山吹の里
都電荒川線「面影橋駅」(新宿区西早稲田3)のすぐ北に、神田川の上に架かった小橋が有ります。 その名を”面影橋”と呼ばれ、たもとには「山吹の里」の碑(豊島区高田1-18)が建っています。この辺から下流の江戸川橋までの一帯は昔「山吹の里」と 呼ばれていた所です。江戸川橋の右岸(南側)が「新宿区山吹町」と今も呼ばれています。
この地にはこんな逸話があります。(落語の中の逸話と同じ)で詳しく書くと、
狩りをしているうちに豊島郡の高田という土地のあたりまで来たところ急に雨が降り出し、一軒の農家を見つけた。道灌は蓑を借りようと、農家に入り、声を かけると、出てきたのはまだ年端もいかぬ少女であった。貧しげな家屋に似合わず、どこか気品を感じさせる少女であったという。「急な雨にあってしまった。 後で城の者に届けさせる故、蓑(=みの、合羽)を貸してもらえないだろうか?」道灌がそう言うと、少女はしばらく道灌をじっと見つめてから、すっと外へ出 ていってしまった。蓑をとりにいったのであろう、そう考え、道灌がしばし待っていると、少女はまもなく戻ってきた。しかし、少女が手にしていたのは蓑では なく、山吹の花一輪であった。雨のしずくに濡れた花は、りんとして美しかったが、見ると少女もずぶ濡れである。だまってそれを差し出す少女は、じっと道灌 を見つめている。この少女は頭がおかしいのであろうか、花の意味がわからぬまま、道灌は蓑を貸してもらえぬことを怒り、雨の中を帰途についた。
その夜、道灌は近臣にこのことを語った。すると、近臣の一人、中村重頼が進み出て次のような話をした。「そういえば、後拾遺集の中に醍醐天皇の皇子中務卿兼明親王が詠まれたものに、
『七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞかなしき』
という歌がございます。その娘は、蓑ひとつなき貧しさを恥じたのでありましょうか。しかし、なぜそのような者がこの歌を...。」そういう と、重頼も考え込んでしまった。道灌は己の不明を恥じ、翌日少女の家に、使者を使わした。使者の手には蓑ひとつが携えられていた。しかしながら、使者がそ の家についてみると、すでに家の者はだれもなく、空き家になっていたという。道灌はこの日を境にして、歌道に精進するようになったという。
太田道灌が武辺一徹だった若い頃のエピソードで、それを聞いた道灌は村娘さえ知る歌を知らなかった己の不勉強を深く恥じて、この後猛烈に学問に励んで当代一の知勇兼備の歌人になったと言われます。
この噺の舞台「山吹の里」は豊島郡の高田(今の豊島区高田1)という土地ですが、この他にも”越生”や”相模”にもこちらが本家の舞台と名乗りを上げています。
志ん生は噺の中で「山吹の里」は今の牛込(おおざっぱに言って新宿区の東半分、元の牛込区)辺りだと言う。
七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき 後拾遺和歌集・兼明親王 筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは) 恋(こひ)ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる 陽成院(13番)
千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは)
からくれなゐに 水くくるとは
在原業平朝臣(17番)
瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の
われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ
崇徳院(77番)
陽成院(ようぜいいん。869〜949) 清和天皇の皇子で、第57代天皇に10歳で即位しましたが、病のた め17歳で譲位しました。勅撰集にはこの歌のみが残されています。
最初はほのかだった恋心だけれど、時間がたつにつれてゆ? りと深くなっていく。まるで筑波山のいただきから滔々と流れ落 ちる男女川がだんだん太い流れになり、麓で深い深い淵になるよ うに、私の恋心はこんなにも大きく強くなったのだ。
在原業平(ありわらのなりひら。825〜880) 平城(へいぜい)天皇の皇子・阿保(あぼ)親王の息子で、百人 一首の16番に歌がある、中納言行平(ゆきひら)の異母弟でもあ ります。右近衛権中将(うこんえごんのちゅうじょう)にまで出 世し、「在五中将」や「在中将」と呼ばれました。六歌仙の一人 で、伊勢物語の主人公とされ、小野小町のように「伝説の美男で 風流才子」とされました。
さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえ も、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮 いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。
崇徳院(すとくいん。1119〜1164) 鳥羽天皇の第一皇子で、1123年に5歳で天皇の位を譲り受けまし た。18年の在位の後に近衛天皇に譲位し、鳥羽上皇(本院)に対 し新院と呼ばれました。鳥羽上皇の死後、後白河天皇との間で、 後の天皇にどちらの皇子を立てるかで対立。戦となります(保元 の乱)が破れ、讃岐(現在の香川県)に流され、45歳で没しまし た。在位中に藤原顕輔に『詞花和歌集』を編纂させています。
川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれ る。しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれて も、いつかはきっと再会しようと思っている。]]>