JUGEMテーマ:新宿
大阪メトロ中央線の夢洲(C09)延伸区間の事業が認可されました。夢洲は万博やIR(カジノ)だけでなく高層ビルも気になります。(ぉぃ)
そんなわけで今日は東京都庁の南展望台に置いてある「都庁おもいでピアノ」を紹介します🎹。
東京都庁は東京都の行政の中心であり都知事や都議会の本拠地でもありますが、その都庁は丹下健三がデザインした2棟の個性的なデザインの高層ビルを中心に構成されていて、一般的にはツインタワー型の第1本庁舎が都庁と呼ばれることが多いです。
その都庁の中でも人気があるのが第1庁舎の南北それぞれの45階(高さ202m)に階ある(ただし北展望室は2023(令和5)年8月現在コロナワクチン接種会場になっているため展望室としての開放は行っていません)展望室で、展望室内からは東京都心や首都圏を一望できるほか(冬の晴れた日は富士山🗻も見えます)、軽食やお土産店もあります。1階からエレベーターで1分足らずで45階に到着します。ほかにも都庁1階には東京都(島部含む)や東京以外の46道府県の観光パンフレットコーナーや都内62特別区市町村の特産品販売コーナーもあり、2階には2021(令和3)年開催の東京オリンピック・パラリンピック(2020)の展示コーナーもあります。展望台は年末年始以外なら都庁閉庁日の土日祝日も開設しています。
東京都庁は都営大江戸線都庁前駅(E28)駅のすぐそばですが、JR線や小田急線や京王線の新宿駅(SJK・JY17・JA11・JS20・JC05・JB10・M08・S01・E27・OH01・KO01)や東京メトロ丸の内線の西新宿駅(M07)も最寄り駅です。
その都庁南展望台には個性的なデザインのストリートピアノである「都庁おもいでピアノ」が設置されていて都庁の新名物になっています。
草間彌生さんがデザインした個性的なデザインのグランドピアノはフォトスポットであるほか、午前の10時から12時までと午後の14時から16時までの間は1人5分まで実際に弾くことができます。
2019(平成31)年に設置を開始しましたが、その後新型コロナ2019感染症流行による緊急事態宣言実施や展望室のワクチン接種会場化で利用休止が続き、2022(令和4)年9月から一般演奏利用を再開しました。
黄色に黒ドットをあしらった奇抜なデザインのピアノは弾かなくても撮るだけで楽しめます。
海外では駅や空港にピアノが置いてあるのが当たり前であり、これを参考にして設置したそうです。ピアノ本体は都民から寄贈されたものです。都庁おもいでピアノの設置がその後全国各地の公共施設に設置されたストリートピアノが人気を集める先駆けになりました。
個性的な色のピアノは都民から外国人まで注目されてそうです。
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【作詞:石坂まさを 作曲:石坂まさを 歌手:藤圭子】
【写真−1 作家五木寛之は藤圭子の歌を怨歌と評した】
藤圭子といえば暗い情念を感じさせる『夢は夜ひらく』をすぐに思い出すが、この曲はデビュー曲の『新宿の女』に続く1970(昭和45)年に発売した三枚目のシングル曲で、ご当地ソングとしては新宿の地名が入っているこの曲を取り上げたい。
藤圭子、この時18歳で、写真−1のギターを抱えたレコードジャケットからは今のアイドルと変わらない顔立ちながら、歌の醸し出す背景とドスの効いた歌唱が、当時興隆していた全共闘運動と時代的には何故か合っていた。
【写真−2 右に見える歌碑のデザインはずいぶん地味に見える】
藤圭子は1951(昭和26)年に生まれ、その生い立ちは恵まれたものではないが、歌の歌碑が新宿区内に二つ建てられていて、写真−2は最初に建てられた『新宿の女』の歌碑で、西向天神社(にしむきてんじんじゃ)境内にある。
同神社に建てられたのは『新宿の女』を発売した時、ここで作詞作曲者の石坂まさを(当時28歳)と共にヒット祈願をした縁からで、歌碑には1969(昭和44)年9月25日に二人がここで祈願したとの内容が記されている。
同神社は歌舞伎町近くの真東に位置し、雑踏な街並みの中に石段と木の生い繁る環境を持つが、江戸城を築いた太田道灌に山吹の花を差し出した故事に伝わる少女『紅皿』が、太田道灌死後に尼になってこの地に住み没したという謂れを書いた板碑と墓が同神社内に建つ寺にある。
『新宿の女』の歌碑は1999(平成11)に建てられたが、写真−2で分るようにこどもの遊ぶブランコ近くに建てられているのは、『新宿の女』で世に出るまで幼少時から恵まれずに育った藤圭子を慰めるような感じがしないでもない。
もう一つの歌碑は花園神社境内にあり、こちらの歌碑は『圭子の夢は夜ひらく』の歌詞が刻まれているが、建立年は『新宿の女』と同じ年の1999(平成11)年で、『新宿の女』より数ヶ月後であった。
【写真−3 昔の足を踏み込むには躊躇われた時代が懐かしい】
藤圭子は夜の世界に生きる人間の心情を歌っているが、写真−3の『新宿ゴールデン街』は新宿の歓楽街の中では異質な一角で、小生のヨット仲間がこの地で店を経営していたこともあり日本にいた時は度々顔を出し、時には店で夜を明かしそのままヨットハーバーまで行くこともあった。
ゴールデン街に沿って今は『四季の路』と名付けられた細長い緑に囲まれた遊歩道があって、ここは(昭和45)年に廃線となったかつての都電の引き込み線跡で、都電の走っていた頃はいかがわしい一帯で、普通の人には足を運ぶ場所ではなく、新宿駅前からは都心方面に11系統と12系統の二路線が走っていた。
11系統は半蔵門−桜田門−日比谷−銀座四丁目−勝鬨橋などを経由して月島八丁目まで行った8.6キロの路線で、12系統は四谷−九段下−須田町−浅草橋などを経由して両国駅まで行った9.5キロの路線で、都電全盛時には都内を縦横無尽に走っていたのが分かる。
ゴールデン街の店で思い出すといえば、俳優の『たこ八郎』が友人の店の片隅で顔を項垂れて静かに座っていたことで、そういったことが何度か見かけたある日、たこ八郎は真鶴の海で溺死という突然のニュースを知って驚いたが、享年44であった。
【写真−4 桜だけではなく珍しい樹も苑内にはたくさんある】
新宿といえば『新宿御苑』で、広さは58.3ヘクタール、明治神宮の敷地の四分の一くらいの面積だが新宿御苑は旧大名家の下屋敷跡で後に皇室所有となり、明治神宮は明治天皇没後に荒野に造られ植えた樹々が今や自然林のようになって都会では珍しい風景を作っているが、東京の今に残る広大な緑の土地は皇室財産であったために生き残ったともいえる。
日本へ桜を観に行く時は上野公園、不忍池、谷中墓地、墨田公園、そしてこの新宿御苑は必ず観て廻ることにしているが、新宿御苑は宴会禁止で写真−4の様な広大な芝庭があるので都心でもこんなに広い空があるのかと感じられ、コロナ禍前までの花見の時期は日本人より外国人が年々増えていると感じた場所であった。
【写真−5 右側にはチョッと危険そうなガードがあって東口へ抜けられる】
写真−2から写真−4までは新宿駅の東側になるが、写真−5は反対側の西口の線路沿いにある飲み屋街で看板には『思い出横丁』などと書かれているが、かつては線路の擁壁に向かって酔っ払いが立ち小便をするので『ションベン横丁』といっていた。
この横丁で飲んだりした記憶はないが、ここには『鯨カツ』を食べさせる店が何軒かあって、当時はまだ鯨の肉は安い肉で、鯨カツと味噌汁、お新香、丼飯の定食をちょくちょく食べたが、先年、日本へ行った時にまだその店はあるかと探したが、横丁の中は小奇麗になっていて驚いたが目当ての店は見つけられなかった。
【写真−6 直下型地震が都内であったらこれら高層ビルは大丈夫だろうか】
写真−6は高層ビルの立ち並ぶ新宿副都心の様子で、左端中ほどの茶色いビルは新宿プリンスホテルで東京都庁や他の高層ビルも良く見えるし、緑地は新宿御苑、明治神宮、遠くには皇居も見え、この緑がなかったら東京は息苦しい過密都市の誹りを受けざるを得ない。
新宿副都心の元の敷地は『淀橋浄水場』で、淀橋浄水場は1960(昭和35)年に東村山浄水場が完成すると縮小され1965(昭和40)年に廃止され、100万坪を越える敷地は副都心として切り売りされて、第一号の高層ビルは地上47階の『京王プラザホテル』で1971(昭和46)年に開業した。
淀橋浄水場が閉鎖される前後に一度新宿へ行って傍まで行ったことがあって、当時の新宿駅の西口ホームは裸電球が点るような具合で、駅前には建物はあまりなく有刺鉄線越しに見た浄水場はただただ広大であったという記憶を持つが、変われば変わる風景である。
【写真−7 アメリカが独立する以前に創立した大学で歴史的建物も多い】
藤圭子の生い立ちは恵まれなかったと書いたが、歌手として売れっ子になっても私生活は恵まれなく歌手の前川清との結婚が20歳の時で、結婚生活は短くその後音楽プロデューサーと結婚し一児をもうけ、その子が今や世界的な歌手になっている『宇多田ヒカル』になる。
宇多田はアメリカで生まれ15歳となった1998(平成10)年に歌手デビューしたが、学業の方も優秀で、日本のインターナショナル・スクールを経て17歳でアメリカのアイヴィーリーグ校の一つ写真−7のニューヨークにある『コロンビア大学』に進むが、専攻を決める前に学業と音楽活動が両立出来なく1年で中退した。
宇多田ヒカルも結婚生活には恵まれなく、19歳の時に日本人カメラマンと結婚、5年後に離婚し、2014(平成26)年になってイタリア人と再婚し男児をもうけるが2018(平成30)年に離婚している。
一方、母親の藤圭子だが1979(昭和54)年に引退を表明して芸能界から身を引き、アメリカで生活を始めヒカルを出産し、音楽活動も再開したが既に音楽の面よりアメリカの空港でギャンブルに使うための資金49万ドルという現金を所持していたために摘発されたといったニュースもあり、ギャンブル依存症が指摘されている。
2013(平成25)年8月22日、同人は6年前から30代男性と西新宿にあるマンション13階の部屋で同居していて、その部屋のベランダから飛び降り同日午前7時2分に死亡が確認されたが、飛び降りた状況から事件性はなく、稀代の歌姫と称えられた藤圭子はデビュー曲の『新宿の女』の歌詞に読まれたような62歳の生涯を閉じた。
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JUGEMテーマ:新宿
衆参補選再選挙(北海道・長野・広島)は野党全勝でした。広島再選挙で政治とカネ問題があったとはいえども自民党惜敗は残念でしたが、広島再選挙で当選した野党の女性新人には与野党の垣根を越えて腐敗した政治の立て直しや子育てしやすく女性が活躍しやすい社会づくりやコロナ対策強化やSDGs実現などに全集中してほしいです。(ぉぃ)
ちなみに…その野党女性新人のイメージカラーは赤でしたが、赤は広島県には紅葉の名所が多い・プロ野球広島カープの球団カラー・世界遺産の宮島厳島神社の鳥居・JR西日本の227系電車の車体色・広島バスの車体色・広電の路面電車の広島駅〜宮島系統のラインカラーなどと広島県民に身近な色かつ女性芸能人には赤い服を勝負服にしてそれで勝てている人が多い(美空ひばり・小林幸子・前田敦子・小嶋陽菜・百田夏菜子・LiSAなど(私が大好きな谷尻萌ちゃん&原愛梨ちゃんもある意味そう?))から赤で勝とうとする戦略も感じています。
今や貴重になった国鉄型のJR九州415系の臨時列車が運転されたそうです。昭和の電車が令和でも現役なのはある意味すごいです。(ぉぃ)
前図書館で借りた本にはご存知世界一のターミナル駅新宿駅(SJK・JY17・JA11・JS20・JC05・JB10・M08・S01・E27・OH01・KO01)が国鉄時代にとんでもないターミナル駅になる計画だったということが書かれていました。
今回はその「大新宿駅構想」を書きます。
そもそも新宿駅はJR山手線・中央線・総武線・埼京線・湘南新宿ラインと東京メトロ丸の内線と都営新宿線・大江戸線と小田急線と京王線が乗り入れている東京を代表するターミナル駅で、少し離れた場所に西武新宿線の西武新宿駅(SS01)があります。
しかし、国鉄時代には東北新幹線新線計画や通勤高速鉄道(開発線)計画もあり、今とは比べ物にならないラスダン級の超巨大ターミナル駅にする計画だったみたいです。ちなみに…中央新幹線もリニアではなく普通の新幹線で作る計画(リニアは別に第二東海道新幹線を整備)だったみたいです。
この「大新宿駅構想」は以下のようになる予定でした。
=北部ターミナル(現在の新宿駅)=
地上3階(中央ターミナル寄り):緑地、広場
地上2階(中央ターミナル寄り):駅施設・広場(西武新宿線?)
地上1階:山手線・総武線、小田急線(特急・急行)、東口・西口駅前広場
地下1階:コンコース・パブリックスペース、小田急線(各駅停車) 、東口・西口地下広場
地下2階:丸ノ内線、京王線 、東口・西口駐車場(東急東横線?)
地下3階:大江戸線
=中央ターミナル(現在の南口北側から新南口付近)=
地上3階:緑地、広場(北部ターミナルから連続)
地上2階:橋上駅本屋、広場・駐車場
地上1階:中央線・常磐開発線(埼京線・湘南新宿ライン)
地下1階:コンコース、東側に駅前広場(高島屋)
地下2階:新幹線コンコース
地下3階:東北・北海道・山形・秋田・上越・北陸(長野経由)・東海道・山陽新幹線新線(中央・成田新幹線?)
地下4階:新宿線・京王新線線路(駅は西側)
地下5階:東北開発線・東海道開発線
=南部ターミナル(現在の代々木付近)=
地上2階:山手線・総武線
地上1階:コンコース・ターミナル広場
地下2階:中央開発線コンコース
地下3階:新幹線線路(北側にホーム)・副都心線線路(駅は北側の新宿三丁目)
地下4階:大江戸線
地下5階:中央開発線・総武開発線(京葉線)
このように新宿駅は3つのターミナルに分ける予定で、北部(現在の新宿駅)と中央(現在の新宿駅新南口〜代々木付近)と南部(現在の代々木駅(JY18・JB11・E26))の3つになる計画でした。もし完成したら世界でも例を見ない巨大駅になっていたと思います。
国鉄時代(1970年代)には5方面路線(東海道・横須賀、中央、東北(宇都宮)・高崎、常磐、総武)に並行して通勤高速鉄道(別名開発線、新幹線サイズの標準軌案と在来線サイズの狭軌案があった)を整備して混雑緩和と沿線開発を目指す計画もありましたが、同計画はオイルショックや国鉄の経営難で頓挫しました。しかし同計画が形を変えて埼京線や京葉線やつくばエクスプレスや相鉄・JR直通線として実現しています。
また、大江戸線(12号線)の計画は現在とは異なり、都庁前から新宿西口〜東新宿〜清澄白河と経由し代々木から南新宿付近を経由して都庁前で先ほどの路線と十字にクロスしてから光が丘に向かい、都庁前からは世田谷方面に向かう計画だったそうです。
鉄道ネタは奥深く、探し甲斐があります。これからも見つけるのでご期待ください!
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水曜日、四ツ谷へ向かう途中のランチ、長年のフェイバリットスポット(笑)、「curry shop C&C 新宿本店」へ。
お昼時、並ぶ事を覚悟してましたが、あっさりと入店。
そうそう、何年前からでしたか、入店時に頂いていたクーポンが廃止となり、アプリ対応となりましたね。
なんだかメンドクサソウに思っていて、アプリも無視していましたが、隣のお客さんがアプリを利用していたり、
そのアプリのポイントを使っているお客さんがいたり…。
それを眺めていた、お客さんもアプリの事を店員さんに質問していたり…。
という事で、今更ながらに帰宅後にアプリをインストール(笑)。
このスマホアプリ、「Zeetle」って、便利そうですね!
お店とかやってたら、利用するだろうなぁ…とか妄想。
次回から使用してみますか。
C&Cさんのポイントは
3ポイントでトッピングコロッケ
5ポイントでトッピングハンバーグ
10ポイントでポークカレー1食サービス
だそうですので、普段はトッピングをしないので、10ポイント目指しますかな。
C&Cさん。
18歳の上京時に通りかかったときの事をいつもカレーを頂きながら思い出してマス。
立ち食い蕎麦しか知らなかった当時、
『東京では、カレーを立ち食いしてる〜!』
という衝撃(笑)。
同様に、イマサさんだったか…京王線の地下の他のカレーショップさんにも
友人とよく訪れてましたが、その当時からC&Cさん一筋で、30年以上…。
都内あちこちの本格スパイスカレーも好きですが、
何故かC&Cさんが大好きで、京王線の駅でみかけると、
○○ホイホイのように…引き寄せられていってしまいます…。
これは立ち食い蕎麦の鰹節の匂いにも通じてますが。
さて…。
そのままJRの西口改札(←名称も変わってるのですね)へ行ってみて、びっくり。
「東西自由通路」が2020年の7月から使用開始というニュースは聞いていたものの、
実際の利用はこの日が初めてで。
そうか…。昨年の緊急事態宣言やら何やらで都内へ赴くことも減り、
小田急との乗り換え時もこちらを使用していなかったので、工事中は通っていたものの、
完成してから半年程の利用となりました。
で、今までの方向感覚から中央線へストレートでたどり着けず、
内心で苦笑…。
あの猥雑とした広い改札も、もう思い出ですが、便利になりますね〜。
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JUGEMテーマ:新宿
一昨日、久々に所用で新宿に行ったらば、、、
なんと東口のYAMADA電機がなくなっていました(T . T)
これもきっと、、、コロナの影響でしょう。
ボクは新宿に長く住んでいたし、今も電車なら1駅、徒歩なら15分のところに住んでいるし、こんな「コロナ禍」になる前はほぼ毎週新宿で過ごしていました。
そんな新宿っ子のボクの「新宿ルーティーン」の1つが「YAMADA電機」でした。
ちなみにその他は
・紀伊国屋書店
・東急ハンズ
・ニトリ
・新宿バルト9・ピカデリー・TOHO
・ヨドバシカメラ
・ビックロ
・たまに伊勢丹
などがいつものルーティーンです。
特に書店と家電量販店が好きなんですが、まさかの「YAMADA電機」閉店。
クソ〜〜〜コロナめ〜〜〜!(違う理由かもしれないけども)
大小関わらず、あちこちのお店が閉店しています。
時代に対応していかないとキツいですね💦
当店はやっと1年経ったばかりですが、この先もしっかり生き残れるように
「指先から想いを伝え」て満足して帰っていただくように精進します!!
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新宿御苑へ行った記憶をたどると、小学生の頃遠足で行ったような気もするが全く覚えていず、高校生になって行ったことは覚えているが、何のために行ったのか記憶にないものの、桜の季節ではなかったのは確かである。
【写真−1 撮影年月日 2017年4月10日】
近年になって桜を観に日本へ行った時は必ず新宿御苑に足を運ぶようになったが、年々その時期に御苑へ訪れる人は多くなり、特に中国など東南アジアからの観光客が爆発的に増えて、苑内で聞こえる言葉は外国語が多い。
写真−1は両側に桜が枝を伸ばした芝生地で、苑内で花見をするには一番の場所になり、花の下でシートを敷いて静かに花を愛でる人も多いが、こういったグループはほとんどが日本人で、外国人観光客は時間に追われて、花の下で写真を撮るのに大忙し。
都会にある公園らしく、樹々の先には大小のビルの姿が無粋に顔を出すが、東京の中心にこのような空間があるのは貴重な財産で、新宿御苑の前身は江戸期の大名高遠藩の中屋敷で、これはその−(5)で触れた駒込の『六義園』と同じ成り立ち。
高遠藩は長野県中部東の現在の伊那市に含まれ、保科家から始まり、鳥居、内藤家と変遷するが何れも幕府に近い譜代大名で、内藤家は3万3千石で8代続き、大政奉還を迎えた。
明治になって高遠町になるが、2006年になって伊那市と合併して高遠町は消えたが、旧高遠城は『日本さくら名所100選』の一つに選ばれ、ここだけに咲く『コヒガンザクラ』1500本の群生は見事で、いつか訪れたいと思っている。
この高遠藩内藤家に因んで、その昔は江戸四宿の一つになる内藤新宿が開かれ、現在の新宿1丁目から3丁目に至るが、現在も内藤町というのが残り、その町域は新宿御苑と隣接する都立新宿高校が主で、世帯数は800に満たない。
新宿御苑は大名の中屋敷から宮内省の管轄になり、戦後は一般に開放され現在は環境省下にあり、その面積は58.3ヘクタール、日比谷公園が約16ヘクタールで3倍以上あり、面積が広い分新宿御苑は変化に富んでいる。
新宿御苑には様々な植物が植えられているがその数1万本で、桜は65種、1300本あり、丹念に見ると桜の花の色の違う樹が並べて植えられていて、その違いに自然の妙を感じさせてくれる。
【写真−2 花見も上だけではなく下を見るのも面白い】
桜は俳句では季節季節を詠まれた季語がたくさんあって、満開時は勿論、写真−2のように花弁が散った様子を『散り桜』などと表現していて、この後は葉桜を詠んでその奥は深い。
写真−2も新宿御苑内で撮っているが、黒々とした幹とこげ茶色の地面一面に降り積もった花弁の白さの対比が面白く、こういった場所に足を踏み入れるのを憚れるほどである。
新宿御苑の桜で思い出すのは毎年苑内で開催される総理大臣主催の『桜を観る会』で、これを選挙運動に利用していると問題になっているのが安倍自民党で、安倍自民党の犯罪性が明らかになっている。
この問題が起きた時、税金で選挙運動していると誰しも思い、普通であったら内閣など吹っ飛んでいるが、日本の自浄作用は相変わらず薄く、安倍自民党は悠々と逃げ切っていて、これが問題にならない日本は確かにおかしくなっている。
この桜を見る会でオヤッと思ったのは安倍を囲んでの記念写真で、有象無象の芸能人と称する連中が着飾って大勢写っていることで、こういった連中は会社にいわれて参加したのだろうが、芸能人のその助平心は馬鹿丸出しで、これが問題にならないのは安倍が芸能界を掌握している為であろう。
おりしも検察官の定年延長を巡って反対をSNSで表明する芸能人に対して罵詈雑言、正義面をする連中は多く、この連中は安倍の桜を観る会にホイホイと行った芸能人に対しては無言で、この連中、どうも安倍自民党が使嗾しているSNS謀略隊ではないかと勘ぐってしまう。
と書いている内に、渦中の検察組織ナンバー2の検事長が賭け麻雀をやっていることがバレて辞表を出す羽目になったが、安倍としては厄介払いが出来たと思っているのではないか。
この人物マスコミからマークされているのを分かっていて新聞記者と麻雀をするなど、どうも雲行き妖しい安倍の延命を図る自らが仕組んだいわば『自爆』のような気がする。
こうなっても、安倍はいつもの様に責任を感じると言って逃げて、定年延長問題を推し進めると言及しているが、検察官は退官後に弁護士など将来は安泰なので、サッサと後任に席を譲るべきで、どこの世界でも年寄りがいつまでも居続けるのは害あるのみである。
【新宿の副都心は淀橋浄水場跡】
【写真−3 新宿は甲州街道の起点で昭和の30年代は田舎田舎した場所であった】
中学生の頃、同級生と相模湖へ釣りに行く約束をして、新宿駅のホームで待ち合わせたことがあり、当時の新宿駅のホームは今と違って、薄暗い裸電球が点っていた記憶があり、西口などビルは少しあったようだが、彼方まで見通しが良かった。
見通しが良かったのは西口に広大な『淀橋浄水場』があったためで、この浄水場は1965(昭和40)年に廃止され、その跡地は副都心として超高層ビルが林立する地域となった。
浄水場が廃止される少し前であったか、そこまで行った記憶があり有刺鉄線越しに静まり返った浄水場施設を眺めたが、この跡地が現在のようになるとは想像も出来なかった。
200mを超える超高層ビルがいくつも建つ副都心に最初に竣工したのは『京王プラザホテル』で、47階、当時としては度肝を抜く超高層ホテルで1971年に開業し、その後35階の別棟を増築している。
1974年に55階の新宿三井ビルが竣工しているが、このビルに政府系の機関が入っていて、30数階にあった事務所を訪ねたことがあり、窓から見下ろすと目の回る様な感じがした。
六本木の元防衛庁跡地に造られたミッド・タウンに知人の会社があり、そこの高層階から下を見ると下界を睥睨する感じで、これは優越感を覚えるなと思ったが、地震大国の日本において高層階で仕事をしたり住むなど正気の沙汰ではない。
写真−3は新宿駅西口から副都心方向を写したが、中央にある先の反り返った変わった形状のビルは『コクーン・タワー』といい、生命保険会社の跡地に建てそれほど高いビルに見えないが、50階、203mある立派な超高層ビルである。
このビルは『バブルの塔』といわれる新東京都庁を設計した丹下事務所で、2008年竣工、丹下健三は2005年に亡くなっているからその後の完成になるが丹下事務所は息子が引き継いでいて、親の名前で商売は盤石。
施主は大学や専門学校を傘下にする学校法人になり、これだけのビルを自前で建てられるなど学校ビジネスは儲かる証左だが、ビルそのものは工法も独特で傍を通るとどうやって造ったかのかとまじまじと見てしまう。
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まいど!こんばんは^^
今日はいつもの新宿ではなく五反田へ。
と言いつつ、夜の散歩は新宿です。
モア4番街、こんな綺麗じゃったかー!としばし鑑賞。
微妙にグラデーションしてたり
パラパラしてたり
夜も彩りが楽しい、パレットの様な街。
さて、この街での展覧会もあと1ヶ月くらいです。
追い込みするっちゃね。
遊びに来てね。お鍋も買ったからありますよ。
こたつ布団は相変わらずありません。
Nya
JUGEMテーマ:新宿
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まいど!こんばんは^^
今日はいつもの新宿ではなく五反田へ。
と言いつつ、夜の散歩は新宿です。
モア4番街、こんな綺麗じゃったかー!としばし鑑賞。
微妙にグラデーションしてたり
パラパラしてたり
夜も彩りが楽しい、パレットの様な街。
さて、この街での展覧会もあと1ヶ月くらいです。
追い込みするっちゃね。
遊びに来てね。お鍋も買ったからありますよ。
こたつ布団は相変わらずありません。
Nya
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お台場エリアのゆりかもめの駅名が一部変更になります!豊洲市場会場でゆりかもめもどんどん盛り上がってきますね。(ぉぃ)
NMB48の新曲発売!センターは白間美瑠(みるるん)です!山本彩(さや姉)卒業後初シングルですがNMB48はこれからもがんばってほしいです。(ぉぃ)
今回は東京都新宿区四谷にある「四谷怪談」ゆかりの地で有名なお岩稲荷(田宮神社・陽雲寺)の写真を公開します。
「四谷怪談」は元禄時代を舞台にした創作会談で、200年近くにわたってバリエーションを変えながら続いています。
舞台は現在の東京都豊島区雑司ヶ谷あたりですが、作品の舞台と言われているお岩稲荷は新宿区四谷にあります。
お岩稲荷は田宮神社と陽雲寺があり、道路をはさんで両側に向き合って立地されています。
田宮神社は明治時代の火災で1回焼失されその後中央区新川に移転し再興されましたが、こちらも戦災被害を受け元の場所で復活しました。
陽雲寺は昭和初期に設立された日蓮宗寺院で、境内にはお岩様ゆかりの井戸もあります。また、境内にある秦山木の下には「お岩様縁の祠」があったそうです。
お岩稲荷が複数あるのは御賽銭やお土産などで単純に儲かるからだといわれています。明治時代にはもう1つお岩稲荷を作ろうとしたこともあったそうです。
「四谷怪談」は怖い話で有名だってこともあり、恐ろしい願い事をする人も来るみたいですが、みなさんはちゃんとした願い事のために来てほしいです。
最寄り駅はJR中央線&総武線と東京メトロ丸ノ内線&南北線の四ツ谷駅(JC04・JB14・M12・N08)と丸ノ内線四谷三丁目駅(M11)で、近くには社会現象的大ヒットを果たしたアニメ映画「君の名は。」の聖地で有名な須賀神社もあります。皆さんも四ツ谷来てください。
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今年も残り5時間になりました。平成30年間は大変なことも多い年でした。平成もあと4か月ですが、次の時代こそいい時代になってほしいですね。
今日は靖国神社と明治神宮だけでなく、四ツ谷にあるアニメ映画「君の名は。」の聖地須賀神社と「四谷怪談」の舞台お岩稲荷(田宮神社・陽雲寺)にも行きました。四ツ谷よかったです。(ぉぃ)
平成最後のレコード大賞は乃木坂46が2回連続受賞!乃木坂の受賞には賛否両論ありますが今年1年間のがんばりが成果になったと思います。AKB48や欅坂46やDA PAMPや米津玄師やMISIAもよくがんばりました。(ぉぃ)
そんなわけで今年最後のブログは、四ツ谷の須賀神社の写真です。
須賀神社は東京都新宿区四谷にある神社で、四ツ谷の総鎮守として江戸時代から親しまれています。
この神社が有名になったのは、社会現象になったアニメ映画「君の名は。」に名物の階段をモデルにしたシーンが登場し、これで世界中から「聖地巡礼」として多くの人が来るようになりました。
聖地以外にも、6月の恒例大祭は江戸の五大祭りとしても有名であった由緒正しき祭りであり、多くの人が訪れます。初詣や七五三詣り(振袖の着物を着た7才女児と羽織と袴の着物を着た5才男児と被布の着物を着た3才(主に女児)が対象)も人気です。
最寄り駅はJR中央線&総武線と東京メトロ丸ノ内線&南北線の四ツ谷駅(JC04・JB14・M12・N08)と丸ノ内線四谷三丁目駅(M11)で、近くには「四谷怪談」のお岩稲荷(田宮神社と陽雲寺)もあるので一緒に行くのもおすすめです。皆さんも素晴らしい聖地に来てください。
今年1年間このブログをありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。
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