【写真−1 釧路駅発8:18−東根室駅着10:42】
根室線『釧路駅』から根室方面には快速を含めると1日8本が出ていて、内、終点の『根室駅』まで行くのは6本で、駅を飛ばさない真正の各駅停車列車は2本のみの写真−1の8:18発と18:56発がある。
根室市に花咲町という町があり、そこにある花咲港はサンマの水揚げなど北方海域を漁場とする漁港として同地方有数で、沈む一方の鉄道路線に花が咲くという意味もあって『釧路駅』から先の根室線は『花咲線』の愛称が付けられている。
【写真−2 2時間以上乗るからこういう座席の方が楽】
『釧路駅』から『根室駅』までの距離は135.4キロあり、これを2時間24分かけて太平洋岸沿いに走り、同沿線には『厚岸霧多布昆布森』国定公園があるように、風光明媚な景色が続くと近年人気が高まっていて、普段はガラガラの車内も、観光シーズン中は座る席は進行方向に向かって右が良いとか左が良いとかいって喧しい。
同線を走るのは『キハ−54型気動車』といって、この車両は国鉄が民営化される前年の1967(昭和61)年に赤字が予想される北海道、四国、九州向けに41両が製造され、写真−2は花咲線を走る同線仕様の座席で、北海道は寒冷地向けになっていて窓が2重になっているのが分かる。
【写真−3 こういう場所を走る路線は大津波にはどうか】
『厚岸霧多布昆布森』国定公園は釧路市隣の釧路町から始まるが、『釧路駅』を出て全行程の3分の1を過ぎる所に『厚岸駅』があり、この駅を過ぎると海と繋がり牡蠣養殖で知られる厚岸湖と共に写真−3の湿原の中を列車は走る。
湿原の植物は堆積し長い時間をかけて泥炭となり次に石炭となり、北海道は湿原の多い地域でこれから炭田が多かったことも分かるが、通過している湿原は『別寒辺牛(べかんべうし)』と呼ばれ1993(平成5)年にラムサール条約に厚岸湖と共に指定された。
【写真−4 無人駅の素っ気なさもまた良い】
花咲線の終点『根室駅』一つ手前の駅が日本の鉄道駅で最東端の『東根室駅』で、同駅は1961(昭和36)年に設置され1921(大正10)年に開設された『根室駅』と比べると遥かに新しい駅で、それまでは『根室駅』が日本最東端の駅となっていた。
写真−4は『東根室駅』の一つしかない板床のホームで、駅標と並んで『日本最東端の駅』と縦書きされた板が立っていて、それだけの無人駅で駅前は原っぱが広がり、その向こうには新築の住宅が建ち並ぶだけの殺風景な駅だが、観光バスの団体が見学に来ることもあり、それなりに知られた駅になった。
『釧路駅』を8:18に出た列車は10:42に『東根室駅』に到着するが、その次に『根室駅』まで行く列車は15:53になり、長時間ここで過ごすことになり住宅のある方へ歩いて行くと中学校があり、そこから『根室駅』へ行けるバスに乗れるが頻繁には出ていない。
『根室駅』に行かないで『東根室駅』で折り返す場合、24分間待つと11:06に『釧路駅』行きの『快速はなさき』がやって来るので、写真を撮ったりする時間は取れるが、やはり最果てともいえる『根室駅』に降りる価値はある。
【写真−5 東京駅まで1600キロ余と遠回りになっている】
写真−5は『根室駅』構内に立つ看板で『根室本線終点』、その下の『東京駅まで1,607K576m』が、後ろに見える廃車同然の車両と共にいじらしく見え、最近は『東根室駅』は無人駅なので『日本最東端有人の駅』と東経、北緯、海抜を印した立派な看板が構内に立っている。
根室にはその昔15.5キロ5駅を持つ『根室拓殖鉄道』というのが歯舞村と根室町を繋いで走っていて、開業は1929(昭和4)年で1959(昭和34)年に廃線となるまでは、同線の『歯舞駅』が日本最東端の駅となっていたが、その線にも『根室駅』はあったが現在の『根室駅』と位置は違い、駅跡地は市内バス運行会社の営業所として残っている。
【写真−6 日本人の蟹と海老好きは世界でも有数】
『根室拓殖鉄道』の『歯舞駅』はかつての根室支庁花咲郡にあり、同地の花咲港は北方海域を漁場とする水産物の水揚げの活発な同地方有数の港で、特に秋刀魚は日本一の水揚げ高を誇る。
そういえば根室の漁業組合長はテニスの大坂なおみの祖父で、大坂が世界タイトルを獲った時はずいぶんマスコミに露出し、話の端々に家族間や地元で人種問題があったことを伺わせたが、世界タイトルさえ獲ればそれも氷解となるようだ。
その花咲港で有名なのは写真−6の『花咲蟹』で、蟹と名前は付いているが蟹ではなく『ヤドカリ』の種類で、フィリピンでも獲れる『椰子蟹』と同じ仲間になり、この花咲蟹、自転車で北海道を廻った時に根室の道路際で釡茹でを売っていて、物は試しと食べたら塩味が利いていて美味かったが、値段は一つ100円であった。
【写真−7 根室駅前発13:35−納沙布岬着14:19】
最東端の駅を訪ねたのなら日本本土最東端になる『納沙布岬』を見ても損はなく、『根室駅』前から出る写真−7の納沙布岬行きのバスに乗るが、1日に5本しか運行していなくて根室に泊まるなら気にしなくて良いが、当日に釧路へ戻るには発車時刻の確認も大事。
納沙布岬には40数分で到着するが、納沙布岬発15:10のバスに乗らないと『根室駅』発16:11の『釧路駅』行きの列車に間に合わず、折角来た納沙布岬での滞在は1時間もなく残念といえば残念だが致し方がない。
【写真−8 戦争で失った領土は戦争でないと戻らない説が在り】
写真−8は納沙布岬に立つ標柱だが、自転車で訪れた時もこういう素朴な感じだったなと記憶し、右手遠方に見える白い建物は『納沙布岬灯台』で、初代は1872(明治5)年が初点灯の木造八角型、北海道で最初の洋式灯台で、現在の灯台は1930(昭和5)年にコンクリート製に改築された物だが、それでも歴史は長い。
自転車で訪れた頃は今のように公園風に整備されていない茫漠たる平地で、海には日本の漁船を狙うソ連の取締船が蠢き、いわゆる北方四島を見られるかと眼を凝らしたが、岩礁を見ただけで風が強かったせいもあって荒れた海の印象だけが残った。
公園風に整備されていると書いたが、現在北方四島の資料館になる『望郷の家』や『北方館』が造られ、また『四島(しま)のかけはし』と呼ぶモニュメント、岬からは少し離れているが1987(昭和62)年竣工、高さ96mの『望郷の塔(別名オーロラ・タワー)などが造られている。
北方四島問題は戦後最大の懸案事項で、この間亡くなった日本の元首相は相手側のロシアのプーチンと何十回も逢っていながら、全く成果、効果はなくウクライナに侵攻したロシアに対して何にも行動出来ない同首相の外交など税金の無駄遣い、北朝鮮の拉致問題にしても政治的に利用したに過ぎないとの評価に定まるのではないか。
【写真−9 根室駅発16:11−釧路駅着18:51】
写真−9の『根室駅舎』は1959(昭和34)に建てられた2代目で、平屋造りが何ともいえない雰囲気を醸し出しているが、かつては根室港までの専用貨物線があったように構内は広くその広さがまた最果て感を浮きだたせる。
日本の最東端にある根室市は日本一日の出が速い街として知られるが、その分日本一日の暮れが速い街でもあり、北海道東部を自転車で走っていると午後の3時を過ぎると夕暮れが近くなり、今夜はどこに泊まるかと思案することが多かった。
その時、根室市ではユースホステルに泊まったと思うが、街自体は風の吹き抜けるもの寂しく、それでも市内に映画館があって夜に出掛けて加山雄三の若大将シリーズと森繁の社長シリーズを観た記憶があり、その映画館も今は当然ない。
【番外−1:乗車本数2本 乗車時間:5時間04分】
【番外−1:乗車本数累計29本 乗車時間累計:44時間11分】
【番外−1:乗車距離:269.3キロ 乗車距離累計:1519.6キロ】
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