、全く新しい生き物として存在する不気味さよ。
力強い色彩は、暗い死を払拭し、強烈な存在感を放っていた。
公式ページ
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2015/09/sv_tribute1510.html
〜2015/10/26まで。
同時開催で、日本人作家による、シュヴァンクマイエル・トリビュート展。
そこで、山内マリコ『かわいい結婚』の装丁をてがけていらっしゃった、M!DOR!さんの作品があった。
余談だが、書店でこの本を見かけた時、可愛さの中にクールさを感じさせる装丁に惹かれた……
この本自体は、私は読んでないけれど。
乙女心を擽る物語性のある、コラージュのトリミングや構成の上手さにちょっと嫉妬してしまった。
M!DOR!さんサイト
http://www.dorimiii.com/
公式ページ
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2015/10/seiko_mikami_project_v1_80_2015102_26.html
〜2015/10/26まで。2015/11/1まで会期延長。
彼女の活動について書かれた文章の中に‘不可視の情報と身体の関係’とあり、真っ先に『攻殻機動隊』を思い出してしまった……
実際、『攻殻機動隊』を含むアニメ作品のデザインを基に検証・制作された作品もおありのようだ。(※)
80年代という、いよいよ一般の人々にコンピューターが普及しようとする時代。
60年代に提唱されたコンピューターによる人間の知能増幅(汎用的な人間の補助として)がついに実現しようとしていた。
展示されている写真は、ミドリムシのような形状の機械化した単細胞生物のようなものを抱えている。
これハ人間の知能増幅、脳の拡張機能の姿だろうか?
形状からの私の勝手なイメージでは、どちらかと言うと生命体のように思えた。
作品の実物が会場にも展示されていた。
中の基盤は同じものが並んでおり、機能するものではないのが分かってしまうのだが、人工生命なるものが可能ではないかと想像させてしまう事に、人工知能に関する議論や様々な問題提起を想起させる。
4つの会場はそれぞれに持ち味があって面白かった。
それらに全て関連性がもたれているわけではない。
でも何か、博物学的な資料が醸す世界観、球体関節人形とコラージュが持つ分解と再構築、人間の身体(生身が持つ情報の限界)と機械による拡張というテーマに、共通する物があるように思えてならない。
それは進化や変身、拡張機能によるヴァージョンアップという、飽くなき上昇志向の現れの片鱗のようなものだと思う。
南青山・南青山ギャラリーSpacekidsにて。
http://homepage1.nifty.com/spacekids/gallery.html
〜2011/10/9まで。…って、明日までか……
3年ぶりとなる、人形師・西條冴子さんの個展。
本来春ごろ開催の予定だったが、震災の影響で延期に……
非常に楽しみだった。
隠れ家のような一軒家の二部屋を使っての展示。
部屋は白を基調にしたものと、黒で統一したものとで明確に分けられていた。
それは世界観も然り。BGMもその雰囲気に沿うものだった。
白い部屋はまるで“博物学”のようだった。
何故だか、纏わる知識を喚起させられるものが多く感じられた。
ビスクドールの内側は鉱物の輝きがあり、植物に囲まれ、知識を象徴するような書物の中にも埋め込まれている。
骨董品の視力測定用の眼鏡レンズセットのケースの中にも納まっている。
首だけの少年少女たちが引き出しの中や小箱から聖書やロザリオの祈りと共に顔を覗かせていた。
以前はアンティークの調度品に囲まれた少女幻想の雰囲気だったが、それがより発展して、調度品そのものに溶け込みつつあるようだった。
腹部が開いている少女人形の内側は楔に覆われていた。そこから思い出されるのは、優美で残酷なる娘――“鋼鉄の処女”だった。
他、ボックス・アート作品もあった。コーネルの作品とはまた違う、絵画的な表現だと思った。箱という、限られた空間内で表現する世界では西條さんはこのように表現するのかと、斬新な気持ちだった。
黒い部屋は“ゴス”の力が強い。ハロウィンの気配に合う、黒魔術的で覆い尽くすような造花が深い森を思わせた。
部屋の奥の壁の中央に、アンティークの小さめのピアノが配されており、シンメトリックな雰囲気がある。荘厳な音楽が流れていた。
黒、深い森、ピアノ、音楽からゴシック様式の教会を思い出させる。
間違いなく、ゴシックの精神の本質だと思った。
西條さんの人形とその世界観は、ゴスやファンタジーの精神に則りながら昇華された聖性を強く感じさせる。
鬼気迫る所から来る生の喚起とは違うものだ。
優しく惹かれる。懐古趣味の安心感や望郷のような思いがそうさせるのかも知れない。
ずっとこの部屋に居たくなる会場だった。
西條冴子さんサイト『Vita Fragilis』
http://vitafragilis.biroudo.jp/