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あれによって元々あった
孤独死が激増中
1ヶ月後に発見されて 300万円請求されたとのこと
昨日聞いた話だが 70代一人住まいのところ ワクチンを
打ったか否かは確認を取れてませんが
日本全国8割が打ってるということで おそらく 打ってると思います
死亡原因も全く分かりませんが 1ヶ月後に発見されたということで
アパートの管理人から300万円請求されたとのこと
ただ単に 物理的な修復のお金だけでなく
事故物件になってしまったため 永年にわたる
収益減少を補填するという側面もあるのかもしれませんね
今日 縁あって 前田慶次の漫画本を見たんですがその中で
豊臣秀吉 62歳 前田利家 62歳で亡くなられてましたね
おっちゃん 今 68歳 なんで彼らよりも5歳長生きしてます
ぼちぼち おっちゃんも部屋を片付けておかないとね
ただ いつ 突然死するか否かは全くわからないよね
それってどうしようもないよね
防ぐ方法としては月1回 定期的に診断してもらってるんだが
それの継続だね 薬を服用していくということだね
後は食事を気をつけて体重を少し落とすこと
高血圧を少し改善すること
よく歩くことだね
まああんまり 孤独死のことは深く考えずに
無理せずに生活していくしかないよね
いつもね 4時頃寝る時があるんだよね
それをちょいと 改善しなきゃいけないね
いよいよ 就活の時代に入りました
少しずつ 身の回りを整理整頓して就活を受け入れ
就活をしていこうと思います
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おいしくありません。
同窓会はあった。……大学生の頃に一回中学のやつに行ったけど、何か「大都会に行った人」扱いを受けて色々聞かれて困った。学校は結構人里離れていて、近くには畑やら果樹園やらあったので。
「ディスコ(笑)とか行ってる?」「行った事ない」(コミケは行った)
「やっぱ勉強してるんだ」「そんな事ないよ」(徹夜でテーブルトークRPGとかしてるし)
「またまたぁ。彼氏いる?夜景スポットとかでデートしてるの?」「ハハハ……」(脳内イメージ出来上がってるわ。話通じない)
それきり、行っていない。
先生に言われていた事を忠実にこなせる人って進学校では当たり前だった。その大多数が、多分ひろゆき氏が今回定義したような成功を求めていない。逆にそういう成功をして自分が矢面に立つのを嫌うタイプが非常に多い。そういうのが面倒事に思えるタイプ。
自己判断力があるかないかに関して言えば、多分高校大学レベルで振り落とされている。融通利かないまま社会に出る人はそんなに多くない。だから、学生時代の優等生が社会で潰しの利かない存在と揶揄される。
生真面目で勉強効率低くてもやり方変えられないレベルの判断力だと、内申点高いから推薦受けられるけれど、自分のレベルに合わないええ大学だと真面目に授業受けていても単位落とすらしい。……高校時代のクラスメイトがいきなり泣きながら電話してきてファビョっていた事がある。法政に推薦で入った子だったのだが、授業料高いのに単位落としそうだと。友達出来ないから頼れないとかも言っていた。
その子に関しては、センター試験の自己採点の点数を学校に提出する為に登校している中、推薦でもう学校決まっているのに勝手に登校してきて「私、〇〇〇点だったわ」と教室の空気も読まずにドヤるイカレ振りだった。(※この点数は誰も信じなかった)友達出来るわけない。何か、勉強頑張っているのに成績悪くて国立受けられなかったのが余程屈辱だったっぽい。ちなみに自分は英語出来ないから、逆立ちしても法政大学受からんかったと思う訳だが。……適当にあしらって電話を切った。後の事は知らない。
ひろゆき氏の様な成功をするなら、才能+努力+運+メンタル鋼。一つ欠けてもダメ。「努力していない」は嘘。当たり前に出来るスペックが違い過ぎるだけ。ここを見誤ると、血のにじむ努力をしても、目指す人と同じ事をこなせないと言う地獄。
「人間は皆平等」なんて嘘。だからって、自分の可能性に早くから見切りをつけるのもどうかと思う訳で。難しいこの判断を人に委ねている時点で……多分、成功できないと、個人的には思う。
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寂しいって気持ちは分かる。しかし、死ぬときに誰かの顔や言葉が見えたり聞こえたりするかどうかだけで、死ぬときは一人だと個人的には思っている。死後の世界を全く信じていないからだ。
死ぬって事に関して、死後の世界の存在を信じている人は、気持ちが続くからこう言う言い方になるのかなと推察している。今の生を終える時に孤独だった記憶を持って死後の世界に行きたくないと言う意味だ。
死んだ後、先に死んだ人に会えると言う話はよく聞く。しかしそれは今生きている人の気持ちを慰める為であって、死んだ人を慰める事にはならないと思っている。しかし、それは良い事だと思う。共に居た思い出が、今後生きて行く上で支えになると言う事は良くある事だ。それで生きて行く覚悟や信念みたいなのが自分の内部にしっかりするなら、思い出話も墓参りもすべきだろう。
ただ、死んだ人が喜ぶからやっているとか、墓参りしない奴は情が薄いなんて考え方をする人が居る場合、それは甚だ迷惑な考え方だと思っている。それで薄情者だと批判されてはたまったものではない。……そんな事言うなら、何で生きている内にもっと積極的に会っておかなかったのかと言いたい。死んだ後では、一方的に想いを墓に訴えるだけで相手の言い分は一切伝わって来ない。自分に都合の良い言葉ばかり石に語りかけた挙句、相手の為だと言い張るとか、自己満足だと思う。
霊的な存在を信じている場合、オカルトな電波で会話しているのかも知れないが、生憎そんな物が聞こえた記憶が無い。聞けるなら聞きたいくらいだ。聞いたら聞いたで、幻聴が聞こえる程精神が参っていると判断してしまうだろうが。
見守られて死にたいって人は、どういう死を望んでいるのだろうと思う。
基本的に私の周囲で亡くなった人は、見守られていない。夜中に心肺停止している突然死。そして事故死。気付いたら死んでいるから、どうにもならない死に方ばかりだった。家族も友人も、危篤だからと伝えられてお見舞いに行くどころか、一瞬で居なくなった。
自分自身も病院に入院中、急に心拍が爆上がりして危うく死にそうになった。その時看護師さんや医師の先生が集まって来て見守られていた訳だが、何か心穏やかに死ねる感じではなかった。(その時は、本当にもうダメだと思った)家族や親しい人に見守られて事切れると言うのは運が良くないと無理で、理想の死に方はできない方が圧倒的に多いと思う。実際、今コロナで亡くなる人は、家族がうつらない様にしている筈だから、見守られて亡くなるなんて無理だ。だから、孤独死なんて言い方はしないで欲しいと思ったりする。
大事な人の死に水を取りたいって事であれば、それは理解できるのだが……。おかしいだろうか。
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それから数日後・・・
その前に、金銭的❝家族的問題❞とは反比例のごとく、仕事は順調過ぎた。
27歳の時に、勤めていた会社(スーパーマーケット)が社長が金持ってバックレて倒産。
しかし、すぐに別の会社から連絡ありお世話になる事に。
27〜29:担当者からチーフ。
29〜30:副店長
30〜 :店長
と異例の速さの昇進、評価もSランク、給料もウハウハ。正直、仕事に関しては調子こいてました。
と、話は戻りましてある日の事ピンポ−ン新聞か、NHKか、お祈りさせて下さい。その
どれかだと思い、ワインとプリズンブレイクの幸せなひと時なので無視。
しかしなりやまない、ピンポ−ン・・・しょうがない適当に対応するか。
ドアを開ける「はい?」・・・・・・(写真はイメージです)・・・・・・・ウシジマく〜ん。
ウシジマ(仮):お父さんは?
ともひさ(俺):仕事です
ウシジマ:電話でないんだけど、電話してくんない?
ともひさ:分かりました。
けいたい:お客様のおかけになった電話は・・・・
ともひさ:出ないです(汗)
ウシジマ:あんた息子でしょ?〇ッ〇で働いてるんでしょ?
( ;∀;)やばい、これはやばいぞ(汗) ※しかも、息子じゃないし。けど、やばい。
ウシジマ:とりあえず10万代わりに出せる? 無理なら待ってるけど。
( ;∀;)出せないって言っても、無理だろ?待つって一緒にプリズンブレイク鑑賞しますか?
ドアに靴はさんでるし。声でかいし。しかも、とりあえずって?。マイケルどうしよう??
ともひさ:分かりました。コンビニ行っておろしておきます。
数時間後、昌男から連絡
俺:「かくかくじかじか」
昌男:大丈夫、もう少ししたら実家が売れるから。
数日後、家に帰ると後ろ姿で分かる母の泣いているのが。
俺:どうした?
母:・・・・
振り向く母・・・・・・・・・・ドヒャー!
俺:何だよそれ?
母:お金が足りないから、もうひとつパートする(スナック)
俺:いくら?
母:10万
( ;∀;)・・・何で皆10万?
(T_T)・・・母よ〜母よ〜感謝してます♪ しらずぅ〜しらずぅ〜歩いてきた♪
★バカでアホでどうしようもない俺。この時は、どうしても母親に幸せになってほしかっただけ★
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>98歳のおばあちゃんが家でしていること 歳をとるという現実
この記事にある映像作品のタイトルは「ジャンク・メール」。
ジャンク・メールとは、たいていのダイレクトメールやチラシ配達員によって投函される迷惑な郵便物のこと。
介護施設では、仲間と楽しそうに過ごしているおばあちゃんが家に帰ると、ジャンク・メールをちぎっては捨てている。
とくに意味のない作業だが、そうしないと孤独に耐えられないからだ。そうやってかろうじて自分を保っている。
はたから見れば一般の孤独という人よりは仲間に恵まれているように見えるだろう。
実際にそうだと思うが、本人の孤独感は本人の感じ方による。
>映像の中で出てくる言葉「because still alive(だって、まだ生きているから)」が胸を打ちます。誰もが日々に追われ、忙しい毎日を送っています。それでも、大切な人に会いにいくこと、その重要さに改めて気づくのではないでしょうか。<
記事の最後はこのようにしめくくられている。胸を打たれるのはたしかだが、私ならこう書くだろう。
”映像の中で出てくる言葉「because still alive(だって、まだ生きているから)」が胸を打ちます。誰もが日々に追われ、忙しい毎日を送っています。それだからこそ、一人あること、その重要さに改めて気づくのではないでしょうか。”
孤独死がかわいそうだという見方が皮相的で偏っているということは以前に書いた。これも同じで、一人あることを学ぶこと、それこそがもっとも重要なことだ。一人で生きるのがいいわけではない。一人”で”いいのではなく、一人”でも”いい。
子どものころから誰も教えてくれず、学ぼうとしないもの。これが一人ある技術だ。
友だちをたくさん作りましょうということは言われても、一人でいることを味わいましょうとは言われない。
そもそも、一人あることが豊かであるということが思いつきもされていない。「いや、俺は一人が好きだよ。」と言う人も、その内実は人間関係のストレスの気晴らしに読書したり、音楽を聴いたり、何かをすることで時間をつぶしているに過ぎない。何もせずに座っていられるだろうか。そんな無意味なことはできないし、耐えられないというのであれば、一度も一人であったためしなどない。
一人ある状態とは瞑想の状態と同じで、言い方を変えているにすぎない。今、この瞬間を批判もせずにただ味わっている。退屈は、今、この瞬間から逃れようとするときに起こる感情である。
一人あることができずに他者を求めるとすれば、それは他者を利用しているだけではないだろうか。
寂しい者同士が会っても寂しさは埋まらない。宴の後の寂しさというように、紛らわされただけでいつまでも寂しさは残る。一人でいられない者は、他者ともいられないのではないか。一人を味わえる者は他者をも味わえる。味わうという能力に自分と他者といった違いはないから。
一生で学ぶべきは一人あることだけだと私は思う。一人あることはとてつもなく豊かであり、aloneの語源がall oneであるように、欠けたるもののない一がある。
「人間はそんなに強くないから。」という反論が必ずあるもので、しかし一人あることは強さでも何でもない。
強さ弱さを言う人は、すでに述べたように、一人あることが豊かであることを夢にも信じられないからである。
人は一人では生きられないという。たしかに物質面では互いが依存して生きている。コンビニがなければ不便だし、電車がなくても困る。自分では電車は動かせない。しかし、そのことと一人あることとを混同してはならない。
某政党の人が戸別訪問でやってきた。ドアを開けずに「どちらさま?」と聞いたら、街頭で聞かされるステレオタイプの政党の主張を述べている。面倒なのでポストにチラシを投函するように言うと、しばらくしてまたインターホンが鳴る。「ポストはどこですか?」。ポストが隠れているわけではない。しかし、その程度の視野狭窄なら、主張も同程度に視野狭窄。自分の言葉で語らずに、他者の主張をオウムのように鵜呑みにしてしゃべっているだけ。これもまた、一人あることのでできないことを証明している。
ドアを開けてチラシを受け取り、しばらくちぎっては捨ててをやってみた。主義はいらない。