【写真−1 停まっているのは日南線『志布志駅』行き各駅停車列車】
昨夜の激しい雨もこの朝になって上がり、今日の日南線往復の天候は問題ないと思え、写真−1の『宮崎駅』から終点の『志布志駅』まで直行する各駅停車列車は5:24の始発があり、その後の直通列車は16時台と19時台の2本しかない。
そのため途中の『油津駅』で乗り継いで行くことにするが、『宮崎駅』−『油津駅』行きは6時台と9時台に出ているが、『油津駅』からの『志布志駅』行きの接続が良いのは『宮崎駅』発9:10発なので、これで行くことにする。
【写真−2 著名なデザイナー作だが何とも不気味で横柄な感じ】
『宮崎駅』ホームに写真−2の黒い列車が停まっていて、車体の横には『36+3』、『DISCOVER KYUSHU』と金文字で記されていて、これはJR九州が富裕層相手に運行している車内の造作など特別仕様の特別列車になる。
『36+3』の36は九州は世界で36番目の島であること、『3』は乗客、地域住民、JR九州を指し、併せて『39=サンキュウ』としているが、こういうのを『判じ物』というがその出来は悪い。
同車体に6つの星が6列と1つの星が同じく金で描かれていて、これは『7つ星』を指すが、同特急は団体専用の臨時寝台列車で、2013(平成13)年から九州管内を1〜3泊をかけて周遊しているが、やはり豪華な仕様になっているが、車内はドレスコードがあるなど、こうなると俗物相手の列車でしかなく本来の鉄道好きには縁はない。
【写真−3 雨は小やみになったがこの時間でホームはガラガラ】
写真−3は日豊本線と日南線の列車が停まるホームで、行き先表示には1番線から日豊本線の『西都城駅』行きと、日豊本線『南宮崎駅』で分かれて日南線に入り次の『田吉駅』から更に分岐して『宮崎空港』へ行く列車の案内が出ている。
その左側上が乗車する日南線『油津駅』行き9:10発、下が反対方向になる9:32発日豊本線の『延岡駅』行きで、何れも各駅停車列車になるが、この『延岡駅』行きが曲者で、その先へ行く各駅停車列車は夜の8時台に1本しか出ていない。
【写真−4 製造後40年以上とはいえ安定性を感じさせる車両】
『宮崎駅』発9:10の各駅停車列車が写真−4で日豊本線に走っている洒落た外観と内装と比べたら格段に古い車両が運行されていて、廃線の話が出る地方路線はこの手の車両を走らせているようだ。
この車両は『国鉄キハ−40系気動車』で、国鉄と冠しているように民営分割前の1977(昭和52)年から1982(昭和57)年にかけて888両製造され全国で運用され、今でも非電化路線で重用されている頑丈な印象は頼もしい。
【写真−5 発車時に何人乗車していたか分からないほど乗っていなかった】
『国鉄キハ−40系気動車』も運用路線によって数々の派生車種が生まれていて、特にワンマンカー仕様車は多く、写真−5は先頭の様子で運転席後方頭上の行き先と運賃表、その下の運賃箱などバスのワンマンカーとまったく同じ仕様で、右隅にゴミ箱が置かれているのが鉄道らしい。
バスから車掌がいなくなってワンマンカーが出現した頃は運転は大丈夫かと騒がれたが今は当たり前になり、鉄道も同じようにワンマン化が進み、定まったレール上を走るとはいえ、運転、確認、料金徴収を一人でやるにはかなり大変な労働だと思われる。
【写真−6 同駅構内には他にも珍しい車両が停まっていた】
日南線の本来の起点は『南宮崎駅』で、写真−6は同駅構内に入った時に目に付いた車両で、これは日南線を走る週末と連休時に走る臨時特急の『海幸山幸』号で、1日上下で4本『宮崎駅』から『油津駅』から2つ先の『南郷駅』まで1時間半ほどで走っている。
この列車は廃線になった高千穂鉄道で走っていた『TR−400形気動車』を、JR九州が2009(平成21)年に買い取って改造したもので、車体横の茶色は日南線途中にある『飫肥駅』の名を冠した飫肥杉が使われ、内装も同材が使われ2両編成全席指定となっている。
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【写真−1 戦時中に開通した関門トンネルに入る】
トンネルといえば津軽海峡を渡る世界最長の海底トンネルである『青函トンネル』は2017年の『新幹線全線乗車の旅』で往復しているが、新幹線車内にはトンネル通過中に案内は出ているものの、それを除けば長い地下鉄区間を止まらずに走っている感じで、事前に思っていたよりは感動はしなかった。
何度も通っている『関門トンネル』だが、『下関駅』を出てトンネルに入る様子は見たことがないのでこの機会に先頭車両の窓に張り付いてその瞬間を撮ろうとし、写真−1は列車が入る直前で入り口の仕様は他のトンネルと変わらない。
【写真−2 関門トンネルを抜ける直前で通過時間は3分くらいか】
『関門トンネル』は下り(鹿児島方面)用と上り(大阪方面)用のトンネルがそれぞれ掘られ、下り(全長3614m)の開通は1942(昭和17)年、下りは(全長3604m)1944(昭和19)年の戦時中で、これは戦争遂行の軍事輸送増強と関係が深い。
『関門トンネル』が開通するまでは本州側の『下関駅』と九州側の『門司駅(現在の門司港駅)』間15キロを繋ぐ『関門連絡船』が1901(明治34)年から就航し、鉄道車両と乗客を運びトンネル開通後も運航は続いていたが1964(昭和39)年に廃止となった。
そういった鉄道史の中では貴重な『関門トンネル』だが、通勤通学で日常的に通り過ぎる地元の乗客にとっては珍しくも何ともなく騒いでいるのは旅行者だけで、写真−2は『関門トンネル』を抜ける直前で既に九州に入っている。
【写真−3 小倉は祇園太鼓に映画『無法松の一生』の舞台】
九州最初の『門司駅』の次に写真−3の『小倉駅』へ到着するが、在来線ホーム頭上には駅ビルがあるために地下にあるような感じで少々薄暗く、新幹線ホームは独立した駅舎になって地上に出ている。
『小倉駅』は名実ともに九州の鉄道の重要駅で、同駅から九州の西側を走り熊本を経由して鹿児島に至る鹿児島本線と、東側を走って大分、宮崎を経由し『鹿児島駅』に至る日豊本線の起点駅になり、今回の旅は反時計回りの行程で九州を廻って最後に『小倉駅』に戻って来て、次に日本海側の山陰本線を辿る。
【写真−4 地下通路も人が歩いていないと不気味さを感じる】
山陽本線は『神戸駅』−『門司駅』間、131駅、534.4キロ、それに繋がる鹿児島本線は『門司駅』が起点のように思うが、実際はトンネルが出来る以前に『下関駅』から出ていた鉄道連絡船の九州側の『門司駅』となっている。
写真−4は『小倉駅』の地下通路を使って鹿児島本線の各駅停車列車に乗ろうとしている途中で、鹿児島本線もかつては『鹿児島駅』まで398.5キロあったが、途中の『八代駅』−『川内駅』間が、2004(平成16)年の九州新幹線開業の都合に合わせて切り捨てられて、第3セクターの『肥薩おれんじ鉄道』として中抜きされ、281.6キロに減っている。
【写真−5 大学は500mも離れた場所にある】
写真−5は『小倉駅』次の『九州工大前駅』で、九州の大学といえば旧帝大の九州大学が浮かび、似たような名前のこの大学は私立大学かと思ったが、この大学は前身から数えると100年以上の歴史を持つ国立大学であった。
工大と銘打っているように工学部と情報工学部の二学部しかない特化した大学になり、工学系の大学では東京工業大学と東京医科歯科大の両国立大学が統合して東京科学大として発足することが決まっていて、教育界も日本の人口減、少子化の波に吞み込まれないように必死のようだ。
【写真−6 かつての栄華を誇った八幡製鉄跡地が近い】
『小倉駅』から途中に停車した駅の所在地は北九州市になり、北九州市は1963(昭和38)年に門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市の5市が合併して生まれ、合併当時は九州最多の人口を擁したが、今は県庁所在地の福岡市(164万人)に抜かれ91万人。
北九州市は洞海湾沿いに開けた工業地帯で製鉄と筑豊炭鉱の石炭積み出しで栄え、写真−6は『八幡駅』でホームの彼方は洞海湾の最奥部になり、八幡の名称で分かるように同駅北側は新日本製鐵の八幡製鐵所があった場所である。
洞海湾の石炭積み出しといえば、若松港を舞台に石炭を船に運び込む沖仲仕の親分を書いた火野葦平の『花と龍』を思い出すが、かつての九州の産炭地には『川筋もの』という言葉があるように、気風の良い細かいことに拘らない荒くれ者が多く、『無法松の一生』の松五郎もそういった風土から生まれた。
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夏の終わりに九州新幹線に乗る旅に出ました。
九州新幹線全線開業の時のCMに感動し
ずっと乗ってみたかったのですが、
12年越しに実現しました。
西九州新幹線にも乗りました。
新幹線に乗る他にもいろいろ回っています。
今回は夏で暑いのでハイゼットカーゴの車中泊ではなく
愛車AQUAでのドライブ旅です。
宿泊はビジホです。
夏に車中泊すると熱中症で死んじゃうからね。
YouTubeプレイリストへのリンクです。
https://youtube.com/playlist?list=PLeIsC61576ERP8hY52Xk7rFmJZNCX5_6o&si=Zz95yNGmaD3C__bB
行程は後ほど更新。YouTubeは途中まで更新してあります。
1日目 8月18日 夫と共に京都まで行き、夫は奈良へ。
わたしは大阪を経て神戸へ。フェリーに乗りました。
2日目 8月19日 新門司港で九州上陸。宗像大社から志賀島へ。
筑紫野市二日市温泉に宿泊しました。
3日目 8月20日 太宰府天満宮から吉野ヶ里歴史公園へ。
その後、西九州新幹線に乗って長崎へ。
4日目 8月21日 長崎市内。出島と大浦天主堂に行きました。
駆け足だったので、次はもっとのんびり行きたいです。
5日目 8月22日 福岡に戻り、元寇防塁へ。
その後、博多から九州新幹線に乗って鹿児島に行きました。
6日目 8月23日
7日目
8日目
9日目
10日目
11日目
12日目
14日目
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久々に主人が日本人ツアーに出かけました。
会社を変わって本当に久々で喜んでました。
私も久々にブログ更新です。
1泊2日で、宿泊先はドライバーのみ
九重の悠々亭さんです。
コロナ前はインバウンドツアーで
よく泊まっていましたね。
看板犬のエンゼル君はおやすみしてるようで
銅像?で自撮りしたようです。
久々にドライバー夕食の写真が送られてきました。
ドライバーご飯にしては美味しそうです。
翌朝の朝食はバイキングで、昔の写真の盛りつけより
少しは美味しそうにみえますね(笑)
外に風景が食事のところから、九重の絶景かよく見えます。
朝日が昇るのが見えるのかな〜
駐車場に観光バスがちらほら。。
まだまだ九州にはインバウンドツアーはあまり来ていません。
1日も早い九州の復活を願っています。
チップがたくさん頂けたインバウンドが
我が家の経済を支えていましたから(笑)
これからはツアーに出かける事が増えるので
九州旅行の紹介を主人のツアー写真を元に紹介していきます。
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【写真−1 東西南北の端に位置する駅へ行くには簡単ではない】
写真−1は『たびら平戸口駅』のホーム側から見た改札口、待合室の様子で、改札の造りが今風でオヤと思うが、改札口頭上には『ようこそ日本最西端の駅へ』の看板が掲げられ、駅舎の外にも最西端駅を表す看板やら碑があって最西端の駅を売り物にし、駅舎内には小さな鉄道資料館が設けられている。
駅名の平戸口はかつては海峡を挟んだ対岸の平戸島へ渡るフェリーが出ていたためで、駅のある田平(たびら)町側は架橋によって町が寂れると反対したが、1977(昭和52)年に全長655mの『平戸大橋』が開通してフェリーは廃止された。
『たびら平戸口駅』のある松浦鉄道は元々はJRの路線であったが1988(昭和63)年に第三セクターの鉄道路線になり、同路線は『佐世保駅』から西九州線といっているように東西の松浦半島海岸部をぐるっと回り佐賀県の『伊万里駅』を経由し』『有田駅』を結ぶ総長93.8キロ、57駅を持つ。
【写真−2 鹿児島に東急ハンズがあったのには驚いた】
2019年11月に『新幹線全線乗車の旅』の途上で九州新幹線終点で降り立ったのが写真−2の『鹿児島中央駅』で、この駅の旧名は『西鹿児島駅』といい、その当時に始発の『急行桜島』に乗って1日以上かけて東京に帰ったのがこの駅で、その変わりようには驚き新たな別の駅かと思ったが、半世紀以上も経っていればそれも当然か。
鹿児島には高校生の頃から学割を利用して何度か行っていて、鹿児島港から奄美大島と徳之島へ行く船便を利用して渡ったが、当時の鹿児島港や客船の様子など全く覚えていなくて、僅かに市電に乗ったのが記憶にあって2019年の時も懐かしくなって市電に乗った。
【写真−3 海岸には近かった記憶の残る旧駅舎】
『急行桜島』で鹿児島から東京へ帰ったその旅の時、もう少し南に行こうと思って枕崎線に乗って降りた駅が『指宿駅』で、現在の駅舎は1980(昭和55)年に建て替えられたコンクリート造りの2代目駅舎で、初代は写真−3の駅舎になり、この駅舎を降りているのだが記憶には残っていない。
指宿の海岸に出て名物の『砂蒸し』も見たが興味はなく、それでも海岸の砂の上を歩くと熱い箇所もあり、その晩は護岸の陰にテントを張って泊まったが、朝になって帰りの列車内で食べるカレーとご飯を海岸で作っていたら、近所の人が朝飯を食べに来いと誘われご馳走になり、まだ大らかな時代でもあった。
【写真−4 近くの池田湖と共に風光明媚な地域】
この時の『指宿駅』で降りたのが後にも先にも小生にとって最南端の駅となっているが、日本最南端の駅は写真−4の枕崎線『西大山駅』で、『指宿駅』からは僅か3駅先にあり、どうして行かなかったのか今でも分からないが、多分、当時は鉄道の東西南北端の駅などというのには興味がなく知らなかったためのようだ。
写真−4で分かるように駅のホームから見える綺麗な山容の山は『開聞岳』で標高は924mあり、その形から『薩摩富士』と呼ばれているが、これとそっくりな形の山がフィリピンのルソン島南端の海際にあって、こちらの標高は開聞岳の2倍以上の2463m『マヨン火山』で、同地に戦前に住んだ日本人や日本軍は『ルソン富士』と呼んでいた。
開聞岳は火山ながら近年は噴火は認められていないが、マヨン火山は度々噴火を繰り返し、2015年には突然の噴火で登山中の観光客一行5人が亡くなる事故もあり、小生も何度かマヨン火山を麓から山を眺めているが、いつも雲なのか噴煙なのか山頂は隠れていて一度も完全な全容を拝むことは出来ていない。
開聞岳は薩摩半島最南端に位置するために、戦時中は九州各地にあった航空基地から発進した特攻機の針路目標になっていて、開聞岳を今生の見納めとして沖縄へ向かった話が残っていて、特に開聞岳北方にあった知覧陸軍飛行場は知られる。
この特攻隊の話も『美談』と伝えられ確かに涙するが、実際は覚醒剤を打ったり、酒を呑み、あるいは無理やり乗せられて出撃した例もかなりあって、そういうところは人間の愚かさを感じさせ、前途有能な若者を死なせた無謀な『外道』な作戦については天皇以下軍部指導者など厳しく糾弾されねばならない。
【写真−5 那覇空港も自衛隊との共用飛行場】
2つのレール上を走るのが鉄道路線で、1本のレール上を走るモノレール路線は鉄道ではないと見て、そこにある駅など鉄道駅でないと主張する向きもあるが、小生はどちらでも良くこの手の論争には関心はない。
写真−5は2007年に実際に乗った沖縄県のモノレールで正式名称は『沖縄都市モノレール線』で愛称は『ゆいレール』。同モノレールは2003年に開業し、2019年には延伸もされて全長17キロ、19駅が設けられているが、写真−5は始発駅の『那覇空港駅』で、この駅が日本最西端の駅となっている。
沖縄には高校生の時から行きたかったが、パスポートが要るなどといわれてそのまま機会を逸し、実現したのは数十年経ってからで、羽田から低価格航空を利用して行ったが、この近代的なモノレールにはさすがに驚いた記憶がある。
沖縄の売り物のビーチや海はセブで当たり前に見ているので興味はなく、かつてのコザ騒動地域や嘉手納基地、ひめゆりの塔、平和記念公園などを訪ねたが、あれから基地問題は普天間基地を辺野古に造成中の新基地に移す問題は解決に至っていない。
元々、米軍基地の7割が沖縄に集中する中で、新たに基地を造ること自体おかしい話で沖縄の人は容認出来ないのだが、新基地造成で巨額な金が沖縄に落ち、それで潤う層があり、沖縄経済を支配している限り沖縄から基地はなくならないのではないか。
また、かつてヴェトナム戦争の最前線基地であったフィリピンからアメリカの基地が消えたのもヴェトナム戦争終結によるもので、中国本土と朝鮮半島に近い沖縄はアメリカにとって戦略的には手放せない場所で、増々重要性を帯び、一時グアムへの移行という話もあったが、沖縄駐留主力の海兵隊の役割を考えればそれも無理になった。
【写真−6 運転士は女性であったのが印象的なモノレール】
モノレールに初めて乗ったのは小学生の頃で上野動物園の東園と西園を結ぶ300m余の路線で、1957年開業。正式名称は『東京都交通局上野懸垂線』で、懸垂とあるようにレールからぶら下がったタイプで、この線は2019年に休止となっているが、ずいぶん最近まで運行していたことに驚いた。
もう一つ、千葉県にある『千葉都市モノレール』に乗ったことがあって、こちらも懸垂式で、この時は知人がこの沿線に住んでいて利用したが、空中にカーブを描いて線が延びる様子は確かに近未来な感じはした。
写真−6は沖縄『ゆいレール』の『赤嶺駅』で、この駅が日本最南端の駅となっていて、写真−6に見える『日本最南端の駅』碑は2004年に建てられたが、駅が開業してから1年近く経ってからだから、少しは遠慮があったのだろうか。
『赤嶺駅』が日本最南端の駅と宣言したために先述した鹿児島の『西大山駅』はJR最南端の駅などといっているがどうでも良く、『赤嶺駅』は『那覇空港駅』の次の駅になり、このモノレールに乗ると同時に日本の西と南の端の駅を利用したことになる。
こうやって得々と、沖縄のモノレール路線の最西端と最南端の駅のことを書いているが実はこの線を利用した時はそういったことは知らなくて後から知った次第で、それを考えると普通の観光客はもっと知らないのではないか。 【了】
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JUGEMテーマ:九州旅行
九州の話の続きです。
今回は家族で行ったので、せっかくならという事で滞在期間中に、長崎県のハウステンボスに行きました。
今回で3回目位ですが、相変わらず良い雰囲気です。
アトラクション等は行列90分待ちなどありましたが、海風が吹く園内で楽しめました。
そんなこと言っても、実際は36度の猛暑なんですが…。
写真は花をテーマにしたアトラクション。
他にも園内を走れる自転車など、楽しい時間を過ごせました。
色々と大変だとは思いますが、国内に楽しめるテーマパークが残ってくれるのは有難いです。
東京都、神奈川県でオーダーメイドジュエリーの工房をお探しの際は是非、当工房にご相談下さい。
東京都町田市つくし野に工房を構え、国家検定一級貴金属装身具製作技能士の彫金作家が、
お客様のこだわりを、心を込めて形にさせていただきます。
https://kens-session.com/ordermade/
今までのオーダージュエリーはこちらからご覧下さい。
http://blog.kens-session.sub.jp/?cid=2
JUGEMテーマ:九州旅行
TVの番組で紹介されていたところが気になり
主人がお休みの時に行ってみました。
ここは長崎県なのに、まるで
万里の長城のような風景!
正式名称は「牧場の里あづま」にある遊歩道
吾妻岳の中腹、標高400mに広がる
吾妻岳牧野をを利用した休養地。
広大な草原の中、のんびりと草を食べる
牛の姿には心までほのぼの。
万里の長城を模した全庁480mの遊歩道からは
有明海や橘湾、遠く雲仙の山並みなど、
島原半島の雄大な自然を一望できます。
確かに至るところに牛さんがいます。
遠くから見ると、熊本の阿蘇のようです。
遊歩道を万里の長城に似せて作ったんだろうけど
少し痛みが激しくて、渡れない箇所もありました。
しかしながら人もいなくて
自然を堪能するなら抜群のロケーションだと
思います。珍百景ですね。
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JUGEMテーマ:九州旅行
昨年、コロナ騒動も無く、
平和な日々が流れている頃
令和で人気が出た「坂本八幡宮」に
行った時の記事を更新します。
結構、以外に敷地は狭くて
令和発表当時は大変な混雑だったのだろうと
思われるほどです。
その時に、日本人の観光団体客の
案内の人が話しをしていたのですが
なんでも、令和効果で八幡宮が
新しくしたのだそうです。
確かに綺麗でした。
パンフレットもつくられていたし〜。
賽銭箱もリニューアルされてたようでした。
すごいですね。今はどうしているのかな〜。
由来になった歌碑もありました。
そして、御朱印を初めて頂きました。
私の初めての御朱印です。
印刷なのかと思ったけど比べてみたら
手書きですね。
コロナが収束したら
主人と行ってみたいと思います。
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【写真−1 これから新幹線最南端の鹿児島中央駅へ】
博多南駅から博多駅に13時54分に着き、写真−1の14時2分発の『つばめ325号』鹿児島中央駅行きに乗り替える。『つばめ』は旧国鉄時代を代表する特急の名称で、当時の球団が『スワローズ』と馴染深く、九州新幹線で走っているとは知らなかった。
【写真−2 荷物棚から大きな旅行カバンが落ちないのが不思議】
写真−2は『つばめ325号』グリーン席の様子だが、荷物棚を見て分かるように今まで乗って来たグリーン席よりは乗客が結構埋まっている。つばめは九州新幹線の各駅停車列車になるが、それでも博多駅から鹿児島中央駅まで1時間48分しかかからない。
【写真−3 天井部分はどの新幹線車両も造りは同じかどうか】
『つばめ325号』の車内表示が写真−3。博多を出て新鳥栖、久留米、筑後船小屋、新大牟田、新玉名と次々に停車をしながら九州西岸を南下し鹿児島を目指すが、聞き覚えのある駅名や地名も、こう速く通り過ぎては思い出すこともままならない。
【写真−4 熊本市は日本最南端の政令指定都市で人口75万人弱】
写真−4の熊本駅に到着すると乗降客は多かった。熊本には高校生の頃に修学旅行に来て2016年4月の地震で被害を受けた熊本城も見学している。その時の修学旅行は東京から長崎まで列車、バスで九州を横断して別府からまた列車で帰ったがかなり強行。
【写真−5 金沢を出た時は悪い天気ではなかったが日本列島が長い証拠】
熊本に入る頃に空模様が怪しくなり、写真−5のように窓に水滴が流れるようになった。熊本駅を出て新八代、次に新水俣に停まるが水俣といえば『水俣病』で忘れることのできない名前である。出水、川内と停まって次は終点の鹿児島中央駅に到着する。
【写真−6 あっけなく新幹線最南端駅に到着】
予定通りに『つばめ325号』は鹿児島中央駅に到着。写真−6は到着した直後のホーム上で、正面上にある時計が3時50分を指しているが、北陸の金沢駅を7時15分に出て明るい内に九州南端の鹿児島へ着けるなど、やはり新幹線ならではの移動。
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JUGEMテーマ:九州旅行
夏なので山はほどほどにして観光地に行ってきました。
この時期だと緑の阿蘇がいいのではないかと思って大観峰に行ってきました。
天気も良くて最高の日になりました。
【所在地の地図 → 地図内リンクで拡大表示】
到着です。
福岡から2時間半かかりました。
さすが夏休み、人が結構お多いですね。
でもゲートの外なら車は普通に停められました。
ここにあるゲートは9〜17時しか開いていないのでそれ以外の時間帯はゲート外の駐車スペースに停めましょう。
先に結果から言うとゲート手前の駐車スペース(マップの印の位置)からの景色が一番良かったです。
【撮影スポットの地図 → 地図内リンクで拡大表示】
遠見ヶ鼻の方は手前にいろいろあるので、こちらの方が景色がひらけていておすすめです。
今日は雲も少なく絶好の撮影日和になりました。
ある程度撮影できて満足したので売店の方へ行ってみます。
案内をはじめてちゃんと読みましたよ。
売店の中もひとが多かったです。
今日は天気が良くて外が暑いので中で涼んでいるようでした。
16時までは中でうどんも食べられるようです。
でも一番人気はソフトクリームですね。
意外にかき氷は無かったです。
遠見ヶ鼻の方へ行ってみます。
売店の前で猿回しをやっていました。
サルも暑いでしょうね。
振り返ると九重連山です。
阿蘇九重はどこを見ても絵になりますね。
菊池渓谷側の景色です。
来るときに菊池渓谷を通りましたがこちらも多かったです。
菊池渓谷はまた今度行きたいと思います。
売店から10分ほど歩いたら遠見ヶ鼻です。
展望台のようなところですかね。
大観峰の碑があります。
ここは撮影スポットですね。
阿蘇の雄大な景色もですが去年行った根子岳がよく見えてました。
すこーし霞んでますが比較的いい日に来れたかなと思います。
三角点もあります。
適度に堪能して戻ります。
帰りにお土産も買いましたよ。
夜に星も見たいのでちょっと夜まで下におります。
下で夕ご飯を食べたいと思います。
19時頃帰ってきました。
日没は19時13分です。
まわりがひらけてるのでまだまだ明るいですね。
1時間位は待たないといけないようです。
今日はやや霞が出ていて天の川があまり綺麗に出ないですね。
月が沈むのが22時頃なのでそれ以降がいいかもでした。
でもこれからまた福岡まで帰らないといけないのでなんとか21時まで粘って撮影しました。
23時頃までいて撮れたらもう少し天の川が出ていたかもですね。
でもある程度の条件が揃っていたのでここまで撮れたなら満足です。
次は菊池渓谷とセットで来たいです。
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