「出版のお祝い!」と、友だちが贈ってくれたプリザーブドフラワー。
自分のことのように、一緒になって喜んでくれる気持ちがうれしくて。
そのうれしさが、自分のなかの喜びを大きくしてくれました。
やっとスタートラインについたと、
喜びよりも緊張感が勝っていた気持ちが、ふわっとほぐれて、
そうだ、私はうれしいんだと、ジーンときました。
友情と喜びと感謝が、ぎゅっと詰まった花。
頼んであったケースが届いたので、やっと、さっそく、飾ります。
力を合わせてくださった方々、よろこんでくださった方々。
孤独さと、人の中にあるという喜びと。
お祝いしてもらった時の、あのうれしさ。
出版が決まったとき、本ができたとき、発行を迎えた日の喜び。
ここにくるまでの、いろいろな思い。
すべての思いが、「感謝しかない」という言葉になって
腹の底に座っています。
この文章を書いている間に、
いろいろな人の顔が浮かび、いろいろな言葉が思い出されます。
日々の慌ただしさに、この思いを褪せさせることのないように。
大切な大切な宝物です。
ありがとう。
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言葉はしゃぼん玉のようだと思う。
なんとなく振り返れば、思うばかりで言葉にできないことが多かった。しゃぼん玉にすらできず、胸の奥でくすぶるばかりで。
「あの時、ちゃんと言葉に出していたら…自分なりの考えを伝えていれば…」なんて後悔が少しある。多分これから先、またちょいちょい後悔は出てくるだろうけど、今のところは少しだけ。
おしゃべりが苦手だったりする。
けれども、仲の良い人や数少ない友人の前だったり、占いのご依頼をくださるお客様なら話したいことが次々出てきてキャッキャとしゃべるし、相手の話をずっと聞くのは苦にならない。楽しいからなのか、不思議と心地よく感じる。それ以外だと、だいたいの場面では黙っているか、カタコトの日本語になって会話も続かなくなってしまう。
どうしたものかと自分なりに考えてみたが、言葉に出す前にアレコレ複雑に考えすぎるのかもしれない。こんなこと言ったら相手を傷付けるかしら…この言葉遣いだと嫌な思いをさせるかな…こんな返しは場を盛り下げてしまうんじゃ…なんて、脳内会議が長すぎる。長すぎて、結局いつの間にか話題が変わってたり、何をしゃべればいいかわからず愛想笑いで濁してしまうこともよくあって。
しかし、おしゃべりが苦手とはいえ私にだって思うことと言いたいことはちゃんとある。
現にこうして文章として綴っている。
文章ならあれこれ好き勝手に書けるのにね。
そんなこんなで、最近はおしゃべりが苦手だというのは認め、ある種諦めるようになった。
もうずっと直そうと努力しても直らなかったので、直そうと頑張るのをもうやめた。
その代わり、思っていることや言うべきことはハッキリ言葉にしようと意識することにした。
たった一言、簡単な言葉でも、雑な言い方でも、言わなきゃいけないことはちゃんと言う。案外、真剣な思いほどシンプルで短い言葉の方がよく伝わるだろうし、誤解を招こうがそれでいいのかもしれない。伝わる人には、わかる人にはわかるものなので。
湯がいたブロッコリーと葉っぱの部分をマヨネーズとかつお節、すりごま、めんつゆ(本当にちょびっと)で和えたもの。いりごまをすり鉢で潰すと香ばしさが増して好き。
余ったすりごまはお味噌汁に入れたけど、なかなかおいしかったです。
諸浦うに
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JUGEMテーマ:ひとりごと
ふとした時に、自分は今どこにいるのか。
何を見ていて、何を感じているのだろうと我にかえる感覚が訪れる。自分を見失うとか、起きているのに夢を見ているというものではなくて、たとえば「あれ?私は今まで何をしていたんだろう」と、急に目が覚めるというか。眠っていた本来の自分が顔を出して、冷静に状況を見つめているような。不思議な感覚がある。
近い感覚で言えば、熱しやすく冷めやすい。あんなに夢中になっていたのに突然冷静になって、一気にクールダウンする的な。
とはいえ、今の今まで当たり前のように日常生活を送っていて、さっきまでやっていたことはちゃんと覚えている。記憶喪失になった訳ではないのだけど、たまにそういった、夢から覚めて我にかえるような感覚が起こる。
別に深刻に捉えていない。ただ言葉にできない、不思議な感覚に戸惑うだけ。
*
占いをやっていてよかったな、と特に思うのは、自分という人間をよく知れること。
私は幼い頃から自分という人間がよくわからなかった。何が好きで、何が嫌いで、自分の感情だとか、今何がしたいのかとか。よっぽど突き動かされる何かがないと、ほとんど曖昧にぼやけていてよくわからなかった。
わからないから自分が今ここに存在している、というのも信じられなかったのかもしれない。そんなんだから、親も周りも「おとなしいマイペースな子」という認識だったのだろう。
占いを本格的に勉強しはじめたのは、それからもっと大人になった頃だった。
占い師になりたいから勉強をしたのではなく、はじめはタロットを習い、趣味の範囲で楽しめればいいかなと思っていた。
勉強を進めるにつれ、なんとなく趣味で終わらせてはいけないと感じて。そのまま占い師を志すことに決めた。よくあるきっかけかもしれないけど、それでも途中で占いから離れたり戻ったりしながら今も現役で続けてるのだから、始める理由なんてありふれていていいのかもしれない。
もちろん占い師になったからといって、お勉強をしなくていい訳ではない。今わからないことが2年後、3年後にわかることも全然ある。
そして占術以外にも学ぶことはたくさんある。だから生涯勉強。終わりもゴールもない。
そして、勉強することで自分という人間もよく見えてくる。疑問を抱いたり否定したくなる部分もあるけど、それは1つの点でしかなくて。他の部分を勉強することで、そっちの点と繋がって、やっと1つの線になり得るものとなる。
どうして私という人間は、ほとんど曖昧にぼやけていて、よくわからなかったのだろう。
今も自分に対してわからないことなんて余裕であるけど、1つだけなんとなく気付いたことがある。どうやら無意識に見えない答え(真実)だとか核の部分を知りたい。突きとめたいと考えて探してしまう癖があるようで。
でも、見えない答え(真実)や核なんて、そう簡単にわかるようなものではない。ましてや幼い子どもに探す術もしこうも限られているから、余計わからないのかなと。
長いようで短い旅の途中。
なんでもかんでも答えや真実がわかればいいという訳がない。その答えも真実も、すべて正しいという訳でもない。それもまた、占いの勉強をしたからわかったこと。
諸浦うに
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毎日、暑い暑いと言ってますけど
暦の上では秋なのです。
本日、立秋から8月度のスタートです。
(期間:8月8日〜9月7日)
今月の運気を参考にしてお過ごしください。
【生まれ年別運気】
★一白水星
(S2・11・20・29・38・47・56・H2・11年生れの方)
運勢は悪く無いのに周りから邪魔をされる事が多くなりそう。
美味しい話を持ちかけられても手を出さないこと。
焦るあまりにアピールのし過ぎや、やり過ぎたりする傾向が。
何事もほどほどにしましょう。
★二黒土星
(S1・10・19・28・37・46・55・H1・10年生れの方)
優柔不断になりやすく迷っているうちにチャンスを逃します。
落ち着いて冷静な判断が必要。
他人の批判や噂話は禁物。
自分がやるべき事に集中しましょう。
★三碧木星
(T14・S9・18・27・36・45・54・63・H9年生れの方)
暑さのせいもあって、忘れ物や落とし物をしやすい。
貴重品の管理はしっかりとしましょう。
調子に乗って上から目線の発言もしやすい。
謙虚さを忘れない様に。
★四緑木星
(T13・S8・17・26・35・44・53・62・H8年生れの方)
色々と忙しく動きまわる事が多いため過労に注意。
出費も増加傾向に。無駄遣いをしないように気をつけて。
暴飲暴食は控え、規則正しい生活と適度な運動を心がけましょう。
★五黄土星
(T12・S7・16・25・34・43・52・61・H7年生まれの方)
自分は一生懸命やっているつもりでも
思うように行かない事が多い。
強引に進めると失敗します。
何事もほどほどがちょうど良い。
★六白金星
(S6・15・24・33・42・51・60・H6・15年生まれの方)
表面的には好調そうに見られますが
内心は心配事が多く精神的には不安定です。
イライラしやすく些細な事が気になりますが
他人との揉めもごとは厳禁です。
★七赤金星
(S5・14・23・32・41・50・59・H5・14年生まれの方)
体調が今ひとつ優れず気持ちも沈みがちに。
人間関係でも苦労をします。
前進するよりも現状維持を心がけて。
今月は出来るだけ大人しく過ごしましょう。
★八白土星
(S4・13・22・31・40・49・58・H4・13年生まれの方)
人を頼りにする気持ちが強くなる上
疑う気持ちも出てきて人間不信に陥りそう。
実力以上の事に手を出すとトラブルの原因に。
目上の人との関係は良好です。
★九紫火星
(S3・12・21・30・39・48・57・H3・12年生まれの方)
運気は徐々に上り坂に入っています。
今月も引き続き精一杯頑張りましょう。
食事会や飲み会などもあり
楽しい時間を過ごせます。
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「マッチ箱ほどの僕の人生」
ぼくは、ここから出ることができない
たくさんの中にいると、疲れるんだ
1人のリスクを背負って、踏み出す勇気もない
だから、ここにいたいんだ
こんなぼくは嫌いだよね
ぼくも、こんなぼくは嫌いなんだ
明日は変わるよ
青い空が好きなんだ
広いキャンパスさ
自由に描いていいんだ
ぼくの望みどおりにね
君を見て、君を真似て、飛んでみようかな
ぼくにも、出来るかな
空は、青くて広いな ワクワクしてくるよ
ぼくにも、出来る気がするよ
⁂ご視聴ありがとうございました
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10代半ばごろからか、夜眠れなくて明け方まで起きていることが当たり前になっていた時期があって。体は疲れているはずなのに、意識がどうにも眠りたくないというか。
もしかすると目を閉じて、また朝が来るのが怖かったのかもしれない。結局、その眠れない原因は不眠症だった訳だが(のちに、お医者さんからそう診断を受けた次第。他にも色々あったけど割愛しますね)。
それ以降も夜眠れない日々が続いたり、かと思えば気絶するように朝まで眠っている日もあったり…なんていうのが、じつは今現在も続いている。昔より頻度は下がったけれど。
はじめこそ、眠れないと焦ったり嘆いていたものの。いつの間にか、「あ。これは眠れないやつだな」とか。「今夜はすんなり眠れる感じがする。あぁよかった」なんて、眠れない夜の前兆?感覚?というのがなんとなく把握できるようになったので、そんなに身構える必要はないんだな、と。
睡眠ガチャのごとく、眠れたらラッキー程度に捉えつつ、呼吸に集中するなり時計を見ないで他のことを考えるようにはなれたと思う。
ちょうど昨夜は眠れず、昔のアレコレを思い出したついでに書き綴ってみました。もちろん寝てない自慢をしてるつもりはないけど(どうせ自慢するなら他のことを自慢する)、夜中の静けさはやっぱり落ち着くんだよなぁと改めて。
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JUGEMテーマ:エッセイ
「あなたはとにかく子供の頃から酷い偏食でね。スプーンで食べさせようとしても、歯でがっちりスプーンをかじって、何がなんでも拒んで食べようとしなかったのよ」
ほんと頑固で大変だったわぁ、と。
食べ物や幼少期の話になると、電話口の母は懐かしそうに口にする時がある。離乳食もほとんど嫌がり、うどんくらいしか食べないもので四苦八苦したと(ちょうどこれ書きながら、鍋焼きうどん食べたいとか考えていた)。
とはいえ、子供の頃食べられなかったものも、食べず嫌いで敬遠していたものも、大人になってから少しずつ食べられるようになった。
しかし、お寿司はここ数年で食べられるようになったものの、できれば食べられるものだけ刺身か丼で食べたいとか。サビ抜きで。
ミルクティーはどうしても苦手なので、牛乳と紅茶は別々に飲みたいなど例外もあるが…自分でも面倒くさい…。
以前にも記事にしたが、私は子供の頃、自分の好きなものがよくわからなかった。それが成長するにつれ、所謂『興味ないことは本気でどうでもいい』というタイプに進化したようだ。
好きなものはとことん好きで、平気で10年、20年と沼にハマってしまうけど、苦手だとか興味がなければ一切どうでもよかった。
その反面、どんなに好きなものや人でもちょっと嫌なことをされたり、喧嘩を売られたり、疑問なり不信感があれば秒で見切るような場面もあったりもする。
そんなこんなで、自他ともに認める好き嫌いの激しさだが、これでも昔よりかなりマシになった方だと思っている。別に誰かに迷惑をかけているつもりはないし、価値観や思想を押し付けたり『自分が正しい』とも考えてないので。
友人やSNSといった交流についてもそう。
グループや派閥に属すことはしなければ、気心知れる友人は数える程度しかいない。
関わりのある人たちも周りと比べたら圧倒的に少ないだろうが、それでいい。
広く浅くの付き合いより、狭く深く&近すぎず、遠すぎずの付き合いの方が好きで、私にあっているようだ。
たとえば用がなければ連絡はしないが、気になったり声を掛けたくなったら話しかける。
会いたくなったら約束を取りつけて会う。
その時の気分で食べたいものを決めて、お酒を呑み、話したいことをお互い話して解散する。幸いにも、友人や関わりのある人たちとは趣味は似ているし、考え方や思想は個人の自由であり尊重しあっているおかげか負担にならず。無理のない、心地よい距離感をた持っていられるのかもしれない。
それにしても、頑固で偏食が酷かった娘が薬膳に興味を持つんだから、なんとも不思議というか、世の中わからないものだと思う。
※薬膳はあくまで個人の趣味程度です。
諸裏うに
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香りからのインスピレーションで描かれた作品展。
まず、視覚だけで絵画を鑑賞し、
次に、インスピレーションのもととなった香りをかいで鑑賞。
香りとイメージが自分のなかで混ざりあっていく過程を楽しむ。
同じ香りから描き出される世界の異なり。
イメージの多様な広がりを目の前に、
クリエイティビティというものの自由さをあらためて知る。
表現の自由というものが意味するところは、この無限性ではないだろうか。
感性に枷をつけることなく表現していく。
その表現の方法を模索するなかで、
それぞれが自身の倫理や自己と向きあい
自分のあり方、姿の一端として作品をつくりあげていく。
ここまでの過程をすべて含めて表現の自由だ。
絵画も、造形も、書も、文章も、演劇、舞踏、音楽も、
形式に違いはあっても、
それが、あらゆる表現において共通する自由ではないだろうか。
もしかしたら、ビジネスにおいても同じかもしれないとここまで書いてふと思った。
人が自分のなかに生まれた思考やイメージを
なんらかの形で他者と共有するためにアウトプットする行為を表現と呼ぶとして。
そして、通りすがりの小さなアート展をきっかけに広がっていく考えを
言葉に変えているいま、表現の自由を楽しんでいるのだなと思うこの瞬間、
絵画とともに味わった香りが鼻腔の奥に甦ってきた。
視覚だけで好きだなという感覚と、
香りからのインスピレーション、描く世界観への好きだなという感覚が
重なるのがまた面白かったなと思い出しながら。
香りそのものとの段差と、
ああ、そうかと、官能的にすっと自分のなかに馴染む感覚との
心地よい刺激のあった作品が、より強く記憶に残っている。
※展示作品の写真は、会場となっている施設のインフォメーションで
私個人のSNSなどへの掲載の範囲で許可をいただいたものです。
JUGEMテーマ:エッセイ
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朝ごはんの片付けをして、小豆を茹でる。
あちらこちらの戸を開け放して掃除をしているので、
小豆が煮えていく香りが家中を満たしていく。
ほわほわとあたたかい気もちになる。
掃除をすませると小豆がちょうどよい具合に煮えている。
豆と茹で汁を、それぞれタッパウエアーに分ける。
研いだ米も、冷蔵庫にしまう。
小豆粥の下ごしらえができたところで、
鏡開きの日からしまってあった正月飾りを玄関に揃える。
しめ飾りと、松の枝、南天の枝、葉牡丹。
玄関や和室に、正月の華やぎの名残をくれている
色とりどりの菊や千両の枝は一輪挿しにそのまま挿しておく。
身支度をして、近くの神社のとんど焼きへ。
火の番の男性に手渡すと、
お焚き上げの火の中で稲わらが勢いよく燃えて、
すっと清々しい気持ちになる。
そのまま父の眠るお寺への初詣。
ご本尊をはじめ、日ごろ奥におられる秘仏がご開帳で、
手を合わせていると心が自然と沈黙していった。
ただ、沈黙してそこにいる。
心も頭も沈黙に明け渡して、そこにいる。
そしてお参りのあと、
ご本堂にお供えしていただいていた鏡開きの餅を頂戴する。
しーんと静かになっていた心が、うきうきとしだす。
家に戻るとちょうど昼時。
超特急で着替えをすませて台所へ。
朝からの準備万端はこのためなのだ。
材料の下ごしらえだけでなく、土鍋まで棚から出して置いてある。
朝に続いて、再び台所から居間へと小豆の香りが溢れだす。
お腹グーグーである。
そろそろ粥が炊きあがるというところで、いただいたばかりの餅を焼く。
炊きあがった小豆粥を器によそう。
思いのほか、いや、思っていたとおり、
たっぷり炊きあがった小豆粥の器は丼鉢である。
丼飯ならぬ丼粥である。
そのたっぷりの粥の真ん中に粥柱の餅をのせる。
おお、まん丸の望月である。
無病息災であることの有り難さを思い知らされたこの2年間。
この一年もまた、健やかに、
三度の食事をおいしくいただける日々でありますように。
JUGEMテーマ:エッセイ
明けましておめでとうございます。
日の出間近の白みはじめた空を、
東、北、西、南と大きな円を描いて雁の群れが飛んでいた。
川面には横一列に並んだ4羽の鴨がL字に水紋をなびかせていた。
鳥たちの鳴き声が冴えた風にのって響いていた。
川の南側に建つ高層ビルのガラスの壁面がオレンジに輝きはじめた。
通りすがりのご婦人が「ご来光ですか」と東を仰ぐ私の隣に並ばれた。
朱い光を放ちはじめた彼方の雲に手を合わせたあと、
良い一年になりますようにと願いあった。
明るくやさしい元旦の朝だった。
朗らかな一年となりますように。
JUGEMテーマ:エッセイ
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