誕生日の一カ月ほどまえになりますが、高校時代の友人と数年ぶりに連絡を取る機会がありました。
同じ音楽を学ぶ仲間として、高校3年間を一緒に過ごした彼女は、当時からマイペースで自らの信じた道を進み、友人のことはニコニコと見守ってくれるタイプ。
私の高校・大学時代のニックネームだった「マイケル」の名付け親も彼女でした。
(MJではなく、「What's Michael!」という当時流行ったコミックスの主役のネコの名前です・・・「とぼけた顔が似てる!」と言われました・・・!)
そんな彼女が、高校1年の私の誕生日に、一冊の絵本をプレゼントしてくれました。
「もりのなかへ」などで有名なエッツの「わたしとあそんで」。
一緒に遊びたくて野原に飛び出した少女のことを、一旦は怖がって逃げてしまった動物たちが、少女がじっと待ち続けることで戻ってきてくれた・・・というお話です。
私が絵本マニアであることは一度も話したことがないのに、どうしてわかったんだろう?と、私は大喜び。
ところが、なぜこの絵本を選んだのかと聞いたら、返ってきたのは、「う〜ん、なんとなく」という、あいまいな返事。
今回、数年振りに連絡をとったとき、
「今でもあの時もらった絵本、大事にしてるよ〜。でも、どうしてあの絵本だったの?」
と改めて彼女に問いかけたら、こんな返事が返ってきました。
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あの絵本は、父がかつて勤めていた会社の社長が、社員の子どもたちに小学校入学祝いとしてプレゼントしてくれた絵本です。
当時もらった同じ絵本が、私の手元に今でもあります。
マイケルの誕生日のときは、女子高生への誕生日プレゼントにしてはちょっと的外れだけど、逆にいいんじゃないかな、という気がしたのは覚えているよ。
この絵本の内容が、読むときの自分の状況や気持ちによって、違う意味に感じられるのは、私だけかな?でも、
「時間はかかるけど、信頼したり、信頼されるようになれば、周りの人々は必ず仲間になれる、友達になれる」。
そんなメッセージを感じるところが、この絵本の好きなところかなぁ。
高校生の頃のマイケルは、もしかしたら本当の意味で、音楽を心から楽しむ術を知らなかったのかも。
私はそれを感じていた気がします。
何も知らないクセに、勝手なことを言ってごめんね。
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うわ〜〜〜。そうだったんだ!
すっかりバレてたんだなあ、さすが彼女だ・・・ !と驚きました。
当時の私は、ピアノにしろ他の楽器や歌にしろ、演奏は上手いか下手か、どちらかしかないと思ってました。
上手ければ凄いと思い、下手だと、自分のことは棚に上げて、「なんでこの人音楽やってるんだろう?」と理解できませんでした。
当時は年に一度、高校ではソロの演奏会のほかに、全員でオーケストラや合唱、ミュージカルなどが出し物の定期演奏会があったのですが、私にとっては、演奏以外のことはすべて面倒なだけで、嬉々として準備をしている仲間たちのテンションの高さが理解できませんでした。
放課後も、台本を書いたり衣装をつくったり、振付の打ち合わせをしたり・・・と、演奏会に向けてやることは山のようにあったのですが、キャッキャッと楽しそうな同級生たちを尻目に、私ときたら、
「授業が終わったら一刻も早く自宅に帰ってピアノの練習をしたいのに!」
とイライラしていいました。
当然、本番が終わった後の充実感も違ったのでしょう。
私は「あ〜終わった」程度の感覚でしたが、みんなは感極まって抱き合い、泣き笑いしていたものです。
今回彼女に連絡をしたのは、共通の知人のコンサートや、私が企画にかかわった音楽イベント「フナッシュモブ」、ピアノを弾きあう会などへのお誘いでした。
「絶対楽しいし、感動するから、ぜひおいでよ!」
と熱烈に誘う私は、そう、当時の私とは別人になっていたのでしょう。
彼女はまたもや、敏感に私の変化を読み取っていました。
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「わたしとあそんで」の女の子はマイケルで、周りの動物たちはいろんな音楽そのものであり、今の音楽の仲間なのかもしれないね。
いっときはマイケルの元を去ったかもしれないけど、戻ってきてくれた。
大切なものとなって。
いずれにしても、私はとっても嬉しいです。
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着実に学生時代からの夢を実現し、現在はリトミック指導者の第一人者として活躍している彼女。
リトミックに出会ってから、“自分”と“音楽の本当の意味”を知ったそうです。
彼女には、いつまでもかなわないだろうなあ。
でも、なぜかとっても嬉しい敗北感だったのでした。
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絵本とこどもと音楽と | JUGEMテーマ
2013-07-31T23:21:17+09:00
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カステラは幸せなこども時代の記憶 〜「ぐりとぐら」
http://ongakuehon.jugem.jp/?eid=106
音と絵本のたからばこ
次女の誕生日、夫の実家への帰省、アウトドアな遊び、自宅での親子クッキングやガーデニング…と、普段はなかなか時間がとれず実行できないイベントがてんこ盛り。
ところが残念ながら、本来なら率先して楽しむべき家族のイベント、私の場合は悲しいかな、そんな余裕はなく、娘たちに喜んでもらうために何とか必死にこなした、という感覚です。
次女から頼まれていたフェルトの手作り絵本は数日間夜なべして縫いあげたし、バレンタイン以来のお菓子づくりにとしてせがまれていた型抜きクッキーづくりも、この休みを利用してようやく実現。
普段できない後ろめたさを一気に解消すべく、頑張った感満載。
ようやく日常に戻り、やれやれと一息ついているところです。
とはいえそもそも私は、こどもが生まれたら母親業に専念して、おやつや服は手作りしたいなあ、というのが夢でした。
そして庭は花や緑でいっぱいにして、できれば大きな犬も飼いたい。
好きなピアノを弾いてこどもたちと音楽を楽しみながら、ゆくゆくは小さな絵本屋さんを営んで…。
ところが現実の私ときたら!
毎日会社勤めでくたくたになって帰宅。
日々の食事の支度さえ、いかに手をかけず満腹にさせるかで精一杯です。
時間がなく疲労がピークのときは、身体に悪いとわかっていながら、おやつはスナック菓子、食事はハンバーガー、お惣菜に頼ることもしばしば。
それらを単純に喜んで食べている娘たちを見ると、罪悪感でいっぱいになります。
しかもピアノを弾いたりインタビューに出かけたりと、母親業に専念どころか、わが子のために使える時間は減る一方。
どうしてこう、理想と反対の方向に突き進んでしまうのか、我ながらさっぱりわかりません…。
ちなみに、前述の夢の生活のひとつひとつは、私が子供のころ、まさに母がしてくれたこと。
母が焼き上げてくれたマドレーヌやパウンドケーキ、妹と三人で好きな形につくったクッキーやパン。
近くの山へ出かけたピクニックで、野苺を摘んで煮込んだジャム。
そしてそれらが焼きあがったときに部屋中に広がる、バターの香ばしいにおい。
天気のよい日は庭でレジャーシートを広げてお弁当やおやつを食べたり、みかんの実を収穫したり。
センスのよい手作りのワンピースやスカートは、ずっと私のお気に入りでしたし、遊び道具にシャボン玉液までつくってくれた母。
今でも、まるで昨日のことのように鮮明に覚えています。
「当時は近くにお店があまりなかったから、お菓子にしろ服にしろ、手作りするしかなかったのよ〜」
というのが母の言い分ですが、それがどれだけ娘に幸せな記憶をもたらしたことか!
全力で母親業をまっとうできない後ろめたさと申し訳なさを感じつつ、それでも仕事や自分のことはやめられない。
いつも、そのジレンマに苦しむのです…。
日本の絵本の王道「ぐりとぐら」を読むと、私はいつもそんな複雑な気分になります。
みんなが大好きな金色に輝くカステラは、私にとっては母が焼いてくれたマドレーヌの味。
目をキラキラ輝かせながら何べんも読んだ、大好きな絵本です。
ところが、うちの娘たちは、本棚にいつも置いてあるこの本を読んでとせがんでくることは滅多にありません。
大きなカステラの登場も、彼女たちにとって響くものではないようです。
昔と違い、おいしいお菓子が巷にあふれているせいかもしれません。
でも、もしかしすると、私が滅多に手作りのお菓子をつくらないからなんじゃないか…と深読みしてしまい、胸がチクッと痛むのでした。
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