ノリを看取った日、安置したノリの隣で眠った私と脇役はそろってノリの夢を見た。脇役が見た夢は曖昧となってしまったが、私が見たものを記しておく。
ベッドへ安置された状態を背景に、横たわるノリが起き上がり
その場でお座りの姿勢をとった。頭を向けていた壁側に向いた座り方で、
横で眠る私の方は見ていなかった。それに気づいた私が、
「ノリ生き返ったよ、ほら」と脇役を起こしたところまでを記憶している。
背景が当時の状況であることと「生き返った」という言葉を使うあたりが
現実的だった。そんな夢をこれといって不思議には思っておらず、
そうであるのが当たり前であるかのような感覚だった。
以後ノリは夢に現れていない。
次に葬儀社について記す。
前もって知ることは心行くまで手厚く送りだすことに役立つと私は思う。
夜間対応獣医の番号をひかえておくことに近いのではないだろうか。
また「病気や死は、年齢に関係なく確率の問題」という言葉には深く頷ける。
業者のタイプは移動火葬車によるものと火葬場をもつ2種類が多い。
他に自治体の火葬場を使用できるところもあるが少数だ。
民間の葬儀社は24時間電話対応が大半だった。
【移動火葬車】
火葬炉が積まれたワンボックスカーが自宅などへ出向き火葬するもの
(社名などのない無地の車・煙や匂いが出ない設備をもつ。)
【火葬場】
人間と同じように建物の中にある火葬炉にて火葬するもの
(霊園併設や提携しているところが多い。墓をもたない場合も利用可。)
【火葬の内容】
立ち会うタイプとお任せするタイプがあり、
さらに個別に火葬するか複数の動物と合同で火葬するか や、
収骨・返骨を望むかどうかを選ぶことができる業者が多かった。
これらは合同葬・一任葬・立ち会い葬といった呼び方をするところが多い。
送迎(飼い主・動物)や火葬日まで腐敗に配慮した設備での預かりを行うところもあった。
【料金】
中型犬の立ち会い葬(個別火葬)で3万円前後(骨壺込)が多く、
動物の種類・体重・葬儀の内容によってそれぞれ変わる。
さらに返骨料などといって、火葬後に別料金を請求する業者もあるというから問い合わせや予約時に十分な確認が必要だ。こんな時にもめたくない。
今回利用した日本動物霊園では到着直後の前会計であり、
問い合わせ時の電話応対も、こちらが望む葬儀社そのもので好感がもてた。当初依頼を検討していたのは常憲社であったが、あいにく予約に空きがなかった。
利用した霊園は3ヶ所あるうちの東京・杉並区の霊園である。
安置の方法については検索結果が多く得られるため省く。
【問い合わせたこと】
予約前に問い合わせたことのひとつに、棺ごと火葬できるかがあった。動物用の棺も人間と同じく木製のものが多く、ネット注文で翌日配送も可能であった。
棺のまま火葬できるなら用意するつもりでいたが、少なくとも前述の2社は不可であった。
理由として「火葬後の骨をきれいに残すため」とのことだった。
可燃性のものでも燃え屑などが付着することを避けるためだという。
それらしく考えられた表向きの理由なのか、
あるいは火葬時間の短縮をはかるためなど別の理由があるのかもしれないが、いずれにせよ火葬の際には棺から出してもらうとのことであった。
爪や歯も残るよう火葬しているとのことだったが、
業者によって技術や設備に差があるのかは不明だ。
(結果としてノリの爪や歯は拾うことができた)
【用意したもの】
火葬後に棺を処分するのを避けたかった私は代用できるものを自宅で探し、チェストの引き出しを使うことにした。
ダンボールは強度や持ち運びから難しいと判断し、衣装ケースは幅に対して深すぎた。
ノリの出し入れや顔の見えやすさなどから、深さの浅いものを使いたかった。逆に雨天日の移動では、蓋ができ一人で持ち運べることから衣装ケースも有効だろう。
(特定の信仰や思想をもたないため、代用を前提にすることをご理解いただきたい)
クッションやシーツを敷いた引き出しには足を曲げることなくノリを寝かせられ、花やおもちゃ・洋服などを入れるとすき間を満たすことが出来た。
霊園へ向かう時には箱の外へめくったシーツを中へ折りたたむようにノリへかけた。
駐車場所から霊園までは路地裏や商店街を歩いたのだが、
重そうな引き出しを運ぶ人達にしか見えなかったと思う。
【一緒に火葬できるもの】
布製のおもちゃや食べ物(生物・乾物)、写真・花などを一緒に火葬することができ、ノリはというと炉に入る可動式の台座にクッションを置き、シーツを敷いて寝かせた。
(ファスナー付のクッションカバーは取り外し、中身の綿のみを使った)
プラスチックや金属部分を取り除けばカラーやリードも入れられる。
コングやボールなどのゴム製品はNGだ。
今回食べ物を入れる容器には、パウンドケーキやマフィンカップなど紙製の型を使った。水分の多いものはNGとのことで、飲み水を置くことはできなかった。
空腹のまま死んだノリのため(空腹のまま見送った自分を慰めるため)、
普段より多くの生肉を添えたのだが、大型犬なら1食分程の量になるだろう。生食派のオーナーはこれについても確認すべきかと思われる。
【今回の所要時間】
12kgの中型犬で、到着から2時間後には霊園をあとにしていた。
読経やセレモニーなどはせず、自分たちの手でノリを抱き移し、
1時間の火葬後、20分程の冷却を経て20分程で収骨を行った。
お別れにかかる時間や冷却・収骨の時間には差があるだろう。
また動物の大きさによって火葬時間が変わることは言うまでもない。
利用した霊園の対応には満足しており、滞りなく終えることができた。
追加の供養や仏具などのしつこい勧誘もなかった。
砕けやすい骨についた不純物を丁寧に取り除いてもらい、
焼け残れば持ち帰りたいと申し出たマイクロチップも見つけてもらうことができた。
そして過日、私はノリを看取った。
病気や老衰、事故でもない理由でノリは死んだ。
中毒・誤飲・外傷・内臓疾患のいずれでもなかった。
強いてあげるなら突然死ということになるのだろう。
最期まで自分の足で走り、食べ、排泄し、遊べたことが素晴らしい。
決してノリが老犬であったからではなく健康体でもあったが、
日頃から、また当初から、いつその日を迎えても後悔のないよう過ごしていたためか、寂しさはあったが悲しみは不思議となかった。
記事の末文にネガティブともとれる表現があったのはこれを表していた。
ノリより長く生きたいという私の願いは果たされ、
看取ることではじめて一人前の犬飼になった気さえした。
「10年分過ごした」とはノリをセンターから救い出した(愛護団体)代表にも言った言葉だが、心底そう感じている。
やり残したことなどないのではないかと思える。
ひと時も離れることなく過ごした"一年と少し"は人間の数え方だが、
思い出しきれない程の思い出は数万枚の写真にも残り、
日々話しかけた言葉や感触は、失うことのない存在となって残った。
「もっと」とか「ごめん」などという言葉はひとつも出てこない。
ノリから学んだあらゆることは人生の糧となり、生涯の課題となるだろう。
今はそれがとても誇らしい。
肉体を離れた魂が他の地へ移ることを「成仏」というなら、
ノリは成仏しないだろうと以前から思っていた。これは悲観視していない。
しかしすでにこの家にはいないのかもしれないとも話している。
いずれにせよノリの好きなようにしたらいいと思っている。
特に決まった信仰や思想をもたない私は、火葬さえも自然な考えではなかったが、骨を残すことができるという単純な理由でその手段を選んだ。
そもそもノリを看取りたいという思いもあって譲渡を申し出たこともあり、
ノリの骨を拾うイメージはそのうちに存在していた。
(首の後ろのふくらみは皮下輸液によるもの)
ベッドへ安置したノリの傍らでは、
揺れる炎を模したLEDキャンドルが役立ち、一晩中灯された。
先日のキャンプのデコレーションで使用したものだ。
昼夜点けたままだが、電池切れもせず今もなお灯され続けている。
異様なまでに冷たくこわばった体は次第に腹部を膨らませ、
いくら撫でても被毛が抜けることはなく、そこに生の証はひとつもなかった。
幸いなことにたれた耳だけは硬直せずやわらかなままだった。
手のひらで握っては滑らせて逃がすという慣れた動きを繰り返し、
めくってみては耳元で話をした。
依頼したかった霊園の予約が希望日にとれなかったこともあり、
火葬を一日延期すればまた一晩一緒に過ごせたのだが、
姿や匂いを変えていく体を見ていると、そこに魂が宿っていないことは明らかで、早く葬らなければならないと思わされた。
目に見えるものをシンボル化するような思考も避けたかった。
その後、希望の日に火葬できる別の霊園の予約をとりつけ、
ノリを看取ってから二晩、いつものように隣で眠った。
ノリについてつぶやいた代表のtweetには、
著名人をはじめ見ず知らずの方々やノリを知るボランティア・譲渡会来場者などから大量のリツイートやリプライが寄せられ、
私はそのすべてを霊園へ向かう途中や火葬中に読んだ。
飼い主である私たち以上に嘆き慈しみノリを慕う言葉の数々に驚かされた。
あまりに深い慈しみの言葉に、
読み上げながら「うちの犬うちの犬」と自分を指して笑うこともあった。
保護期間の長いキャラの濃いビーグルがこんなにも知られていたことを知り、譲渡後の改名をせずにいて良かった、と脇役と二人頷きあった。
このブログはtwitterなどと連携せず、友人知人にも伏せているため
メッセージを寄せられた方々を私は誰一人として知らないが、
その多くはノリが幸せであったことをつづるものであり、とても有難かった。
火葬が終わり収骨の時間になると、わずか一時間程前とは違い
穏やかな面持ちで部屋へ入った。
ひととおりの説明を受けながら、小さな欠片を残さず拾いあげ、
溶けかけのアルミホイルのように残ったマイクロチップは別に包んだ。
ノリの歌(主にCMの替え歌など数曲)を歌ったりとやたら口数が多かった。
時間の関係により冷却が十分でなかったため、
サウナのように熱せられた部屋で汗を流したこともあり
終わった頃には清々しさも感じた。
大げさでなく私はノリを百万回は撫でただろう。
本当におもしろい犬だった。
耳のたれた犬のはなし。
ノリが分離不安症であることは一時預かりの時から知らされていた。
幸いにも私は留守番のできないノリの側にいることができる暮らしであり、
譲渡を受けることができた。
当初は分離不安症の改善に取り組んでいたが、
やがてその目的を問いただすような思いが湧いてくる。
症状の改善をはかることは、何を目的としたものなのか。
留守番ができるようになることは、ノリにとって幸福のひとつになるのか。
もちろん災害や入院時などには必要なことであることは間違いないのだが。
誰かが側にいれば症状が出ることもなく、苦しむこともない。
ならばずっと側にいたらいいのだと、そう思うようになった。
この数年、遅咲きの青春を謳歌していた私は
多い時には週3、4日夜間の外出をしていたが、
ノリと暮らし始めてからそれもなくなった。
文字通り四六時中ノリと一緒に過ごしているのだ。
トイレと入浴の時間以外、すべての時間を共にしている。
こんな毎日をふと思うと、ノリは来るべくしてこの家に来たのだとつくづく感じる。
私の知らない10年程の時間など、とうに取り戻したように思う。
すでにもうそれだけの思い出や感触をもち、関係性を育んでいる。
ノリは一生、分離不安の家庭犬として生きていく。
私は、分離不安のたれ耳の一生を看取るために今を生きている。
ノリの分離不安のはなし。
分離不安とは、飼い主の不在によって問題行動を起こす
精神的な病であり、
主に留守番中などに自宅内(外飼いの場合は庭など)において
吠え続ける・破壊行為・不適切な場所での排泄・自傷行為・
下痢や嘔吐などを起こす。
飼い主が在宅時には見られない行動であり、
飼い主の不在による不安・恐怖に起因する行動である。
幼犬期の社会化不足や過剰な愛情をもっての飼育などが
原因といわれているが、
飼育放棄による強い不安や恐怖により発症することもあるという。
よその分離不安犬がどうかは知らないが
ノリの場合は在宅時も私の後ろをついて歩いたり、
同じ部屋でも人の居場所が変わるとノリも動くといったことが
日常的に見られる。
とにかく目の届くところに人がいなければ不安なのである。
これらはもちろん寝ている時に起こることであり、
寝てる間にそっと出かければいいなどと単純なことではない。
ノリの場合、10年程度は家庭犬として暮らしてきたことは確かで
それを踏まえると飼育放棄による発症と考えることが自然である。
10年間分離不安の犬を飼育するのは相当骨が折れることであり、
大家族や山中暮らしなどでなければ普通の暮らしは送れないだろう。
そのくらい大変なことなのだ。
もっとも、適切な飼育ができる飼い主を前提にした話ではあるが。
この分離不安症状を解決に向かわせる方法として
重要とされているものが行動療法であるという。
外出前後に注意すべき点は山ほどあり、
普段からのコマンドトレーニングや散歩時の主導権・遊び方や運動量
など、生活のあらゆる点において根気強く取り組む必要がある。
もちろんこのほとんどが、分離不安の治療だけでなく
適切な飼育をするうえで重要な点ばかりである。
犬と飼い主どちらにも根気のいる取り組みであるが、
成果はすぐには表れない。
行動療法と併用できるものとして薬物療法がある。
抗うつ剤・睡眠導入剤などを利用するものであるが、
どうしても抵抗があり服用させることはできない。
睡眠薬で眠らせてまで出かけたい場所など私にはないのだ。
また少なからず副作用の可能性が残ることも考慮すべきことである。
この薬物療法はあくまでも補助的に用いるものであり、
分離不安の根本的な治療とならないことも忘れてはならない。
自然療法のひとつとしてレメディーを用いることも選択肢にある。
抗うつ・抗不安作用のある神経伝達物質 セロトニンの分泌を促す
食品をより多く摂取することもできる。
併用できる有効手段はいくつもあるが、
もっとも重要なことは行動療法なのである。
ノリと暮らすようになり、やっとその意味を知った。