日本の外務省で扱う海外に居る日本人への援護件数は、2016年度で1万8千件を超え、この10年で過去最多を記録し、国別では在フィリピン日本大使館が890件となり、1048件のタイに続いて2位になった。
【波の泡よりも軽い日本人がフィリピンには多い】
この援護件数というのは海外旅行中に居所が分からないから調べてくれという軽微なものから、現地で殺害される、強盗に遭ったなど凶悪犯罪も一緒くたになっている。
この中で日本人が殺されるのはフィリピンが多く、2桁に迫るような年もあったが、最近は少ない傾向になっているものの、保険金狙いの手口という事件は相変わらず発生している。
フィリピンの日本人絡みの事件で多いのは、深夜の道を歩いていて強盗や引ったくりに所持金や貴重品、バッグを奪われたなどが連日のようにあって、日本人はこの手の犯罪者の『カモ』になっている。
その多くは本人の無防備、不注意から起きていて、深夜に道を歩くことなどフィリピン人でも警戒するのに、日本人は日本の深夜のコンビニでも行くような感覚で歩くから事件に遭うことが多い。
以上は被害者になる日本人だが、逆に加害者、犯罪者になる日本人も少なくなく、最近立て続けに日本人が捕まる事件が起きた。最初の事件は7月16日、首都圏マカティ市の両替所にドルを持ち込んだ27歳の男が、両替所で偽ドルと見破られて通報され逮捕された。
この日本人は泊まっていたホテルで何者かにドル札を安く買わないかと持ちかけられ、100ドル札10枚を購入。いくらで買ったかは不明だが、半値くらいなら誰でも手を出しそうな美味しい話で、それがまたミソになる。
フィリピンは第2の通貨といわれるくらい、アメリカ在住の身内からドルが送金されていて、安くドルが買える話などいくら何でもありのフィリピンでもあり得ず、普通の頭を持っているなら、話を持ちかけた人間が街中にいくらでもある両替所で直接換金すれば良いと思うが、そこは騙す側が巧かったのであろう。
両替所には必ず偽ドルを判断する判別機が置いてあって、この判別機はスーパーで売っているような品物だが効果はあるらしく、それだけドルの偽札が多い国にもなるのであろう。
この事件にはおまけがあって、逮捕された27歳の友人と思われる48歳の日本人が警察を訪れ、係官に5万ペソ(約11万円)を渡してところ、賄賂が効かず逮捕されてしまった。
フィリピンでは賄賂を渡して事件を揉み消してしまうことは珍しくなく、この47歳の日本人がどういう素性の人間なのか分からないが、フィリピンでは賄賂を渡せば何とかなると思う類に属しているのは確かである。
次の事件は7月19日、セブ島であったもので、こちらは13歳の少女と同居していた71歳の日本人男が捕まった。逮捕容疑は児童虐待になるが、フィリピンは未成年者への犯罪は非常に重く、場合によっては終身刑が科せられる。
71歳の日本人が住んでいたのはセブ市と反対側の西海岸にある人口は17万人を超すトレド市で、人口は多いというもののセブ島では田舎の町の一つで、この男がどういう伝手でトレド市に住みついたか不明だが、捜索された自宅ベッドルームにたたずむ男の様子の写真が一緒に居た少女と共に地元紙に掲載された。
こういう未成年者を性の対象にフィリピンに住みつく男は珍しくなく、この間もセブ島でドイツ人が捕まっていて、これなど氷山の一角で、アメリカ、オーストラリアなど白人は特に多い。
この手の男はフィリピンに限らず、タイやカンボジア、インドネシアなどで未成年女子を狙って入り込んでいることが多く、その取締りで各国は動いているらしいが、ほとんどは野放し状態。
こういう未成年者の場合、その親も問題となるのだが、その多くは知らなかったと言い張るが、実は金目当てに男に娘を差し出している例も多く、その親も摘発されている。
71歳の老人など日本では相手にされないだろうが、日本の10分の1程度の経済格差を持つ国なら、小さな金で思うようなことができ、以前から日本では年金で暮らせないからとフィリピンに単身移住してくる日本人など、この手の犯罪予備軍といって良い。
それでも、こういう老齢の人がおとなしくフィリピンで暮らしている分には良いだろうが、どうしてもたがが外れてしまう日本人も多く、中には孤独死、自殺などもあり、後始末をさせられる関係者も迷惑この上ない。
最後の事件は7月20日、マニラ首都圏ケソン市で日本へ就労させるといって日本語を教えていた『関西トレーニング・センター』で、日本人2人を含む8人が逮捕された。
このセンターでは日本の介護士の仕事を斡旋するとして、フィリピン人を集めて日本語などを教え、日本への斡旋料として1人3万ペソを集めていたが、いつになっても仕事が紹介されず、不審に思った生徒の訴えで事件が明るみになり8人は違法就労斡旋の罪で逮捕された。
逮捕された段階では容疑者であり普通は人権は守られるが、フィリピンでは容赦なく、この日本人を含む逮捕者8人は警察で名前の書いた紙を持って写された写真が実名と共に新聞に掲載された。
この事件の背景だが、日本の慢性的な人手不足を理由に東南アジアなどから様々な名目で人材を入れているが、そのほとんどは日本人の嫌う低賃金職で使い捨て同然。
特に技術研修生などと偽って国が進める政策など国際的にも批判を浴びているが、受入数は激増中で従来の3年期間を5年に延長するなど日本はやりたい放題。それでいて日本は移民を受け入れていないと公言するが、1年以上滞在すれば移民という国際定義があることなどお構いなし。
今回摘発された違法就労だが、この手の事件はしょっちゅうあって、就労斡旋の名を借りた詐欺と見て良い。特に日本が介護やメイドで受け入れる枠を作ってからは、フィリピンに限らずヴェトナム、ラオス、カンボジアと東南アジアを中心に有象無象の一儲けしようとする人間が増えた。
セブにも日本へ人を送る事業を起こす者が多く、中には真摯に取り組んでいる人もあるが、大多数は日本の福祉事業に寄与するなど綺麗ごとを言いながら一儲けを企んでいる日本人が多い。
今回の摘発されたセンターも日本で『キャリーアップ』という日本の親会社があって、報道によるとセブにも関係する会社があり、このセブの会社はかつてフィリピン人2世を『新日系人』と呼んでNPOを作り支援活動をしていた日本人が関係していた。
この日系人支援も結局は日本への就職斡旋で儲けるために作られたとの話もあり、かつてセブ日本人会長を務めた人物ながら『晩節を汚した』とまで批判されている。
フィリピン人が貧困から抜け出すために日本へ出稼ぎに行くのはかつて水商売用では『じゃぱゆき』が主流であったが、これがゆくゆくは介護に変わりそうだが、フィリピン人を食い物にしている点では構造は全く同じである。
【選挙となると国政自治体議員首長のポスターが入り乱れて張られる】
買収や供応が当たり前のフィリピン選挙では、選挙のある年はGDP(国民総生産)をかなり押し上げていて、これを『選挙特需』というが、確かに選挙期間中の飲食店は普段見せない顔でかなり賑わう。
フィリピンの国政議会の定員は上院が24人、下院は297人、その選出方法は上院が全国区で3年ごとに半数を改選し、任期は6年。下院は地方区選出が238人、政党リストによる選出が59人で任期は3年となっている。
なお、連続して上院が2期12年、下院は3期9年と憲法で明記されているが、1期休めば再立候補は可能な有名無実の規定となっていて、このため延々と議員職や首長職を続けられる。
前回選挙では6年任期、再選は禁止されている大統領選が行われ、ドゥテルテが泡沫候補から地滑り的な当選となったのは記憶に新しい。
上院選は日本のかつての参議院全国区と同じ選出方法を取るが、早くも候補者に対する下馬評が飛び交い、その中で民間調査機関の『パルス・エイシア』が7月8日、候補予定者の支持率調査を発表した。
それによると、1位の支持率を得たのは、捨て子という境遇ながら、大統領選に出てアロヨを追い詰めたことのある有名俳優の養女となり、前回大統領選に立候補し惨敗しながら再選を狙うグレース・ポー上院議員の67.4%となった。こういう境遇の人はドラマがあってフィリピン人に好まれるが、ただそれだけの人という辛い評価もある
2位は新興ビジネス街のマニラ首都圏ダギッグ市を一族で牛耳る、ピア・カエタノが1期下院議員職を務めて返り咲きを狙い55.7%。弟はドゥテルテと組んで副大統領選に出たが惨敗し、その後外務長官職を得たが、姉弟で上院の議席を持っていたこともある。ただし、姉の方がはるかに頭も人物も優れている。
3位はシンシア・ヴィリヤール(現)の50.1%。ヴィリヤールは安価な住宅開発販売で成功した不動産王で、ドゥテルテが出馬するまでは当選する勢いでありながら惨敗した上院議員の妻で、その夫の後釜に立ち当選した。
4位はドゥテルテの長女でダヴァオ市長職を長年親子で独占するサラ・ドゥテルテの46.2%。フィリピンの上院議員選は芸能界並みの人気投票なので親の名前で、サラは立候補すれば当選濃厚。本人は中央政界に出る気はないといっているが、親のドゥテルテも大統領選に出ないといって散々マスコミを煽って出馬したから、それを見習う焼き直し作戦といわれている。
5位はエドガルド・アンガラ(現)の41.9%。この人物は父親が著名な法律事務所を持つ弁護士で、上院議員職を長く務めたが引退。その後を引き継いでその親の名で前回は当選したが能力は並み。
6位は3年置いて返り咲きを狙うジンゴイ・エストラダの37.9%。親は汚職で終身刑を受けながら恩赦を受けたエストラダ元大統領。この息子も汚職容疑で逮捕されやはり長期間、獄に繋がれたがようやく釈放された。元俳優で人気はあるが、親が親なら子も子という見本。
フィリピンの政治家は逮捕されることは珍しくなく、何しろ大統領が逮捕されてしまうくらいの酷さだが、それでも獄中から立候補して堂々当選するというお国柄。罪状は汚職がほとんどだが、現職上院議員で逮捕されて現在も拘置中のデ・リマは薬物関与で逮捕されている。
デ・リマはアキノ政権時の司法長官で、3年前の選挙で当選。反ドゥテルテとして知られるが、目の上のたんこぶと思ったドゥテルテ陣営から煙たがられたのか薬物関与で逮捕された。本人はでっち上げと主張しているが、運転手を愛人にしていたとか私生活が暴露されてボロボロ。しかし、男の議員は愛人を持っていても全く問題にされないと擁護する向きもあり、何でもありのフィリピンでは驚くことではない。
7位はドゥテルテの腰巾着として知られ、一地方でしか過ぎない元ダヴァオ警察署長からドゥテルテに引き上げられて国家警察長官に抜擢され『薬物容疑者皆殺し作戦】を指揮。長官退任後も法務省高官に取り立てられているデラ・ロサの37.7%が入った。
8位はアキリノ・ピメンテル(現)で37.7%。この人物の親は反マルコスの闘士として知られた元上院議員だが、やはり親の七光り組で、ドゥテルテ当選後はドゥテルテに引き上げられて上院議長になったが、あまりの無能力さで最近交代させられた。
9位はナンシー・ビナイ(現)の37.1%。ビナイ一族はフィリピン一のビジネス街を持つマカティ市を牛耳り、元市長のビナイは副大統領に僅差でなり、大統領職への野望は満々であったが、前回大統領選では惨敗。その代わりに妻を上院に送り込むことに成功。
10位はセルヒオ・オスメニャ(元)の36.6%。オスメニャはセブを牛耳る一族で、戦時中に選挙を経ない大統領を出したことが自慢で、セブでは泣く子も黙る一族であったが、近年はその威光も通じなくなり前回は落選。
11位はリト・ラピドの36.2%。この人物はパンパンガ州の知事をしているが、やはり俳優出身で、3年置いて返り咲きを狙っている。このようにフィリピンは元や現の俳優が政治に出る例が目立つが、芸能界も政界も同じ『界』が付くようにそのレベルは同じ。
12位はジョセフ・エヘルシト(現)の35.6%。この人物の親は元大統領のエストラダで6位のジンゴイとは異母弟。姓名が違うのは正妻の子どもではないためだが、フィリピンは妻か愛人の子どもかという区別は全く関係ない風土。
13位はパオロ・アキノ(現)の32.1%。アキノ姓で分かるように親子で大統領を生んだアキノ一族に連なるが、ただそれだけの人物でアキノ家出身者は汚職に縁が薄いというのが売り物である。
14位にアイミ―・マルコスの29.9%。マルコス姓で分かるように独裁者マルコスの長女で現在ルソン島北端のイロコス州知事を3期務める。4期目は出来ないために上院選に出るといわれているが、上院議員であった弟が前回副大統領選に出て落選し、無役のために弟が再び上院選に出るのではと見られ、去就は不明。
この辺りの順位に付けていれば当選の可能性はあるが、以下の順位で目ぼしい候補者を拾ってみると、芸能人で2人、16位に人気俳優のロビン・パディラが28.2%、28位に歌手のフレディ―・アギラが9.3%で入るが、ロビンは薬物で捕まったことがあってもフィリピン人は寛大。
18位に前回大統領選でドゥテルテに破れたマール・ロハスが27.1%で入る。ロハスは元大統領の孫、大財閥の御曹司と毛並みの良さはアキノ以上で、頭も良く政治経験も豊富だが、それが逆に嫌われて前々回アキノと組んだ副大統領選でも敗れた。かつて上院議員選ではトップ当選を果たしている。
19位にボン・レビリア(前)が入る。ボンの父親は子どもを80人以上愛人に産ませたとして知られる俳優で元上院議員。ボン自身も有名な俳優で州知事経験もあるが、汚職で捕まり3年置いて次の上院選で返り咲きを狙うも、支持率は26.7%で少々苦しい。
21位にギンゴナ・?世の23.3%。ギンゴナの父親は元副大統領で毛並みは良いが、現職で前回上院選に落選し、復活を計っている。24位に元大統領のアロヨが10.8%で入る。アロヨは汚職で逮捕されても地元の下院議員を2期続けるが、かつて上院選でトップ当選した栄光が忘れず上院選に出そうだが10%台の支持率では恥を晒すのではないか。
25位にドゥテルテの特別補佐官を務めるクリストファー・ゴー、30位に大統領補佐官のハリー・ロケ、47位に大統領府報道班補佐官のモカ・ウソンとドゥテルテの取り巻きが入るが、現段階では当選は難しく、ドゥテルテ陣営の身内で上院を固める作戦は不発気味。
最後に選挙というのは一人一票が原則だが、フィリピンの選挙は定員一杯まで選べ、即ち上院選なら12人の名前が書ける。このため12人の名前を覚えるのは大変で党派がこの通り書いてとリストを投票所前で配っていた。
しかし、今は電子投票式が取り入れられ、シートの名簿に印を付けるようになってこの面倒臭さは解消されたが、議員一人を選ぶ方式に変えないとおかしく、変えないのは12人も選んでくれるなら自分の名前を選んでくれると思う、候補者の助平根性の何物でもない。
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【この町の町長も5月に襲撃されていて暗殺される怖れを抱いている】
この麻薬撲滅政策は単純そのもので、警察力を使って容疑者を殺害する手法を使い、以来2年間で警察発表だけでも5000人近く、人権団体の調べではその3倍の15000人は殺害されたと見られている。
当然、誤認やとばっちりで麻薬など関係ない者も殺害され、それを隠蔽するために警察が証拠品を捏造するなどでっち上げが横行し、処刑ともいわれるドゥテルテの手法は法体系を完全に無視していると、内外から強い批判を浴びている。
しかしドゥテルテはどこ吹く風で殺害を進めていて、このように人間の命など屁とも思わない気質がフィリピンには底流にあって、何か問題があれば相手を消す、即ち『暗殺』することが当たり前になっている。
特に政治的暗殺は頻発し、自治体の首長や議員が何者かに襲われて殺されるなど毎日のように新聞紙面を賑わすが、不思議と犯人は捕まらず、警察や軍と関係のある者が事件に関わっていると噂されている。
7月2日午前8時10分頃、マニラ首都圏南部にあるバタンガス州タナウアン市(人口約18万人)で、同市長が市庁舎前で行われていた国旗掲揚中に狙撃され死亡する事件が発生し、同市長は左胸に1発撃たれ、病院に搬送されたが1時間後に死亡が確認された。
通常、フィリピンで発生するこの手の暗殺事件は自動車に乗っている時に、オートバイに乗った殺し屋が窓越しに拳銃を発射して殺害する例がほとんどで、同市長の暗殺は160メートル離れた草むらから銃弾が放たれていて、まるで『ゴルゴ13』のような奇怪な事件となった。
狙撃による暗殺事件として今も強く記憶に残るのは1963年11月22日、アメリカ・テキサス州ダラスであった『ケネディー暗殺事件』があり、この事件は色々怪しい点があって、いまだ真相は解明されていない。
ケネディーを狙撃した人物は教科書会社ビル6階の窓から狙撃したとなっていて、車に乗って移動中のケネディーを狙撃したが、この時のケネディーまでの距離は70〜80メートルであり、3発を撃ったとされている。
しかし、使われた銃がイタリア製の通信販売で買える代物で、いくら腕が優秀でも数秒間に動いている標的に向かって3発を撃ち、命中させることは不可能との見方もあり、こういったこともありケネディー暗殺事件の謎を呼んでいる。
フィリピンの今回の市長暗殺事件は、動いていないとはいえ160メートルの距離、しかも1発で成功しているため、狙撃犯は専門的な訓練を受けている人物で、軍あるいは警察の現役もしくは退役者ではないかと見られている。
使われた狙撃銃は発射された弾丸が発見されていないので断定されていないが、専門家筋では『スプリングフィールドM−14』もしくはその派生型で狙撃に優れた『M−21』ではないかと見られている。
ヴェトナム戦争中に使われた主力銃のM−16はこの M−14を改良したものだが、M−16及びM−14はその後フィリピンなどの友好国の軍に払い下げられた経緯があり、これらの銃はフィリピン国軍から横流しなどがされてかなりの数が国内に出回っている。
さて、暗殺された市長だが、麻薬容疑者抹殺政策にも積極的でドゥテルテの強い支持者として知られ、捕えた容疑者を市内の道路に見せしめのために歩かせたくらいだが、実は裏では麻薬に関与していると噂され、ドゥテルテも麻薬関与者として名前を挙げている。
ドゥテルテが大統領に就任してから、麻薬に関与する首長や議員などを実名で公表したことは知られるが、そのくらいフィリピンには有力者と称する人物が、麻薬に関係しているのは珍しくないが、公表されてもこういう悪党は面の皮が厚いのはどこの国でも共通で、のうのうとしているのが実態。
そのためミンダナオ島やレイテ島で市長や町長が相次いで襲撃、殺害され、どこまで本当か定かではないが、ドゥテルテの命を受けた暗殺部隊が動いたのではないかともいわれている。
ただし、暗殺を実行するのはドゥテルテの意を汲んだ組織だけではなく、麻薬シンジケートが口封じのために殺害しているという見方もあって、その辺りの事情は双方が都合の良い情報を流していて、真相は全く分からない。
セブ島でもドゥテルテから麻薬関与者と名指しされた首長がいて、この人物はセブ島最北の町の町長で町長になる前は国家警察の高級幹部というから驚かされるが、2016年選挙では7票差で当選。
この選挙では現職町長を破っているが、この現職はその前の選挙で現職を破っていて、その落選した現職が麻薬関与者と名指しされた現町長の妻で、この妻の息子は州会議員をやっていて、フィリピン中どこでもある公職の独占がこんな最北の町にも蔓延。
いくら麻薬関与者と名指しされていても、シラを切っていれば済んでしまうフィリピンだが、とうとうこのセブ島最北の町の町長にも暗殺の手が伸びた。
事件は5月にあって、この町長一行が近くの島に行った帰りに港でオートバイに乗った暗殺犯に狙われ襲撃を受け、町長は被弾はしたが命に別状なく、息子やメイド、港で荷物を運んでいた人がとばっちりで怪我をした。
この襲撃は伝統的なオートバイで接近する方法であったが、7月2日の暗殺事件では長距離からの狙撃という方法が取られ、身辺近くを武装したボディーガードで固めても効果がないことが分かり、麻薬関与者達は戦々恐々であることは間違いない。
このような襲撃事件が発生するのは、フィリピンがアメリカ並みに銃器が野放しになっていることから来ていて、麻薬、銃器とフィリピンは問題を抱え、これらが解決できるのかどうか貧困問題と同様で難しいのが現実である。
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【写真はミンダナオ島ダヴァオ市の学校で幼稚園から大学まで持つ一大企業】
このフィリピンは間にメキシコを挟んで12位の1億5百万人で、日本より国土面積は狭いからやはり人口が多いことが分かる。この1億5百万人という数字も実際は1億1千万人台に達していて、何年か後には日本はフィリピンに人口数で追い抜かされるという。
小生が初めてフィリピンに来た頃のフィリピンの人口は5000万人台であり、ここ30年で倍増してしまい、その勢いは止まっていないし、人口問題として捉えている人は少ない。
日本とフィリピンの人口の増え方を比較すると、1980年代の日本は1億2千万人台で、ここ30数年で微増といって良い5百万人で、増加率は4%を超えた程度。一方、フィリピンは同時期に6千万人増えていて、実に増加率120%となり、人口爆発の国であるのは間違いない。
ちなみに日本の増加率は4%だが、これは30数年間の増加率であって、人口を維持するには年々2%少々を超える、即ちその年の人口数×1.02であり、母数は年々増えて行くから大きな数字になって行くので、日本が人口減少で騒ぐには既に遅過ぎ、こうなることは分かっているのに何もしなかったのが現実。
人口爆発しているフィリピンは、これが『貧困』の源と認識はあるようだが、この増えた人口ながら国内の仕事は増えず、国は増えた人口を海外に輸出すれば良いと考えていて、フィリピン人の海外就労、移民は勢いが止まらずその数は全世界に1000万人を超えるという。
常々疑問に思っているが、この海外在住のフィリピン人1千万人という数は人口統計に入っているのか入っていないのか良く分からないし、その国に帰化してしまったフィリピン人は統計上どうなっているのか、と書いてもどうでも良いことか。
さて、6月4日の月曜日からフィリピンの学校は始まり、大きなニュースになった。フィリピンは3月に学年が終わり、その後は夏休みに入り6月から新学年になるが、6月4日から登校したのは公立校が中心で、私立も含めて小中学生は2300万人、高校生は400万人が在籍するという。
両方合わせて2700万人に上がるが、実に総人口の4分の1が小中高生となるから驚く数字で、同じ4分の1が65歳以上を占めてしまう日本は特異な感じがする。
日本の場合、小中学生数は1千万人を切っていて、フィリピンは日本の2倍以上だが、フィリピンは幼稚園1年が義務教育となっていて、この数も含まれると思うが、それにしても人口数が同程度ながら、小中学生数が日本の2倍も存在するフィリピンという国がいかに若い国か分かる。
教育を大切にしない国は伸びないというが、フィリピンはドゥテルテ政権になって、高等教育の無償化を実現していて、教育の無償化が口先だけの日本よりずいぶん進んでいる。もっとも、財源についてはいい加減で、この無償化がいつまで続けられるかどうかは分からない。
セブは学生の町といわれるように、教育機関が多く、特に私立学校は非常に多い。教育機関といえば聞こえは良いが、中には教育をビジネスとして投資をする例も多く、ビジネス分野では旨味があるのか、最初は小さく始めた学校が数年のうちに大きくする例も多い。
一例として小生宅の近くに或る日『カレッジ』が出現し、使われた校舎は倉庫に使われていた建物で、数年のうちに大きなビルを建てて大きくなった。もっとも、この学校あまりレベルは芳しくないようだが、学校進学熱の高いフィリピンでは通用するようだ。
この進学熱だが、フィリピンも学歴主義の国で、最低でもカレッジくらいは卒業しないとあらゆる面で不利とされているが、カレッジどころか高校、中学、小学校を満足に卒業できない人も多い。
これは学校に通うことができず働くことを余儀なくされているためで、公式統計では小学生の6歳から11歳の間で5%、即ち20人に1人は学校に通えないというから驚く。
中学生の12歳から15歳では更に数字は上がって7.7%になっていて、上に行くほど学校へ通えない子どもが多いのが、実態となっている。このためドゥテルテ政権の決めた高等教育無償化より、義務教育に通えない子どもの救済が先ではないかと指摘されているが、いつの時代でも弱者が切り捨てられるのは変わらない。
学校は始まったが、受け入れる学校の教室と教員が足りなくて、都市部の学校など午前と午後の2部制で子どもが学んでいるのが恒常化していて、在籍者数千人という小学校は珍しくなく、問題解決には程遠い。
2部制だと学ぶ時間も少ないと思うが、フィリピンの義務教育は幼稚園1年、小学校6年、中学と高校が一緒になった高校6年の計13年制と日本の小中高12年制と少々仕組みが違う。
幼稚園の義務化は最近のことであり、やはり高校6年制も最近のことで、それまではフィリピンは小中高で11年しか学べず、海外の大学に留学する時、12年が必要なので問題があった。
それを改革した訳だが、どうもこの国の教育改革というのは上の方ばかりの都合で動いているような気がするが、簡単に制度が変えられるのは国が若い証拠ともいえよう。
日本のように変えられない制度が岩盤のように横たわる国は、『少子高齢』をアレヨアレヨという間に招いたことと関係があるようだ。
【写真−1 アメリカ軍の空爆に耐えたダウンタウンにある戦前からの本部校舎】
しかし、現在17学部87学科を擁し、在籍者数は7万5千人弱、日大卒は114万人に上がるというから、日本の人口の100人に1人は日大卒という勘定で、それだけではなくその配偶者など係累を加えると、恐らく数十人に1人は日大と何らかの関係を持っていると思われ、これは日本において一大勢力であることは間違いない。
小生が学生の頃、日大は10数万人の学生を抱え、日本一のマンモス大学であったが今もマンモス大学であることは間違いなく、年間予算が2700億円弱というから、大企業並み、正に『日大株式会社』の名に恥じない。
その内、色々な形で税金による補助金が155億円も注ぎ込まれているから、あれは日大の問題であって中で解決すれば良いとならず、各方面から批判、非難の声が出てももっともである。
今回の騒ぎを見て日大の体質というのは少しも変わっていないというのが分かり、これは半世紀前にあった日大の首脳陣の不正経理を巡って批判が起こり、右翼的な大学にも拘らず学生が立ち上がり『日大全共闘』結成。
当時の日大の経営責任者は会頭と呼んでいたが、全共闘の追及に負けて退陣を表明したが、時の総理大臣は『佐藤栄作』で、日大会頭とも懇意で、体制の危機感を抱いた佐藤は全共闘弾圧を決め、機動隊を導入。その後、日大は運動部などの暴力組織を使って学生運動を徹底的に排除して今や北朝鮮並みの学内支配。
このため、今回の騒ぎを見ても学生側の表立った動きなど無く、日大生があかの他人面しているのは、こういった歴史があるからで、いくら社会に関心のない若者ばかりとなった時代とはいえ、やはり日大生の知的レベルは落ちるといわれても仕方がない。
と日大をこき下ろすのはそのくらいにして、標題に入ろう。世間は何事にもランク付けをするのが好きだが、この間『世界の大学ランキング』という資料を見て、その中で『フィリピンの大学ランキング2018年版』という項目があった。
ランキングの方法はどのようにやっているのか分からないし、基準の偏りも多いと思うが、ある程度その大学のレベルが分かるのは確かで、最新版なのでこれを中心に話を進めたい。
フィリピンで1位(世界では1308位以下括弧内は世界ランキング)になったのは国立フィリピン大学ディリマン校で、フィリピンは大学の分校を1つの大学としているのでこういう表示になるが、司法や役所関係に強く、いってみれば日本の東大が官僚育成で作られた大学であることと似ている。
2位(1925位)はデ・ラ・サールマニラ校と私立校が入るが、フィリピンの教育は私立校が優勢、優秀で、国立や公立の大学は貧乏人が入る所と思っている人も多い。
3位、4位にフィリピン大学の分校が入るが、5位はホセ・リサールが学んだ私立サント・トーマス大(2795位)、その次にセブにある写真−1の私立サン・カルロス大学(3687位)が入る。
【写真−2 写真−1の校舎中庭にあるスペース】
サン・カルロス大はマニラ以南では一番高いレベルの大学と定評のある大学だが、特に司法試験には強く、昨年は69人の受験者全員が合格、しかもトップ合格者を出し、今年も不合格者はわずかで、法学部の優秀さは際立っていて、写真−2は法学部校舎のある構内の中庭。
セブを含めたヴィサヤ地域のランクを見ると、ネグロス島ドゥマゲッティ市にあるシリマン大学が9位(5209位)が入り、この大学はカトリック系の大学が目立つ中、プロテスタント系の大学で、近年は評価が高くなっている。
セブではずーっと下がって49位(11586位)にセブ工科大学、57位(12530位)にサン・ホセ・リコルテス大学が入っている。これで思い出すのは、セブに進出した日系企業がフィリピン人を採用する時、サン・カルロス大、シリマン大、リコルテス大の3校出身者しか履歴書を見なかったことである。
これは募集をかけると就職難のフィリピンは履歴書が山のように来るので、いちいち見ていられないという理由もあるが、明らかに学歴差別が横行しているのが分かるが、セブの企業間では常識となっている。
63位(13089位)にセブ大学が入っているのが不思議で、ここはセブで最大の学生を抱えるマンモス校で、いってみればセブの日大といった感じで、学部数と学科は非常に多いがそのレベルはどうかという大学。
ここは司法試験などの国家試験で在校生がトップに入ると自動車を進呈したり、上位者には賞金を出す大学として有名だが、他の大学でも同じようなことをしているからここだけでの問題ではないが、学校の宣伝には熱心。
67位(13360位)にセブ技術大学が入るが、49位のセブ工科大学とどう違うのか分からないが、時代としては理系がランク付けには有利なようだ。
最後の100位(15718位)にセブ・ノーマル大学が入るが、この大学はかつての師範学校で教員養成大学として定評がある。構内には戦時中の日本軍司令部の置かれた建物が今も残っている。
このランク付けで驚いたのは、フィリピンで100位の大学が全世界で15718位という数字の大きさで、世界には大学という名の学校がかなりあるのだなと分かるが、正確な数字は不明というから更に驚く、
フィリピンはユニバーシティーとカレッジとに分かれるが、教育熱心な国であることは間違いなく、現在のドゥテルテ政権から高等教育の無償化が決定したから、日本よりはるかに進んでいる。
しかし、毎年大量の大学卒業生を生み出しているものの、国内に充分な仕事先はなく、卒業しても職に就けないのは普通で、これは何十年も前からいわれていたことで、少し気の利いた人物なら海外で働くというのが当たり前になっていて、人材の国外流出というのも大きな問題としてフィリピンには横たわる。
【旧日本軍が敗走に敗走を重ねたルソン島バギオ奥の山並み】
ところが激戦地となったフィリピン側の犠牲者は111万人あり、日本人の戦没者の2倍以上もフィリピンは被害を受けたことを基本に知らないと、『旧日本兵戦没遺骨収集』という行為は侵略した日本の一方的な事業になりかねない危険性を孕んでいる。
日本人は遺骨に拘る民族で、戦後70年以上を経過してもかつての戦地での遺骨収集は途絶えることなく続けられている。この収集活動は帰還した戦友や遺族会などが中心になり、厚生労働省が担当していたが、戦友、遺族といっても既に齢90の高齢に達し、次々と没しているために、戦没地の証言など得られない状況になっている。
そういった中、遺骨収集を目的とするNPOが設立され、寄付金を集めて活動が始まり、やがて厚労省から委託業務費が出されるようになった。このNPOはセブにも事務所を構えている『空援隊』という組織で、主にフィリピンを活動地域にしている。
ところがこのNPO、遺骨収集の過程で各地に問題を起こしていて、その最たるものが『盗骨問題』で、NPOの活動する地域で墓荒らしが横行し、安置していた遺骨が盗まれる事件が多発した。
しかも『これは日本兵の遺骨だ』と遺骨を持って来れば、このNPOが遺骨を引き取り金を支払っていた事実も発覚し、日本及びフィリピン国内でかなり問題になった。
このNPOがこれら持ち込まれた遺骨を旧日本兵の遺骨とした判断理由は、遺骨を『発見』したとされる場所が戦死者を埋めた場所であるという、持ち込んだ人物の『宣誓供述書』を根拠としている。
この宣誓供述書というのは裁判などにも使われる真実を述べる公式文書だが、遺骨収集に使われた供述書は代筆などのでっち上げが判明しているし、供述書は弁護士を通じて作成するが、金さえ払えばどうにでもなるのがこの国でもある。
この金で引き取っていた遺骨だがNPO側は国立博物館の専門家に鑑定をしてもらって日本兵の遺骨と認定したといっているが、その鑑定をした専門家自身『遺骨を見ただけでこれが旧日本兵かフィリピン人かなど判断できない』と暴露している。
それを証明するように、NPOが収集した遺骨を日本に送ってDNA鑑定をしたところ大部分がフィリピン人の骨、中には子どもの骨もあり、NPOの杜撰さが明らかにされた。
2006年のフィリピンにおける遺骨収集数は47柱と細々とした数字であったが、問題のNPOが関わってから急増し、2009年には7000柱以上を収集するが、これは明らかにこのNPOが金で骨を買っていた行為を裏付けると見られている。
特にミンドロ島には少数民族が多く住み、その先祖伝来の墓が荒され政府機関を巻き込んだ騒ぎになっていて、このNPOは数千の遺骨を集めたといっているが、ミンドロ島の日本兵戦没者は500人に満たず、墓から持ち出した遺骨をこのNPOが金を払って収集していた疑いが濃厚となっている。
こういう犯罪的なことをした背景には、遺骨収集の主管である厚労省がNPOに事業を丸投げにしたことと関係が深い。このNPOは厚労省から事業の助成金をもらっていたが、実績を上げれば補助金は増え、7000柱以上を収集した年には4700万円を事業資金として得ていた。
この額は活動資金捻出に苦労する日本のNPOの資金としてはかなり莫大で、NPO組織の維持を始め内部は相当潤っていたと思われる。
このNPO、セブにも事務所があると書いたが、セブでは遺骨収集を巡って裁判沙汰が起こされていて、それが現在どうなっているのかは知らないが、概略を書くと。
セブで収集した戦没者遺骨を、セブにあるリゾート内で『焼骨式』を行ったが、その内容がリゾート側に知らされていなくて、煙や臭いが発生し、イメージも悪くなったと損害賠償を起こされた。
焼骨というのは、発掘した遺骨は嵩張るのでまとめて荼毘に付し、容量を少なくする式で、その後日本に送られる。この事件はセブの地元新聞にも写真入りで書かれ、焼骨した跡にまだ骨の小片が散らばる様子が報じられた。
この時、厚労省の担当者がいたために、裁判ではNPOの人間と厚労省の人間が被告になったが、その後この役人はどうなったか分からないし、裁判も決着したのか継続中なのかも分からない。
この日本政府の人間が被告になるような裁判事態と関係があったのか分からないが、フィリピンにおける遺骨収集事業は2010年から停止された。
これはこのNPOが収集した遺骨に多数のフィリピン人の骨が混じっていたために、日本人遺族関係者の感情を害したということもあり、問題の遺骨はフィリピンに返されて今は国立博物館に保管されている。
この返還問題は日本兵は靖国神社に祀られる思想と一体で、純粋性を保ちたいためであろうが、フィリピンで勝手なことをした旧日本軍のことを考えると、一緒に祀っても良いのではと思うが、感情というのは割り切れないものがあるから致し方ないか。
その中断していたフィリピンでの遺骨収集事業が5月8日、フィリピンと日本政府間で合意し、8年ぶりに再開されることになった。
これはフィリピンの外務長官と日本の厚労省大臣が正式に署名したものだが、そういえばこの連休中に日本は首相以下海外に出ていて、その一環と思えるが、マニラ首都圏で開かれたアジア開発銀行総会に出席した麻生財務大臣は会議後の記者会見で『セクハラ罪はない』というのを公言している。
この記者会見は日本人記者向けであったようだが、この会見を英語通訳を入れて海外の記者に聞かされたら、麻生はそのみっともなさを世界に発したも同然で、国際的な非難を浴びて辞任は必至。
日本の記者団の追及も手ぬるく、麻生は言い放題のようだが、爺さんの吉田茂を真似しているだけの小心者で、こんな人物がかつて首相を務め、今も内閣のNO2に君臨しているとは日本は本当に人物が払底していると見られても仕方がない。
さて、再開する遺骨収集はNPOの起こした事件からDNA鑑定をして日本へ持ち出す、国立博物館の専門家が同道、買骨はしないなどNPOが犯したことの真逆で、明らかにNPOの犯罪性を裏付けている。
再開事業が始まったのは報道されていないが伏線があって、このNPOは国を相手取って損害賠償2件の訴訟を起こしていて、これが2017年3月に和解となった。
NPOの損害請求額は3600万円以上だが、和解は400万円を国が支払うで決着。この額はNPO側の要求が過大で認められなかったと見て良いが、国としてはこのNPOを獅子身中の虫と思って、早いところ排除したかったのではないか。
このNPOは活動資金源である国からの助成を絶たれても、遺骨収集の事業は存続させるようだが、前の様な『遺骨ビジネス』はもう出来ないのは確かである。
自称、他称になるが世界の『三大夕陽の絶景地』というがあって、インドネシアの『バリ島』、フィリピンの『マニラ湾』、そして日本の『釧路』とされている。しかし、その基準というのは人間の感覚であり、季節や条件によって変わって来るから根拠は曖昧で、マレイシアの『マラッカ海峡』や、インドの南端近い『ゴア』だという人もいる。
【写真−1 たまたまロハス通りを走るタクシーから撮ったマニラ湾遊歩道】
この中で、日本の釧路はその昔、自転車で東北、北海道を回った時に釧路港の夕陽に遭遇し、茜色に燃える中に海鳥が乱舞し、今まで見た数多見た夕陽の中で最も印象に残っていて納得はする。
この夕陽の絶景地はどこも海辺に面しているが、インドシナ半島内陸部のラオス・ヴィエンチャンのメコン川沿いに住んでいた時、乾季の頃は毎日のようにタイ側に沈む夕陽を見ていたが、これもメコン川の水に映えて夕陽と水辺は切っても切れないようだ。
『マニラ湾の夕陽』は戦前から有名で、当時の旅行者やマニラを占領していた日本軍関係者が書いた文献などにも『マニラ湾の落日』といった表現で頻繁に出て来るし、今も夕陽は美しい。
夕陽はどこで見ても感動を呼ぶものだが、この夕陽のメカニズムは空気中の『塵』が多いほど、光の屈折が多様になって美しくなるとあり、簡単にいえば大気汚染が夕陽を美しくさせているとなっている。
しかし戦前のマニラにしても、内陸部のヴィエンチャンにしてもそれほど大気汚染は酷くないと思うから、そればかりではないようだ。
さて、そのマニラ湾沿いにはかつての大統領の名前を付けた幹線道路があって、名前を『ロハス大通り』という。この通りにはマニラのヨット・クラブがあり、今も開催されているのか知らないが、かつて香港スタートの『チャイナ・シー・レース』という名の外洋ヨット・レースのフィニッシュ点でホスト・クラブになっていた。
このレース、気になって調べたら今も時計のロレックスがスポンサーになって毎年開催。今年は3月28日に香港をスタートし、1番速かった艇は3月30日にフィニッシュ・ラインを横切っている。ただしフィニッシュは、かつてアメリカの海外における最大の海軍基地のあった、スービックに変更されているからかなり雰囲気は変わったのではないか。
さて、ロハス通り沿いには政府機関も数多くあって、フィリピン中央銀行、財務省、観光省などがあり、極めつけは、アメリカがフィリピンを植民地にしていた時代から海沿いの一等地に構えるアメリカ大使館があり、アメリカに行きたいフィリピン人のヴィザ申請でいつも賑わっている。
この通り沿いには日本大使館もあり、こちらは日本行のヴィザの取得方法が代理店経由に変わったために、広大な敷地もあってか、いつも閑散としている。
この日本大使館、かつてはマカティ市に普通の道路沿いにあって現在地へ移転したが、移転前の日本行を目指すフィリピン人がヴィザ申請で黒山のように集まり、それを狙った各種申請業者などが入り乱れ、特に芸能ヴィザが右肩上がりに急激に増えた時代でもあり、その混沌とした空間も懐かしく感じる。
といったところで本題に入るが、昨年12月に日本大使館から2キロくらい離れたマニラ湾を臨むロハス通りの遊歩道上に『慰安婦像』が設置された。慰安婦像の設置については韓国が熱心で、韓国国内はもとより海外にも設置を行っているからその一環かと思われた。
その設置を巡って日本と韓国の外交上の摩擦になっているが、それは歴史の事実を認めたくない自民党政府の意向であって、普通の人間は『だからどうなの』という程度ではないか。
フィリピンを訪れる年間外国人観光客数はかつては日本人が1位であったが、今は韓国人が1位で、日本人は3位か4位になっているが、日本人の訪問数が減った訳ではなく横ばいで、韓国や中国からの訪問者数が激増した結果であり、フィリピンが日本人にとって魅力がなくなった訳ではない。
そのためマニラに設置された慰安婦像は、訪問者数1位を続け、フィリピンで商売を拡張している韓国系の人々が建てたかと思われたが、これが意外に中国系の団体が建てた。
中国人(正確には漢民族)というのは実利のないことをしない民族で、慰安婦像の様な抽象的な取りようによっては嫌がらせ的な行為はしないし、現に韓国以上に日本が暴虐の限りをつくした中国ではこの手の行為は山ほどあっても良いが、案外と少ない。
フィリピンの経済は中国系(正確にはフィリピン国籍を持つ華人、移民の華僑)に牛耳られて、その力は先の大統領選で金もなく泡沫候補であったドゥテルテが当選したのも、中国系の後押しと巨額な選挙資金があったためで、そのせいもあって、当選後のドゥテルテはかなり中国寄りの発言、態度を取っている。
マニラ湾に建てられた慰安婦像は唐突に出現した感じで、日本大使館辺りもその情報はほとんど掴んでいなくて、建てられた後にフィリピン政府に抗議をしたが、日本側の間抜けさが目立つ。
【写真−2 拝借した写真だがそんなに出来栄えは嫌味な像ではない】
この像は唐突といいながら、設置には政府の機関である『国家歴史委員会』の承認も取っていて、マニラ湾沿いの遊歩道上の管理者はマニラ市で、マニラ市も設置許可を出していて、その動きを全く分からなかった日本大使館の情報能力というのは相変わらず体たらく。
設置後に日本から訪れた国会議員なども『設置は遺憾』とフィリピン政府に抗議を申し入れているが、ドゥテルテは民間のことだからと逃げを当初は打っていた。
ところが、日本のフィリピンに対するODA額は国別では1位で、ドゥテルテ政権が押し進める巨大インフラ整備事業は日本の金がかなり注ぎ込まれ、最近でもフィリピン初の地下鉄着工が決まったが、1000億円を遥かに超える工事費は日本の丸抱え。
このため、日本側の圧力が効いたのか、4月27日深夜に台座ごと撤去されて何処へともなく慰安婦像は消えた。この撤去、数日前から近くに重機が置かれ、慰安婦像の撤去が噂さされていてその通りになったし、日本大使館にはフィリピン政府側から1日前に撤去する通告があったという。
恐らく日本の金が欲しくてドゥテルテは転んだのだと思うが、この撤去を受けてドゥテルテは『もう終わったこと』と逃げの一手で避けているし、この慰安婦像が建てられた後に、台座に埋め込まれたプレートが薬品の様な物で消された事件も起きたが、その事件も完全に有耶無耶で、一説にはフィリピンに住む日本人の仕業という話もあるが、噂の域を出ない。
撤去されて胸をなで下ろしたのは、仕事をやったと思っている日本大使館関係者や日本の外務省で、この撤去された慰安婦像は、像はそのままトラックに乗せられてリサール州に住む像の制作者の元に運び込まれた。この作者には撤去する1週間前に設置した団体から伝えられたというから、かなり計画的で隠密であったことは間違いない。
ドゥテルテは撤去後に『私有地なら問題ない』と発言していて、設置団体は教会などの敷地に建てる計画を表明しているから、この問題は日本の関係者が胸をなで下ろすには行かず再燃するのではないか。
慰安婦に付いてだが、軍隊と性の問題はいつの時代でも密接で、『皇軍』といわれた日本軍も中国大陸や朝鮮半島、南方地域で必ず『慰安所』を設け、かの中曽根元首相も主計将校の時、慰安所開設の証拠文書を残している。
その慰安所に現地女性を徴用したのが『強制連行』の源になり、それを日本が認めたのは1994年の社会党出身の村山首相であり『アジア平和基金』というものが開設されたが、政府としての正式の謝罪はなされていず、これが後々の慰安婦問題を引き摺る。
皇軍とは名ばかりで、戦地での日本兵による強姦事件は多発し、特に中国戦線では著しく、綱紀粛清のために慰安所が組織的に作られたともいわれていて、このフィリピンも相当数の女性が強姦被害に遭っているが、その真相は闇の中。
この慰安婦問題がいまだにあるのは靖国神社に祀られた兵士達は『皇軍』であり、お国のために戦ったのであって畜生の様なことはしていないという認めたくない遺族感情があるためで、事実は事実として認める必要があるのではないか。
このフィリピンでの慰安婦像問題、当分収まりそうもないが、国内報道などを見るとそれほど関心があるように見えず、韓国の様な執拗な追及はなく、これはキリスト教の『許す』という考えがあるためかとも思うが、端に無関心だけなのかも知れない。
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その−(1)と(6)で、ボラカイ島のことを書いているが政府は4月4日、ボラカイ島の閉鎖を決めた。
【こちらも閉鎖される映画『ザ・ビーチ』で知られる芋洗いのマヤ湾】
閉鎖期間は4月26日から半年間という長期間で、島に観光客を入れずに島の環境汚染を解決するという前代未聞の策が果たして成功するかどうか、ボラカイ島に限らず環境汚染の酷いフィリピンの著名リゾートからの視線も熱い。
現在、フィリピンの学校は夏休みに入っていて、家族連れでボラカイに遊びに行く予定を持っていた人々にはショックではあるが、既にボラカイの閉鎖は2月の大統領の『ボラカイの海は汚水溜め』発言から始まっていて、以来ボラカイを避ける動きも加速していた。
ボラカイ島の面積は1000ヘクタールあり、これを日本の皇居と比較すると、皇居の面積は230ヘクタールあり、皇居4つ分強がボラカイ島の大きさで、この小さな島が野放図に開発されたのが問題の発端となった。
この小さな島に、年間200万人以上も観光客が押し掛けていることも環境汚染の源になり、島関連の観光に従事する人数は3万6千人以上といい、この人々が一気に失職し、その家族も含めればかなりの住民が大きな影響を受けるが、何でもありのフィリピンでも衝撃は大きい。
この閉鎖決定に対して住民は不安を隠せないが、猛烈な台風がボラカイを直撃し、被害甚大で島が長期間閉鎖されたと思えば、何とかなると思う人もいて、諦めと共に大きな反対は起きていない。
ただし、閉鎖期間中の収入が途絶えることに対して、失業保険などのような社会保険が未発達なフィリピンでは、政府関係機関が救済措置を講じるとしているが具体策は挙がっていない。
この長期に及ぶ閉鎖によってボラカイ島が受ける経済的損失は千数百億円と見込まれ、これはフィリピンの国民総生産の0.1%に当るというから、たかが観光地の問題というには影響は大きいし、再開後にもすぐに元のように観光客が戻るかどうかの不確定要素も残る。
今回のボラカイの環境破壊がどれだけ酷いかだが、ホテルやレストランなどの商業施設が834棟ある中で、下水道をそのまま垂れ流していたのが716棟あり、ほとんど無法状態となっていて、大統領が『下水溜め』と怒ったのもその通り。
閉鎖期間中には下水道の整備、自然保護地域に違法に建てられた100棟以上のホテルを取り壊し原状回復するとなっているが、こういう違法建築物は行政の目こぼしがないと出来ないもので、こういった怠慢な地元役人の摘発もあって良いがその辺りは聞こえてこない。
怠慢と書いたが、目こぼししてもらうには業者から役人に金が渡る贈収賄行為が必要で、島ぐるみで違法行為をやっていたからこの閉鎖はいい気味だとの声もあり、今までボラカイに来ていた客は頂きだと嘯く業界関係者も多い。
しかし、ボラカイの問題が大きくなって、セブやエル・ニド、ボホールなど国内の著名リゾートの環境破壊、違法行為が次々と明らかになって、フィリピンのリゾートは信用できないのも確かで、国際的に敬遠される恐れもある。
また、簡単に違法建築を取り壊すというが、フィリピンは『不法占拠』という言葉が普通に使われ、不法もやってしまえば堂々と居座れる国柄で、そういった違法建築を追い出すのも流血騒ぎが当たり前だし、裁判に持って行けば簡単ではなく時間がかかるのは必至。
ただし、このリゾート地の環境汚染は世界的に広がっていて、今年の初めタイのプーケットやピーピー島へ行ったが、どこも観光客に溢れて生活排水が海に流れ込んでいて、特にピーピー島など酷かった。
そういえば、映画のロケ地で有名になった島のマヤ湾のビーチなど芋洗い状態で、タイ政府はこの島を6月〜9月まで閉鎖を決めたが、許容範囲を超えて観光客が押し掛けるのが普通になっている現在、ボラカイも再開するにしても適正な入島制限が必要である。
島の飽和状態を放置していた政府も地元行政の責任は重大だが、こういった騒ぎの中不思議なのは、ボラカイに中国系の大きなカジノ・リゾートが2ヶ所、政府が認可を出したことで、今回の違法建築ホテル一掃も利権絡みで、新規カジノを助けるためにやっているのではとのうがった見方もある。
この閉鎖の動きを受けて、ボラカイに空路で客を運んでいた航空会社は便の停止を早々と決めているが、こういった無造作に客を運んでいた航空会社も責任は免れない。
今回の閉鎖騒動は『他山の石』ならぬ『他島の石』として、関係者に猛省を促したいものだが、喉元過ぎれば忘れるのはフィリピンも日本も同じで、果たしてどうなるか。
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【写真−1 ボホール島のまだ知られていない海岸だがやがて汚れそう】
これはビーチ・リゾートだけの問題ではなく、フィリピン中、都市も含めて生活排水の処理が満足に出来ていなくて、どこにでもある問題で根は深い。
その後、パラワン島にあるやはり世界的に人気の高いエル・ニドでも同じ問題が起こり、ここでは海岸にある数十ヶ所に上る違法営業の宿泊施設やレストランを取り壊すという警告が出された。
また、セブ島の隣り、日本のODAで建設された新空港が開港間もないボホール島のホテルが密集するパングラオ島地域も、同じように水質汚染が進んでいる。
同じく、ミンドロ島の著名なプエルト・ガレラも水質汚濁が進んでいることが明らかになった。ここには30年以上前に行ったことがあるが、その頃からリゾートとして開けていたが、水質などの環境汚染に対する意識は全くなかったようだ。
こうなると、白砂、青い海を売り物にするフィリピンの著名リゾートはそのフレーズとは裏腹にどこも汚水溜め状態に陥っているようで、知らないのは訪れる観光客だけとなっている。
セブの場合、リゾートは橋で繋がっている国際空港のあるマクタン島の片側に固まっていて、その反対側は港や工場があり、200万人近い住民が暮らす大都市圏が広がり、その生活排水、ゴミは相当なものだが、終末処理が行われているというのは聞かない。
マクタン島の島内人口は観光客を含めると50万人近いなどといわれ、その生活排水は膨大で、それら排水がしっかり管理されているなどとは到底思われず、水質は悪くなる一方。
【写真−2 こちらはマクタン島の海だが明らかに海は汚れているのが分かる】
このため見かけだけは綺麗に見える海を前にして、敷地内に工夫を凝らしたプールを作るリゾートが主流になっているが、これも自らが流す汚水を自覚しての防衛策かも知れない。
こういった水質汚濁に関しては環境を主管とする環境天然資源省が監督しているものの、今回の汚水溜め騒動に関して、情緒的な発表ばかりで数値的に実際どのような汚染が進んでいるのか全く伝わってこない。
そういった地道な調査に弱い体質を露わにし、リゾートを中心とした海の水質検査などしたことがなく、比較できるデータそのものがないのではと勘繰りたい。
この国にも立派な環境保全のための法律はあっても、大元はそれを取り締まる行政と業者の癒着、早い話が賄賂によってこういう事態を引き起こしたのではと見る。
ボラカイに関してはあまりの酷さに内務自治省、環境天然資源省、観光庁のトップ3人が、島を最長1年間閉鎖すると大統領に提案し、大統領もその提案を支持していることが明らかになった。
閉鎖期間中に島内の排水設備、ゴミ処理施設などインフラを改修、整備するようだが、現実的に観光業に頼り切るしかない数万人の島民の閉鎖期間中の生活などどうするのか、具体的な案は上がっていなくて簡単ではない。
閉鎖にはボラカイ島に被災地宣言を出し、1ヶ月後に閉鎖され、観光客の立ち入りが禁止されるらしいが、本当にやるのかどうか疑うものの、それ程ボラカイ島の環境汚染は酷い証明ともいえる。
この閉鎖を見越してか、ボラカイ島近くの空港に客を運ぶフィリピン航空などが早くも路線の減便、もしくは停止する動きを見せているから、現実味を帯びてきたが、さんざん観光客を運んで儲けていたのに、いざことが起きると腰が引けるのはフィリピン航空の体質か。
そういった騒ぎの中、ボラカイ島に大規模なギャンブル施設を作る計画が2つ進んでいて、ボラカイ島の面積は1002ヘクタールあり、1つの計画では23ヘクタールの敷地を占めるという。
今回の騒ぎは、こういう狭い島にホテルやレストランなど観光に関わる人々が無秩序に活動、生活していたためのツケが回ったとしかいいようがないが、この問題はボラカイに限らずフィリピン中の問題であり、観光地の問題に限定してしまうと将来はない。
現在、大統領が進めている鉄道や道路などの目立つ箱物、大規模インフラより、地道な環境インフラに眼を向けるようにしたいし、フィリピンの大型インフラを後押ししている日本のODA政策も転換が必要ではないか。
【写真−1 セブ島最北端のダアンバンタヤン町役場 現町長ルーツはドゥテルテ大統領から麻薬王と名指しの元警察官僚で息子は州会議員】
といっても、この選挙権が形ばかりで選ばれる議員や首長が一族で世襲、あるいはたらい回しされて『家業』となっていると、まともとはいえなくなるが、この政治における世襲化は体制を問わず世界的に顕著になっている。
日本の場合、権力を維持する自民党議員の4割は世襲などといわれるが、批判などものともせず、世襲政治屋は増殖し、これが政治の淀みを生じさせている。
【写真−2 セブ島北のボゴ市旧庁舎 代々マルティネス一族が市長や下院議員(現在落選)職を独占】
特に日本の最高権力者である近年の総理大臣を見ても、政治屋家業、世襲出身でないのは『菅直人』と『野田佳彦』くらいで、何れも旧民主党になり、自民党はほとんどが2代目、3代目の世襲総理大臣ばかりである。
今、『森友問題』で死に体になっている現内閣の安倍総理、麻生副総理も総理大臣を祖父に持ち、世襲政治家の馬鹿の見本のような醜態を晒している。
【写真−3 セブ島中部のダナオ市庁舎 ここはドラノ一族が市長と下院議員職を長年独占】
日本も酷いが、このフィリピンは政治を家業とする政治屋一族が国政や地方自治体に巣食っていて、先頃、その実態がアキノ前大統領などが卒業した、フィリピンの国立大学以上のレベルを誇る私大の雄アテネオ大学の政策学部長などが関わった調査によって明らかにされた。
それによると、フィリピンに81ある州の中で、州知事の81%が世襲もしくは一族の関係者、定数229人の下院議員では78%が世襲であることが分かった。また、地方自治体の市長、町長でも69%、副市長、副町長が57%が世襲、もしくは一族の関係者となった。
【写真−4 セブ市に近いリロアン町役場 現町長は前セブ州知事の娘で町長だった夫に替わって当選し夫は副町長に回る】
特に長年内戦状態を続けているミンダナオ島のイスラム教徒自治区(ARMM)を構成する州では一族間で世襲し公職を独占することが目立ち、世襲が高い地域ほど貧困率が高いことも明らかになった。
ARMMの州の中で著しい世襲が行われているのは南ラナオ州、マギンダナオ州、スールー州の3州で、この3州は貧困率が全国で最も高く、最貧困州としても有名である。
南ラナオ州は州都マラウィ市で政府軍とイスラム武闘派間で長期間の市街戦が行われ、ミンダナオ島全域に発布された戒厳令のきっかけを作った地域で、政府派も反政府派も血縁関係で入り混じった複雑な地域。
【写真−5 マンダウエ市庁舎 現在のキソンビン市長は前下院議員で現コルテス下院議員は前市長 2016年選挙で互いに公職を交換】
マギンダナオ州は2009年11月に州知事など地域を牛耳っていた一族が、反対派60人近くを虐殺した事件の起きた場所で、いまだ、事件に関わった連中は多数逃亡中で、捕まった連中にしても裁判など永遠に続きそうな様相で、一族は健在で同地域の自治体20以上の要職を占めている。
スールー州はミンダナオ島とマレイシアのボルネオ島の間にある島でイスラム武闘派が跋扈し、毎日政府軍と反政府軍の戦闘があり、死者何人とニュースが流れる地域になっている。
【写真−6 セブ市役所1階ロビー 現市長のオスメニャは戦時中に大統領になった祖父を自慢にし従兄弟に上院議員など政治屋多数】
フィリピン憲法には世襲の禁止は書かれていて、議員職や首長職の連続4期禁止も定められているが、当の本人が1期休んで、その期を妻や子ども、あるいは子分にやらせて次にまた出てくる手が可能なため有名無実の典型的なザル法。
今回、数字で実態が明らかにされると、割合良心的な政治家から『世襲制限法案』の可決を呼びかける声も上がるが、具体的な法案作りで自らの首を絞めるようなことは世襲政治屋連中はあり得なく、法案可決の道は遠い。
【写真−7 セブ州庁舎正面 現ダヴィデ州知事はアキノ派の元最高裁長官の息子 負けた側のガルシア前知事は親と娘で知事職を独占後下院議員に転身】
現大統領のドゥテルテ自身、長女にダヴァオ市長を継がせ、不祥事で辞任したが長男を副市長に据えて王国を維持し、法案には明確に反対を表明している。
フィリピンの政治屋の世襲蔓延は『病気』といって良く、それは日本においても同様だが、それが貧困、格差問題を解決できない要因の一つになっている。
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