【写真−1 台湾ではコーナーの建物が角を丸くしているのが目立つ】
海岸から別の道をブラブラ歩いて街の方へ戻るが、写真−1は途中で見かけた店で看板に『薬房』と書いてある。幟には『青草茶』と染め抜かれていて、健康飲料を飲ませる店と分かる。そういった店がテイクアウト形式で商っている所が台湾らしい。
【写真−2 時間がなかったので中には入っていないが面白そうな場所】
海岸を離れるに従って人の流れが多くなり、かなり賑やかな一角は写真−2の看板で分かる様に台東市の市場があった。この市場の周りには色々な店が並びこの辺りが台東市の中心であることが分かり、何を売っているのかと覗きながら足任せに進む。
【写真−3 旅先で果物を買い食べるのも楽しみ】
写真−3の果物屋で色々物色してミカンを買う。値段は安いとは思わないがフィリピンで売っているよりはかなり新鮮。この店で売っているのは台湾産だと思うが、4粒100元(約360円)と書いてあるキーウィは輸入物だろうか値段は高い。
【写真−4 日本の八百屋風景と変わらない】
写真−4は青物を中心に商う八百屋。どれも新鮮で、買いに来る人は主婦だと思うが、ヘルメットを被ったまま買い物をしている。台湾はオートバイ・メーカーがいくつもあるようにバイク王国で、そういえば街中で日本でいうママチャリに乗る人の姿は見ない。
【写真−5 値段は分からないがともかく新鮮な葉物】
店売りばかりではなく、写真−5の様に路上で店を広げて売っているのもある。特にその日で消費してしまう葉物は路上で多く売っていて、どれも育ちは良く新鮮。これらをニンニクと一緒にサッと炒めて食べるのは中華圏のレストランででの楽しみ。
【写真−6 この建物も角を丸く造られている】
市場周辺の店の雰囲気は写真−6の様な感じで、商店の品物の豊富さと人の流れから昨夜見た商店街の閑散さとは違い、台東市の経済活動は悪くないと感じる。台湾自体も経済は堅調で、これがこの1月の国政選挙で与党の大勝という一因にもなった。
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【写真−1 時間帯によって売られる物が違って来る】
セブでは市場のことをスペイン語と同じ『メルカド』と呼んでいるが、マニラを中心に話される『タガログ語』では『パレンケ』と称し、マニラでメルカドといっても通じず、両者の使う言語は別物と分かる。
写真−1はセブ島北端にある町の市場の魚を売っている様子で、同じ建物の反対側では肉を売る店が並んでいて、魚と肉を同じ場所で売っているのは普通の光景で、異臭と共に常に床は濡れていて軟な観光客には及びでない。
ここで売っている魚は都会とは違って『地産地消』を地で行く、すぐ傍の海でしかも今朝獲った様な魚ばかりを並べていて、新鮮であることは間違いなく売っている種類も時間帯によって違って来る。
写真手前の魚は日本で『マルソウダ』といわれる魚でカツオの仲間だが、カツオはフィリピンでも多く水揚げされるが、主にスープに使われることが多く、生食はほとんどしない。
時々、市場で丸々と太ったカツオが売られていて、これは刺身にしたら美味いだろうと捌いたことがあったが、南の海で獲れるカツオはさっぱりし過ぎていてあまり美味くなかった。
日本のカツオの刺身が美味いのはシソの葉とかネギ、ニンニクといった薬味と、酢橘や醤油が上手に調和しているためで、薬味などはフィリピンでは手に入らず、似たような物で代行しているため味が今一つなのは仕方がない。
その奥のタライに山盛りしているのはイワシの小魚で、これは新鮮な内に生食することが多く、料理名は『キニラウ』と呼んでいて、この料理は魚だけではなく新鮮な肉や野菜でも作られている。
キニラウというのは日本流にいえば『酢締め』になるが、日本と違うのはココナツから作られた酢と白いココナツ・ミルクで調味してあることで、その作り方は小魚を一匹、一匹頭と内臓を手で除けるために結構手間はかかる。
写真−1を見ても分かるように小魚の内で食べてしまうため、資源の枯渇も考えられるがあまりそういうことは考えずに、獲れるだけ獲ろうというのがフィリピンの漁業で、小さな船でその日暮らしで獲る零細漁民のために仕方がないようだ。
かつて魚は貧乏人が食べる物となっていたが、最近は高騰気味で豚肉と比べても値段が変わらなくなっていて、調理の手間や実際に口に入る量を考えると気軽に魚を食べる時代ではなくなった。
【写真−2 有機玉子とか有精卵といった玉子ではなくいかにも大量生産品】
フィリピンのスーパーマーケットでは1ダース入りのプラスティック容器に詰められている玉子だが、市場では写真−2のように紙の容器が使われ、一段は30個入りだが、まとめても良し1個でも良しという売り方になっている。
日本では玉子は物価の変動が少ない優良食品だが、フィリピンも同じであまり価格の変動はなく、写真の玉子1個当たり6ペソから7ペソで売られ、日本円換算では13円から15円になる。
この町の沖合に3つの町に分割する割合大きな島があって、その島は玉子の一大生産地で、以前聞いた話では1日100万個を産するというからかなりの数で、産地に近い割にはそれほど値段は安いとは思えず、流通の問題があるのだろう。
日本では普通に食べられている玉子だが、フィリピンではまだ高級な食材になり毎朝食べるようではないが、自宅で鶏を飼って新鮮な玉子を食べている家庭も多く、その辺りは日本とは違う環境でもある。
玉子といえば日本人は『玉子かけご飯』を思い出すが、フィリピン人や欧米人は生で玉子を食べることはなく、これは玉子処理の中で菌が付いて食中毒を起こすからと恐れている訳から来ている。
実際、小生が市場で買ってきた玉子を玉子かけご飯にして食べたら、フィリピン人は奇異な目で見ていたが、これは食習慣もあって欧米人に玉子かけご飯を食べさせたら美味いといってお代わりされた例もあり、温かいご飯と醤油、新鮮な玉子の玉子かけご飯は絶品という人も多い。
【写真−3 セブ北部バスターミナルからここまで約3時間かかる】
写真−1の市場のある辺りはセブから来る長距離バスのターミナルもあって、かなり賑わっているが、町の中心部から移転したものでかつては海際にある町役場の横にあり、最近はこの町のように市場を広い場所に移転する自治体も多く、これは人口増と関係していて、この町の人口は8万人に近い。
写真−3は市場へ通じる道路で商売をしている『移動パン屋』で、トライシクル(3輪バイク)を改造しているが、左の2台が同じ色、仕様なので売っている人は機材を借りて商売をしているのか知れない。
フィリピン人はアジアで一番米を食べる人と知られるがパンも良く食べ、どんな小さな町にでも必ず焼きたてのパンを売る店が何軒もあり、中には24時間営業という店もある。
移動パン屋は市場まで来るには大変な集落を回って商売するには小回りが利いて都合良く、それなりに商売になるのだろうが一日どのくらいの売り上げになるのか気にかかるところである。
写真−3の後ろ側に赤い屋根の建物が見えるが、ここは日用雑貨や米などを売る店が駒割りで連なっていて、人の出入りも多いが、2013年の台風『ヨランダ』では全部の屋根が吹き飛ばされる被害を受けた。
その被害も既に復旧しているが、ヨランダの爪痕が残る建物が市場手前にあって、屋根は吹き飛ばされたまま、鉄骨は曲がったまま、コンクリートの床は大きく波打って残骸のように姿を晒している。
当初、この建物は魚と肉を商う市場にしようと造ったらしいが、欠陥があったためか使われず、そして台風被害が駄目押しのようになって現在に至るが、町で造った建物だからさっさと撤去するなり建て直せば良いと思うが、町と業者間の癒着でもあったのかそのままである。
この町の政治も現町長一族が牛耳っていて、前町長など国家警察の高官から町長であった妻の地盤を引き継いで1期を務め、この前町長は大統領から違法薬物関与者と名指しで挙げられていて、昨年には町長一家が港で何者かに襲撃を受け銃撃された事件もあったが、その息子が町長の座に就いている。
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遠い昔に、朝っぱらからローマの街をブラブラしていたことがありました。
何かの目的があるのではなくて、旅の出発時間までの暇潰し。
インターネットなんてシロモノが普及するよりも昔の旅は。
ガイドブック程度しか情報源はなくて、日常の朝市の開催日など書かれていなかったという次第。
まさしく、出たとこ勝負!の連続なのでありました。
それでも。
多少の予知能力と、エサを嗅ぎ付ける才能が有れば。
こう云う、観光ガイドには載らないであろうと云う情景を目にすることができたのでございます。
はい?
ただの「食いしん坊」がエサを探していただけだんべぇ〜〜??????!
とのオアニイサンのご指摘は。
当たっているかもしんないと。
あっちへ歩く館長なのでございます。
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