カミーノ18日目
バックパックを抱え、音を立てないようにアルベルゲの玄関から中庭に出る。
時刻は午前5時…辺りは真っ暗で、マンシージャ・デ・ラス・ムーラスの町中は静まり返っていた。
この日の目的地はカステーリャ州レオン県の県都「レオン」だ。マンシージャからは約17km。距離的には急ぐ必要はないのだが、前日イタリア人の2人組オッタビオ、リカルドと「星空ウォーク」の約束をしていたのでこの時間の出発となった。
アルベルゲの中庭を通り表玄関に向かう。
ここで思わぬ誤算が起きた。朝早過ぎたせいで宿のゲートが固く閉じられていたのだ。
「参ったな…どうやって外に出よう」
別の宿に泊まっていたオッタビオとリカルドとは、5時にこのアルベルゲの外で落ち合う約束をしていた。ぼやぼやしていると明るくなってしまうので、ゲートが開くのを待ってもいられない。仕方ないので何処か登れそうな所を探す。
アルベルゲ内のオープンカフェの壁に足を掛けて塀をよじ登る。気分はスペイン忍者ことアキンとアルナウだ。
何となく童心に帰ったようでワクワクする。塀の外に這い上がると、道路にオッタビオとリカルドの姿が見えた。
「おーい、こっち」声を潜めながら2人のことを呼ぶ。
「何してんだ、Taka」と言ってこちらを見上げるオッタビオ。
「ゲートが閉まってて出られなくてさ。悪いけど、先に俺のバックパック受け取ってくれない?」
「分かった」そう言うと、長身のリカルドが手を伸ばした。リカルドにヌプリバックを預けると、塀から飛び降りる。
「大丈夫か?」と尋ねるオッタビオに答える。「ああ、問題ないよ。そんじゃ、行こうか」
バックパックを受け取ると、街灯の明かりを頼りにマンシージャの町中を歩き始める。
流石にこの時間に他の巡礼者は見当たらなかった。
カミーノでこんなに暗い中歩くことはない。慣れない空気感のせいか、いつになく胸が高鳴る。
エスラ川(Río Esra)を渡り、道路脇の小道を歩いていく。町灯りが消えた次の瞬間、空を見上げると思わず息を飲んだ。
「あ…」
そこには夜空を埋め尽くさんばかりの星が瞬いていた。
「すげぇ…」
道中、野原の空き地に入ると周囲から切り離された別世界へと入ったような気分になった。3人背を合わせ、その場に暫し佇む。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの「campus stellae」とは、「星の平原」を意味する。その理由が、今ここにきてようやく分かった。
日中が長く、夜自体がある意味貴重な夏のスペインだが、夜間大空にこんな光景が広がっていたとは。
紛れもなく、我々は星の平原にいたのだ…
5分程星空を眺めてから我々は自動車道脇の歩道へと戻り、煌々と並んだ街灯に沿って先に進み始める。
空を再び見上げる。先程よりは輝度が落ちたものの、そこにはまだ星明かりが散りばめられていた。不意にジェームズ・ホーナーのサントラが聴きたくなったので、イヤホンを着けてiPodから『Titanic Suite』という曲を流す。夜が明けるまでの最後のひと時を、美しい旋律を聴きながら自分だけの空間に浸ることができた。そして、以降ホーナーの曲は私の中で「星空のテーマ」となった。
午前6時半過ぎ、空が徐々に白み始める。
Puente Villarenteの町中を通り抜けると、矢印に従い道路を渡る。
幹線道路を左手に歩道を真っ直ぐ進む。
1時間程進んだところにあった公園のベンチにて3人で休憩していると、足元で猫がじゃれついてきた。
日本の野良猫には秒速で逃げられる私でも、こちらの猫は警戒心が無いのか怖がられない。
中には「フロミスタの悪魔」のような奴もいるが(DAY14参照)、基本的には可愛いものだ。
休憩を終えると再出発。未舗装路を歩いていく。
前方を行くオッタビオとリカルドの2人がイタリア語で何やら喋っている。暫くしてから2人は立ち止まり、私の方を振り返った。
「Takaに聞いてみたら?」と言うリカルドに私は聞き返した。「何のこと?」
それにはオッタビオが答えた。「いや、さっき道端で見た物についてなんだが…英語で何て言うか思い出せなくてな」
英語ペラペラなオッタビオでも思い出せない単語を私が知っているだろうか?そんなことを思う私にオッタビオが続ける。
「何て言うか分かるか?道端に突っ立ってる、“パペット”みたいな奴」
「パペット?」そう言われた私の頭には、何となくハロウィンの“ジャック・オ・ランタン”が思い浮かんだ。
「動物避けで畑とかにあるだろ?アレだよ」
そう言われてピンときた。
「そうか、カカシか!」と日本語で叫ぶ私。
そのリアクションを見たオッタビオが「分かったのか?」と訊いてくる。
「うん。日本語では分かったんだけど、ちょっと待って…えーと、英語では…あっ、“スケアクロウ”だ!」
「それだ!」と言って声を上げるオッタビオ。「サンキュー、Taka。お陰でスッキリしたぜ」
どうやら合っていたらしい。やはり英単語は覚えておくに越したことはないな、と感じたエピソードだ。
幹線道路に架かる歩道橋を越えていく。この手の歩道橋はログローニョの手前にもあった。都市部が近づいている兆候だ。
丘の上から前方にレオンの街並みが見えてきた。想像通り、ブルゴスのような都会だ。
いよいよ街中へと入っていく。
この辺りから3人の歩調がバラバラになってきた。レオンの街を目の前にしてオッタビオとリカルドの歩くスピードが上がったのか、私は2人から離され始めた。そういう場合、無理に待ったり追いつく必要はない。私は適当な所で立ち止まり、写真を撮りながらマイペースで歩いていた。
結構交通量が多い。
新市街を1時間程進むと旧市街への入り口が現れた。
坂になった小路を登りながら公営アルベルゲを探す。路地に入った所に広場(Plaza del Grano)があり、巡礼者が列を成していた。皆、公営アルベルゲが開くのを待っているらしい。そこにはオッタビオとリカルドもいたので声を掛ける。「アルベルゲは何時に開きそう?」
「11時らしいよ」と言うリカルドと、「早く着き過ぎたな」と言うオッタビオ。
巡礼者の中には列にバックパックを置いてその場を離れる人もいたので、私も貴重品だけボディバッグに詰めるとアルベルゲが開くまで旧市街の散策に出掛けることにした。
Plaza del Grano
まずは広場を来た方向と反対側に向かってみる。入り組んだ路地を適当に歩いていると、カミーノの順路を示す黄色い矢印が現れた。
そこからいかにもヨーロッピアンな雰囲気の路地を進んでいくと、いかにもヨーロピアンな雰囲気の広場に出た。
レオン市庁舎(Ayuntamiento de León)
サン・マルセロ教会(Iglesia San Marcelo)
右の建物はガウディ設計のカサ・ボティネス(Casa Botines)
ロス・ グスマネス宮殿 (Palacio De Los Guzmanes)
ヨーロピアンな雰囲気のサン・マルセロ広場は、小路を介し現代的なラウンドアバウトと接続していた。
サント・ ドミンゴ広場(Plaza de Santo Domingo)
どうやらここら辺が旧市街と新市街の境目らしい。とりあえず人でにぎわっている旧市街のアンチャ通りの方へと進む。
すると、今度はカテドラルの聳え立つ広場に行き当たった。
相変わらず壮麗な外観だが、内部はパンプローナとブルゴスでの見学で満足したのでパスすることに。カテドラルの外周をグルリと回ってから、元来た方角へと引き返す。すると、またしても広場に出てきた。レオンの旧市街は広場だらけだ。
マヨール広場のAntiguo Consistorio
1時間の探索を終え最初の広場に戻ってくると、準備待ちの列は更に伸び、数十人の巡礼者たちがアルベルゲが開くのを今や遅しと待っていた。オープン前でこれだと午後になればかなりの人数が宿泊することが予想される。やはり都市部は規模が違う。
列にはオッタビオとリカルドの他に、リーやダニエルなどお馴染みのメンバーもいた。
「Takaクン!」「Takaサン!」
聞き慣れた声に振り向くと、そこにはスペイン忍者2人組もいた。
「おお!アキン、アルナウ!!」
ここ数日目にしなかった彼らだが、レオンまで来ていたようだ。
レオン到達でテンション上がった2人は、広場の銅像によじ登りポーズを決め出した。本当に何処にでも登る奴らだ(笑)
これが後の伏線になろうとは…
時間になりアルベルゲが開いたので列に戻る。順番に受付していくのだが、人数が多いだけに暫しの間待たされる。
順番待ちで時間を持て余していると、リーが私に頼み事をしてきた。「Taka、イラストを描いてもらえないかな?」
「イラスト?どんな感じのやつ?」
「リズとの写真なんだけど…」
「似顔絵?写真とかある?」
「ああ、これに入ってる」そう言うとリーはスマホを掲げた。
「オッケー、ノープロブレム。アルベルゲが開いたら描かせてもらうよ」
「分かった。ありがとう、Taka」
程なくしてチェックインを済ませると、ベッドを確保していつものように寝袋を敷く。
この日は早朝スタートでインナーに長袖シャツを着ていたので、半袖Tシャツに着替えた。一息ついたところでリーのベッドに向かう。
「この写真を頼むよ」そう言ってリーが見せてくれたのは、リーがリズをおんぶしているカミーノ中のスナップショットだった。
「チクショー、中々羨ましいことしてくれるじゃねぇか!」と思いつつ(笑)、「じゃあ少しの間スマホ借りるね。できたら持ってくるよ」と、リーの日記帳とスマホを預かる。自身のベッドに戻ると、寝転びながらイラストの作成に取り掛かった。いつものようにシャーペンで下書きした上からミリペンで清書する。30分程で描き上げ、リーのベッドへと足を運ぶと彼はシエスタ中だった。
「リー」枕元から声を掛ける。
「あ…Taka」
「イラスト、描いたよ」と言って手帳とスマホを渡す。
「あ…ありがとう」そう言うと、リーは軽く頷いた。
目を瞬きながら手帳を覗き込んでいるリーを尻目に、私はその場を後にした。描き手としては、出来上がった絵への相手の反応を見るのはちょっぴり怖い。なので、絵を渡すならこういう虚をついたタイミングの方が良いのかもしれない。
ページ右上には棒人間のパラパラ漫画が描かれていた。マヤの力作だとか(笑)
ひと仕事終えたので汗を流す為にシャワールームへと向かう途中、通路で1人のアジア人青年とすれ違った。その際軽く目が合ったのだが、青年の容姿、髪型、服装や所作が、これまでカミーノ中に出逢ったアジア人のものとは違うことに気付いた。その雰囲気は、どちらかというと私に近いものがあった。
「彼は、もしかして…?」
そんな予感から青年を目で追うと、彼は別のアジア人のおじさん巡礼者と話し始めた。そのおじさんの見た目が韓国人ぽかったので、「アレ、違ったかな…」と思うのだった。
恒例の水シャワーを浴び終え洗濯も終わらせる。時刻は14時半…これからガンガン日差しが強くなる時間なのでシエスタに入っても良かったが、いかんせんこの日は歩き足りなかったので、食糧補給を兼ねてレオン新市街の探索に出掛けることにした。ボディバッグを引っ提げサンダルで宿舎を飛び出すと、中庭で座っているお洒落ハットのオランダ人のベンジャミンに出くわした。
「やぁ、ベン」
「よぉ、Taka」そう言うベンジャミンの顔には苦悶の色が浮かんでいた。
「どうかしたの…?」
「足を痛めちまったらしい。ここまで騙し騙し歩いて来たが、いよいよ無理が祟ったようだ…」
リーも序盤で足首を痛めていたが、見た感じベンジャミンの状態はもっと悪そうだった。
「どうするの?一旦、休養日を挟む?」
「うむ…レオンは都会だからな、医者に診てもらうかもしれない」
怪我ということならアルベルゲでの連泊も可能なので、レオンで療養しつつ旅を再開するつもりらしい。
「くれぐれも無理しないでね」
「ああ、お前も気を付けろよ。Taka」
そう言うとベンジャミンと別れた。恐らく足の療養でレオンで停滞したのだろう。彼と会うのはこれが最後となった…
ベンジャミンとは2日目のララソアーニャからの付き合いだった。一緒にサンティアゴの地を踏むことはできなかったが、無事サンティアゴに辿り着けたことを祈るばかりだ…
アルベルゲを出ると、とりあえず再びカテドラルの方へと向かう。この時、iPodで水曜どうでしょう「ヨーロッパ20カ国完全走破 完結編」の音声を聴いていたが、内容が丁度スペインを舞台としていたので余計笑いを誘った。そして、邦楽以外で聞く久し振りの日本語は妙に心に響くものがあった。
新市街を抜け外周に沿って歩いていると所々に城壁が現れたので、回り込んで再び旧市街に入る。
サン・イシドロ教会(Basílica de San Isidoro)
折角だから中を覗いてみた。
教会を出たら先程も訪れたサント・ ドミンゴ広場のラウンドアバウトから更に先へと進んでいく。
この辺りはラウンドアバウトが何本も絡み合っており、街の作りが複雑に感じた。
10分程歩くと、サン・マルコス広場に行き当たった。ここに来たのはお目当てのものがあったからだ。
「これがレオンのパラドール…」
『The Way』で主人公の一行が宿泊していた場所だ。
「もうここまで来たのか…」
ここまでの18日間は長いようで短かった。まだ聖地サンティアゴまでは300km近く残っているが、映画の尺的にはもう終盤だった。
ここから先は、更に噛み締めるように歩かなければなるまい。そのことを肝に銘じる。
広場で暫し佇んだ後、ベルネスガ川沿いの遊歩道を南に向かって歩く。
Plaza de Guzmán El Bueno
歩いていて、足の親指と人差し指の間にサンダルによって擦れる痛みが出てきた。レオンの探索を始めて1時間半が経過していた。そんな長時間歩くつもりはなかったのでサンダルで来たのが失敗だった。毎日30km歩く生活が習慣付くと17kmの巡礼では物足りず、街の探索にもついつい気合いが入ってしまうらしい。
2時間歩き、とうとう午前中歩いた街の入り口まで戻って来た。ここら辺に大型スーパーがあったことを思い出し食糧調達に向かう。旅の家計簿を見返すと、このスーパーで食べ物の他にカラーペンに接着剤とシャーペンを買っていた。ペンはイラスト用だが、接着剤は何の為に買ったのか覚えていない。同じタイミングで、シャーペンも購入したことから、壊れたシャーペンを修理しようとでもしたのだろうか?誰か知っている人がいたら教えてほしい(誰も知らん)。
スーパーで買った缶ビールを飲みつつ、痛めた足を引き摺りながら旧市街に帰る。結局サンダルで3時間レオンの街中を徘徊していた。翌日以降の歩行に支障が出ずベンジャミンの二の舞にならなかったのは幸いだった。
アルベルゲに戻ると中は予想通り多くの巡礼者たちで賑わっていた。適当に時間を潰し、就寝の準備をする。これまでの日々を振り返り、いよいよ近づいてきたサンティアゴ・デ・コンポステーラへの道のりに想いを馳せる。
「ここから先は、更に噛み締めるように歩かないとな」
そのことを再び肝に銘じながら…
旅は後半へと向かっていた。
旅の出費(1€≒¥131)
アルベルゲ 5€
バゲット 0.45€
サラミ 1€
チョコ 0.53€
ミートパイ 1.89€
コーラ 0.22€
ビール 0.25€ビール 0.46€
コーラ 1€
ペン 2.99€
接着剤 2.99€
シャーペン 1.66€
【宿泊】5€ 【飲食】5.34€【雑貨】7.58/計17.98€(≒¥2,355)
フォトギャラリー
JUGEMテーマ:カミーノ
カミーノ17日目
7時半過ぎ、アルベルゲを出発した私は1人朝のサアグンを歩いていた。
この日も前日に引き続いての単独行だったが、もはや気持ちに後ろ向きなところは無かった。
ブルゴスでメンバーに入れ替わりが起きてから4日…一時期バラバラにだった仲間たちの足並みが、ここにきて揃いつつあった。
まずは韓国人のリー。序盤からチュートリアルのお助けキャラのように色々教えてくれたり、食事会に誘ってくれたりと常に頼りになる存在だ。続いてイタリア人のダニエル。ムードメーカーの彼は、旅に良いスパイスを与えてくれる。
そしてセルジョ、ベンジャミン、キャスリン…昨日は見なかったがスペイン忍者のアキンとアルナウもまだ近くにいる筈だ。
それに、ここ2日間で仲良くなったイタリア人2人組のオッタビオとリカルドと、メンバーに安定感が増してきた感があった。
例え1人で歩いていても、皆が同じ「道」にいると分かっているだけで、気持ちは晴れやかだった。
大都市レオンも迫っている。「旅は後半戦だ!1日1日を楽しんでいくぞ!!」と、気合いを入れて17日目をスタートする。
まずはセア川に架かるカント橋を渡りサアグンの町を出る。
郊外のスポーツ&レジャー施設横を通り真っ直ぐ歩いていくと、巡礼道は国道に合流した。
「SANTIAGO 315km」一昨日見た道路標識から150kmも減ってるぞ!?
ここは国道沿いの新道「レアル・カミーノ・フランセス(Real Camino Frances)」と、北の旧道「トラハナの道(Via Trajana)」との分岐点だ。新道の方が栄えている分、補給などの点で利便性が高そうだが、食べ物飲み物は十分にあったので風情のありそうなトラハナの道を選んだ。
国道を横断し、隣接した高速道路上の高架橋を渡って北へと進む。
まずは「Calzada del Coto」をサクッと通過。
未舗装路を20分程歩くと、今度は線路上の高架橋を渡っていく。
まっさらな大地を歩くこと1時間半…
10時過ぎ、「Calzadilla de los Hermanillos」に到着した。
スパッと通過。
麦畑の間を通る舗装路を歩いていく。
段々と辺りは原野と化してきた。
進行方向左手には線路が。
カミーノで歩くのは基本的に田舎道だ。しかし、これまで麦やブドウ畑など農地を通ることが多かったので、こんな荒涼とした場所は逆に新鮮だった。だが音楽を聴き、風景を眺めながら歩くだけでも飽きることがない。
更にここ数日は、前半戦と比べて確実に1日の歩行距離や歩行時間が伸びていたのだが、それでもまだ歩き足りないと感じるくらいだった。
初日にできた足のマメはとっくの昔に治った。元々膝に抱えていた故障もサポーターのお陰で影響はない。パンプローナではトレッキングポール代わりの2本の木の枝「トム」と「ダニエル」を失くした。だが連日歩き続けて脚力が増したことで、己の足のみで前進することに寧ろ快感を覚えるようになっていた。
トラハナの道は派手な景観は無いが、その分歩くこと自体の楽しさを再認識できるルートとなった。
14時過ぎに「Reliegos」に到着。20分程休憩を取ってから出発する。
こんな感じの道が続く。
道路脇の巡礼道には、街路樹がずらっと立ち並んでいた。聞くところによると、夏場の巡礼の日除けとして近年植樹されたのだそうだ。
確かに夏のスペインの日差しは殺人的に強烈だったが、私は日差しを浴びながら歩くのが好きなのでそんなに苦にはならなかった。
街路樹脇を歩くこと1時間半…15時40分、この日の宿泊地の宿泊地の「マンシージャ・デ・ラス・ムーラス(Mansilla de las Mulas)」に到着した。
道中大きなイベントが無かった為、随分あっさりとした描写になったが、この日も37〜8kmと結構な距離を歩いている。
町中にある公営アルベルゲを訪れると既にコンプレート(満室)だったので、町の入り口で見掛けた私営アルベルゲに戻る。
芝生が綺麗な中庭を通り、建物内に入る。料金はWi-Fi付で8€とちょっと高目だったが、まぁ許容範囲だ。
Wi-Fiのパスワードはこんな感じで掲示してあることが多い。
このアルベルゲには同じく公営に泊まれなかったリーとダニエルもいたので、シャワー・洗濯後の17時半頃、3人でご飯を食べに町に出た。
路地のレストランのテラス席に陣取り、私はメニューからカルボナーラを注文した。料理が来るまでの間、目前に迫った大都市「レオン」の話題になる。
「マンシージャとレオンって17kmくらいしか離れていないけど、みんなは明日何処まで行く?」地図を確認していた私が2人に尋ねた。
「うーん、そうだなぁ。やっぱりレオンには泊まりたいかな」と言うリー。
「ああ、俺もそのつもりだ。他の皆もレオンで泊まると思うぞ」とダニエルも同意した。
そんな訳で、我々の明日の目的地はレオンということになった。
これまでも皆は、こんな風に情報交換してきたに違いない。旅も後半に差し掛かり、私も自身の行程を積極的に仲間たちとシェアするようになった。
その根底には、以前皆との行程がズレた時に気付かされた「聖地に着いた時、その横には彼らにいてほしい」というその想いがあるからだ。
そうこうしている内にカルボナーラが来た。
食後に「サンティアゴに向けて結束を高めようぜ!」という感じで、3人で写真を撮ることになった。写真に写る我々の顔は、ブルゴス直後と比べると明らかに和かさを取り戻していた。それぞれの表情に、自身の壁を1つ乗り越えたかのような清々しさがあった。
真ん中に若干1名、フザけている日本人がいるが(笑)
食べ物よりも、仲間と過ごした時間の方が心に残ったマンシージャの午後のひと時だった。
ただ、中途半端な時間にカルボナーラを食べたことで、私の食欲はいたずらに刺激されてしまった。リーとダニエルと別れた後、食糧を求めて1人町中を歩き回り、広場の奥に見つけたシュペールメルカドでバゲットとチョリソーの切り落としと缶ビールを買う。
ここ数日は外食する機会が多かったこともあり、出発前に成田空港で外貨両替してきたユーロが少なくなっていた。
ここまで使った現金は300€強、その内約50€はフランス到着直後に使ったので、カミーノを歩き始めてからの15日間で使った額は実質250€くらいだ。宿泊費、食費など全て合わせて1日平均約17€の計算となる。ヨーロッパ旅と考えると、カミーノが如何に経済的な旅か分かる。
だが、いよいよ現金を補充する必要が出てきたので、クレジットカードでキャッシングできるATMを探していたのだが、田舎の集落でそうそう見つかる物ではない。
とはいえ大都市レオンが目前に迫っているので、まぁ何とかなりそうではあった。しかし、ほぼ無一文で歩くのは精神衛生上よろしくない。できるだけ早く入手できるに越したことはなかった。
帰り道でATMは見つからなかったが、ひとまずアルベルゲに戻るとバゲットとチョリソーのサンドイッチを食べながら缶ビールを飲む。
さっきのカルボナーラよりも断然美味い(笑)
スカっと晴れ渡った空を見上げると、西陽が燦々と降り注いでいた。アルコールが入り気分が良くなってきたので、辺りを散歩したくなる。バゲットとチョリソーの残りを片付け、三度町中へと繰り出す。
町の北東に位置する門。
20時前、ようやく傾き始めた太陽により、地面には大きく影が落ちていた。
このくらいの時間になると昼間の殺人光線も和らぎ、日向でもほんわりとした太陽光が肌に触れて快適だ。
真っ昼間とは違う色合いを見せる町並みに魅入られ、住民たちの日々の営みを眺めながらマンシージャの町中を歩き回る。
路地にはすっかり影が落ちている。
広場から教会の方へと向かっていると、公営アルベルゲの近くでオッタビオとリカルドに出くわした。
「あ、オッタビオ!リカルド!」
「おお、Takaもこの町にいたのか」とオッタビオ。
「昨日は似顔絵をありがとう、Taka」と言うのはリカルド。前日私が2人に書いたイラストのことだ。
「ノープロブレムさ。ところで、今日2人は公営に泊まってるの?」
リカルドが答える。「そうだよ、Takaは?」
「いや、俺が来た時には公営はもう満室でさ、町の入り口の私営アルベルゲに泊まってるんだ」
「ああ、あの塀で囲まれた所か。いくらだった?」と尋ねるオッタビオ。
当然、私営の方が高い筈なので、苦し紛れの付加価値を付けてその問いに答えた。
「8€、でもWi-Fi付だけどね!」
それを聞いてニヤリとするオッタビオ。
「残念だったな。こっちはWi-Fi付で5€だ」
それを聞いて悔しがる私だった(笑)
その後、この2人とも明日の目的地についての話題になった。
「Takaは明日何処まで行く予定?レオン?」と尋ねるリカルド。
「うん、そのつもりだよ」リーやダニエルたちと行程を合わせるつもりだったのでそう答える。
それを聞いたオッタビオがこんなオファーをしてきた。
「俺たち明日は早朝に出るつもりなんだが、Takaも一緒に来るか?」
「早朝って、何時くらい?」
「5時だ」
「えっ!そんなに早く!?」
彼らは私より早く目的地に到着する傾向があるが、出発時間が早いからかもしれない。
しかし、何を目的にわざわざそんな早起きをするのだろう?私が疑問を口にする前にリカルドが答えてくれた。
「その時間は、星を見ながら歩けるんだ」
「星!?」
「ああ、中々楽しいぞ」と、オッタビオが続く。
序盤こそ夜明け前に出ることもあったが、最近ではすっかり日の出後の出発が習慣になっていて、その発想は全く無かった。
星空ウォーク…想像しただけでエキサイティングだ。
「何それ、おもしろそう!!俺も行くよ!」
「分かった。明朝5時にそっちのアルベルゲに迎えに行くから、外で待っててくれ」
「うん!そんじゃ、明日ね!」
こうして、星空ウォークの約束をしてオッタビオとリカルドと別れた。
20時半過ぎ、日暮れ間近になり辺りにはすっかり影が落ちていた。今日も良い日だったと、すっかり1日が終わった気分で帰路に着く。
だがこの日は、ここから思いがけない展開が起こるのだった…
アルベルゲへと向かう途中、教会の近くの銀行(Oficina Banco Santander)に店舗外ATMを見つけた。
「お、これでお金が下ろせるじゃん!」と、喜び勇んでATMに駆け寄る。
iPhoneで事前に調べていたキャッシング方法を確認しながら、操作画面を進めていく。
「えぇと…言語設定を英語にして、Withdrawっと…」
その時、背後から突然声を掛けられた。
振り返るとそこには見知らぬ男性3人が立っており、私に何かを話し掛けていた。
状況が状況だっただけに焦った。
今はクレカをATMに突っ込んでる真っ最中。後2〜3回ボタンを押せば、目の前の機械からユーロ札がドバドバ出てくる状態だ。
「どんな状況で話し掛けてきてんだ!まさか強盗か!?」
と一瞬思うも、相手の表情を見るとそれはもう友好的な感じなので、どうやらそれは無さそうだった。
3人に「今、忙しいからちょっと待ってて!」と懇願すると、ようやく状況を理解してくれたのか一旦引き下がってくれた。
「話し掛けていい状況じゃないことくらい見れば分かるだろ…」と思いつつも、事件性は無さそうなので内心ホッとした。
無事に現金200€の引き出しに成功し、余り見慣れない100ユーロ札とクレカを首から下げていたパスポートケースにしまうと、3人を振り返る。
「で、どうしたって?」
彼らの1人が、相変わらずに聞き取り易い英語こう言ってきた。
「この辺で何処か良いバルかレストランを知らないか?」
「知らんわ!」と思わずツッコミたくなる。どう見たって私は事情通のようには見えないだろと思うが、先程リーたちと外食したことを思い出し、「バルは知らないけど、さっき通りのレストランでカルボナーラを食べたよ。味は普通だったけど」と伝えると、相手はこう返してきた。
「君もペリグリーノ(巡礼者)だろ?」
「うん、俺はTaka。君たちもペリグリーノス?」
「そうさ、俺はフェリペだ。よろしく、Taka」
フェリペが和かな表情で後の2人のことを紹介してくれた。
「こっちはルーベン、そして彼はカルロスだ」
「やぁ、Taka。よろしくな」
「こちらこそよろしく」そう言って私はそれぞれと握手した。
サラッと言葉を交わした印象だと、ルーベンとカルロスの英語はフェリペと違い、やや訛りがキツめな感じだった。
自己紹介が終わり場が和やかな雰囲気になると、1番英語が堪能なフェリペがこう言う。
「Taka、俺たちこの後バルに行くんだが、一緒に飲みにいかないか?」
明日は朝早いのでもうアルベルゲに帰って寝るつもりだったが、話し掛けてきたタイミングは別として彼らの人柄には好感が持てたし、キャッシング直後でお金もある。それに缶ビールのホロ酔いにも後押しされて、彼らについていくことにした。
公営アルベルゲの隣のバルへと場所を移すと、まずは各自「セルベッサ」を注文する。
セルベッサはスペイン語でビール(特に瓶の物)を指して言う。セルベッサで乾杯をすると、まずは互いのことを話し始めた。
フェリペはコロンビア出身の30代で、外見は映画俳優のジョン・セダに似ている。
日本にいとこがいるせいか、梅や味噌が好きという通好みなところがあり、掛けられないのだがご丁寧に電話番号まで教えてくれた(笑)
ルーベンはマドリード出身、ダンディな見た目が特徴だ。年齢的にはフェリペよりは若そうだ。
アリカンテ出身のカルロスは、英語は苦手だが気のいいおっちゃんだった。
私は旅中に出逢った人たちの名前をメモ帳に記していたのだが、この頃から自己紹介の時に本人に名前を記してもらうことにした。
そうすることで、彼らの名前を正確に把握できる上に、似顔絵などをプレゼントする際にちゃんとした綴りでメッセージを添えられるからだ。
3人の名前をメモ帳に取ると、フェリペが日本の話題を持ち出してきた。
「Taka!俺は日本人で好きなアーティストがいるんだ。映画のキルビルに出ているんだが、知ってるか?」
「キルビルの音楽?…もしかして、布袋寅泰?」
「ホテイ…?違うな、ガールズバンドだよ」「え?…そんなのいたっけか?」
キルビルを観たのはかなり前のことなので、何分記憶が薄い。千葉真一や栗山千明は覚えているが、ガールズバンドなんて出ていただろうか?
「ホラ、彼女たちだよ!」そう言うとフェリペは自身のスマホを見せてきた。
彼のYOUTUBEから流れていたのは「The 5.6.7.8's」という3人組日本人ガールズバンドだった…が、見ても全然ピンと来なかった(笑)
ビールが空くと、今度はワインとつまみをフェリペたちが注文した。
「Taka、ここは俺たちの奢りだから遠慮なく飲んでくれ」と言うフェリペ。
「おお!ムチョグラシアス!!フェリペ、ルーベン、カルロス!」
彼らは強盗どころか、無茶苦茶気前の良いナイスガイだった。
ワインを飲みながらアリカンテ出身のカルロスが私に尋ねる。「Taka、スペインはどうだ?」
すっかり酔っぱらってきた私は陽気に答えた。「ムイビエン(とても良い)だよ、カルロス!」
「ハハ、そうか!ムイビエンか!スペイン語を覚えたのか?」
「いやぁ、俺がムイビエン以外で唯一覚えたのは、“セルベッサ・グランデ・ポルファボール(ビールの大瓶ください)”くらいだよ」と言うと、凄くウケていた(笑)
そんなこんなで、この愉快でノリの良い3人組との飲み会は滅茶苦茶盛り上がった。
明日は早いというのに、結局22時半過ぎまで飲んでいた。数時間にATM前で見せた警戒心など何処へやらだ。
飲み会がお開きになると、同じアルベルゲということで皆で一緒に宿に戻った。
まさか1日の終わりに、こんなに楽しいことが待っているとは…まるで思いもしなかった。
出逢って直ぐの相手と打ち解けられるのが、カミーノの凄いところだ。同じ巡礼者同士、共通の目的意識が互いの壁を打ち砕くのだ。
この時4人で撮った写真を見ると、私は普段絶対見せないくらい楽しそうな顔をしている…それはきっと、酔いのせいだけではない筈だ。
新しい出逢いが、いつもカミーノの新しい一面を見せてくれる。
そしてその扉を開いてくれるのが、「ペリグリーノ」という存在なのた。
左からカルロス、ルーベン、私、フェリぺ。楽しいひと時をありがとう!
旅の出費(1€≒¥131)
アルベルゲ 8€
パイ 1€
プラム 1.44€
カルボナーラ 3€
バゲット 9€
チョリソー
ビール 2.84€
チョリソー 1.96€
豆 0.83€
スニッカーズ 0.94€
セルベッサ 0.44€
【宿泊】8€ 【飲食】19.5€/計27.5€(≒¥2,474)
フォトギャラリー
JUGEMテーマ:カミーノ
カミーノ16日目
雲間から漏れた朝日が「カルダディージャ・デ・ラ・クエッサ」の町の一角を占める向日葵畑に降り注ぐ。
気のせいか、今朝はいつもより冷んやりしており、雲の量も多い。
朝7時過ぎ、小さな町のアルベルゲからは多くの巡礼者たちが、次の町を目指し旅立っていた。
宿の中庭では、カタルーニャ出身のナイスミドルな巡礼者チキの相棒のシャタが、冷んやりとしたリノリウムの床に気怠そうに寝そべっていた。
シャタ 「歩きとうない…」
7時40分に私もアルベルゲを出発する。
序盤は6時半頃に出発することが多かったが、カミーノも中盤入ってからはこの時間の出発が定番になっていた。
カルダディージャを抜け、麦畑を横目に北西へと進む。
この日は久々に1人での出発だった。
ブルゴスからは何かと気に病むことが多く、その反動か誰かと歩くことが多かった。
仲間といることで心の隙間を埋めるかのように、顔見知りの姿を探し求めていた。たが、そんな状況も少しずつ変わり始めていた。
旧知の仲間と再会を果たし、新しい仲間と結束を強めることで、段々と気持ちが楽になっていくのを感じた。
そのせいか今日の私には、久し振りの1人歩きを楽しめる余裕があった。
約1時後の8時50分、「Ledigos」に到着。
町はすぐ通過。国道を横断し、進路を西に取ると未舗装路に入っていく。
東の空を振り返る。相変わらず日差しは強い。
9時50分、「Terradillos de los Templarios」に到着。
町の入り口にはテンプル騎士団をモチーフにしたアルベルゲがあった。
「Albergue Jacques de Molay」
未舗装路、農地の間の自動車道、未舗装路と歩き西へと進む。
10時半に「Moratinos」到着。
歩くことに集中しているせいか、今日はテンポ良く行程を進めている。
「何だアレ…瓦かレンガを焼く窯?」
「Parroquia de Santo Tomás」
教会が開いていたので、中を覗く。セジョがあったので、クレデンシャルに押していく。
教会を出て先に進む。空を見上げると、空は雲で覆われており、先程までギンギンに射し込んでいた太陽はすっかり隠れていた。
強烈過ぎる直射日光も困り者だが、太陽が出ていないとどうも巡礼をしている感じがしない。
カミーノだって季節によって天候は全然違う筈だが、真夏に行った私にとっては、いつだって晴れているのがカミーノだった。
やはり今日は雲量が多い。
「San Nicolas del Real Camino」を通過、幹線道路脇を歩いていく。
時間が経つにつれて雲量は増え、空はすっかり厚い雲で埋め尽くされていた。
今まで2週間以上、こんなことはなかった。今にも泣き出しそうな空模様だ。
「いよいよか?いよいよ降っちゃうのか!?雨!!」
そして、とうとうパラパラと小雨が降り出した。それはカミーノ16日目にして、初めての雨だった。「遂に来たか!」
これまでずっと出番の無かったレインウェアをバックパックのサイドポケットから引っ張りだして着込む。
「ゴアテックスのレインの威力を見さらせ!」と勇んで歩き出したところ、次の瞬間、あっさり雨が降り止んでしまった。それどころか、先程まで空を覆い尽くしていた雲が消えて青空が見え始めた。何と、気まぐれな天気なんだ。
そのまま歩いているとウェア内が蒸れてクソみたいに暑くなってきたので、道端でバックパックのレインカバーを外し、レインウェア諸共5分前にあった場所に仕舞う。
その後、カミーノにおいてレインウェアの出番はついぞ来なかった…
気を取り直して幹線道路脇を更に西進すると、前方に「サアグン(Sahagún)」の町並みが見えてきた。
ところがその手前で順路は道路を外れ、川に沿って北へとそれていく。
川沿いを暫く歩くと、古風な橋とその向こうに礼拝堂が現れた。
「Ermita de la Virgen del Puente」
ここで小休止を取ってから、再び歩き始める。
麦畑を通り、13時前にサアグンに到着。町の裏手から中心部に向かう。少し先で線路に行き当たり、サアグンが鉄道の通る思いの外大きな町だと分かった。線路を渡って路地に入ると、すぐに公営アルベルゲを見つけた。微妙に時間が早いのでここで泊まるか迷っていたら、昨日カルダディージャで初めて会話したイタリア人のオッタビオとリカルドがアルベルゲから出てきた。「よっ、2人共!」目が合ったので声を掛ける。
「ああ、Takaか」と、若かりし頃のスピルバーグ似のオッタビオ。
「やぁ、Taka」と、少し控えめなリカルド。
「あれ、マイケルは?」先日ディナーテーブルで一緒だった同じくイタリア人のマイケルのことを尋ねる。
「さぁな、先に行ったんじゃないか?」と他人事のように話すオッタビオ。
「アレ?君たち一緒のグループじゃないの?」
私の疑問にはリカルドが答えた。
「マイケルは別さ。僕たち2人で歩いているんだ」
「あ、そうなんだ」
同世代のイタリア人だからてっきり3人で旅をしているのかと思ったら、昨夜は偶々一緒になっただけらしい。
「Takaはここに泊まるのか?」オッタビオの質問を、私は質問で返す。「2人はここに泊まるの?」
「うん、俺たちはもうチェックイン済みさ」と言うリカルド。
「このアルベルゲは広いぞ、それにWi -Fiも使えるしな」オッタビオが付け加える。
「へえー、いいね」
オッタビオとリカルドは落ち着いた喋り口で、スムーズに対話が成り立つ。それに若さ故か、好奇心も強かった。
「Taka、君は漫画を描くんだろ?」今度はリカルド、昨晩のディナーで話題にしたことだ。
「あぁ、そうだったな。その話を聞かせてくれよ」と、オッタビオも続く。
そう言われると、是非こちらこそってなモンだ。
「オッケー!んじゃ、俺もここで泊まっていくよ」
「よし、決まりだ」オッタビオが頷く。
彼らはこれから町に出ると言うので、一旦2人と別れる。
オッタビオとリカルド…ダニエル、セルジョ、ラファエラとも違う新しいのイタリア人、それに新しいタイプの巡礼仲間だ。
「彼らとも仲良くなれそうだな」いつの間にか相手の雰囲気だけで、そんなことが分かるようになっていた。
アルベルゲの中に入ると、受付で宿泊料5€を支払う。オッタビオの言う通りサアグンの公営アルベルゲはWi-Fi付きで、中は広々とした空間に木製の2段ベッドが所狭しと並べられており、体育館のような感じだ。私は奥の寝台を確保し、いつもの如くベッドバグ対策で寝袋を敷いた。
日本でカミーノに関する情報を集めていた時から気になっていたのが、ベッドバグの存在だった。ベッドバグは「南京虫」とも呼ばれる吸血性のシラミの一種だ。咬まれると全身が身悶えする程痒くなるということで、巡礼者たちの間からは恐れられる存在だ。不特定多数の(中には決して綺麗な身なりとは言えない)人たちが利用するアルベルゲのベッドは、そんな「巡礼者たちの天敵」の温床とも言える場所なのだ。
そんな訳で出発前はかなり恐れていたベッドバグだが、シーツや枕などの寝具に直に肌を付けないよう注意していたお陰で、ここまでのところ全くと言っていい程被害は無かった。周りでもやられているという報告を余り聞かないので、「対策をしていれば案外大丈夫なのかもしれない」と、この時は思っていた。
その認識は後に覆ることになるのだが…
「Funeraria - Tanatorio Santa An」
いつも通りシャワー・洗濯を終えひと段落つくと、早速外に出てサアグンの町中を徘徊する。
サアグンはマヨール広場を中心に狭い路地が入り組んでおり、所々にレストランや日用品を扱う店の他、教会や修道院などがあった。
「マヨール広場(Plaza Mayor de Sahagún)」
「サン・ベニート修道院(Monasterio Real de San Benito)」
「サン・ティルソ教会(San Tirso)」
ひとしきり町の探索を終え宿に戻ると、前日カルダディージャで一緒だった馴染みのメンバーも続々到着していた。その他にはオンタナスで会った韓国人の女の子もいた。1日40km歩くような子だし2日間見掛けなかったので、とっくに先に行ったものと思っていたが…まぁ、あの子のことだから酒の飲み過ぎで動けない日でもあったのかもしれない。
「そういえば、サン・ジャンに到着した日に別れたミン君は今どの辺りを歩いているんだろう?」と、ふと気になる。
彼のタイムリミットは20日間、順調に進んでいればゴールは近い筈だ。
そして、同時にこんなことも思った。「俺が聖地に辿り着くのはいつ頃だろうか…?」
少し前までは実感が無かったが、気が付けばそんなことを意識するようになっていた。
15時頃になり、宿の皆で食事に出掛けようという話になる。
微妙な時間だった為行くか逡巡したが、パエリアレストランだとのことで一気に乗り気になった。
「本場のパエリアだ!」何処かのタイミングで食べたいと思っていたが、ついにその時が訪れた。
皆でマヨール広場付近のレストランに入る。メンバーはダニエル、リー、セルジョ、キャスリン、ラファールといつもの面々に、昨日初めて会ったアリカンテ出身のスペイン人女性ヌリアもいた。それぞれ適当にテーブルに着いていく。その時、テーブルでのラファールとヌリアの距離感が妙に近いのが気になった。
料理が来るまでの間、私は隣に座っていたダニエルと話していた。彼とちゃんと話すのは、ブルゴスのガイドウォーク以来だ。話の流れで彼の職業について尋ねたが、何かの管理職的だと言っていた気がする。余り英語を理解できなかったこともあり、若干記憶が曖昧だ。
会話の途中でダニエルに「君の国のニュースだぞ」と言われ、テレビを指差される。画面を見ると、大型艦船と「Izumo class (22DDH) Helicopter Destroyer - JMSDF」というテロップが目に入った。スペイン語なのでアナウンサーが喋っている内容は1つも分からなかったが、画面を眺めている内に、ヘリ搭載護衛艦「いずも」の命名・進水式が8月6日に行われたことが分かった。
「昨日は8月6日…そんな時期か」
7月下旬に日本を出発してから2週間以上が経ち、忘れ掛けていた日付感覚を呼び起こされる。
それに、海外で観る自国のニュースというのも中々新鮮だった。
結構待たされた後、ようやく待望のパエリアがテーブルに運ばれてきた。
ジャン!盛り付けが若干荒いかな?
気になる本場のパエリアの感想は…「ヌルい」。
味はまぁまぁ美味いのだが、作り置きだろうか…?運ばれて来た時から既に冷めていた。
期待値が高かっただけに残念だった。
アルベルゲに帰ってからは、オッタビオとリカルドとのお喋りに興じた。ナポリの大学生だという彼らとは、漫画などの話ですっかり意気投合したので、私は後で彼らに似顔絵を描くことを約束した。仲良くなった巡礼者の似顔絵を描く…いつの間にかそれが、私のカミーノにおけるアイデンティティであり自己表現方法となっていた。
夕方になり、ようやく少し日差しが和らいできたので、買い出しに再び外に出る。まずは町中のシュペールメルカド(スーパーマーケット)で食糧品の買い物を済ませる。それから、路地にあった小さな雑貨店でイラスト用に消しゴムを購入した。
買い出しを済ませたので、早速宿で似顔絵に取り掛かることに。その前に、例によって参考資料となる写真を撮りにオッタビオとリカルドの元へと向かう。彼らのブースで3人一緒に肩を組んで写真を撮ると、オッタビオから手帳を預り自身のベッドで、似顔絵の作成に取り掛かった。
ここで思わぬ問題…というか、発見があった。下書きの修正に先程買った消しゴムを使ったのだが、スペインの消しゴムは硬くて全然消えない上に、紙の表面をゴリゴリ削ってしまうのだ。まるで砂消しのようだが、画材屋でない雑貨店で普通に売られている消しゴムがそうだったので、スペインではそれがデフォルトなのだろう。その後も外国で文房具を買う度に思うのだが、海外製品は本当に粗悪だ。それに「世界堂」のように画材やコミック用品を豊富に取り揃えている店もない。まぁこれに関しては、日本のマーケットが飛び抜けているのかもしれない。それに、海外でGペンやスクリーントーンが売られているのも、余りイメージが湧かない話だ。
ベッドに寝転んで似顔絵を描いていると、向かいのベッドから聞こえてくる音が気になった。そこのベッドの主はスペイン人のラファールなのだが、ベッドの側面にはバスタオルが掛けられ、中が見えないようになっていた。その中で、明らかにラファールが女性とイチャイチャやっているのだ。直後に判明したが、相手は同じスペイン人のヌリアだった。恐らく2人はここ数日間で出逢って、スペイン人同士ということもあり急速に仲を深めたのだろう。先程、レストランでやたら距離感が近かった訳が分かった。
お国柄というべきか、ドミトリーのアルベルゲでも彼らは周りの目を気にせず、2人だけの世界に浸っていた。ラファールとは初日から共に旅を続けてきた。ララソアーニャでは川で一緒にスキッピングで遊んだりもしたが、残念ながらこの日を最後に再び会うことはなかった。
カミーノで芽生えた愛が、仲間たちとの歩調を狂わせたのかもしれない。
2人だけの恋路を歩むラファールとヌリア…それもまた、1つの巡礼の形なのかもしれない。
チュッチュチュッチュ聞こえてくる隣のベッドのことは気にせず、私は自身の仕事に集中した。
似顔絵を描き終えると、オッタビオとリカルドのブースに向かう。手帳を開いた2人は感嘆の声を上げた。
「ワォ…」「ナイス!」
この絵は結構似ているので、2人の顔はこんな感じだと思ってもらって構わない(笑)
似顔絵をプレゼントしたことで、我々の仲は一気に深まった。それが結果的に、2人が私のカミーノ後半におけるキーパーソンとなり、2週間後に「地の果て」と呼ばれ、「旅の終着点」とも言える場所で、大西洋に夕陽が沈む瞬間を共にすることに繋がったのかもしれない。
だが、それは結果論に過ぎない…この時の私は、ただ純粋にオッタビオとリカルドに喜んでほしかっただけだ。
そして似顔絵を描く能力は、「彼らの友達」である私に与えられた、数少ないギフトだったのだ。
そのことに気付けたのは、カミーノが私に与えてくれた「大きなギフト」の1つなのかもしれない…
旅の出費(1€≒¥131)
アルベルゲ 5€
バゲット 0.39€
チョリソー 1.7€
桃 0.45€
パエリア 9€
チョコ 0.59€
コーラ 0.46€
消しゴム 0.85€
【宿泊】5€ 【飲食】13.04€【雑貨】0.85€/計18.89€(≒¥2,474)
JUGEMテーマ:カミーノ
え、もう来たの…?
目次ページ作るタイミングが(面倒臭い)
【DAY14】Land of Fields「オンタナス〜フロミスタ」
【DAY15】Long Way Round「フロミタ〜カルダディージャ・デ・ラ・クエッサ」
頑張って月間3本か…カミーノの作成ペース。
てことは、全部終わるの単純計算で来年の春なんだが…
てことは、丸々1年掛かるってことか…1ヶ月の旅をブログにするのに(汗)
疲れる。
JUGEMテーマ:カミーノ
2013年8月6日
カミーノ15日目
午前7時半、朝日に染まった幹線道路脇を歩いていく。
パートナーはスペイン人のアルナウ。ブルゴス以降、姿が見当たらなかった彼だが、昨日フロミスタのアルベルゲで2日振りに再会した。
アルナウは地元のフリーランニング仲間のアキンとバルセロナから共に旅を続けてきた。それがブルゴスで主要メンバーが離脱したことがきっかけで、散り散りになっていた。そんなアルナウに、出発早々こんなことを訊かれる。
「Takaクン、アキンには会った?」
「うん。昨日まで一緒に歩いてたし、割と近くにいると思うよ」
それを聞くとアルナウはホッとしたようだった。
恐らく彼はバルセロナを出発してから、ずっとアキンと行動を共にしてきた筈だ。2日以上も離れ離れになったことはなかっただろう。
アルナウはブルゴスの一件以来、傷心から1人になることを望んだ。それが今、本来のパートナーであるアキンとの旅を再び欲しているように感じられた。これは私の推測に過ぎないのだが、恐らくそんなに間違ってはいないと思う。
何故なら私自身も彼と同じように仲間との別れに悲しみもがきつつ、自身と向き合うようことで気持ちに整理をつけてきたからだ。
10代のアルナウにとって、この数日間の1人旅は少なからず不安な部分もあっただろう。
アキンと会うまで、そんな彼の手助けに少しでもなれれば…そう思った15日目の朝だった。
町を出ると高速道路と2つのラウンドアバウトを越えていく。
道路沿いの未舗装路を歩いている時、ふと振り返ると後方から大量の牛を引き連れたじいさんが歩いていた。
世界の牛シリーズ(第1弾)
「うおっ、何だアレ!?」思わず声を上げる私とアルナウ。
巡礼道を埋め尽くさんばかりの牛が迫り来る様は、今にもGメン75のテーマが流れてきそうな勢いだった(古い)
その10分後、朝日が背後からから力強く差し込んでくる。
「ビューティフォー…」
上の写真にも写っているが、この辺りの道はモホン(道標)が2つ1セットで設置されているのが特徴的だった。
自動車道からそれて「Población de Campos」の町を通っていく。
町の出口でまたしてもモホンが並んでいるのを見つけたが、今度は意味が分からないくらい大量だった。
「うわっ、何だコレ!?」
ここで順路を示す矢印ペイントが路面に2方向に描かれていた。目の前の自動車道を伝うルートと、右手の町の側面へと続くルートだ。
アルナウとどちらに進むか相談する。側面ルートのペイントの方が色が濃く比較的新しそうだったので、そちらに向かうことにした。
その流れで以前から気になっていたことをアルナウに訊いてみた。
「ルートを示す黄色い矢印のこと、何て呼んでる?」
「うーん、Yellow Arrow…かな?」と、答えはシンプルだった。
町を振り返る。「ライティングが良いなぁ」
スペインらしい農道を歩くこと1時間…9時半過ぎに「Villovieco」を通過。
今度は「Río Ucieza」という川沿いの原っぱを歩いていく。この辺りは日本の景観にもよく似ていた。
アルナウの歩くスピードは恐ろしく速い。こちらが速足でも追いつけないくらいなので、私はイヤホンを着け、1人のんびり歩くことにした。
世界の犬シリーズ(第3弾)
10時過ぎに川沿いの道から車道に出てしばらく進むと「Ermita de Nuestra Señora del Río」という建物に行き当たる。
調べてみると、”ermita”は「隠居」を意味するらしいが、ここも宗教施設の一種だと思う。
「Ermita de Nuestra Señora del Río」
90度左に折れてしばらく自動車道脇を歩くと「Villalcázar de Sirga」に到着。
町中のベンチで一休みしていたアルナウに追いついたので、遅めの朝食を一緒にとった。
ビスケットやソイジョイ、サンドイッチをアルナウにシェアして貰う。
この時地図を確認していて、ある事に気が付いた。今日ここまで歩いてきたルートは、私の地図では正規ルートとなっていたが、同じ地図に記載された最短ルートと比べると結構な遠回りになっていた。最短ルートは、先程「Población de Campos」で見た大量のモホンの場所から自動車沿いに「Villalcázar de Sirga」を目指すのだが、我々の通ったルートはわざわざ北へと迂回していた。
いつもしっかり地図を確認してから歩く訳ではないので、ルートマーカーを頼りに歩くと遠回りしていることにも気付かないものだ。
だが、今は気分的に早くアルベルゲに着いてのんびりするより、長く歩く方が良かった。
それに、まだ1日は始まったばかりだ…遠回りも悪くない。
アルナウと次の町を目指して歩き始める。
相変わらずアルナウは歩くのが速い。常に彼の背中を追う形に。
12時前に「Carrión de los Condes」に到着。自動車道を離れ町中へ入っていく。
この町は人が多く、賑わっている印象を受けた。人口が多いのではなく、狭く入り組んだ路地に人が多くいた為だと思うが、都会とは違う活気があった。
「サンティアゴ教会(Iglesia de Santiago)」
お昼時だったので、シュペールメルカドを探しながら先へ進む。
「Ayuntamiento de Carrión de los Condes」
ビレッジホールの裏手で見つけたシュペールメルカドにアルナウと入る。私はバゲットにチョリソー、ホワイトチョコレートなどを、アルナウは米にトマトソース、野菜ジュースなどをチョイス。どうやら今食べる物という訳ではなさそうだ。精算の段になり「ここはいいよアルナウ、俺が払うから」と言う。先程ビスケットなどをシェアして貰ったので、こういう所で還元していく。
「Río Carrión」に架かる橋を渡る。
先程買った野菜ジュースをアルナウと回し飲みしながら歩く。
「Monasterio De San Zoilo」
町の外に出るとカミーノにしては珍しく、巡礼者用の歩道ではなく幹線道路と立ち木の間の狭い路肩を多くの巡礼者たちが歩いていた。
ただ、幹線道路といってもそこまで交通量は多くないので危険はない。
暫く進むと、ラウンドアバウトを介して更に広めの幹線道路と合流し、巡礼道は小さな支道へと続いていった。
その道を10分程歩くと、またしても現れた…
ここ数日間、私の沈んだ心の保養に大きく貢献してくれた向日葵畑だ。
一面敷き詰められた鮮やかな黄色に、この日も大いに癒される。
向日葵畑を抜け、牧歌的な風景の中を4〜50分歩いたところで未舗装路になり、景色は更に「田舎道」という感じに変わった。
例によって、あっという間にアルナウに引き離される。
そこから少し行った所で、道端に座っているアルナウに追いついた。
顔をしかめていたので、何かあったのかと思い声を掛ける。
「どうした、アルナウ?」
「うん…ちょっと、足が痛いんだ」
どうやら靴擦れによる足まめらしい。靴を脱いで足をさすっていた。
私を含め多くの人はトレッキング用のブーツで巡礼をしている。だが、アキンとアルナウはペラッペラなスニーカー(ドラゴンボールのキャラが履いてそうな奴)で毎日2〜30km歩いていた。それもあれだけ速足なのだから、靴擦れが起きても不思議ではない。
自分に何かできることはないかと考えると、初日にフランス姉妹の妹マヤから足まめパッチを貰ったことを思い出した。
バックパックを開け、ボディバッグにしまっていた残り1枚のパッチを取り出す。
「フランス姉妹の忘れ形見」といえる物だったので少し名残惜しい気もしたが、本当に必要としている人の為に使うべきだろう。
「これ、使いなよ」
そう言って足まめパッチをアルナウに差し出す。
「あ、ありがとうTakaクン」
そう言って足のまめにパッチを貼るアルナウだが、あろうことか剥がした台紙を草っ原にポイっと放り投げた。
「コラッ!人の忘れ形見をポイ捨てするんじゃない!!」
と思うも、黙って紙を拾い上げボディバッグに戻す。
そういえば、割と序盤から私は巡礼道上で目に付いたゴミを拾っていたのだが、この辺りからだろうか?その頻度が日増しに高まっていた。
恐らく落ち込んだ状態で歩くと気が滅入るので、気持ちを何処か別の方向に向けさせようと自己防衛本能が働いたのではないかと分析している。
ゴミ拾いに関しては、私の中である一定のルールが存在した。
まず動機としてあったのは、「こんなに素晴らしい巡礼道の上にゴミが落ちているのを見たくない!」だったり、「貧乏旅で巡礼道上で余りお金を落としていない分、別のことでリターンしたい」という気持ちだ。
それがブルゴス以降の自己防衛期間を経て、目的が違う方向へとシフトしていた。ゴミ拾いをゲームとして楽しみ始めたのだ。
まず、巡礼道上に落ちているゴミにはある程度傾向がある。それらに拾ったゴミの種類によって異なるポイントを設定した。
基本的に「綺麗で大きなゴミ」はポイントが高い。よく見かけるスニッカーズなどチョコバーの包装フィルムは10pt。1番高得点だ。
続いてアメの包装。これは小さいからかなりポイントが落ちる。5pt。ポイントが低いのはティッシュなどだ。綺麗な紙は2ptでまだマシだが、きったねぇ奴や土に塗れた奴は1pt。また、雨や朝露で濡れていると全体的にポイントが落ちる。つまり「濡れたきったねぇティッシュ」は実質0ptなので拾わない。
そしてポリシーとして絶対拾わないのは「タバコの吸い殻」だ。
個人的な見解だが、ポイ捨てゴミの多くは喫煙者によるものだと考えている。理由は奴らの多くが平気でその辺に吸い殻を捨てられる精神性の持ち主だからだ。なので、あえて吸い殻以外のゴミを拾うことで、(ポイ捨てする)喫煙者の愚かさを強調していくスタイルだ。
発想が変に捻くれているが、あくまでもゲームとしてやっているだけなのでルールは気分次第だ。
旅の後半、この「カミーノ・クリーンナップゲーム」は私の中での密かな嗜みとなっていた。
再び2人で歩き出すが、やっぱりアルナウのペースにはついていけないので、私はイヤホンを着けてマイペースで歩く。
暫くしてからアルナウがこちらに歩み寄ると、声を掛けてきた。
「Takaクン、歩きながら何を聴いてるの?」
この時私が聴いていたのは、日本を出発する前にレンタルしてiPod nanoに入れてきた、ゆずの「ワンダフルワールド」という曲だった。
アルナウは自身のパルクールにミュージックをつけてYouTubeに投稿しているらしいし、ピアノも弾くみたいだから音楽に関しては一家言あるのかもしれない。
彼がゆずをどんな風に感じるのか興味があったのでイヤホンをアルナウに渡す。1分程聴くと、アルナウは私にイヤホンを返しこう言った。
「こんなこと言うのも悪いけど…僕には何だかファニーに聴こえるよ、この曲」
私はカミーノ中に聴くようになりゆずが好きになったのだが、確かに中には「何だコレ?」と思う曲もあったので、そこは笑いながら同意した。
「ハハ、確かにスペイン人からしたらそうかもね」
「僕でも知ってる曲はある?」とアルナウ言われ自身のミュージックリストを思い浮かべたが、元々洋楽は余り聴かないので「セリーヌ・ディオン」くらいしか思い浮かばなかった。日本通でアニソン好きなアキンなら、或いは分かる曲があったかもしれない。
音楽談義が終わると、再び各々のペースで歩く。
足は大丈夫なのか、またしてもアルナウは恐ろしいスピードで歩き去っていった。
気付けばこのくらい離されちゃう。
2時間歩き、長い直線路にも終わりが見えてきた。
「お、町だ」
16時20分、「カルダディージャ・デ・ラ・クエッサ(Calzadilla de la Cueza)」に到着した。
この日の行動時間は約9時間、移動距離は38km強。共にこれまでの最長記録だが、長時間歩くことに苦は無く、寧ろ心地良さを感じた。
町の入り口に分かりやすくあった公営アルベルゲで受付をする。
到着時間は遅かったが、収容人数80名の大きな宿だったので問題なく宿泊できた。
だだっ広い部屋に2段ベッドがずらっと並べられた宿泊ブースに入ると、突然大きな声で呼び止められた。
「アルナウ!」
そこには、私の隣りにいる10代青年の真のパートナーの姿があった。
「アキン!」
アルナウはアキンの元に駆け寄る。
抱き合って2日振りの再会を喜ぶアルナウの姿は、まるでホームシックの子が久し振りに家族に会ったかのようなあどけなさがあった。
それを見て「そうだよな…10代だもんな…」と、しみじみ思った。
その後、続々と知り合いの巡礼者たちがカルダディージャのアルベルゲに登場した。
イタリア人のセルジョ、スペイン人のラファール、オランダ人のベンジャミンなど初期から旅を共にしているメンバーだ。
それに、イタリア人のダニエルもいた。
「Taka-Maaan!!」
2日前に話した時は彼も元気がなかったので、いつものようなハイテンションなのを見て一安心する。
そして、最後に現れたのが彼だった。
「リー!」
「…Taka」
ブルゴスに到着した日以来、暫く姿を見なかった韓国人のリーと3日振りの再会を果たす。
私は開口一番フランス姉妹のことに触れた。
「聞いたよ…リズとマヤのことは」
「…そうか」
その話題をした時、リーの顔に浮かび上がった悲しみに満ちた表情は忘れられない。私はこの2日間で気持ちに区切りを付けたお陰で割と冷静だったが、リーはかなりのショックを引き摺っているように見受けられた。だが、それも仕方あるまい…姉妹と接する時間が最も長かったのは、彼なのだから。
「ブルゴスに着いた翌朝にフランスに帰ったんだって…?」
「ああ。朝の列車で発つから、駅まで見送りに行ったんだ。それで皆から遅れていたんだけど…何とか追いついたよ」
「そうなんだ…お疲れ」
リーは今日ここまで1人で歩いてきたようで、途中からフランス姉妹と共にパーティーを組んでいたイタリア人のマルコとは既に別行動を取っているらしかった。それまでフランス姉妹たちとパーティーを組んで楽しそうに歩いていた姿が頭にあるだけに、大きなバックパックを背負い1人寂しく歩くリーを想像しただけで、こちらまでやるせない気持ちになってくる。仲間としてここまで2週間以上旅を共にしていたことで、彼らには自分のことのように共感できた。
その想いからか、プエンテ・ラ・レイナでリーに言われた台詞が自然と口からついて出た。
「リー、また会えて嬉しいよ」
伏し目がちだったリーが視線を上げてこう言った。
「…俺もだよ、Taka」
2人で再会の握手を交わす。
周りでは他の仲間たちも互いに再会を喜び合っていた。
改めて気付かされる。リーにダニエルにアルナウ、それに他の皆…それぞれに己の感情に向き合い、折り合いを付けようと努めているのだと。
夕方、レストランに行く為に皆で外出する。
カルダディージャは小さな集落でアルベルゲの他には民家と数件のレストランバーがあるだけだが、通りは(主に巡礼者で)賑わっていた。
その中では多くの新しい出逢いがあった。
めちゃくちゃ長身でモデルみたいにスレンダーな北欧美人の巡礼者と自己紹介の際にハグをする。
典型的な日本人男児の私としては、非常にドギマギするところだが、そこはおくびにも出さずジェントルマンらしく対応する。
だが、本心では「チクショウ、何ていい習慣なんだ!!日本でもやれ!」とニヤけていた(笑)
またフランクに会話をしてくれたのは、「ヌリア」という目鼻立ちのクッキリしたバレンシア州アリカンテ出身のスペイン美人だ。
彼女とは筆談を交えながら、お互いの出身地を紹介し合った。
そしてレストランで私と同じディナーテーブルに着いたのは、「オッタビオ」「リカルド」「マイケル」というイタリア人青年の3人だった。
彼らとはここ数日何度か顔を合わせていたが、言葉を交わすのは初めてだった。
オッタビオは小柄だが割と恰幅が良く、顔はキリッとしつつもどこか愛嬌があり、「髭を生やした若かりし頃のスティーブン・スピルバーグ」といった感じだ。リカルドは長身痩躯、少しカールした髪に無精髭を生やしている。顔の雰囲気は優し目で、古代ローマ物の映画とかに出てきそうなタイプだ。マイケルは髭が無く…私のメモによると「ヒョイっとした顔立ち」らしい(どんな顔だ笑)
ただ、3人ともイタリア人っぽい顔立ちの若者だった。そういう国籍による顔や雰囲気の違いも、多くのヨーロピアンに接したことで大分感覚的に分かるようになっていた。歳は最初に予想した年齢から3歳くらい引いたのが概ね正解だと分かった。
ディナーのメヌ・ペリグリーノが1品ずつ運ばれてくる。まずはバスケットに入ったパンと赤ワインだ。
次にパスタ、メインがビーフステーキ。デザートはティラミスだ。
イタリア人たちとデザートについての話になり、カプリ島を発祥とするイタリアの伝統的なチョコレートとアーモンドのケーキ「トルタ」について教えてもらう。彼らとは初対面だが、若いだけあり(私より年下の23歳くらいだったと思う)会話に柔軟に対応してくれた。
基本はまずオッタビオが私の話に受け答えをし、マイケルがそれに補足する。リカルドは顔の雰囲気通り、少し控え目な感じだった。
私はその中の誰よりもワインの進みが早かった。というより、他のイタリア勢が余りワインに口を付けないので、私1人でボトルを空にした(笑)
新たな仲間との食事会を楽しんだ後にレストランを出ると、路上に犬がだらーんと寝そべっているのを見つける。
彼の名前は「シャタ(Xata)」。カタルーニャ出身、白髪のナイスミドルなスペイン人巡礼者「チキ」の相棒だ。
犬と旅をしている巡礼者には初めて出逢った。
世界の犬シリーズ(第4弾)
シャタ 「おう、何撮っとんねんワレ」
21時過ぎ、夕食を終えた我々はアルベルゲへと引き上げる。
気付けばカミーノは後半戦へと突入していた。この時はまだ、ここ数日間目にしていない仲間たちとも何処かで再会できるだろという思いもあり余り実感がなかったが、今にしてみるとブルゴス以降、確実にメンバーに変化が起きていた。そこで出逢った仲間たちとの間にも新たな絆が生まれ始めてはいたものの、ふとした拍子にいなくなった者たちのことを考えてしまう自分がいた…
長い巡礼道を歩いていると、数多くの出逢いと別れを経験することになる。そのことに巡礼者たちは一喜一憂し、時には自問自答を繰り返す。
だが去り行く者たちの記憶は、彼らを知る者たちの心に留まり続ける。そして、記憶を共有する者同士の絆は日増しに醸成され、結び付きを増していく。
「道(カミーノ)」の上では悩み苦しみ、時には遠回りすることもある。
それでも、目指す場所は皆同じ…
ーサンティアゴ・デ・コンポステーラー
目的地は1つでも、そこへ辿り着く道筋は巡礼者の数だけあるのだ。
「聖地に辿り着いた時、傍にいるのは誰なのだろう…?」
その答えを求めて、巡礼者たちは明日も新たな一歩を踏み出す。
旅の出費(1€≒¥131)
アルベルゲ 7€
バゲット
チョリソー
白チョコ
米
トマトソース
コーラ
オレンジジュース
野菜ジュース 13.63€
ディナー 10€
【宿泊】7€ 【飲食】23.63€/計30.63€(≒¥4,012)
JUGEMテーマ:カミーノ
カミーノ14日目
カミーノをスタートしてから2週間が経ち、14日目は朝7時にオンタナスを出発した。
この日のスターティングメンバーは、昨夜同じアルベルゲに泊まっていたスペイン人のアキンに、前日出逢った韓国人のケリーと、いつもとは違う顔ぶれだった。
アキンの相方のアルナウは前日から行方不明になっていた。
原因はブルゴスで主要メンバーが巡礼旅を終えたことに端を発している。
特にフランス姉妹の離脱は、私とアルナウのメンタルに大きなダメージを与えていた。
アルナウはフリーランニングが特技の超人的な身体能力を持つ男といえど、年齢は17歳とまだ若いだけに行方知れずというのは少し心配だった…
並木道の舗装路を3人で歩き、7時53分、「サン・アントン修道院(Monasterio de San Antón)」に到着。
廃墟となった修道院は、かつては修道僧が壊疽を治すと言われていたらしい。
入り口の看板を見ると、今はアルベルゲとして使われているようだ。
再び並木道を歩いていく。やさしい曙光を背に浴び、足元には長い影が伸びる。
昨日と同様、アキンは1人で先に行ってしまったので私はケリーと話しながら歩いていた。
「Takaはサイタマに住んでるって言ってたけど、生まれ育ったのも同じ場所?」
「いや、故郷は東京よりずっと北の秋田って所なんだ」
「アキタね、知ってるよ。友達がアキタの女性と結婚したからね」
「あ、そうなんだ」
そしてケリーは彼の日本での生活について教えてくれた。
「僕はボランティアで“disabled people”の為に色々な活動をしているんだ」
「えっと、ディゼーブルって・・・」
「ああ、そうだな・・・ハンディキャップを持った人たちのことさ」
成程、彼はどうやら障碍者支援施設で活動しているらしい。他国に来てボランティアに励むとは実に偉い。
それにケリーは打てば響くタイプで、話していて会話に困ることはなかった。
並木道が終わり視界が開けると、待っ平らで綺麗な舗装路が真っ直ぐ伸びていた。
この道をケリーと歩いている時、「ニーノ」というイタリア人とも話す機会があった。
彼はかなり高齢の巡礼者で、そこにはいなかったが、娘さんと巡礼中なのだそうだ。
今はリタイアして旅をしたりとのんびりとした生活を送っているが、かつては東京や東南アジアで真珠を売り歩いていたらしい。
ニーノの話を聞いた後、今度はケリーがニーノに自身の障碍者支援の活動について熱く語るのを聞いていた。
昨日も感じたことだが、やはりケリーの英語は聴き取り易かった。イタリア人で高齢のニーノの英語と比べると尚更だ。
サン・アントン修道院から歩くこと約1時間で、前方に町と小高い丘が見えてきた。
丘の上には「Castillo de Castrojeriz」という城跡が見える。
丘の付け根の斜面に沿って住宅が建ち並ぶ町「カストロヘリス(Castrojeriz)」の狭い小路を歩いていく。
進行方向右手には丘、左手は所々塀が途切れ、町の南側を高所から広く見渡せる。建物もお洒落で、中々雰囲気のある町並みだ。
中央広場から市庁舎を振り返る。
巡礼者たちが集まっているカフェを覗いたら、先に到着していたアキンを見つけた。
アルナウや他の知り合いはいないようだったで、再び3人で歩き出す。
橋を過ぎると、道は前方のモストラレス山(Alto de Mostelares)へと向かって徐々に登り坂になっていた。
どうやらここを越えて行くらしい。
登り坂でも相変わらずアキンはどんどん先に進んでいく。
写真を撮っていると、ケリーにも離されてしまった。
巡礼者の中には全く写真を撮らない人もいる。
私は基本的に風景をデジカメ、人物や食べ物をiPhoneで写真に収めていた。
ブログにする際、写真無しでは記憶の再現がイメージ主体になるので、色眼鏡を通した描写になると思う。
写真は記憶の奥に埋もれていた旅のディテールを掘り下げるのに、大いに役立ってくれた。
寧ろブログにするなら、看板やアルベルゲ内など、状況説明に使える画をもっと押さえておけば良かったと今にして思う(笑)
坂の中腹から振り返る。高度感があって気持ち良い。
15分でモストラレス山の頂上に着いた。
斜度12%、自転車なら中々の激坂だ。
頂上にアキンの姿は無かった。とっとと先に行ってしまったのだろう。
大分暑くなってきたので、上着のランニング用のウィンドストッパーを脱いでヌプリパックのバンジーゴムに引っ掛ける。
肌着にしていたオークリーの袖をまくると、日焼けした腕が出てきた。サンオイルを塗って毎日スペインの日差しを浴び続けたお陰で、今ではすっかり小麦肌だ。
小休止してから山(というか丘)を下る。
乾いた上昇気流が肌に触れて気持ち良い。見晴らしも良いし、メセタの景観は最高だった。
またこの季節特有のものなのか、カミーノをスタートしてから2週間雨が全く降っていなかった。
ジメジメとした夏の日本で例年肌荒れに苦しめられていた私には、カラッとしたスペインの夏は文字通り肌に合うものだった。
日差しは強いが日陰に入れば快適だし、気候も安定している。
長く住むなら、こういう場所の方が向いているかもしれない。
坂を下り終えると、ケリーと雑談しながら麦畑と向日葵畑の中を歩いていく。
「ケリーは英語が上手だけど、どこで覚えたの?」
私は気になっていたことを尋ねてみた。
「ニュージーランドさ。日本に住む前に留学していたんだ。ケリーっていうイングリッシュネームはその時から使い始めたんだ」
イングリッシュネームは日本人からしたら余り馴染みのない概念だ。
「タカシ」という名の男が、海外で相手に覚えられやすいように「Taka」と名乗るようなものだろう。
また、ニュージーランドに何かピンとくるものを感じた私は、重ねて質問してみた。
「ニュージーランドってどうだった?」
「凄くいい所だったよ。治安は良いし人々は親切、英語を話す機会も沢山あったしね」
「へぇー。ニュージーランドって、トレッキングが盛んなんでしょ?」
「うん、凄くポピュラーだよ。自然は綺麗だし、国中至る所にトレッキングコースがあるんだ」
何てことだ!私にとっては天国のような場所ではないか。
「いつか行ってみたいなぁ…」
漠然とだが、そう思った。
私の中でニュージーランドとの接点ができたのは、もしかしたらこの時なのかもしれない。
ワーキングホリデーでニュージーランドを訪れたのは、それから2年後のことだ。
そして、この目で見たニュージーランドの大自然は、想像を遥かに超えるものだった…
50分程歩いた辺りで、前方に土色の建物が見えてきた。
「サン・ニコラス礼拝堂(San Nicolas De Puente Fitero)」
ここはボランティアにより運営されている礼拝堂で、宿泊もできるようだった。
残念ながら泊まるにはまだ早い時間だったので、クレデンシャルにセジョだけ押すと礼拝堂を後にした。
礼拝堂のすぐ先には「フィテロ橋(Puente Fitero)」が架かっている。
ここを渡るとバレンシア県だ。
橋を渡り終えた後、巡礼道は右に折れ暫く雑木林の横を歩く。
10時50分、「Itero de la Vega」に到着。町の入り口で休憩しているグループの中にアキンを見つけたのだが、他の巡礼者とスペイン語でまくし立てるように早口で会話していた為、何となく話し掛け辛い雰囲気だった。
もしかしたら英語が得意でないアキンにとって、アルナウのいないこの2日間はスペイン語が話せずフラストレーションになっていたのかもしれない…と思ったが、暫く様子を見ていると違うような気がしてきた。どうもグループ内の鼻ピアスをした少しファンキーな風貌の女性巡礼者とのお喋りに夢中なようだった。ガンガンに喋り掛けているところを見ると、彼は今“フリルティング”の真っ最中らしい。
その後も、アキンがこの女性にガンガンにアプローチしているところを何度か見掛けた。
アキンは大丈夫そうだ。心配なのは、若くて性格的にもっと繊細そうなアルナウの方だった…
私とケリーはアキンのことは気にせず先に進むことにした。
お腹が空いてきたので、シュペールメルカドを求めて町中を少しふらつく。
市庁舎前の広場
シュペールメルカドは無かったものの、雑貨店を見つけたので私はリンゴとチョコバーと「KAS」という炭酸ジュースを買った。
広場のベンチに座り、遅めの朝食兼早めの昼食にする。「Itero de la Vega」はこれといって何も無かったが、静かで落ち着いた雰囲気の町だった。
町を出ると「Camino de los Peregrions」 、文字通り「巡礼道」という名の未舗装路に入る。
「Canal del Pisuerga」という運河(というより水路)の先には、とんでもない光景が広がっていた。
丘が一面、色鮮やかな黄色で埋め尽くされている。
「向日葵の丘」だ。
これまでも向日葵を見る機会はあったが、この一角はそれらよりも段違いで華やいで見えた。
思わず息が止まってしまうくらいに美しかった。
「Taka、向日葵畑を背景に写真撮ろうか?」と、ケリーがオファーしてくれた。
普段はそんなに写真に写りたいと思わない私だが、この時ばかりは目の前の絵画のような光景にフレームインしたいと衝動的に思った。
「うん、頼むよ!」ケリーにiPhoneを渡し、撮って貰う。
この写真は、私のカミーノを象徴するお気に入りの1枚となった。
「サンキュー、ケリー!」
一面に咲く向日葵畑はいつでも見られるものではないだろう。
この時期に来て、こんなに素晴らしい光景を目の当たりにできたのは本当にラッキーだった。
「Tierra de Campos(英語ではLand of Fields)」は、私のカミーノの中で1番の景勝地となった。
13時15分、「ボアディージャ・デル・カミーノ(Boadilla del Camino)」に到着。
1日の行程を終えるのに丁度良い時間だったのでアルベルゲを探す。
だが、町の入り口にあった公営アルベルゲはコンプレート(満室)だった。そこには韓国人のイーとシンもいたが、2人もあぶれてしまったようだった。
仕方ないので、皆で私営アルベルゲを求めて町中を探し回る。
教会の近くで見つけた私営アルベルゲに入ってみる。
中にはプールが付きの小洒落た中庭があり、宿泊者たちが大音量で音楽をかけて寛いでいる。妙に俗っぽい雰囲気に違和感を覚えた。
ケリーはここに泊まるようだったが、私は何となくここに泊まる気になれなかったので、次の町まで行くことにする。
2日間世話になったケリーに挨拶すると、彼が日本語で返してきた。
「マタネ!」
その後彼と再会することはなかったが、無事にサンティアゴまで辿り着けたことを祈る。
ボアディージャの町から出ると、左手には麦畑と平原が広がり、右手には巡礼道に沿って川が流れていた。
「カスティージャ運河(Canal de Castilla)」
運河は波紋1つ立たずに穏やかな水の流れを湛え、巡礼道は運河の水面のように真っさらに整地されている。
並木が途切れると、視界が一気に広がった。周囲に遮るものは何もない。
そんな道を1人で歩いていると、自然と様々なことに考えを巡らせてしまう。
気付けば、巡礼旅を始めてからこれまで出逢った人や出来事を思い返している自分がいた。
私はブルゴスで生じた「変化」について、まだ気持ちに整理をつけられずにいた。
他の人と話すことで、そのことを余り考えないようにしていた。とてもじゃないが、突然の別れを受け入れられそうになかったからだ。
だが先程アルベルゲの中庭で、プールサイドで騒いでいる巡礼者たちを見た時、ふと感じた。あの輪の中に入るのではなく、1人になる時間が欲しい…と。
無理矢理作った出逢いで、過去の思い出を上書きするような真似はしたくはなかった。
遠い地平線を見つめながら、1人そんなことを考える。
自身と向き合うことで、気持ちに整理をつけようとしていたのかもしれない…
1時間歩くと運河は左に曲がり、前方に水門が見えてきた。
Esclusa cuádruple Frómista Canal de Castilla
この水門はフランス映画『サンジャックへの道』でも観た覚えがある。
ボアディージャから1時間で「フロミスタ(Frómista)」に辿り着いた。
町中に入ると、看板を頼りに広場横を通り公営アルベルゲを探す。
サン・マルティン教会(Iglesia de San Pedro)
巡礼道から少し離れた所にあった公営アルベルゲに入る。
時間が遅かったので心配だったが、ベッドにはちゃんと空きがあって一安心した。
エステージャ以来、アルベルゲ内でまたも四国巡礼の掲示を発見。
シャワーと洗濯を終わらせたので、町を散策することに。
外に出ようとダイニングの横を通った時、中で食事をとっているアルナウを見つけた。
「あ、アルナウ!」
「…Takaクン」
失踪中だったアルナウをようやく発見した。
昨日の何処にいたのか話を聞くと、思った通り彼は我々より先に進んでいたようだった。
彼も私と同様、ブルゴスでのことをまだ引き摺っているらしく、相変わらず元気無さそうだった。
買い出しに行くと告げてその場を後にする。
去り際に見たアルナウは、1人ポツンと食卓に座り寂しそうに見えた…
フロミスタの町中を歩き回る。
フロミスタは、今日ここまで通ってきた丘の町とは対照的にフラットな町並みが印象的だ。
だが、建物はお洒落で雰囲気もあり歴史を感じさせた。
サン・ペドロ教会(Iglesia de San Pedro)
中に入って、暫し佇む。
サンタ・マリア・デル・カスティージョ教会(Iglesia de Santa María del Castllo)
世界の馬シリーズ(第1弾)
世界の猫シリーズ(第6弾)
1時間近く掛けて町中を1周したところで、町の入り口近くのDia(シュペールメルカド)で食糧と酒を調達する。
レモン味のビール。味は記憶に無い(笑)
散策を終えてアルベルゲに戻ってくると、買ってきたビールと共に食べようとダイニングで缶詰を開ける。
その時、足元で白い影が動いた。
「ブルン」「!!」
「ヒョイ」「あっ、コラッ!」
「ギンッ」「ヒッ…!」
「おい!ちょ、まっ…」「プイッ」
「返せって!!この!」「グイグイ」
「ピョン」「ああああー!!」
突如として現れ、嵐のように去って行ったあれは、一体何だったんだ…
アルベルゲに巣食い、日々巡礼者たちの食糧を糧として生ける「白い悪魔」だろうか…
腹は満たされぬが、カミーノにおけるヒエラルキーを考えさせられた世界の猫シリーズ(第7弾)だった。
14日目…ブルゴスを後にしてから2日が過ぎたが、まだ気持ちの整理はつけられずにいた。
正直、どんな心持ちで旅を続ければいいのか分からないまま歩いていた。
それでも、この日のカミーノの景色はいつも通り…いや、いつも以上に素晴らしいものだった。
同じ道を同じ人が歩いても、季節やその時の心情によって、カミーノの見え方は千差万別に違いない。
出逢いと別れを繰り返しながら続ける巡礼旅…
この2週間の思い出は私にとって、紛れもなくかけがえのないものだった。
だが過去を振り返ってばかりで前を見ずに歩いては、「今本当に大切なもの」を見落としてしまう…そんな風に思うようになっていた。
過去に縋るのとは違う…割り切るのとも違う。
これまでの出逢いと思い出を糧に、「今」を歩く…その先に未来は見えてくるのかもしれない。
そんな簡単に人の心の回路は切り替わらないし、今は期待よりも不安の方が大きいのが正直なところだ。
それでも明日を歩く…巡礼者として。
旅は、新たな局面へと向かっていく…
旅の出費(1€≒¥131)
アルベルゲ 7€
チョコバー
リンゴ
KAS 2.3€
種 0.85€
カスタードパン 1€
サラミ 1.65€
VARIOS 1.19€
コーヒー 1.1€
シャンディー 0.39€
ビール 0.75€
【宿泊】7€ 【飲食】 9.23€/計16.23€(≒¥2,126)
フォトギャラリー
JUGEMテーマ:カミーノ
カミーノ13日目
6時半過ぎにブルゴスの公営アルベルゲにて目を覚ます。周りのベッドからは既に巡礼者たちが起き出していた。
2段ベッドの上段から降り荷物を纏めると、非常階段から1階へと向かう。
収容人数の多いアルベルゲだけあり、ダイニングは既に賑わいを見せていた。
その中でアルナウが朝食のシリアルを食べていたので声を掛ける。
「ブエノスディアス!アルナウ」
「あ、Takaクン…」
そう言ってこちらを一瞥すると、アルナウは再び皿に目線を落とした。
どうしたのだろう…心なしか元気が無いように感じる。
私も朝食にしようと、バックパックから前日買ったバゲットを取り出した時、奥からアキンが現れた。
「よぉ、Takaサン!」
「アキン、ブエノスディアス!」
彼はいつも通り元気そうだった。
「Takaサン、俺たちのシリアル食べないか?ミルクも余ってるんだ」
そう言うとアキンは手にシリアルの箱と牛乳の入ったボトルを掲げた。
基本1人で食事をやりくりしている私には、シリアルを買おうという発想すら無かったのが、多人数で行動すると日々の食事の選択肢も増えていいなぁと羨ましく思う。
とはいえ、彼らもシリアル1箱は1日で食べ切れなかったらしい。捨てるのも勿体ないので、遠慮なく分けて貰った。
朝食を食べ終えると、私はアキン・アルナウとアルベルゲを出発する。
都会のブルゴスを迷わずに抜けられるか少し心配だったが、地元スペイン人の2人と一緒なので安心した。
とはいえ、順路を示すマーキングは密にあったので、迷うことはなかったと思う。
先ずは黄色い矢印の導くままにカテドラル北門を通り過ぎ西へ向かう。
少し歩くと旧市街から住宅地に景観が変わった。
門を通った直後に左に折れ、階段を降りていく。
路地を南に進み「Bridge Malatos」という橋を渡り、幹線道路を横断する。
並木道から石垣の中へと入ると、大学横の公園を通って門を潜り抜ける。この場所は、映画『The Way』にもブルゴスからの旅立ちのシーンで登場した。
サイクリングレーン横の歩道を進むと、順路が幹線道路から離れて未舗装路へと入って行く。
ようやくブルゴス市街地を抜けたようだ。景色は田舎道へと変わり、柔らかな日差しの下、涼やかな風を浴びながら歩く。
すると、朝から言葉数の少なかったアルナウが口を開いた。
「あのフランス姉妹…」
「ああ、リズとマヤのこと?」
「…うん」
「そういえば今朝は見てないな。先に行ったのかな?」
「帰ったよ」
「ん?何処に?」
「フランスさ…旅を終えて帰ったんだ」
「…え?」
予想だにしなかった言葉に耳を疑う。
聞き間違いではないかと思い、もう一度アルナウに確認した。
「・・・2人が・・・フランスに?」
「うん。列車で帰るって…今朝、アルベルゲの前で見送ったんだ」
状況が飲み込めない。動悸がしてきた。
「カミーノをやめたってこと・・・?」
「…うん。残念だけど・・・」
全くもって寝耳に水だった。
彼女たちとは、スタート地点のサンジャン・ピエ・ド・ポー以来、同じペースでブルゴスまで旅を続けてきた。
旅程について話題に上がったことはなかったが、自分と同じく「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を目指しているものと当然のように思っていた…
それがブルゴスで旅を終えて帰っただって?
「そんな・・・!」
ようやく事態が飲み込めてきた。
アルナウの言葉に嘘が無いことは、彼の表情を見れば明白だった。
一瞬、頭の中が真っ白になる。
リズとマヤは、私がカミーノを歩き始めてからできた最初の友達だった。
初日に出逢って直ぐに2人の魅力の虜になった私は、サンティアゴに着いた時、彼女たちもその輪の中にいるものと信じて疑わなかった。
だが冷静に考えると、彼女たちは夏休み中の学生だ。
フランスの学校の夏休みがどれだけ長いかは知らないが、学生が1ヶ月以上も旅を続けると考える方が不自然かもしれない。
「一緒にサンティアゴ目指してカミーノを歩いている」
ずっとそう思っていた。
しかしそれは…そうなることを望んでいた私の只の思い込みだった。
彼女たちが本当に目指していたのは、「ブルゴス」だったのだ…
先ず最初に襲ってきたのは「喪失感」だった。
思わずアルナウの方を見る。
口をつぐみ、相当なショックを受けている様子だ。彼も今朝になって、その事実を知らされたに違いない。
2日前の彼との会話を思い出す。
“フリルティング”について話したことを…
朝からずっとアルナウに元気が無かった理由がようやく分かった。
・・・だが私も、人のことを心配していられないくらいショックを受けていた。
アルナウは今朝、別れ際に居合わせたようだが、私はそれすらできなかった。
リズとマヤに最後に会った時のことを思い出す。
あれは昨日の午後、カテドラルの前だった…
あの時私は、目の前のカテドラルに夢中で子供みたいにはしゃぎながら階段を駆け下りていった。
それが最後になるとも知らずに、「スゴイ!!」という言葉だけ残して…
「さよなら」も言ってない。
…馬鹿みたいだ。
その内、喪失感が「失望感」へとすり替わっていく。
まず最初に思ったのは、「何故そんな大事なことを、一言も話してくれなかったのか」ということだった。
「いや…話していたけど、俺が理解していなかっただけかもしれない」と私の中の私が取り繕うも、
「そんな訳あるか!そんな重要な話なら気付かない訳がないし、昨日会った時も何も言われなかったぞ!!」と同じ私が自己否定した。
纏まりのつかない頭で、何故こうなってしまったかを整理しようとする。
しかし、余りに突然のことに、私は只々憤るしかなかった。
「結局…俺はそんな大切な仲間だと思われてなかったってことか…」
怒りが鎮まると、諦めの境地に達した。
皆はこうなることを知っていたのだろうか?
続いてそんな疑念が降って湧く。
リーは当然知っていただろう…彼女たちと一番接する時間が長かったのは彼だ。
他の仲間たちは…?多分、知っていたに違いない…
仲間内で知らなかったのは、いつも巡礼者ネットワークの外にいたやつ…
つまり、俺だけだ…
一気に虚無感に襲われ、身体から力が抜けていくのを感じる。
視界がぼやけ、景色が色褪せてきた。
気が付けばアルナウは遥か先を歩いていた。
私は言葉を失い、俯きながらアキンの後をついていく。
景色は目に入らず、記憶も余り残っていない。
我々3人の歩くペースはバラバラだった…
そしてこの時ばかりは、「聖地を目指してカミーノを歩く」という行為そのものがどうでもよくなっていた・・・
どれくらいの時間が経っただろう…?
ふと我に返り、腕時計を確かめる…時刻は9時半、私の中で空白の時間が経過していた。
前方には、いつの間にか次の町の「タルダホス(Tardajos)」が見えていた。
アキンの後に続き、町に入る。
町中でアルナウが待っているかもしれないと思い、辺りを見回すも見当たらなかった。
独りになりたかったのかもしれない…
その気持ちは良く分かった。
タルダホスを抜けると、目の前に小高い丘が聳えていた。
丘の方へと伸びる道路をアキンと2人無言で歩いていると、茶髪のアジア人巡礼者に話し掛けられる。
「やあ!僕はケリー、韓国人だ。君たちは?」
「俺はアキン、バルセロナから来た」
「俺はTaka、日本人だよ」
「そうか、よろしく。アキン、Taka」
3人で簡単に自己紹介をする。
ケリーと名乗った青年は、私の同級生を思い起こさせる顔立ちをしていて、何となく日本人っぽくも見えた。
見た目や振る舞いから彼が私より少し年上の、30歳前後ではないかという印象を受ける。
道は丘の手前で左に湾曲していく。
アキンは1人先に行ってしまったので、私はケリーと暫し共に歩いた。
「Takaは日本の何処から来たんだい?トーキョー?」
「んー…かなり近いけど、東京の近くの街だよ」
「サイタマ?」
当たりだった。
「え?知ってるの…?埼玉」
「うん、僕は東京に住んでるんだ」
「え!そうなの?」
「うん、去年から“スギナミ”にね」
「へー、そうなんだ!仕事は何をしてるの?」
「“カンダ”でコックの見習いさ」
杉並区在住で神田のコック見習いのケリーの英語は、クセがなくて聴き取り易い一般的な韓国人の喋り方で、片言だが日本語も少し話すことができた。
話していく内に、彼がリーのように物腰柔らかで、人当たりが良いタイプだとは直ぐに分かった。
初対面の相手ということで、改めて自分のことを説明する必要があったのだが、この時はそのお陰で気を紛らわすことができた。
ケリーと雑談をしながら歩くこと20分程で「Rabé de las Calzadas」に着いた。
この町で休憩していくというケリーと別れ、再びアキンの後を追う。
ここからは、イベリア半島特有の「メセタ」という高原地帯に突入する。
事前情報によると、この区間は町と町との間隔が長く、補給なしで進む必要があるのだという。
幸い水も食料も十分あったので、そのまま先に進むことにした。
時刻は10時だったが、この先どのくらい歩いて、どの町まで行こうかなどということは頭になかった。
今は只ひたすら、無心で歩いていたい気分だった・・・
麦畑の広がる丘陵地帯をアップダウンを繰り返しながら進んでいく。
アキンにもすっかり置いていかれてしまった。
私の歩くペースが落ちていたのかもしれないが、単純にアキンが速いかった。先行していた巡礼者たちをどんどん追い越していくのが見えた。流石フリーランナーだ。
私の沈んだ気分とは裏腹に、晴れ上がった空から太陽光が、燦々とメセタの台地に降り注ぐ。
気温も段々上がってきた。額から噴き出た汗が頬を伝って、地面に点々と跡を作る。
気持ちが歩くことにフォーカスし始めていた。
「これでいいんだ・・・これで・・・俺は巡礼者なんだから」
巡礼道にはいつにも増して、多くの巡礼者が歩いていた。
ブルゴスで旅を終えた巡礼者は多いが、ブルゴスからスタートした人も多いのだろう。
彼らを追い越す際にいつものように「ブエンカミーノ」と声を掛けたが、メンバーが一新されたかのように知り合いに会わなくて寂しい気持ちになる。
それでも、この時歩いていた巡礼者たちの中に、私のカミーノ後半におけるキーパーソンとなる人物もいたのだ・・・
と、知るのは後になってからのことだ。
麦畑の中を一条のラインが伸びていく。
来た道を振り返る・・・
11時40分、「Hornillos del Camino」まで来た。
次の町の「オンタナス(Hontanas)」へは10km強、この区間も補給が効かないらしいので、少し早いが昼食にする。
広場でバゲットのサンドイッチを軽く腹に収めてから、町中を抜けて先に進む。
12時半、この日1番の急峻な登り坂が始まった。
坂の途中、ロンドンで留学をしていたという韓国人の女の子と会話をする。カフェでバイトしながらカミーノ資金を貯めらしい。
「昨日は40km歩いた」と言うので、「凄いね!そんなペースならサンティアゴもあっという間だね」と驚いたが、スタート日は私と大して変わらなかった。
訊けば、所々泊まった町のバルで飲み過ぎて二日酔いになり先に進めなくなる為、遅れを取り戻す為に長距離歩くのだとか。中々ワイルドな娘だ・・・
坂を登り切ると道は左に折れ、真っ直ぐに続いていた。
そして辺り一面は向日葵畑だ。
絵に描いたような色鮮やかな色彩に、束の間心が癒される。
遠く地平線には風力発電の風車が並んでいた。
メセタの乾燥高原に吹き付ける風が、向日葵の花びらを揺り動かす。
30分程歩くと、道端にお洒落ハットのオランダ人のベンジャミンが女性巡礼者と座っているのに出くわした。
「ベン、どうしたの?」
「おお、Takaか。すまないが…水を少し分けてくれないか?」
「私たちの・・・無くなってしまったの」
疲れた表情でこちらを見上げるベンと女性巡礼者。
町や水道の無い区間が続くこの辺りは、やはり十分な量の飲料水を携行することが肝要なようだ。
私は自身のバックパックを指差し答えた。
「俺のはハイドレーションパックに入ってる水だけどいいかい・・・?」
ベンが即答する。
「ああ、水さえ飲めれば何でも構わないよ」
「分かった、ちょっと待ってね」
そう言うと私はバックパックを降ろし、中からリザーバーを取り出すと、彼らのボトルに移し替える。
「おっと!もう十分だ、Taka。ありがとな」
「ええ、あなたは命の恩人よ!」
大げさな話だが、人の役に立てたのは喜ばしいことだ。
「いや、いいんだよ。それじゃあ、2人共気を付けて」
「ああ、また後でな」
「ブエンカミーノ、Taka!」
ベンたちと別れて先に進む。
農道に突如として現れた自動車道を跨ぎ、更に真っ直ぐ進み続ける。
麦わら帽子と半袖+長袖Tシャツのアジア人男性2組を追い越す。
風貌などから韓国人だとすぐ分かった。ケリーやさっきの女の子といい、今日は韓国人によく会う日だ。
挨拶をしたが、余り愛想のいい連中ではなく、またしてもどんよりとした気持ちになる。
暫くして道が下り勾配に変わった。
すると、急に眼下の谷間に集落が現れた。何とも隠れ家的な町だ。
14時前にオンタナスに到着。ここでもって本日の行動を終了する。
この日歩いた時間は7時間・・・長いような短いような1日だった。
下り勾配の細長い路地を進むと、町の中心にファンシーな見た目のアルベルゲを見つけたので入る。
アキンも到着していたので「アルナウは?」と尋ねてみたが、「分からない。ここにはいないみたいだ・・・」という返事がきた。
「一体どこへ行ってしまった、アルナウよ…」
アルベルゲの中は狭いが、町のようにこれまた隠れ家的な雰囲気だった。2階のベッドルームで人心地つく。
フリーWi-Fi(スペインでは“ウィフィ”と呼んでいた)があったので、久し振りにiPhoneをネットに繋いでみる。
そこそこ溜まっていたメールに対応する。その中には、兄からの諸用を頼まれるLINEもあった。
兄と最後に会ったのは、3ヶ月前に自転車旅で京都に行った時だった。
どう返答したものかと迷ったが、とりあえず率直に「いやゴメン、無理。今スペインだから」と返すと、「は?どういうこと?」と怒りムードの返事が来た。
兄が怒るのも、まぁ無理はない。普通海外に長期間出掛けるなら、家族にくらいは連絡するものだろう。
隠しても仕方ないので、カミーノという巡礼旅でスペインを横断中なのだと事細かに説明した。
すると、兄のムードは一転して「相変わらずおもしろいことしてるな。事情は分かった、楽しんでこいよ!!」と、激励メッセージを送ってきた。
何とも寛大な兄である。これはお土産の1つでも買って帰らねばなるまい。
時間を持て余していたのと、ベッドでじっとしていると気が滅入ってきたので、気晴らしに町中をブラつくことにした。
アルベルゲ玄関前のオープンカフェへと出ると、そこにはイタリア人のダニエルの姿があった。
「あ、ダニエル」
「おお・・・Taka-Manか」
いつも陽気な彼も、この時ばかりは神妙な面持ちだった。
「聞いたか?リズとマヤが帰ったことは・・・」
「…うん」
やはり本当ことだった・・・
僅かに残された希望はここで断たれた。
「他にもブルゴスを最後にカミーノを後にした仲間が結構いるようだ・・・」
「やっぱり…そうなんだ・・・」
まるで意志を確かめるかのように、ダニエルが私の目を覗き込む。
「君は・・・君もサンディアゴまで行くのか・・・?」
私の心にはポッカリと穴が開いていた。
この日、カミーノと私の間に「聖地を目指す」という意志は介在していなかった。
ただ、「西を目指して歩く日々」が習慣となり、私を歩ませただけだった。
聖地まで続く巡礼の道は、まだ500km近く残っている。「意志」の力なくして、そこまで辿りつくことはできないだろう・・・
今の俺に果たしてそれができるのだろうか・・・?
ダニエルの目を真っ直ぐに見つめ返す。
そして気付いた・・・彼自身、そのことを自問自答しているのかもしれない、と。
だから私はこう答えた。
「うん・・・行くよ、必ず」
それを聞いてダニエルの表情が僅かに緩む。
「そうか・・・それを聞けて嬉しいよ、Taka-Man」
私は軽く頷くと、ダニエルと別れてアルベルゲを後にした。
オンタナスの町中を歩く。
路地のベンチに腰掛け、昨日の残りの豆菓子を食べながら、雑貨屋で買ったエステージャビールを胃袋に流し込む。
味は…余り感じなかった。
ヤケ酒
アルベルゲに戻ると、テラスで韓国人グループがオリーブをつまみにワインを飲んでいた。
その中にいたケリーと目が合うと、「Taka、座りなよ。一緒に飲まない?」と誘ってくれた。
飲み足りない気持ちがあったので、ありがたくワインを頂戴する。
最後にワインを飲んだのはナバレッテなので、何気に久し振りだ。
コップに注がれた白ワインを煽り、口の中で噛み締めた…
美味い。
一息つくと、少しずつリラックスしてきた。
つまみのオリーブも良かったが、彼らから貰った韓国のりがこれまた美味かった。
卓には町に着く前にすれ違った、麦わら帽子と半袖+長袖Tシャツの2人もいた。
彼らの名前は「シン」と「イー」。
最初は余り良い印象を受けなかったものの、話してみると中々気の良い連中で、どうやら2人は余り英語が得意ではない為、少し余所余所しかっただけだと分かった。
シンが「日本の漫画は好きだ。“NARUTO”とか」と言うので、「海外の人はNARUTO好きが本当に多いな。今度読んでみなきゃ」と思う。
そしてイーの方は「俺は“MAJOR”が好きだ」と言うので、私は「おお、MAJOR!!俺の1番好きな漫画の1つだよ!」とテンションが上がり、「シゲ・ノゴロー!」と言うと、「ハハ、ジャイロボール」と、イーも喜んでいた。
日本の漫画の話で盛り上がっているところに、昼間会った韓国人の女の子もワインとクッキーを持参して加わった。
そして、韓国人グループの中に日本人私1人だけが混じり、宴会が始まった。しかも私はゲスト扱いということで、またしてもタダ酒に預かることができた。
日中、あれだけ打ちひしがれていたにも関わらず、今は酔いも手伝いすっかり笑顔になっていた。
それでも完全に立ち直った訳ではない。だが、この日の宴に参加せずにいたら…1人悲しみに明け暮れていたら、次の日を歩くだけの活力も失っていたかもしれない。
初対面の私を受け入れてくれたケリーと韓国人グループの皆に感謝する。
13日目・・・心に空いた穴は、私の中に大きな「空白」を生み出した。
私の中で、カミーノを描いたパズルから抜け落ちたピースは大きかった…
そこにあるはずものがいつの間にか無くなっていた・・・そんな喪失感があった。
それくらい、フランス姉妹をはじめとした、サンジャン・ピエ・ド・ポーから旅を共にしてきたオリジナルメンバーの存在は大きかった。
この先何処を歩いていても、気が付けば彼らの姿を求め、彼らの代わりを探してしまう私がいた。
だが「一期一会の旅」であるカミーノにおいて、それは私だけが感じていたことではなかった。
だからこそ仲間を失った巡礼者たちは、それぞれが心の隙間を埋めるべく、互いに手を取り合っていく。
そして、サンティアゴ・デ・コンポステーラに辿り着いた時に気付くのだ…
失われたピースを埋めたのも、「仲間たちの存在」だったのだと。
聖地への旅路はまだ続く…
旅の出費(1€≒¥130)
アルベルゲ 5€
ビール 1€
【宿泊】5€ 【飲食】 1€/計6€(≒¥780)
フォトギャラリー
JUGEMテーマ:カミーノ
2013年8月3日
カミーノ12日目
ピレネー山脈の麓、フランスとスペインの国境の町「サンジャン・ピエ・ド・ポー」から歩き始めた巡礼の旅は、約270kmの行程を経て世界遺産のカテドラル(大聖堂)のある「ブルゴス(Burgos)」の手前まで来ていた。
朝7時過ぎ、アルベルゲでは同室のスペイン人忍者2人組のアキンとアルナウが起き出していたが、私はまだベッドに沈み込んでいた。
いつまで経っても起きない私にアルナウが声を掛ける。
「Takaクン、起きないの?」
「うぅん…ブルゴスまでは20kmもないし、俺は今日はのんびり行くよ。先に行ってて」
オルモスの宿は我々の他に宿泊者もいなくて静かだった。
ブルゴスに行けば、一転騒々しくなることが予想された。その為、束の間の安息を少しでも楽しんでいたかったのだ。
それに、ここ2日間は彼らと行動を共にしたので、今日くらい自分のペースでのんびり歩くのもいいだろう。
準備を済ませた2人は、バックパックを背負い扉に手を掛ける。
「それじゃ、俺たち先行くぜ」
「また後でね、Takaクン」
「ああ、ブエンカミーノ!」
1人きりになった部屋で、暫し惰眠を貪る。
8時前にようやくベッドから起き出し、顔を洗い歯を磨いてからパッキングを始めた。
8時15分、オルモスのアルベルゲを出発する。
前日、オルモスで宿を取る為に正規の巡礼道から外れていたので、まずは正規ルートに戻る必要があった。
のっけから道を間違えないように、オルモスの町中を歩き回り、進むべき方向を見極める。
町の裏手にある小径から丘を登って行くと、「Mina Esperanza」という炭鉱跡に出た。
丘の上からは手前に荒涼とした原野、奥には豊かな麦畑が見渡せる。地図を確認すると、正規ルートはここから南に下った所を東西に走っていた。
巡礼道の黄色い矢印やホタテ貝のマーカーはないが、それらしいトレースが麓へと続いている。
進むべき方向さえ見失わなければ、幾らでもルート修正はできそうだ。SUNNTOで方角を確認してからトレースに沿って進む。
暫く進むと下の方を巡礼者らしきグループが歩いているのが見えた。あれが正規ルートに違いない。
イヤホンを着け、iPodから流れる軽快な音楽に合わせてテンポ良く丘を下って行く。
9時過ぎに正規ルートに復帰。そのまま南下して「Villalval」まで来ると、道が舗装路に変わる。
9時半過ぎに「Cardeñuela Riopico」を通過し、更に進むと自動車道は西に湾曲していく。
世界の犬シリーズ(第2弾)
カミーノにしては珍しく、道路沿いに住宅が建ち並ぶ道を真っ直ぐ進んで行くと、20分ちょっとで次の町の「Orbaneja Riopico」が見えてきた。
町の入り口にはフットサルコート、その奥に公園が見えた。丁度良い頃合いだと、公園で朝ご飯にすることにした。
近くに遊具があったので、雲梯か鉄棒はないかと目で探す。
カミーノに来る前、私は懸垂トレーニングにハマっていた時期があった。
1年間続けたら、ナローグリップの順手が最高で12回できるようになった。手のひらにできた固いマメが成果の証だった。
しかし、カミーノの準備期間とカミーノに来てからの1ヶ月はすっかりご無沙汰で、手のひらは柔らかくなりマメも治り始めていた。
これはいかんと思い、道中チンニングができそうな場所を探していたのだ。
雲梯があったので久し振りに挑戦してみた。グリップが太くてやり辛かったこともあるが、わずか5回しかできなくて愕然とする。1年間の成果がものの1ヶ月で・・・
何事も継続が重要であり、難しいことだと痛感する。そう考えると、フリーランナーのアキンやアルナウの凄さを改めて実感する。並大抵の努力ではあんな超人的な動きができるようにはならないだろう。
因みに5年経った2018年現在はというと、改めてチンニングを1年続けたことで、体重は7〜8kg増えたが15回できるようになった。何事も、継続だ。
休憩を終え、更に先へと進む。
高速道路上の高架橋を渡り、空港脇のフェンスに沿って歩き、11時半過ぎに「Villafría」に到着した。
町並みがここまで通過してきた「集落」から、「市街地」へと変化する。
車線と共に交通量が増え、ターンアバウトも現れ始めた。この景観はパンプローナでも見た郊外の特徴だった。ブルゴスはもう目と鼻の先だ。
市街地を抜け更に先へ進むと、一旦建物の密度が減り視界が開けた。
真っ直ぐ平坦に伸びる道路の両脇にはガレージや平屋建ての店舗、工業施設が建ち並ぶ。この景観はログローニョ手前でも見覚えがあった。
「いよいよブルゴスか」
ただ、この平坦路が長かった。地図を見ても、中心部の旧市街地まではまだ距離があった。
進むにつれて、建物が工業施設からアパートメント、スーパーなど人々の生活により根付いたものに変わっていく。
「CAMINO DE LA PLATA」
高い建物が増えてきた。新市街に入ったのだろう。道路沿いのシュペールメルカド(スーパーマーケット)に入る。
マンション1階のテナントショップだが中は広い。久し振りのシュペールメルカドだったが、安くて品揃えな店内を見ているだけでもワクワクしてくる。
定番のバケットに、パイやコーラ、豆菓子、チョコレートと次々に商品をカゴに突っ込んでいく。
やはりカミーノはシュペールメルカドで買い物しているだけでも十分楽しい。それに1人だったので、時間を気にせず思いのままに食糧調達をエンジョイできた。
買い物を済ませると近くのベンチで昼食に。
パイの中身はツナだった。まあまあ美味かった。
新市街を通り抜け「サン・ファン広場」まで来ると、古風な建築物が現れてきた。
「Marceliano Santamaría Museum」
「サン・レルメス教会(Parroquia de San Lesmes)」
広場から石造りの橋を渡り、旧市街へと入る。
通りにはカフェやバルが建ち並んでいる。
路地は入り組んでおりイマイチどっちに向かえばいいのか分かり辛かったが、それっぽい方へと進んでいくと、次第に観光客の数が増えてきた。
これに関しては、ワクワクするというより「そういう場所に来たんだなぁ」と冷める部分があった。
どんなに巡礼者の数が多くても、大都会では何百倍もの「その他の人たち」に埋もれてしまう。
同じカミーノ上の町でも、人口30人のロンセスバージェスのような集落に、数十〜数百人の巡礼者が集まるのとではまるで話が変わってくる。
旧市街地内を10分は歩いたであろうか。位置的には、恐らくこの辺りが中心部のはずだった。
「そろそろカテドラルや公営アルベルゲが現れてもいい頃だけど…」と思いながら通りを歩いていると、人混みの中に、急に見知った顔が現れた。
「Takaクン!」「Takaサン!」
アルナウとアキンだった。
「おおー、2人共!もう着いてたのか!」
「うん、僕らが着いたのは2時間くらい前かな?」
「へへ、このくらいの距離はチョロいもんだぜ」
私がベッドでダラけていたり、公園で懸垂をしている間に彼らはとっくに到着していたようだ。
「アルベルゲにはチェックインした?」
「うん、公営アルベルゲはこのすぐ裏手だよ」
「俺たちが案内してやるよ。バモスだ!」アキンが手招きして先導し始める。
「おお、頼むよ!バモス!!」
気心の知れた2人に会えてホッとした。観光客の雑踏に埋もれていただけに余計そう感じた。
やはり巡礼仲間は良い。観光客として訪れてもこの感覚は味わえないだろう。
広場横の階段を抜けると小さな通りに突き当たり、目の前には公営アルベルゲが建っていた。
この街の公営宿は収容人数140名のモンスターアルベルゲだとは聞いていたが、外観的には「デンッ」と構えた見た目ではなく、スリムで古風な多層建築だった。
アルベルゲしか目に入っていなかった私の肩をアルナウが叩く。
「Takaクン、あれ見てよ」
「え?」
「へへ、絶対に驚くぜ」
アキンが私の左手を指差したので振り向くと…
「うおぁっ…!!!」
目の前には視界一杯にカテドラルが、それこそ「デンッ」と聳えていた。
「何だこれ…!!デケェー!!!」
建物全体は背景内に収まらず、尖塔が何本も天に向かって伸びている。
これまで見てきた教会やカテドラルとは規模も迫力も全然違う。
「ハハ、僕たちも最初はビックリしたよ」
「驚くのは早いぜ。こいつは裏側だからな」
「そうなの!?」
そうと分かると反対側がどうなっているか気になってくるが、先にすべきは寝床の確保だ。一先ず2人と別れてアルベルゲに乗り込む。
受付で宿泊料金の5€を支払いクレデンシャルにセジョを押してもらうと、渡された番号のベッドがある宿泊ブースを探す。
ブルゴスのアルベルゲは1階にキッチン、上階の各階に宿泊ブース・トイレ・シャワーなどがあった。
比較的最近改築されたのか、外観に似合わずかなり綺麗で新しい内装だった。私のブースは3階か4階の辺りで、中にはエレベーターもあったが非常階段を使った。
天窓から光が差し込む非常階段を登っていると、上から降りてきたフランス姉妹の妹マヤとばったり出くわした。
「あ、マヤ!」
「ハァイ、Taka」
「君も来てたか!」
旅の1つの到達点に辿り着いた喜びから、私は顔を綻ばせマヤに握手を求めた。マヤが私の右手を握り返す。
あの時、私は何気なく握手を求めた。
だが、あの時の彼女の心境は、私のものとは少し違ったはずだ…今になってそう思う。
「昨日はあの後どこに泊まったの?」マヤが私に尋ねてきた。
「私営アルベルゲも一杯でさ、結局“オリソン”って町まで行ったんだ」
ここで私が「オルモス」を「オリソン」と言い間違えたことで、マヤは「ハァ?」という顔をしていた。
それもそのはず、オリソンは旅の始発点「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー」の近くにある集落だからだ。
マヤと別れると階上へと移動する。宿泊ブースには2段ベッドがズラリと並べられていた。
ベッドを確保して、シャワーと洗濯を済ませる。
時刻は16時前、観光にもまだ十分な時間があった。サンダルに履き替え、マネーベルトとボディバッグだけ身に付けると宿泊ブースを後にする。
外はカラッと晴れ上がり、相変わらずの清々しさだ。
まずはアルベルゲ前の通りをカテドラルの方へと向かう。
大聖堂の外観から受ける迫力は圧巻だ。
更に近付くと、細部まで精緻な彫刻で装飾されていることに驚かされる。
大聖堂の裏手を通り西側まで来た。ここから正門側の広場へ降りる階段へと繋がっている。
「さぁ、お楽しみの始まりだ!」そう意気込んで階段の下を覗き込む。
するとそこには、初日からここまで旅を共にしてきたフランス姉妹に、韓国人のリー、そして途中から彼らのパーティーに加わったイタリア人のマルコの4人がいた。
「みんな!」
「Taka!」その声で4人が振り返り、階段を上ってくる。
私は息を弾ませながら階段を駆け下りる。踊り場で皆と落ち合うと、開口一番日本語でこう言った。
「凄い!!!」
「スゴーイ!」マヤがそれに続いた。
この時の私は、目の前の巨大建築物に目を輝かせながら子供のようにはしゃいでいた。
ハイテンションの私を見てリーが笑う。「ハハ、元気一杯だな。Taka」
「うん!想像してたよりずっと凄いぜ、このカテドラル!!本当、ブルゴスまで来た甲斐があったよ!」
「・・・そうね」リズが少し微笑み、私に尋ねた。「Takaはいつ頃ここに着いたの?」
「えーと、1時間くらい前かな?」
「それじゃあ、カテドラルの見学はこれから?」
「うん!あれ、みんなはもう終わったの?」
「ああ、俺たちはたった今、中の見学を終えて出てきたところさ」リーが答える。
「そうなんだ!じゃあ、俺は今から行ってくるよ!みんな、あとでね!」
そう言うと私は、挨拶もそこそこに足早に階段を駆け下りて行った。
「スゴーイ!!」
別れ際にその言葉を残して…
広場に出ると、カテドラルの正面ファサードとのご対面だ。
巨大さもさる事ながら、統一感のある外壁の色合いや、凛としたフォルムも実に美しい。
広場は敷地面積が広く、少し離れてみると尖塔の高さ、複雑な立体構造の織り成す奥行きが良く感じられてこれまた感嘆してしまう。
大聖堂の中には南側のエントランスから入場する。
チケットオフィスで入場料3.5€を支払う。確かクレデンシャルを見せたら巡礼者割引が適用されたと思う。
クレデンシャルにセジョを押して貰うと日本語の音声案内が貸し出されたので、解説を聴きながら内部を見て回る。
外観もそうだったが、内装の彫刻やレリーフも恐ろしく細かくて豪華だ。
シャンデリア、ステンドグラス、トレサリー、絵画に至るまでどれも見事としか言いようがない。ライティングなども計算されつくしているのだろう。
だが、見ていく内に段々「凄過ぎて、何だかよく分からない」という感覚に陥ってきた。余りにも装飾が細かすぎて、情報量として頭に入ってこないのだ。
例えるならば、昨今の複雑なグラフィックのゲームより、「ニンテンドー64」の頃の方がデザイン性が感覚的に伝わってくる感じだ。
回廊の造りも洗練されている。
正直、既に私に測れるレベルの凄さを通り越していたので、段々と興味が薄れてきた。
「この感覚、覚えがある」と思ったら、カミーノに来る前に訪れた「ルーヴル美術館」だった。
とはいえ、ブルゴス大聖堂が凄いことには変わりない。芸術の域を超えていた。
世界遺産をその目で見られたことに私は大いに満足した。
30分程で見学を終えて外に出てくると、広場に面して並んだ土産物屋をちらりと覗いてみた。
個人的に、観光ではなくあくまで巡礼に来たのでお土産物の類にはそこまで関心はなかった。
そもそもカミーノに来ること(しかも片道切符で)は家族にも報告していなかったので、誰かにお土産を買うつもりもなかった。
ただ、ペンやノートなどのステーショナリーは旅中に使う頻度の高いので少し目を引いた。イラストにも使えるし、何処かで補充する必要があるかもしれない。
旧市街周辺を散策開始。橋を渡り、川に沿って歩く。
ブルゴス中心部は街中にしても装飾が豪華だ。街全体が何とも芸術的だ。
離れて見ても分かるカテドラルの巨大さ。
並木道1つ撮っても綺麗だもの・・・
17時頃にアルベルゲに戻って来ると、中にはお馴染みの面々が勢揃いしていた。
ダンディでフレンドリーなスペイン人ラファール、お洒落ハットオランダ人ベン、スイス人ジェントルマンのプレト、元気溌剌で小麦肌のスイス人ナディーン・・・
皆とブルゴス到達を讃え合う。
開口一番、私以上にハイテンションだったのは、やはりこの男だった。
「Taka-Maaan!!!」
イタリア人のダニエルだ。
「君もブルゴスまで来ていたか!!会えて嬉しいぞ!」
「俺も会えて嬉しいよ、ダニエル!いやー、それにしてもこの街は凄いね」
「気に入ったか、Taka-Man!?後で街中のガイドウォークがあるみたいだが、君も来るか?」
さっき歩いてきたばかりだし、個人的に街は1人で勝手気ままに歩くのが好きなのでちょっと迷ったが、トサントスの教会ツアーは良かったし、他の仲間たちも参加するかもしれないと思い参加することにした。
少し時間があったので、キッチンで昼間買った豆菓子をつまみにビールを飲む。
18時、ガイドウォーク参加者がアルベルゲ前に集まった。
その中にリーやフランス姉妹、忍者2人組はいなかったが、ダニエルやプレトなど20人程の巡礼者たちがいた。
アルベルゲのスタッフ(だったと思う)の解説の下でガイドウォークが始まった。まずは宿前の通りからカテドラル裏門の方へと向かう。
ガイドがカテドラル外観の彫刻やレリーフを指して、「これは13世紀に建てられたゴシック建築の・・・」や「北門に飾られた彫刻は12使徒を表していて・・・」と説明する。
英語なので私は大して内容を理解していた訳ではないが、ガイドの言葉にやたら「typical」や「purticuler」という単語が含まれており、意味が気になったので後で調べて覚えることができた。一行は大聖堂裏手の階段から広場を通り、旧市街中心部の路地へと入っていく。
ここまで20分以上只々説明を聞き続けて、私は多少ガイドウォークに飽き始めていた。
それに気付いたか定かではないが、ダニエルが「ヘイ、Taka-Man。分からないことがあったら、俺が解説してやるよ」と申し出てくれた。
ガイドの話を更にガイドしてくれるということだろうか?
そこからは主に、ガイドの話ではなくダニエルの解説を聴きながら歩いた。
最初はガイドの話を簡単な英語に噛み砕いて説明を加えつつ、偶に私が「町中でよく“Casa”とか"Calle”ってスペイン語を見るけど、どういう意味?」などと質問すると、「Casaは“ House”、Calleは“Street”だ」と教えてくれた。
ダニエルと会話する機会はこれまで何度もあったが、これだけ長時間話すのは初めてだった。
彼はいつも他の巡礼者たちと英語で普通に会話していた。その為、皆と同様英語はペラペラなのだと思っていた。しかし、会話を続ける内に気付いた…
彼の英語はどうも怪しい。
一見スラスラと喋っていかのように聞こえるが、その実、単語や文法がかなりいい加減なのだ。
聴き続ける内に、疑惑は確信に変わっていく。やはり、彼の英語には結構な割合でデタラメな用法が含まれていた。
それでも、彼が何の躊躇もなく喋るもんだから、今まで饒舌に聞こえていたのに違いない。
旅を始めた頃から比べると、英会話にも多少余裕が出てきていた。一時期は自身の英語力の低さから、喋ることに消極的になっていた時もあった。
だが、ここ数日は余りそのことも気にならなくなっていた。気付けば持参した文法書も開かなくなっていた。
今まで気付かなかったことに目が行くようになったのも、心の余裕のお陰だろう。
付け加えるなら、ダニエルの姿勢には学ぶべきことが多かった。
彼は自身の英語が上手くないことは百も承知だったに違いない。それでも彼は誰よりも喋っていた。
初日にマヤが言っていたことだが、例え私たちの英語が下手であろうが周りは誰も気にしていないし、言い間違えたって「Rude」ではないのだ。
恥ずかしがっていたら、いつまでも言葉は上達しない・・・そのことを一番良く分かっているのが、ダニエルだったに違いない。
そんなダニエルと歩きながら会話する中で、突如「お前の"ダニエル”の発音はおかしい」と指摘された(笑)
彼の名前を日本語にすると「ダニエル」なのだが、発音は「ダニエー」と「ル」が極端に小さい。その為、曖昧な音が苦手な私にとっては少し発音し辛かった。
「ダニエルじゃダメなの?」
「ああ、それじゃ伝わらないぞ。いいか?俺のマネしてみろ」
ダニエルの発音を真似してみる。
「ダニエー?」
「そうじゃない!もっと…こうだ」
「え?ダニエーラ?」
「違う違う!"ダニエラ”じゃ女の名前だ!」
そんなやり取りをしている内に小1時間のガイドウォークは終わり、我々はアルベルゲに戻って来た。
色々と講義してくれたダニエルに礼を言って別れる。
すると今度は、同じくガイドウォークに参加してたプレトが、この後カテドラルでミサが行われると教えてくれた。
これまでミサには3度参列していたが、大聖堂でのミサとは何とも贅沢な経験だと思い、プレトについていくことにした。
ミサの参列者の入場口は観光客用の南門ではなく、広場からの階段の途中にある西門だった。
堂内に入る。想像通り、これまで見てきたどの教会にも増して煌びやかで豪華だ。
司祭が現れると厳かな雰囲気の中で、本旅4度目のミサが始まる。
ミサ独特の空間では、座っているだけで夢見心地な気分になってくる。
初めてのミサは、初日のロンセスバージェスだった。プレシャスで静謐な夜の記憶がフラッシュバックする。
そして、これまでの旅路が自然と思い起こされる。2日目のララソアーニャでの夕食会、3日目のパンプローナ、4日目の闘牛…
これまでの道のりを振り返ると、様々な感情の波が心に押し寄せてきた。それは、達成感・多幸感・感慨などがないまぜになったものだった。
「サンティアゴ・デ・コンポステーラに着いた時、自分は一体どんな気持ちでいるのだろう?」
ふと、そんなことを思う。
ミサが終わりカテドラルを出ると、プレトが「Taka、一緒に夕食でもどうだ?バルでビールを飲みながらタパスと行こう」と誘ってくれた。
そういえば、プレトと酒を酌み交わしたのはエステージャのアルベルゲが最後だった。それに一度タパスを食べてみたかったこともあり、二つ返事で了承した。
賑わいを見せる繁華街を、観光客の間を縫って練り歩く。
この街にいると、自分の中で「巡礼者」と「観光客」の境界が曖昧になってくる。
だがまぁ、今日くらいはいいだろう。明日からまた、巡礼者に戻るのだから…
バルに行くメンバーの中には、プレトの他に初対面の巡礼者が2人いた。「ラウラ」と「ジェマ」、2人共バルセロナから来たスペイン人女性だった。
ラウラは昨年「ロンセスバージェス〜ログローニョ」を、今年はその続きの「ログローニョ〜ブルゴス」を歩いたらしい。
ジェマも同様に毎年少しずつカミーノを進めているのだそうだ。だが2人共、明日にはバルセロナに帰ってしまうらしい。
「サンティアゴまでは行かないの?」私の問いにラウラが答える。
「そうなの、時間があれば行きたいんだけどね。今回のカミーノはブルゴスまでよ」
「そうなんだ…」
自分がその立場ならどう思うだろう・・・こんなに楽しい旅を、仲間を残してカミーノを去らなければならないなんて・・・考えただけでも寂しくなる。
そんなことを思いつつ、私はラウラに尋ねた。「どうだった、君のカミーノは?」
「とても楽しかったわ!いつか必ずこの続きを歩きに来るわよ」
そう言う彼女の表情は晴れやかだった。それを見て、私も自分のことのように嬉しくなる。
私たち3人は適当なバルを選んで、店外の立ち飲みテーブルに着いた。
メニューを開くと、ジェントルマンのプレトがまたしてもこんなことを言ってくれた。
「Taka、ここは俺たちが払うよ。好きなものを頼んでくれ」
「え!でも…」
プレトは以前にもアルベルゲでワインをおすそ分けして貰ったり、カフェで朝食をご馳走して貰った。
そんなに毎日誰かしらに奢っていては、サンティアゴに着くまでに彼が破産してしまう!…と、いらぬ心配をした私はこう答えた。
「いやいや、何なら今度は俺が払うよ!」
すると、今度は女性陣が逆に、
「いいのよ!わざわざ日本から来てくれたんだもの」
「そうよ、Taka!あなたはゲストよ」
と、会ったばかりの私に気っ風の良さを見せた。
結局私は皆の好意に甘えて、ビールにタパスとすっかりご馳走になってしまった。
イベリコ豚サンドとフライドシュリンプ
皿とグラスが空いた所で、店を出る。時刻は21時半を回り、空は薄暗くなっていた。
プレトと女性陣は次のバルに行こうと話していたが私は、「俺はもうアルベルゲに戻って寝ることにするよ」と3人に告げる。
「そうか、残念だな。気を付けて帰れよ」そう言うと、プレトは右手を差し出した。
私は彼の右手を強く握り返し答えた。
「うん!お休み、プレト!」
そして改めて、出逢ったばかりの私に寛大さを見せてくれた女性陣2人と、出逢ったその日から常に私のことを気に掛けてくれたプレトに感謝の言葉を述べる。
特にプレトは私にとって、最初から最後まで相手に対して与える側の「Giveの人」であり続けた…
別れ際に、数少ない知っているスペイン語をふと思い出したので、プレトに使ってみた。
「Hasta Manana!」
それを聞くとプレトは微笑み、頷いた。
「あぁ!お休み、Taka」
暫しその場に佇み、去り行く3人の背中を見つめる。
アスタマニャーナ・・・意味は、"また明日”。
彼らが雑踏の中に紛れていくのを見送ると、私は踵を返しアルベルゲへと歩き出す。
明日からも同じ仲間で、同じように旅は続く・・・そのことを疑うこともなく。
だが、プレトと会うのはこれが最後となった・・・
その理由は定かではない。
ただ単に互いの歩くペースが合わなかっただけかもしれない。
もしくはラウラとジェマのように、彼もまた元々ブルゴスまでの旅だった可能性もある。
だが彼以外にも、この街以降会わなくなった仲間たちは数多くいた・・・
そんなことを知る由もなく、アルベルゲのベッドに横になり瞼を閉じた私は、心地良い酔いと疲労感に浸り深い眠りへと就いた。
そして、目覚めた後に知ることになる。
そこに大きな別れが待っていることを…
旅の出費(1€≒¥130)
アルベルゲ 5€
バケット 0.45€
コカコーラライト 0.25€
ツナパイ 1.89€
豆 1.52€
チョコ 0.53€
サラミ 1€
カテドラル 3.5€
【宿泊】5€ 【飲食】6.15€【観光】3.5€/計14.65€(≒¥1,904)
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JUGEMテーマ:カミーノ
ようやく埋まりました、クレデンシャルの2ページ目が。
ということで、久々に目次ページを作りました。
【DAY6】Initiation「エステージャ〜トレス・デル・リオ」
【DAY7】Lone Pilgrim「トレス・デル・リオ〜ナバレッテ」
【DAY8】Takachu & Monk「ナバレッテ〜アゾフラ」
【DAY9】Glad to See You Again「アゾフラ〜グラニョン」
【DAY11】The Catchers in El Camin「トサントス〜オルモス」
そういえば、上のイラスト(※写真じゃないよ!)を描いている時に気付いたことが1点・・・
DAY11で「アタプエルカ(Atapuerca)」のアルベルゲはコンプレート(満室)で泊れなかったとありますが、右下にしっかりセジョ(スタンプ)が押されています。
ハッキリと覚えていないので想像するに、セジョを押してもらった後でオスピタレロに「やっぱりコンプレート!」と言われたのかもしれません。
こういうことも、面倒臭くても一々目次ページを作るからこそ思い出せるんですね〜(白目)
・・・てか、カミーノが全然進まない!!
ここ最近は「1ヶ月に1本ペース」でしか書けていないです。
他の企画(特に最近は自転車系)がやたら多くて量産が難しいというのもありますが、1本あたりの作成に掛かる時間も伸びています。
理由は他の巡礼者たちとの絡みが増えたことで、会話一つを構成するのも難しくなってきたからかな・・・と分析しています(あとAmazon Primeのせい)。
このペースじゃ年内完結も厳しいぞ!誰か助けてくれー!!
とりあえず、最後までやるつもりなので気長に進めて参ります。
今後ともお付き合いいただけますと幸いです・・・
JUGEMテーマ:カミーノ
カミーノ11日目
印象的な出逢いと、心に残るプチミサから一夜明けた8月2日目の朝7時半、朝日を背に幹線道路から離れ麦畑の間を進んでいく。
路上に落ちる影は3人分、私はこの日も「忍者2人組」ことスペイン人のアキン、アルナウと共に歩いていた。
そして帽子には、昨日までは無かった黄色い矢印のバッチが付けられていた。
それは、出発前にアルベルゲでオスピタレロに貰った物だった。
トサントスのアルベルゲは、私のカミーノの中で最も印象的な巡礼宿となった。
昨日は教会ツアーに夕食、プチミサと、寄付制アルベルゲにも関わらず手厚いもてなしを受け、今朝も簡単な朝食を振舞って貰った。
極めつけが、この手作りバッチだった。利益を求めないからこその彼らのホスピタリティは、アルベルゲが只の宿泊施設ではないことを私に気付かせてくれた。
そして、自分が只の観光客ではなく「巡礼者」なのだということも…惜しむらくは、前日小銭がなくて保留していた心づけを渡しそびれたことだ。
「いつの日か、またこの場所に来る機会があれば、その時は…」と心に誓う。
ここまで10日間歩いてきて、2日連続でパーティーを組んだことはなかった。
アキンとアルナウたちは普段どんな風に歩いているのだろうと思い、彼らにこの日の目的地を尋ねてみた。
「僕たちもまだ決めてないけど、ブルゴスの手前くらいまでかな」とアルナウが答える。
「ああ、ブルゴスまではまだ遠い。着くのは明日だな」アキンが続く。
「ブルゴスか…」
フランス人の道のチェックポイントとも言える大都市は、すぐそこまで迫っていた。
ブルゴスというと、私がカミーノに来るキッカケとなった映画『The Way』にも登場する街だ。映画の内容的には(尺的にも)後半に出てくる印象があったが、割と早い段階で着くことになりそうだ。これは実際に歩いてみて初めて分かったことだ。
8時5分、まずは「Villambistia」を通過。
続いて「Espinosa del Camino」を通り過ぎる。
歩きながらの会話で、アキンに日本語にのついて尋ねられた。
「Taka、日本人は名前を呼ぶとき“サン”とか“クン”を付けるよな。あれにはどんな違いがあるんだ?」
敬称についての質問だった。
「あぁ、さんはね…敬意を払う相手に対してつけるんだ。年上や上司とかね。君は男友達とか、男の子とかに使う感じかな?」
「それじゃあ、僕が呼ぶ時は“Takaクン”ってことだね」と言うアルナウ。
流石、若くして英語ペラペラなだけあって飲み込みが早い。
「“チャン”はどんな相手に使うんだ?」と質問を重ねるアキン。
「女の子だね。でも誰に対しても使うんじゃなくて、近しい人や、ちっちゃな子に使う場合が多いよ。ちゃん付けすると、幼く聞こえるんだ」
そう答えた後にちょっと意地悪なことを思い付いた。
「あ、そうだ。アキン、これから俺の名前を呼ぶ時は“サマ”を付けるんだ!」
「アニメで聞いたことあるぞ。どんな意味だ?」
それを聞いて私はニヤリ。
「最上級の敬意を込めた呼び方さ。王様とかに使うね」
そしてこう付け加えた。
「それと、これから君のことはこう呼ぶよ。“アキンちゃん”」
9時15分、「Villafranca Montes de Oca」に到着した。町の名前の通り、ここからオカ山脈(Villafranca Montes de Oca)が始まる。
その前に町の入り口にあった水道で水を補充していく。私はハイドレーションのリザーバーにたっぷり2L入れたが、アキンとアルナウの2人は500mlのペットボトルしかなかった。装備全般ラフな2人だが、どちらもパルクール由来のタフさがあるだけに、問題ないのだろう・・・と思うことにした。
巡礼道は町中を通って坂の上で未舗装路に接続し、山の中へと続いていた。
細かい砂利の坂を登っていく。山中といっても、木が鬱蒼としているというよりは、背丈の低い木が密生していた。
風力発電や送電線が目に付く。
登り坂が終わり、道が90度右に転じた辺りでスイス人のジェントルマン、プレトと再開した。
「プレトー!!久し振り!」
「Taka、元気か!?ブルゴスはもうすぐだぞ!」
皆ブルゴスを意識しているようだった。
ということは、多くの巡礼者は明日ブルゴスで泊まる計算で今日の目的地を決めるのかもしれない。
何にせよ、明日にはブルゴスの街中や世界遺産のカテドラル(大聖堂)を散策していることだろう。期待に胸を膨らませる。
今になって思うことだが…この時の私は、ブルゴスという街がどういう場所なのか、全く分かっていなかった…
ペドラッハ峠(Alto de la Pedraja)を歩き続ける。カミーノにしてはアップダウンが激しい道だが、足元はしっかりしているので苦にはならなかった。
途中、道端に腰を下ろし休憩を挟む。昨日に引き続き、またしても年下の2人にビスケットやチョコやアメなどの施しを受けた(笑)
2時間程で峠を越え、緩やかに町に向かう道を駄弁ったり適当に1人になったりしながら進む。
12時15分、「サン・ファン・デ・オルテガ(San Juan de Ortega)」に到着した。
広場に面して建てられた修道院(Monasterio de San Juan de Ortega)が我々を出迎える。
峠越えでお腹が空いたのと丁度お昼時ということで、広場に面したカフェで昼食にした。
カミーノでのカフェはエステージャ以来2度目で、相変わらず何を注文すればいいのか分からなかったので、アキンとアルナウにおすすめを聞く。
「jamon(ハモン:ハム)だな」と言うアキンの勧めで、ハムチーズサンド(1.6€)を注文した。
広場で一休みしていると、フランス姉妹の姉のリズと、イタリア人のマルコがやってきた。
その後から、フランス姉妹の妹マヤが続いて来たのだが、何故か背中にはバックパックではなく韓国人のリーを背負っていた。
「何してんだよ、マヤ!」と私が言うと、
「リーが歩けないって言うからおぶってんのよ」と返すマヤ。
リーもそれに乗っかり、「あぁ・・・俺はもうダメだ、Taka。これ以上歩けそうにない」と大袈裟にうなだれて見せた。
2人の唐突なパフォーマンスに思わず吹き出す。
そして、昨日と比べ思いの外元気そうなマヤを見て一安心した。
「Takaは昨日どこで泊まったの?」リズが尋ねる。
「トサントスのアルベルゲさ。あの2人とね」と言って、アキンとアルナウを指差す。
それを聞いたリーが頷いた。「かなり仲良くなったみたいだな」
「うん、すっかりね。面白いヤツらだよ、彼らは」
皆で雑談しながら一休みしたところで、私はリーと修道院の中を覗きに行った。
身廊は柵で仕切られている。
修道院から出て2人で広場を歩いていると、リーが「建物をバックに写真撮ろうか?」と申し出てくれた。
1歳年下だが、彼は非常に気遣いの利く男だった。
リーに撮って貰った写真。これだけ被写体が小さいと、寧ろ修道院だけで良さそうだ(笑)
リーにお礼を言ってアキンとアルナウの所に戻る。2人はフランス姉妹やマルコとお喋りしていた。
お昼を食べて休憩も取り、エネルギー全快だ。荷物をまとめ、忍者2人組と再出発する。
この日も私はアキンとアルナウの日課の「腕立て伏せ 1時間に1セット」を共に行なっていた。
歩くことに慣れてしまった筋肉に、新しい刺激が加わり心地良かった。
腕立てを終えて再び歩き始めると、暫くしてアルナウが唐突にこんな話を切り出してきた。
「Takaクン、flirtingって言葉知ってる?」
「フリルティング?それ…英語?」
「そう」
私は頭の中の単語帳を捲ったが、該当する言葉は出てこなかった。
「知らないなぁ…どういう意味?」
アルナウが少し考えてから答えた。
「女の子とコミュニケーションとることあるでしょ?」
「ふむ」
「声を掛ける以外にも、色々するよね?仲良くなりたい人には、特に…その…目を合わせてみたり、ボディタッチしたり」
「ふむふむ」
少しピンと来ないところはあるが、「ナンパ」的なことだろうか?
「何となく意味は分かってきたよ。で、それがどうしたの?」
「さっきの娘さ」
「さっきの?」
「あの…フランス人の…」
そういえば先程広場で、アルナウがフランス姉妹と話していたのを思い出す。
「あ!」
ようやくアルナウの言いたかったことにピンときた。
「分かった!さっきの娘たちにフリルティングしてたんだな!?」
それを聞いて、照れくさそうに頷くアルナウ。
「まぁね…そんなとこ」
丸めた頭に顎髭を生やし、一見修行僧のようなアルナウだが、やはり10代の若者…中々隅に置けないヤツだ!
そういえばアルナウが、フランス姉妹の妹マヤと同い年だったことを思い出す。
「マヤ?」
「エへへ…違うよ、リズの方さ」
「そっちか!」と、内心思った。
アルナウが照れながらも話を続ける。
「グラニョンのアルベルゲでさ、僕が長旅で疲れてるって言ったらさ、彼女が足をマッサージしてくれたんだ」
「なるほどねぇ…」
どうやら、アルナウはお姉さんタイプが好みらしい。
「うんうん、分かるよ。リズは美人で、しっかり者(reliable)だしね」
「そうなんだ…彼女、sweetなんだ」
そう言うと、遠くを見つめるアルナウだった。
そういえば、私も初日にフランス姉妹と教会でワイワイしていた時、彼女たちに感化され自分がティーンエイジャーに戻ったような気持ちになった。
「うーん、カミーノって青春だな〜」と、感慨深くなる。
午後になり、強さを増した日差しがジリジリと肌を焦がす。道端で見つけた木陰で少し休むことにした。
アキンとアルナウは全然疲れていないようで、荷物を置くと木によじ登り始めた。
地元の2人にとってはこの程度の日差しや暑さは慣れたものらしく、いつものごとく上半身裸になってやり過ごしていた。
休憩を終え出発の準備をしている時、ふと気になったことを訊いてみた。
「“Let' go!”って、スペイン語で何ていうの?」
これにはアキンが答えた。「“Vamos!”だな」
「なるほど、バモスね」
「日本語では何ていうの?Takaクン」アルナウに質問される。
「“行くぞ!”かな?」
「イクゾ!Takaクン」アルナウがはっぱを掛けてきた。
「よっしゃ、行くぞ!アルナウ君!」
そう言って私は立ち上がった。「ホラ、アキンちゃんも!バモスだ!!」
「イクゾー!!」「バモス!!」「おおー!!!!」
皆で掛け声を合わせ、再び西へ向けて歩き出す。
14時過ぎに「Agés」という小さな町に着いた。
町中にあった水道で飲み水を補充していく。
町を抜けた後、道は舗装路に変わり、我々はアルナウを先頭に各自のペースで歩いていた。
私がイヤホンで音楽を聴いていると、アキンが後ろから声を掛けてきた。
「よぉ、Takaサン?何聴いてんだ?」
この時私が聴いていたBGMは、一般的には非常に説明し辛いものだった。
しかし、アキン相手なら寧ろ通じると思ったので、アルナウの通訳を介して試しに伝えてみた。
「先日アメリカのロサンゼルスで行われたゲームショーのことは知ってる?」
「E3か?」
やっぱり!自らオタクを公言するだけあって、アキンはE3を知っていた!
「そうそう。そこで公開された“メタルギアソリッド?”のトレーラーは観た?」
「いや、まだ観てない」
「あれの音声を抜き出したものを聴いてたんだ。ホラ、言ったろ?俺はメタルギアファンの1人だって」
「へぇー、?は一体どんなストーリーになるんだ?」
ここからMGS談義が始まる。
「グラウンド・ゼロズからの続きで、過去の話らしいよ」
「主人公はビッグボスか?」
「そうみたい」
「いいね、ビッグボスは好きだぜ」
「そういえば、トレーラーに“イーライ”って少年が登場したんだけど、あれ“リキッド・スネーク”じゃないかって噂だぜ」
「子供の頃のリキッドが出てくるのか!?」
説明し辛いと言った理由が分かっていただけただろう。分からない人には日本語でも「何のこっちゃ」という話だ。だが思惑通り、アキンにはしっかり通じた。
おもしろいのは、ゲームの内容を全く知らないアルナウが、我々の話すままに“BIGBOSS”や“Liquid Snake”などの固有名詞を使って律儀に説明してくれたことだ。
「そう言えば、?にはパルクール要素があるんだって」
「そうなのか!」
「トレーラーでスネークが屋根の間をジャンプで越えたり、壁に掴まったりしてたよ」
「そいつはクールだな!」
「ハハ、時代が君たちに追いついたな」
これまでも漫画・アニメの話題が度々出てきたが、サブカルチャーは国境を越えるのだと改めて実感した。若い世代はどうだろう?
「アルナウはゲームとかやらないの?」
「僕は余りそういうのはやらないんだ」
「そうなんだ。暇な時は何してるの?」
「YOUTUBEで音楽聴いたり、ピアノ弾いたり・・・」
「えー!ピアノも弾けるんだ!?」
「そうだ、Youtubeにパルクールの動画をアップロードしているんだ。映像にインスピレーションを感じる音楽をつけてね」
「俺も上げてるぜ。日本やブジンカンの動画をな!」と言うアキン。
「おぉー、観てみたいな!」
2人にチャンネル名を教えて貰い、メモ帳に記した。
将来に大いに可能性を秘めた彼らの為に、何かできないかと考える・・・あるではないか、私にできることが!
「そうだ、2人のイラスト描くよ!!」
5日目にエステージャでダニエルに似顔絵を描いたら、物凄く喜んでもらえた。
私にできることはこのくらいしかない。
「ホントか!?やったぜ!」
「約束だよ、Takaクン!」
彼らと知り合ってからの2日間で、旅に新たな視点が加わったような気がしていた。私のカミーノは、更に色彩豊かになっていた。
そんな出逢いが、私のクリエイティビティにもインスピレーションを与えてくれたのだ。
14時45分、「Atapuerca」に到着、時間的にここを宿泊地とすることにした。
小さな町の中を暫し歩き回り、坂の上に見つけた公営アルベルゲに入ると、中にはリーやフランス姉妹が既に宿泊していた。
オスピタレロが現れたので、アキンとアルナウが話をつける。
「Takaもここに泊まるの?」リズに訊かれ、「うん!ひと段落ついたら後で絵を描くつもりなんだ。さっきあの2人にイラストを描くって約束したんだよ」と答える。
するとリズは初めて会った日のように純粋な瞳を輝かせて、こう言ってくれた。「まぁ、それは素晴らしいわ!」
アルナウが話を終えてこちらに来たので、「どうだった?」と尋ねると、少し暗い表情が返ってきた。
「Takaクン。この宿、コンプレート(満室)なんだって」
「マジ!?」
「ああ、マジだ」と言って頷くアキン。
すっかりここに泊まる気でいた私は、思わぬ事態に虚を突かれる。
奥からマヤが現れた。「どうしたの?」
「いや、ここに泊まろうと思ったらもう満室でさ」頭を掻きながら答える。
「そうなの?次の町に行くには遅い時間よ」
確かにこれまで、15時過ぎてから宿探しをしたことはなかった。
宿の入り口で、3人で緊急会議をする。
「到着が遅すぎたかな?」「どうする?Privado(私営)にあたってみる?」「この町は私営も余りなさそうだぜ」
「何とか場所を作れないか、オスピタレロに頼んでみようか?」リーの気が利かせて申し出てくれたが、
「まぁ・・・とりあえず、この町の他のアルベルゲをあたってみるよ」と、弱々しく答えた。
「Taka、大丈夫?」リズも心配している。
「うん・・・まぁ、何とかなるって!Never mind!」
そう言うと、我々は坂の上の宿を後にした。
私営のアルベルゲを覗いてみる。中庭では宿泊者たちがくつろいでいた。
アキンとアルナウがその中の韓国人の女の子2人組に部屋の空きがないかを聞いていた。どうやら彼らは知り合いのようだ。
話を終えたアルナウがこちらに来て首を横に振る。「ここもコンプレートだって」
「そうきたか・・・」
地図を確認する。幸い近くに「オルモス(Olmos)」という町があった。歩いても1時間掛からなそうだ。
気が付けば時刻は15時半を回っていた。カミーノの行動時間としてはかなり遅いが、迷っていても仕方ない。
「よし、行こうか。オルモスに」
「分かったよ、Takaクン」
「あぁ、行こうぜ!バモスだ!」
こうして我々は先に進むことにした。
15分程舗装路を歩くと、前方に小さく町が見えてきた。
「あれがオルモスだな」
道は町に向かって緩やかに湾曲しながら伸びている。アキンが道路右手の向日葵畑を指差して言った。
「なぁ、そこからショートカットしようぜ!」
「ここ通っていいの?」私が訪ねると、「大丈夫だと思うよ」と言ってアルナウは、自ら先陣を切って向日葵畑へと突入した。アキンもそれに続く。
一瞬戸惑ったものの、私も2人の後を追った。郷に入らば郷に従え・・・という理屈は強引だが、スペインでの旅はスペイン人に従えという訳だ。
本音を言うと、「怒られるんじゃないか」という背徳感を抱えながら私有地で隠れんぼをしていた子供の時ようなワクワク感を抑えられなかったのだが・・・
一様に東を向いて整列する向日葵の間をスルスルと抜け、今度は隣に隣接した麦畑へと入っていく。
一面の黄金色、真っ青な空・・・麦の香りに包まれ、次第に方向感覚がなくなっていく。
その中で嬉々として写真を撮り合っている忍者2人組・・・
ふと、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を思い出した。
何だが、青春モノのロードムービーみたいなシチュエーションだった。
麦畑を抜けると北側の農道に出たのだが、心なしか町から遠ざかっているようにも見えた。
ショートカットのつもりが、麦畑を闇雲に進んだことで逆に遠回りになってしまったのかもしれない。だが、時として・・・
“人生遠回りは悪くない”
ふと、『ヒカルの碁』の篠田院生師範のセリフが頭に思い浮かんだ。
町はすぐそこだったが、手前にあった木立の下で腰を下ろす。
この時間をもっと共有していたいと感じているかのように、3人でお喋りに興じる。
「なぁTakaサン、“オオカミ”ってゲーム知ってるか?」
「あぁ、大神ね。やったことるよ」アキンの問いに私はそう答えた。
といっても、私は名作と名高いこのタイトルを「積みゲー」にしてしまった、罪深き人間なのだが。
「あれに出てきた“アマテラス”って、どういう意味なんだ?」
「天照ね・・・えっと、あれは…日本古来から伝わる神話の・・・その・・・」
罪深き人間は日本神話に関しては疎く、自国の伝承にも関わらず返答に窮してしまった。
適当なことを言うのも何なので、電子辞書で調べ、頑張って英語で伝えた。これもまた、日本にいたら中々できない経験だった。
農道に沿って暫く南に進む。17時前になり、ようやく「オルモス」に辿り着いた。
ショートカットしたことで、思いっ切り余分に時間が掛かってしまったことは言うまでもない。
だがお陰でまた1つ、忘れ難い記憶が心に留められた。
オルモスはこれまた公営アルベルゲの無い小さな町だった。
中心部に私営アルベルゲを見つけたので中に入るとバルが併設されており、カウンターにはオーナーと思われるおばちゃんがいた。早速アキンとアルナウが話し掛ける。
「Takaクン、ここの部屋は空いてるみたいだよ」
「宿泊料は7€だぜ」
私営だからもっとするかと思ったが、意外と安かった。
「いいね、じゃあここにしようか」
「ディナーも付けられるみたいだけど、どうする?」
「1人13.2€だけどな」
年下の2人を前にしてある考えが思い浮かんだので、何気ない調子でこう答えた。
「折角だし食べようぜ」
宿代を支払い、ディナーの予約を済ませると別棟の宿泊施設へと向かう。
窮屈な階段を登って2階に上がる。狭い宿内には何室かあったが、他に宿泊者がおらず、我々で部屋の1つを独占することができた。
これまでワイワイとした公営アルベルゲや寄付制アルベルゲばかり泊まってきて、こういう私営アルベルゲはスルーしていたので、少し新鮮な感じがした。
思い思いのベッドを選んで荷を解くと、静かな快適空間で羽を伸ばす。
部屋内に1つあったシャワーを交代で浴びる。1日の汗を流し洗濯を終えると、私はアルベルゲ周辺をぶらつく為に外に出た。
日差しが和らいだ屋外には巡礼者の姿は見当たらず、住民をポツリポツリと見掛ける程度だった。彼らはこの静かな田舎町で、日々平穏な暮らしを営んでいるようだ。
部屋に戻るとアキンとアルナウはシエスタ(昼寝)をしていた。
丁度良い頃合いだったので、私は「2人との約束」を果たす為に、バックパックからメモ帳と筆記用具を取り出した。
この2日間見てきた彼らの姿に脳内でデフォルメを利かせ、紙の上に落とし込む。
イラストの横には、2人の名前・国籍・キャッチフレーズ・YouTubeチャンネルなどをキャラクターカードのように書き込んでいった。
アキンは古武術道場の「武神館」、アルナウには前日掛けさせて良く似合っていた私のサングラスを付け加え、更にイメージを具現化する。
1時間程でイラストは出来上がった。彼らが目を覚ましてから、何事もなかったよう揃ってバルへと向かう。
テーブル席に着くと、テレビから流れるサッカーのニュース映像が目に付いた。リーガ・エスパニョーラだろうか?
ディナーはコースらしいが、その前に1杯ずつグラスビールを注文した。
アルナウはゴリゴリの未成年だが、スペインの田舎町はそこら辺の風紀が緩いようだ。
ビールがテーブルに並べられたので、乾杯の間を見計らって、メモ帳から切り離しておいた2枚のイラストを2人にプレゼントする。
「おお!!!」
「凄ェ!!」
2人が期待通りのリアクションをしてくれたところで、間髪いれずに私はグラスを掲げた。
「それとね・・・」
視線を落とし、メモ帳をカンニングする。
エステージャのアルベルゲでこんなこともあろうかと思ってメモっていた言葉が、ここにきて役に立った。
「It’s my treat!(ここは俺の奢りだぜ)」
「・・・・・・」
ビシッと決めたつもりが、一瞬場が静まり返る。
私の英語が通じていないのかと焦ったが、次の瞬間アルナウが先にリアクションを取った。
「えっ!いいの、Takaクン!?」
どうやら彼には通じたようだ。ホッと一安心してこう答えた。
「あぁ、色々と世話になってるしね。ディナー代は任せてくれ」
それを聞いたアルナウが、スペイン語でアキンに私の言葉を説明する。
「おぉ、やったぜ!!Takaサマー!!!」アキンにも伝わったようだった。
彼らが無邪気に喜ぶ姿を見て嬉しくなる。
これまで私も、プレトや他の人たちの寛大さに触れてきたし、この2人からも何かと餌付けされる機会があったので(笑)、少しはそれらに還元できたかもしれない。
「よーし!そんじゃ、今日という日を祝して乾杯しようか!」
「おー!」「イェー!!」
皆でグラスを掲げる。
「せーの…」
「サルー!!!」
グラスビールが喉を通り、乾いた身体を潤す。こめかみからはジーンと来る痺れが脳内に広がった。
身震いしたくなるような美味さだ!!
料理が来るまでの間、ビールを飲みながら2人に漢字の講義を行った。
「愛」と「憎」、「忍者」に「侍」と、思い付いた言葉を筆ペンでメモ帳に走り書く。アルナウは前者に、アキンは後者に食い付いた(笑)
20時半、少し遅めの夕食が始まる。
まず最初に来たのは、ハッシュブラウンにサニーサイドアップ、ポークソテーとジャンキーなプレート料理だった。
私は卵が苦手なのだが、1日10時間近く歩いて腹ペコなので関係なかった。他の料理と絡めながらガツガツ食べて、ビールで流し込む。
私のビールだけ減り方が全然違う(笑)
ガッツリとプレート料理を食べた後に、デザートといわんばかりに、デカデカとしたベーコンサンドが登場した。
今見ると胸焼けしそうなくらいワイルドなメニューだが、3人のハングリーな若者はペロリと平らげてしまった。
21時半。夕食を終え、暗くなり始めた空の下を歩き宿舎へと戻る。
薄闇に浮かぶ外灯の光と、ビールによるサラリとした酔いが重なり、頭がボンヤリとしてくる。肌に触れる爽やかな夜風が心地良い。
「Takaクン、今日は絵とディナーをありがとう」
「あぁ、どっちもメチャウマだったぜ」
2人にそう言われ、嬉しくなる。
「いや・・・お礼を言いたいのはこっちだよ」
ボンヤリとした頭に、昼間の光景が蘇る。
あの、『ライ麦畑でつかまえて』の光景が・・・
すると、頭の片隅にあった日本での日々が、記憶の奥底へと遠のいていった。
窮屈で、己をすり減らすだけの日常・・・そんな毎日の中で、自身が崖っぷちへ追いやられている・・・時々、そういう風に感じることがあった。
そんな私が日本を飛び出て迷い込んだ先には、「カミーノ(El Camino)」という非日常の世界が広がっていた。
そして、そこで出遭った人々は、人生に迷える1人の男を崖っぷちから引き戻してくれた。
5年経った今でも、あの時のことを振り返りそう思う。そして、きっとこれからも・・・
そう…お礼を言いたいのは、私の方なのだ。
彼らには心から伝えたい。
「こちらこそ、ありがとう」…と。
旅の出費(1€≒¥130)
アルベルゲ 7€
ハムチーズサンド 1.6€
ディナー 13.2€
【宿泊】7€ 【飲食】14.8€/計22€(≒¥2,860)
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