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読者の皆様の中には、沖縄県に宮古島に行かれた方は居られるでそうか?
私は国内の離島を11回往訪していますが、宮古島は行ったことがありません。参考→杉っ子のプロフィール)
いつかは訪れたいと思っていますが、1871年(明治4年)に「宮古島島民遭難事件」という史実があります。この事件は、琉球王国の首里王府に年貢を納めて宮古島に帰ろうとした4隻の船のうち、1隻が台湾近海で遭難し、69人のうち3人が溺死して54人が台湾原住民によって殺害されたというものです。
ウィキペディアによれば、この事件は日本史の教科書では「琉球漂流民殺害事件」と記述されていることや、その他「琉球漁民殺害事件」「宮古島台湾遭難事件「台湾事件」などの呼称もあるようです。
今日は「宮古島島民遭難事件」の呼称で論説しますが、この事件で明治維新の立役者の大久保利通が大活躍をしたことに触れ、「日本の国益のために毅然とした外交姿勢を貫いて外交で大勝利を収めた大久保利通の活躍ぶり」と題して論説いたします。
明治維新は1868年で、その3年後1871年に廃藩置県が行われますが、同じ年の10月、台湾に漂流した宮古島島民54人が殺害されるという事件が発生しました。
日本政府はこの事件をきっかけに台湾への出兵を決めましたが、出兵といっても犯罪捜査を名目にしたもので、54人殺害という大規模な殺人事件だったため、明治政府は警察ではなく軍を派遣したのです。
明治新政府にとって、この台湾出兵は初の海外派兵でもあり、日本は清に行使を派遣して交渉していたものの、清は当時、日本を小国であると見下して相手にしませんでした。
そこで清国との交渉を買って出たのが、大久保利通です。
当時大久保利通は自らこの交渉を決着させようと決心し、清国との交渉に挑みます。
大久保利通は自身について、自己の責任について常に不退転でいることであり、回避しないことを信念として持っていました。
とはいえ当時は「眠れる獅子」という超大国の清国です。
清国の態度は硬く、バックには東アジアの権益を荒らされたくないとの思惑を持つ大英帝国も控えていました。大英帝国としては、日本が清に対して強気に出ることを望んではいませんでした。
一方で大久保利通もまた、英国軍隊が清国を助けて敵方に回るのでは?という懸念を持ちながらも、ここが勝負とばかりに、英国をけん制することを目的として、米国、フランス、ドイツの三か国に支援を働きかけます。
なぜならば当時の英国が清国の権益を独占している状況に強い不満を持っていたからです。
そのため、米国、フランス、ドイツの三か国を盾にすれば、英国は強気に出られないと考えていたのですが、それにしても清国との交渉は余りにも危険な賭けだったといえるでしょう。
史実をピックアップしてみました。
1868年01月:「五箇条の御誓文」発布で明治政府が発足
1869年 :版籍奉還で土地と人民は明治政府が所轄
1871年08月:明治政府が廃藩置県を命ずる
1871年10月:宮古島島民遭難事件が発生
1874年04月04日:大隈重信を台湾蕃地事務局長官に任命
1874年04月05日:陸軍中将西郷従道を台湾蕃地事務都督に任命
1874年04月06日:台湾出兵命令
1874年05月06日:明治政府軍が台湾南部に上陸
1874年08月:大久保利通が全権弁理大臣として申告政府と交渉のため北京に赴く
1874年10月31日:日清両国互換条款調印
1874年4月に台湾出兵を命じて、明治政府軍が台湾に上陸したものの、明治政府が事前に清国や清国内に権益を持つ英国に対して通達しなかったため、清国の李鴻章や、英国の駐日大使パークスが日本の軍事行動を激しく非難しました。
そのため、大久保利通は清国に台湾出兵を認めてもらおうとして北京に行くことになったのです。
大久保利通は、1874年8月に北京に向かう最中、何を思ったでしょうか?
何しろ日本は明治政府になってからわずか6年ちょっと経っただけで、軍隊もできたばかりのひよっこ同然です。
もし清国との交渉に失敗すれば、清国と戦争になることが避けられないかもしれませんでした。
当時、日本と清国が一戦交えるとなれば、清国が勝つだろうと、誰もが思う世界の常識でした。
その大久保利通の交渉相手は、総理衛門大臣の恭親王です。
大久保利通は北京に到着し、1874/09/14に、第一回交渉が始まります。
このときの交渉では日本側は4人、清国側は20人余りが出迎え、広間には大きなテーブルが据えられて、山海の珍味など宴席が用意されていました。
大久保利通からすれば、戦争になるかもしれないと意を決して交渉に臨もうと外交上の談判をするのに、清国側が宴席を用意して大久保利通を待っているという状況に、大久保利通をはじめ、日本側の代表は内心困惑したといわれています。
また清国の高官たちは、当時の新興国の日本から来た大久保利通という人物について当然面識がありません。
そのため清国側とすれば、相手方を探るつもりでこの宴席を準備していたのです。
一方で大久保利通は、北京の作法も知るすべもなく、知ろうともせず、酒に口をつける前に、清国に対して質問すべきことが2つあるとして、いきなり質問をぶつけています。
特有の無愛想な顔つきの大久保利通に、いきなり質問をぶつけられた清国側は狼狽します。
なぜならば何の準備もしていなかったからです。
清国側に対して、初っ端から会談の核心をつく質問をしたのは、大久保利通が考え抜いた作戦でもありました。
大久保利通は事前に、日本に来ていた行使から清国の交渉の様子を聞いていて、その返答に中身がなかったということを教わっていたため、宴席で同じような術中に持ち込まれて無駄に時間を費やすことを恐れ、いきなり質問したとされています。
清国は当然何の準備もしていないので、事務官を呼び集めて書類をかき集め、宴席会場は騒然となります。
当時台湾は中国の藩属国(いわゆる属国)で、清に服従して清を宗主国として毎年朝貢する代わりに自国の支配権を認めてもらっていた関係がありました。
台湾という場所は、日本人の八田與一が1930年に鳥山頭ダムと灌漑施設をつくる以前は、大洪水もあれば、かんかん照りで地割れが発生するなど、不毛の地でした。
ましてや1870年代の台湾は、亜熱帯ということもあり、マラリア蚊が飛び交い、ハブなどの毒蛇が生息する化外の地だったのです。
その台湾を属国にしていた清国からすれば、大久保利通の清国への質問「貴政府は台湾を属地であるという。属地であるとするならば、貴政府は台湾に対して、かつてどういう処分を行ったのか?」という問いに対して、答えるのが難しかったであろうことが推察できます。
もし清国が台湾を清国の領土であると主張するならば、3年前の1871年10月に発生した「宮古島島民遭難事件」による島民の大量殺害事件の責任は、清国政府が負うべきこととなるからです。
逆に台湾が清国の領土でないとするならば、明治政府が4月に軍隊を派遣し、現地で二度と今後同じようなことが起こらないように、再発しないようにすることは、国際的にみて何ら問題がないことです。
清国側からすれば、宮古島島民殺害事件の責任は負うことは回避したく、また台湾の領有については主張したいという立場であるため、大久保利通の質問は、どちらを回答するとしても面白くなかったはずです。
交渉の形勢は一気に変わり、清国は誤魔化し続けて話し合いは平行線をたどります。
三回目の談判では清国側は、「国際法は西洋のものであり、私たちは知らないし、従う筋合いはない」と苦し紛れの言い訳を続け、この議論を続けたくないという態度がありありと出ていたのですが、大久保利通の粘着力は凄まじく常人離れしていて、清国に食いついて交渉を行っていました。
ついに英国が一触即発の雰囲気を察知し、駐清国の英国人大使のウェードが仲介に入ったのですが、ウェードにとっても大久保利通は、やりにくい人物です。
何しろ大久保利通は武骨者なうえに、特有の無口で雑談がなく、かとおもえば薩摩風の微笑を浮かべたりして、本心が見えません。
英国側は、大久保利通から英国に調停に乗り出して欲しいという言質を引き出したかったのですが、そう簡単ではありません。
大久保利通から調停の依頼がない限り、英国も動けず、「太陽の沈まない帝国」といわれるほどの大英帝国をも、大久保利通は全く意を介さなかったのです。
そして1874/10/23、大久保利通が北京に来てから1カ月以上たった第7回の談判で交渉が決裂します。
1874/10/25、交渉が決裂したため、日本に帰ろうとしているところに、英国人外交官が慌てて飛んできて、清国の大臣らと交渉し、清国側から賠償金を払うとの提案を用意したことを大久保利通に伝えます。
その賠償金とは50万両で、ウィキペディアによれば、清国が見舞金として10万両を出し、出兵費用として40万両を出したのです。
大久保利通は英国人外交官の提案に即答せず、3時間後に再び英国人外交官と会って、賠償金50万両の提案を受け入れる他に、条約書に「日本の台湾出兵は道理に基づいたものである」ことを明記するよう要求。協議の結果、清国側はこれも飲みました。
ということで、完全に日本が勝利したのです。
1874/10/31にようやく「日清両国互換条款」の調印を終えましたが、大久保利通が北京に来てから50日が経過していました。
この日本の交渉の大勝利は、北京に来る前には想像すらつかない信じがたい内容であり、大久保利通の粘り強い外交成果そのものだったといえるでしょう。
明治政府にとっては、交渉決裂の報告を聞いて開戦準備をしていたため、急遽開戦を回避して、賠償金50万両を得た上に、かつ朝鮮出兵を清国に認めさせた結果は大勝利だったに間違いありません。
<日清両国互換条款>
(出典:アジア歴史資料センター 台湾蕃地処分の儀清国と訂約済)
上記はアジア歴史資料センターから抜粋したものですが、「日清両国互換条款」の内容で、「大日本全権大臣参議兼内務卿 大久保」とありますが、「大久保」とは、まさに大久保利通のことです。
台湾出兵が認められたこと、見舞金10万両、出兵費用40万両については、噴き出しで書かれている部分を注釈させていただきました。
この「日清両国互換条款」によって、もう一つ重要なことがあります。
それは当時宮古島島民は琉球民ということで、琉球王国が当時と清国と冊封・朝貢関係にあったために属国扱いになっていたのですが、琉球民を日本の属民と記載したことで、日本の領土であることが条約でもはっきりしたという点です。
沖縄は、決して中国の領土ではなく、独立した国家で朝貢関係にあったに過ぎず、大久保利通が調印した「日清両国互換条款」でも清国が日本の領土、日本国民であることを認めたことになっているのです。
つまり現在の沖縄である琉球が日本領であることが事実上確定したという点も、日本にとっては大きな成果だったといえるでしょう。
というわけで今日は「日本の国益のために毅然とした外交姿勢を貫いて外交で大勝利を収めた大久保利通の活躍ぶり」と題して論説しました。
この大久保利通が「日清両国互換条款」の調印したことは、当時の新聞各紙もこのことを大きく報じていて、インターネットで調べていたら、ヤフーオークションのアンティークという分野で、なんと毎日新聞の前進の「東京日日新聞」の847号ということで、アンティーク新聞記事が売られているのを見つけました。
ところで大久保利通は、北京から日本に帰国した際、停泊中の米国軍艦から祝砲を受け、日本国民からも国旗掲揚で大歓迎されています。当たり前といえば当たり前だと思いますが、司馬遼太郎の影響もあってか?明治維新というと坂本龍馬や西郷隆盛を活躍した人物に挙げる人が多いでしょう。
しかしながら今日論説した大久保利通についても、清国との交渉で素晴らしい外交成果を挙げた実績を踏まえれば、彼らに引けを取らない偉大な人物であることが理解できるのではないでしょうか?
いかなる大国相手であっても、日本の国益のために毅然とした外交姿勢を貫いた大久保利通を、私は日本国民として誇らしく思います。
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]]>JUGEMテーマ:宮古島
宮古島大好き管理人が押しまくるコンドミニアムがこちらPAI BASE RESORT <宮古島>になります。
どれくらい気に入っているかと言うと、、宮古島へ旅行に行く時はいつも違うホテルに泊まり比較して
楽しんでいたのですがパイベースに泊まって方はここにしか泊まらなくなりました。
宮古島の北にある本当に贅沢な場所に建てられています。
シーサイドに4部屋だけ。贅沢ですよね。
しっかりとしたキッチンがあるので料理ができるので安心です。
食事は宮古島の市場やスーパーで購入して食べるんですけどこれが本当楽しいんですよね。
一泊15000円ほどですがホテルとは違い一部屋計算なので家族で行くとお得に感じますよ。
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2016年12月末頃に宮古島へ旅行に行った旅行記。
航空券
ANAで羽田-宮古島の直行便が2016年より新規就航したので、宮古島にも簡単に行けるようになった。関空−宮古島の直行便もすでにあるので、宮古島へいく観光客は増えているようだ。
宮古島・伊良部島ツアー:ANA楽パック
シギラリゾートホテル(公式サイト)に宿泊した。4つのホテルが近接している。今回は一番安いウェルネスヴィラブリッサ<宮古島>に宿泊した。コンドミニアムホテルでホテルサービスはあまりないが、その分安い。朝食の移動を避けたいのであれば、すぐ隣のホテルのホテルブリーズベイマリーナ <宮古島> に泊まるほうが良いかと思う。時期によってはこの2つのホテルはあまり値段は変わらないので、ブリーズベイマリーナのほうがいいかも。
~~~値段 高い~~~
シギラ ベイサイドスイート アラマンダ <宮古島>(南西楽園ツーリスト提供)
~~~値段 安い~~~
シギラリゾートではホテル間やレストラン、その他施設への送迎バスがあるが、移動の手間を考えるとレンタカーはあったほうが良い。レンタカーがないと夜間の移動が特に制限される。
シギラリゾート巡回シャトルバス:(バス運行予定はよく変わるのでフロントスタッフに要確認)
06:00〜17:45 約25~30分感覚でバスが巡回してくる。バスに乗る場合はフロントスタッフに依頼する必要がある。
17:45〜22:15 約13分間隔でバスが巡回してくる。フロントスタッフに依頼しなくても、バスに乗車できる。
気温は17〜22℃ぐらいで、12月末でも長袖シャツ1枚ぐらいでOK。海で泳ぐの昼間の一番熱い時間帯なら2時間ぐらいは泳げるかもしれない。ウェットスーツ着れば昼間は泳げると思う。今回の旅行では僕は海では泳いでいない。温水プールのみ。
シギラリゾート内のカフェ&ピッツァレストラン スターダストガーデン に夕食を食べに行った。ちょうどクリスマスシーズンだったのでX'masディナーコースを頼んだ。味、雰囲気共に良かったです。温かい中でのクリスマスというのは初めてで新鮮な気分だった。残念ながら料理の写真は撮り忘れた。
食後に、シギラフィールドハウス前でウォーターイリュージョン(金・土 20:00〜20:15)を鑑賞。噴水にレーザープロジェクターで映写するもので、なかなか見ごたえがあった。幾何学模様や宮古島の海・島の映像等が現れた。
ウォーターイリュージョンショーの後は夕食を食べたスターダストガーデン の駐車場から花火(毎週土曜日20:30〜20:36、打ち上げ場所:シギラビーチ東側)を見た。ここの駐車場は少し高台になっていて、駐車場の出入り口道路あたりから花火がよく見える。シギラビーチから見るのもよいのかもしれない。
シギラビーチを散策。夜でも照明があり、薄明るくビーチが見えるが、スマホで足元を照らすと良いと思う。ライトがあると海の生き物を探して遊べる。ヤドカリ、カニを捕まえて遊んでいた。ヤドカリは岩場の水たまりにたくさんいた。捕まえると貝の中に隠れるが、2分ぐらい砂の上に置いておくと貝から出てきて歩きだす。カニは岩の下とか、アナだらけのサンゴの下とかによく隠れていた。カニがすごく速く走るのを見て驚いた。足が多いだけのことはあるなあ。
翌朝、ホテルブリーズベイマリーナの”ぽるとふぃー”で朝食バフェット(7:00〜10:00am)を食べた。ウェルネスブリッサから徒歩だと10分ぐらいかな。車で移動する場合は、ブリーズベイマリーナの駐車場に車を駐めて駐車場に行くこともできる。朝食の時間帯にもウェルネスブリッサからブリーズベイマリーナまでは送迎バスはあるので、送迎バスに乗りたい人はフロントスタッフに頼むと良い。
伊良部島へドライブに行った。伊良部島と宮古島の間の端は通行無料の橋では日本一の長さであるらしい。きれいな海がゆっくり眺められてなかなか快適な橋だった。橋の途中に2箇所ほど車を停めて景色を見れる所があった。(あまり広いところではないので要注意)。宮古島内の交差点はほとんど信号がないので、接触事故が多いらしい。交差点では自分の通行している道路が優先でも少し速度を下げて注意したほうが良さそうだ。
伊良部島側に先程の橋と海がみられる展望台(無料)がある。なかなか眺めが良いので、南国リゾートらしい写真を撮るにはよいだろう。展望台に行くまでにの道で、12月なのに、蝶々がたくさん飛んでいるのや大きな葉の植物を多く見かけた。年中温かい島なんだなあ。
ウェルネスヴィラ ブリッサすぐ隣にドイツ文化村リフレッシュパークプールという室内温水プールがある。12月でも快適に泳ぐことができた。幼児用に水深の浅いボールがいっぱい入っているプールと、25m・水深100cmぐらいのプールがあった。また、1時間毎に15分ぐらいウォータースライダーが稼働する時間があり、子供でも楽しく滑ることができる。泳ぎたい人は水着を忘れずに。浮き輪のレンタルはあった。ホテルブリーズベイマリーナおよびウェルネスヴィラ ブリッサに宿泊している人は無料でこのプールを利用できた。
夕方にドイツ村のキンダーハウス横のアスレチックで遊んでいるとクリスマスツリーや建物がイルミネーションで光はじめた。これはクリスマスだけのイベントなのだろうか。このアスレチックは公園などによくある大きなアスレチックハウスで、宮古島でなくてもよくありそうなものだが、子どもはそんなことは気にかけるわけもなくアスレチックハウス内を走り回っていた。
和琉創作・鉄板焼 マラルンガで夕食を食べた。かなり美味しく宮古島の地場の料理、お酒が楽しめた。やはり地元の料理が一番おいしいいですね。和琉創作料理と鉄板焼きがあり、今回は和琉創作料理の方のコース量を頂いた。非常に空いていた時期に行ったせいか、静かであまり周りを気にせずに食事できた。サービスも良い。
うえのドイツ文化村ではドイツの古城「マルクスブルグ城」のレプリカがあった。なかなか良くできているので一見の価値はあるかと思う。城の中には中世のものが沢山展示されていた。展望台、広間、寝室、キッチン、礼拝堂等など、あり歴史が好きな人には良い。
この城の1階に”なりきりプリンセス”という中世の仮装を楽しめるサービスがあったので、申し込んだ。なかなか楽しく貴族の気分で城をまわり写真をとってもらった。白黒とかセピアモードで写真をとるとより雰囲気が出て良い。
キンダーハウスの中にはドイツのおもちゃ、子供向けの本などが展示されていて遊ぶことができる。民芸品のくるみ割り人形等がたくさんあって、展示だけでなく販売もしている。宮古島のお土産?にはいいかも。
このキンダーハウスの中にはベルリンの壁の本物が展示されていた。まあ、コンクリートの塊なわけだが。西ドイツ側の壁にはたくさん落書きあるが、東ドイツ側の壁には記号がかかれているだけであり、その違いに興味を引かれた。ある日突然街からでれなくなった人達は大変な生活だっただろうなあ。
ベルリンの壁
このうえのドイツ文化村は、1873年(明治6年)7月に宮古島の人々が、遭難したドイツ商船の乗組員を救助して、宮古島とドイツの友好から、始まったとのこと。うえのドイツ文化村の沿革。その後、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は、宮古島の人々の博愛精神を賞賛する記念碑を送った。以下が、その記念碑の写真。
シギラ温泉はジャングルのような風景の露天風呂温泉プールがある(水着着用)。浮き輪、ボード等の無料貸出もあり、多くの人が温泉で浮かびながらリラックス。浮き輪に腰を沈めてプカプカ浮かぶと気持ちいい。余裕で泳ぐこともできるぐらい広いので、泳いで探検もできる。ジャングル風呂内にはトンネルもあって、面白かった。深さは60~110cmぐらいだったと思う。小さな子供でも入れる浅いところも多い。タオル、サンダルは無料で貸し出しあり。水着と水中メガネは持っていくことを勧める。中で軽食を食べることもできる。また、別に普通のプール(温水でない)と、裸で入る露天風呂もあるので、そちらも行くと良い。高台の頂上に眺めの良い温泉風呂がある。
鉄板焼き 南南西で夕食。宮古牛が美味しい。以前食べた石垣牛と同じ食感。美味しいのでおすすめ。肉と一緒に雪塩というふわっとした感じの塩がでてきた。これが肉とよくあって美味しい。ここも空いている時に行ったので静かに過ごせてよかった。子供用のコースメニューもあり、これもかなり美味しいのかよく食べていた。子どもは肉が噛み切れないことが多いので、ハンバーグのほうが好きなようだ。
南風屋台村では沖縄でよくあるお土産が売っている。ここでお土産をまとめて買うのもいい。特に宮古島の 雪塩が気に入ったのでおみやげに買っておいた。(雪塩 楽天 雪塩 アマゾン)他には沖縄料理のフードコート、小さなライブショーがあった。
水中観光船シースカイ、クルーズで宮古島の海の中を見ることができる。ホテルブリーズベイマリーナのフロントで申し込みができる。ホテルブリーズベイマリーナの庭を通り抜けて博愛漁港までいくと観光船があった。徒歩10分ぐらい。
ブリーズベイマリーナの庭
とてもきれいな珊瑚礁や魚が見られた。デッキで魚にエサをやる体験もできた(天候、時期による)。魚も慣れているのか潜水艦の周りに魚が群れをなして集まってくる。亀が泳いでいるのも数回見えた。
宮古島市体験工芸村でシーサーの陶器の置物を作った。シーサー以外にも普通のお皿なども作れる。1~2時間ぐらいかけて粘土をこねたり、付けたりしてシーサーを作った。先生が大体の作り方を教えてくれるので、あとは自分の好みでアレンジする。かわいらしいシーサーを作ろうとおもっていたのだが、なんか怖い感じになったので、途中で路線変更してとても怖い感じのシーサーをつくった。魔除けっぽくなっていい感じ。
その他に、シギラリフト(空中ロープウェイ)、レンタルサイクルをやろうと思っていたが、都合が合わずできなかった。また次回があればやってみようかな。
以上、雑多に宮古島旅行をものした。
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前回の記事で、
2泊3日で宮古島へ旅行したことを書きましたが、
今回の旅の目的は休養(リトリート)です。
とにかくゆっくり・のんびりしたい。
ということで、
観光らしきことはほとんどしませんでした。
ゆっくり・のんびりするために
荷物は前もって送っておいたり、
比較的朝早くから神戸空港に行ったのですが、
早起きしたくなくて三宮のビジネスホテルに
1泊しているくらいです。
がんばらない工夫、ですね。
まず、
那覇空港に着いたら昼間から乾杯。
海ブドウとオリオンの生ビール。
これは沖縄風おでん。
てびち入り。
お店には定食などありましたが、
好きなものを単品でチョイスして飲むのが
好きです。
この後宮古島へ。
今回お世話になったのは、
宮古島東急ホテル&リゾーツ。
最上階のお部屋に泊まれました。
これはベランダからの眺めです。
スタッフの方に聞いたところ、
前日は雨がすごかったそう。
私は比較的晴れ女傾向があるらしく、
今回もまた雨から逃れることが出来たようです。
部屋に着いたら
のどが渇いたこともあって、
バーでひとやすみ。
目の前のプールを眺めながら、
主人との会話を楽しみました。
プールや海を見ていると
客層も広かったように思います。
ファミリー、
カップル、
夫婦、
お友達同士、
一人で来ている人も。
レンタカーで観光する人も多いようですが、
私たちは部屋に戻って
時々海を眺めながら
何もしない時間を過ごしたり、
読書していました
(本は数冊、前もってホテルに送っていたもの)。
夕食はバーベキュー。
バーベキューは自分たちで焼かないと
いけない点が面倒ですが、
どの食材も新鮮で美味しかったです。
また、夕日前が眩しかったので
サングラスがあったほうがよかったかもしれません。
夜の眺めはこんな感じ。
夜のプールを眺めながら
バーでカクテルを頂きました。
南国に来た雰囲気が出ている
デコレーションですね!
この日は部屋に戻ってお風呂に入り、
就寝しました。
次の日はシュノーケリングを楽しんだり
やっぱりのんびり過ごすのですが
その記事はまた次回。
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三連休も二日目になりましたね。
いかがお過ごしでしょうか。
私はこの三連休、
家でのんびり過ごしています。
そのぶん、
三連休前の平日に宮古島へ旅行しました。
今回は2泊3日の旅。
宮古島の海は美しいです。
エメラルドグリーンは青空によってつくられ、
雲が出ているところは陰で青くなるんですね。
今回は観光が目的ではなく
ゆっくりするのが主な目的だったので、
本を読んだり、
スパでトリートメントを受けたり、
ぼーっと海を眺めたりして過ごしました。
せっかくなのでシュノーケリングもしましたよ。
私のカメラは防水・防塵設計のものだったので
今回は特に活躍してくれました
(使用カメラ:OLYMPUS STYLUS TG-860 Tough)。
詳細はまた後日記事にしますね。
最近は息をするくらい
ブログを書くのを当たり前にしたいと
思っています。