新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期となっていた
第19回アジア競技大会が中国・杭州で現在開催されています。
男子4kmチームパシュートで本校自転車競技部OBの
窪木一茂選手を擁する日本チームが大会新記録で優勝しました!
また、窪木一茂選手は最終のポイントレースで逆転し、
男子オムニアムで2枚目の金メダルを獲得しました!
https://hochi.news/articles/20231002-OHT1T51104.html?page=1
卒業生と在校生がお互い刺激し合ってがんばっているのは
たいへんすばらしいことですね。
先日、須賀川市体育協会から本校自転車競技部成田光志くん
(1年3組、須賀川一中出身)が特別優秀選手賞を授与されました。
成田くんは自転車競技ポイントレースでインターハイとジュニアオリンピック、
マウンテンバイクで全日本選手権を優勝したことを評価されました。
http://igblog-high.jugem.jp/?page=8&cid=2
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【写真−1 埋め立て中止も利権が絡んで解決出来ないのかも知れない】
教会を中心に道路が造られその近くには役場、野菜、魚、肉を売る市場、小さな日用品を売る店が連なりその並びには他の町へ行くジープニーやトライシクルの発着するターミナルを持つが、最近は市場やターミナルを町の外れに造る町も増えている。
コロン町の埋め立て地は環境省から工事中止命令が出ているために、写真−1のようにこれといった建物は出来ず赤土のままで放置された状態で、この外れに市場があるというので朝早く行って見る。
【写真−2 生鮮食品はスーパーではなくやはり市場へ行って購入】
町の中心から歩いて行くには遠過ぎて通りかかかったトライシクルに乗って市場へ行くが、雨季の今は赤土の露面は湿っていてあまり埃は立たないが、乾季の時期を思うとかなり埃まみれになりそうで大変。
写真−2が市場の正面で、トライシクルは定められた場所に停めているがオートバイは無造作に駐車して朝から活気はあるが、市場そのものはかなりバラック建てで、埋め立ての問題が解決するまではしっかりした建屋を造ることにはならないようだ。
【写真−3 ココナツも地域や生えている場所によって微妙に味が違う】
市場の中に入ると、典型的な売り場風景が連なり、肉売り場、その先に魚売り場と続くが、扱っている魚の種類はかなり豊富でセブでは見かけないような魚も並べられている。
隣の棟には小さくコマ割りされた店が並び野菜や果物、食料品を売っているが外れで扱っていたのが写真−3『ココナツ』で、早速一個をその場で割ってもらって果汁を飲むが、朝採りのココナツの果汁は適度に冷たくその味はいかにも身体に良いと飲む都度に感じる。
【写真−4 これだけの船があると造船関連業も盛んなようだ】
市場の裏側はたくさんの船が舫われていて、この岸壁から漁に出た船から魚を水揚げするのだろうが、写真−4に写る船は全部アイランド・ホッピング用の観光船でその数の多さに驚く。
水域を挟んで向かい側の岸壁にも船がたくさん舫われていて、その外れには他の島やマニラ方面へ行く貨客船のターミナルも見え、コロン町が同地方の海路の中心であることも分かる。
【写真−5 こういう水際に建つ建物は不法占拠状態が多い】
写真−5は写真−4に連なる外海側と反対の町寄りの水域で、下に見えるコンクリートの端までが埋め立て地の端になり、この写真から埋め立て前の水面は向こう側に見える水上家屋が端であったことが分かる。
ここに舫われている船は観光船ではなく漁船と分かり、埋め立て地が出来岸壁が整備されて船を舫うには便利になったと思うが、埋め立てが始まる前までは海辺に建っていた水上家屋は良い環境であったのではないか。
【写真−6 左右はドアを開けるとベッドの並ぶ寝室という宿泊施設】
写真−5の岸壁沿いに右に入る道があり、写真−6はその道を入った様子でこの辺りは前からあった町並みで左右には宿泊施設が見え、この辺りに泊まるのはフィリピン人の家族連れ観光客が多く、値段も安いのであろう。
その昔のフィリピン人はあまり国内旅行をせず、旅行といえば海外旅行のことを指し国内旅行など馬鹿にしていたが、経済成長と共に国内旅行をするのが盛んになり今や国内の観光地には溢れかえっている。
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【写真−1 埋め立て中止も利権が絡んで解決出来ないのかも知れない】
教会を中心に道路が造られその近くには役場、野菜、魚、肉を売る市場、小さな日用品を売る店が連なりその並びには他の町へ行くジープニーやトライシクルの発着するターミナルを持つが、最近は市場やターミナルを町の外れに造る町も増えている。
コロン町の埋め立て地は環境省から工事中止命令が出ているために、写真−1のようにこれといった建物は出来ず赤土のままで放置された状態で、この外れに市場があるというので朝早く行って見る。
【写真−2 生鮮食品はスーパーではなくやはり市場へ行って購入】
町の中心から歩いて行くには遠過ぎて通りかかかったトライシクルに乗って市場へ行くが、雨季の今は赤土の露面は湿っていてあまり埃は立たないが、乾季の時期を思うとかなり埃まみれになりそうで大変。
写真−2が市場の正面で、トライシクルは定められた場所に停めているがオートバイは無造作に駐車して朝から活気はあるが、市場そのものはかなりバラック建てで、埋め立ての問題が解決するまではしっかりした建屋を造ることにはならないようだ。
【写真−3 ココナツも地域や生えている場所によって微妙に味が違う】
市場の中に入ると、典型的な売り場風景が連なり、肉売り場、その先に魚売り場と続くが、扱っている魚の種類はかなり豊富でセブでは見かけないような魚も並べられている。
隣の棟には小さくコマ割りされた店が並び野菜や果物、食料品を売っているが外れで扱っていたのが写真−3『ココナツ』で、早速一個をその場で割ってもらって果汁を飲むが、朝採りのココナツの果汁は適度に冷たくその味はいかにも身体に良いと飲む都度に感じる。
【写真−4 これだけの船があると造船関連業も盛んなようだ】
市場の裏側はたくさんの船が舫われていて、この岸壁から漁に出た船から魚を水揚げするのだろうが、写真−4に写る船は全部アイランド・ホッピング用の観光船でその数の多さに驚く。
水域を挟んで向かい側の岸壁にも船がたくさん舫われていて、その外れには他の島やマニラ方面へ行く貨客船のターミナルも見え、コロン町が同地方の海路の中心であることも分かる。
写真−5は写真−4に連なる外海側と反対の町寄りの水域で、下に見えるコンクリートの端までが埋め立て地の端になり、この写真から埋め立て前の水面は向こう側に見える水上家屋が端であったことが分かる。
ここに舫われている船は観光船ではなく漁船と分かり、埋め立て地が出来岸壁が整備されて船を舫うには便利になったと思うが、埋め立てが始まる前までは海辺に建っていた水上家屋は良い環境であったのではないか。
【写真−6 左右はドアを開けるとベッドの並ぶ寝室という宿泊施設】
写真−5の岸壁沿いに右に入る道があり、写真−6はその道を入った様子でこの辺りは前からあった町並みで左右には宿泊施設が見え、この辺りに泊まるのはフィリピン人の家族連れ観光客が多く、値段も安いのであろう。
その昔のフィリピン人はあまり国内旅行をせず、旅行といえば海外旅行のことを指し国内旅行など馬鹿にしていたが、経済成長と共に国内旅行をするのが盛んになり今や国内の観光地には溢れかえっている。
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こんにちは。
Kayです。
現在、マレーシアに来ています。
しばらくはマレーシアについて綴っていこうと思います。
ご質問などございましたら、お気軽にどうぞ。
今日は食の町イポーからイポー最大の市場、セントラルマーケットをご紹介します。
とてもディープな朝市が楽しめます。
3階建てのビルで野菜、果物などはもちろん、
肉、魚、香辛料、豆腐、花、洋服、雑貨など
ありとあらゆるセクションがあります。
3階にはフードコートもあるのでぜひのぞいてみてください。
ハラルとノンハラルに分かれているのは
マレーシアならではですね。
野菜売り場。
果物売り場。
豆腐、豆乳売り場。
私は豆乳を購入しました。
ペットボトルに入っているので
すぐに飲めます!
Pasar Besar Ipoh
Address: Jalan Laksmana, Taman Jubilee, 30300 Ipoh, Perak
Open: 9 am to 6 pm
駅やこれまでご紹介した観光名所からも
近いので、いろいろ楽しんでくださいね。
マレーシア入国にはワクチン接種、PCR検査、隔離は不要です。
また、マスク着用義務もなくなり、とても快適なので、
(公共交通機関や病院、
それでは今日はこの辺で。また来てね〜。
なお、約1年ぶりに再開したYouTubeにも
市場散策の様子をご紹介しました。
良かったらご覧ください。
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【写真−1 日本の地下鉄ホームの造りは貧乏臭いと分かる】
後述するがマレイ鉄道の『KLセントラル駅』がアジアで利用した最南端駅かと思っていたが、マレイ半島最南端のシンガポールの『チャンギ空港駅』を思い出し、ここがアジアで最南端駅となり、1980年代にアフリカから日本へ一時帰国の途上で同駅を利用したと思っていたらまだこの線は開通せず記憶違いであった。
その後、シンガポールには何度も訪れチャンギ空港から鉄道に乗って市内に入っていて、一番最近は2018年で写真−1の『チャンギ空港駅』から市内のホテル近くへ行ったのを覚えているが、写真で分かるようにこの駅は地下にある。
【写真−2 同一軌道上なら無人の自動運転で良い時代】
チャンギ空港は行く都度に拡張され、シンガポールの交通網も格段に整備が進みかつてはタクシーを利用して市内を動いたが、今はこれら鉄道網を使えばタクシーは必要なくなり、バンコク、クアラルンプールも同じで鉄道は外国人には一番分かり易い乗り物であり、この点ではマニラ首都圏は交通網に関してはお粗末な状態が何十年も続いている。
写真−2はチャンギ空港の1〜3まであるターミナル間を繋ぐ『スカイトレイン』と呼ぶ自動無人運転の車両で、1990年にアジア最初の運用となり、この車両は三菱重工が開発し状況に応じて2両、3両と連結され、今ではこの手の自動運転は世界中に都市交通路線として普及している。
【写真−3 巨大なモールもあるし駅裏には高級ホテルも出来た】
上述したようにクアラルンプールの駅は最南端ではなかったが、写真−3は2001年に新しく造られた巨大なビルの中にある『KLセントラル駅』の通路で、マレイ鉄道路線、国際空港へ行く路線、軽量鉄道路線が何本も乗り入れ、市内の交通の要衝になっている。
写真−3の右端に『KLIA』と書かれた桃色の表示が空港行き路線入口で、マレイ鉄道はこのビルの階下に通っているためにかなり薄暗いホームであったが、『KLセントラル駅』の設計は日本の黒川紀章の手になり、建物上部を見ると近未来を感じさせ、黒川はクアラルンプール国際空港も設計している。
【写真−4 市内の交通網とは離れているために取り残された感じ】
『KLセントラル駅』を新しく造る前は写真−4の『クアラルンプール駅』がマレイ鉄道の玄関口になっていて、同駅は1886年開業で市内最古の鉄道駅として歴史を誇り、写真の駅舎は1910年竣工のイスラム建築様式を取り入れた歴史的建造物である。
同駅は『KLセントラル駅』の隣りにあり、『KLセントラル駅』から『バタワース駅』までマレイ鉄道に乗った時に停車中に見た駅構内は歴史を感じさせ、駅舎の2階と3階は1910年の竣工以来ホテルとなっていて、次に来た時に泊まろうと思ったが、客室などは老朽化激しく泊るのは止めた。
【写真−5 この寝台車は韓国製であった】
『KLセントラル駅』からマレイ鉄道で北上し、『バタワース駅』で途中下車し、対岸のペナン島へ渡った後にタイ国境を越えてバンコクの『ファランポン駅』まで行ったが、当時はマレイシア側『バタワース駅』から『ファランポン駅』までの国際寝台列車が運行していた。
写真−5がその当時運行していた寝台車内の様子で、昼間座っていた座席を夜間になると引き出して寝台にし、上段は壁に折りたたまれていたのを下ろすと寝台になり、カーテンで仕切るだけだから盗難も多そうな感じはする。
通路を挟んで平行に寝るようになっていて、時間になると係員が新しいシーツと枕カバーを持って寝台にセットしてくれるが、巷間いわれるほど不潔感はなく、この時は『バタワース駅』から終点『ファランポン駅』手前229キロの『フアヒン駅』まで利用したが快適であった。
【写真−6 タイで最も美しい駅といわれるとそう見えなくもない】
写真−6がタイ鉄道南方線の『フアヒン駅』で、同駅はタイ王室の宮殿がこの地にあるために1911年に開業した古い駅で、海辺の静養地として開け、映画『キリングフィールド』に出て来たコロニアル様式の古いホテルはこの地にあるソフィテルで撮影された。
『フアヒン駅』はタイの南方面に伸びる細長い半島が西寄りに最もくびれている地点に在り、この駅がアジア最西端の降りた駅になり、同駅に降りた時は薄暗い時であったが、駅前の道を真っ直ぐ歩いて海岸に出て、水平線から昇る日の出を見たのは印象的であった。
【写真−7 写真右の構内に同線で使っていた蒸気機関車が置いてある】
写真−7は『ホアヒン駅』ホームで、手前側がバンコク方面になるが、ホーム上にあるのはタイ王室専用の待合室で、同駅が王室と繋がりは深いことは分かるが、タイ様式で建てられた建物は遊園地で見る建物のようで近くで見ると安っぽい感じがした。
タイは昔から軍によるクーデターが頻発し、最近では2014年5月のクーデターとなるが、その後軍の首謀者は首相になって独裁状態を今も続けているが、そういった政治的揉め事は、世界一の財産持ちの国王が出て来ると収まる不思議な国でもある。
ところが今の国王は放蕩三昧で、王室を敬愛していたタイ国民も若者を中心に王室改革を叫ぶ事態になったが、『不敬罪』などという時代錯誤の法律で軍は取り締まっていて、タイも含めて中国、香港、ミャンマーなど独裁国家は考えることは同じで、平和ボケといわれる日本もその芽がないとはいえない。
【写真−8 駅のすぐ目の前が港で時間を過ごすには楽しい街】
新型コロナが世界中を恐怖に落とす直前の2020年正月に、台湾を鉄道で反時計回りに一周旅行をし、新幹線、阿里山山岳鉄道、特急などに乗車したが、この時最後に降りた写真−8の『基隆駅』がアジア最北端の駅となった(日本とフィリピンを除く)。
台湾の鉄道は都市部では地下化が進んでいて、この『基隆駅』も車両は地下を走っているが、初代の駅は清朝時代の1891年に現在の駅から北寄りに造られ、1920年に現在地へ移転し現駅舎は2015年竣工の5代目になる。
【写真−9 台北に泊まるよりは基隆の方がお薦め】
写真−9は4代目駅舎で、後ろの山に『KEELUNG』と白い看板文字が見えるが、今も同場所には同じような看板が建っていて、駅前を通り過ぎると戦前に建てられた歴史的建造物が港に並び、そういった建築物を観るだけでも楽しい場所である。
基隆港は台湾の北に位置し貿易港としても台湾有数だが、戦時中は日本や大陸からの日本の軍用船が攻撃に遭って、這う這うの体で逃げて辿り着いたきな臭い港でもあったが、訪れた時は大きなクルーズ船が寄航していた。
この台湾旅行を最後に海外旅行どころか国内旅行も出来ない『新型コロナ戦争』に世界は突入するが、未だ収束には至らず特に日本は酷く、知人の慶事で日本へ来ないかと誘われているが、日本の累計罹患者が2000万人に近づき、フィリピン390万人の数字を見れば日本へ行く気にはとてもならない。
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JUGEMテーマ:アジア
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の集計によると、ロシアが侵攻したウクライナから国外へ脱出した避難民が8日までに700万人を超えた。最も多く受け入れているポーランドには369万人が入国し、ロシアには104万人が移った。一方、2月末からウクライナに入国したのは231万人に上っている。このうちどれだけが、帰国後に再定住しているのかは分かっていない。(略)
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6428898
・・・・・・・・・・・・・・・
地続きだから脱出できるわけで、日本はどこにも逃げられません。北・C・R(+K)がタッグを組むと日本は大陸方面には逃げられません。太平洋側に出ても意味がないし。ま、極東で何かが起きたら、日本人は逃げ惑って死に絶えるでしょう。
]]>JUGEMテーマ:アジア
中国と韓国。この2つの国の間では度々、国民感情をむき出しにした大論争が巻き起こります。(略)そして、“新たな火種”となっているのが…。中国:「新型コロナウイルスの感染源の一部は、韓国から輸入した『衣類』だ」(略)「韓国から輸入した衣類にウイルスが付着していた」(略)「もう韓国の服を買うのをやめよう。最近、買おうとした服があったけど、やめるわ」「韓国は毎日、数十万の新規感染者が出ている。輸入品にウイルスが付いているのは、普通だろうね」といった声が上がりました。これに対し、韓国のSNSでは、「全世界を苦しめたくせに、反省もせずによくも図々しいことを言える。早く滅びてくれ」「これだから、中国は嫌い。韓国国内にいる中国人をすべて追い出そう」といった声が上がりました。韓国では、中国製品の不買運動を呼び掛ける投稿がされるなど、新たな火種は広がりをみせています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b8b92d
74a1e0ff0fc9e8a4d1d5ab4dce0edac0f
あ、そう。ふーん
・・・・・・・・・・・・・・・
両国とも、感情を理性で抑えるという教育がなされないので、このような羽目に陥ります。まあいいじゃないですか。同じレベルで言い合うのも楽しそう。
]]>JUGEMテーマ:アジア
ロシア兵が戦場でスマホや安全性の低い無線を利用しているため傍受が容易になっている(略)。情報の漏洩によりウクライナ軍に狙われやすくなっているほか、指揮統制の欠陥が浮き彫りになっているという。(略)ロシア軍は、安全な通信ができる最新機器を保有しているが、戦場の兵士は安全性が低くてもより使いやすいデバイスに手を伸ばしている。というのも、兵士らの階級間の規律がバラバラであり、ウクライナという広大な土地で持続的な戦闘を行う準備も不充分だったからだ(略)。スマホを没収されたロシア兵らが、ウクライナの民間人の携帯電話を盗んでロシアの家族に電話をかけているとの報告もあると同高官は話す。その会話からわかるのは、ウクライナ軍の抵抗によって侵攻が妨げられ、多くの仲間が犠牲になっているのを目の当たりにしたロシア兵の不満とモラルの低下だ。(略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8261be80a8
0c34359ec2b935fd3a71da89c94d0
確かに緩い相手ではあるが
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「モラル」ではなく、士気でしょう。日本語に置き換えると「精神・根性」かな。実弾が飛び交う最前線で、勝敗が決まる要素がモラルとは驚きです。いくら兵器自体がレベルアップしても、結局は戦争は「人対人」。日本に置き換えて考えると、日本の自衛隊隊員対Cあるいは北の兵士。「日本人」の方が強いと信じたいですね。
]]>JUGEMテーマ:アジア
コロナが本格的に始まる前の2019年頃の話です。
その頃の私は、天王星(占星術でいう変化や好奇心の星)にハックされていました。
好奇心を満たすため、オンライン英会話を始めたり、海外に3回旅行に行ったりしました。
いま海外旅行にいかないと当分いけなくなるという不安も後押ししていました。
もしかしたら、コロナのことを予感していたのかもしれません。
オンライン英会話の影響で、フィリピンに興味を持ち1人フィリピンへ旅立ちました。
下の写真は飛行機からみたマニラの様子。
思ったより近代的な街並みです。
このときの私は、フィリピンのパワースポットの企画を雑誌社に持ち込もうと思っていました。旅行前、フィリピン大使館まで出かけて調査もしていました。しかし、この旅行後、フィリピンはロックダウン。日本も志村けんさが亡くなる衝撃な出来事が起こり、海外旅行どころではなくなりました。企画書を送った雑誌社があったのですが、ゴミ箱行きになったのではないでしょうか(涙。
いま思うと2020年12月22日に起こる「グレートコンジャンクション(※)」にとらわれ過ぎていたように思います。
※西洋占星術で20年に一度起こるといわれている転換期です。
コロナの予感を感じながらも、星のイベントに期待を寄せすぎていました。
話はそれましたが、2つ候補があった1つ。マニラの「キアポ教会」になります。
※許可をとって撮影をしています。
マニラで最も古い教会の1つです。建物や中の展示物は、歴史の重みを感じます。
荘厳で神聖な空間でした。マニラに行くことがあったら、絶対に行くべきです。訪れるだけの素晴らしい価値があります。教会に日本語ができるかたがいて(もしかしたら日本人?)、丁寧に対応していただきました。このブログを読まれるかどうかは分かりませんが、その節は本当にありがとうございました。
おまけの写真。
フィリピンといえばジョリビー。左はハンバーガーではなく、素のお米の塊です。
値段は200円ぐらい。安いのか高いのか悩むところです。
ショッピングモールで見かけた日本語のお店「くもり」。
パン&スイーツのお店で日本食グループのひとつだとか。
タイ旅行と同じぐらいのノリで行きましたが、女性の一人旅は少し危険な気がしました。
微妙に治安の悪く、ほぼ緊張しながら移動や行動をしました。
タイだと日本人によく出会いますが、フィリピンでは日本の旅行者は観光地でご老人の団体のみでした。私のように1人旅の人はお見かけしかなかったかな。韓国の方はたくさんいましたけどね。
ここ最近、世界中でオミクロン株の話題が持切りです。2022年も先行き不安定です。コロナ騒動が収まり、気兼ねなく自由に海外へ行けるようになる日が一刻も早くくるよう祈っています。コロナが収まったら、フィリピンのパワースポットガイドマップを作ってみたいですけどね!
]]>【写真−1 ミャンマー国内で3番目に広い面積のヤンゴン国際空港】
仏教三大遺跡に挙げられるインドネシアの『ボロブドール遺跡群』は1991年、カンボジアの『アンコール遺跡群』は1992年に世界遺産へ早々と登録されているが、ミャンマーのバガン遺跡群は軍事政権時代の観光開発が祟って2017年になってようやく登録された。
時間に余裕があればバガンの遺跡巡りもかなり面白いと思うが、後ろ髪を引かれる思いでバガンからヤンゴンに向けて出発し、写真−1はヤンゴン国際空港のターミナルを機内から見た様子で、3500m級の滑走路一本しかなく手狭な状態となっている。
そのため、ヤンゴン北東80キロ地点に新国際空港を20年前から建設中で2018年開港予定であったが、当初請け負った韓国の企業体は資金難などで頓挫し、現在は日本の企業体が引き継いでいるが完成は遅れ、アクセスの悪さも解決されていない。
【写真−2 イギリスの植民地であったのに車はアメリカ式の右側走行】
2月にミャンマーは軍事クーデターが起きて、そのまま今年も終わろうとしているが、写真−2は民主派と軍と警察の鎮圧部隊が衝突した大通りで、中央に見えるアーチ状の歩道橋は大勢の市民がその上で見守る写真が残る。
歩道橋の向こう右側に見える白い高層ビルは室数462のシャングリア・ホテル。シャングリアは利に敏い中国系資本のためにミャンマー軍企業への食い込みは巧みで、シャングリアは市内中心にある湖の畔に外国人駐在員用の高級アパートを建てていて、日本人も相当数住んでいるという。
【写真−3 この丸味を帯びたビルマ文字からミャンマーの優しさを感じる】
世界にはたくさんの言語がありアルファベットで表記出来る言語は書かれている意味は不明でも馴染みやすいが、ビルマ語のような頭を捻るような表記は全くお手上げで読み方、意味は全く分からない。
写真−3はバガンで見かけたオートバイのナンバー・プレートだが、数字表記はあるのだろうが全く分からない。ビルマ語は隣国のタイ文字と比べて字体には丸い印象があり、やはりタイ文字と似ているラオ語も分かる人はその違いは分かるらしいが、分からない者にとっては象形文字を見るに等しい。
【写真−4 世界の首都の中で民族衣装が普通に見られるのは珍しい】
ミャンマーの男性は巻きスカートと同じ民族衣装の『ロンジー』を着用していると聞いてはいたが、TシャツGパンの時代になってミャンマーもさすがに少ないだろうと思っていたら、写真−4のようにかなり日常的に着用していることが分かり、この旅でこの民族衣装姿が一番印象深かった。
ロンジーも上手な着用法というのがあって、それがピタリと嵌まる様子は日本の『袴』を付けているようで凛々しい感じを受けたし、下部が開いていれば高温多湿な風土の中では涼しいのは確か。なお、ロンジーとひと口に言っているが男性用は『パソー』、女性用は『タメイン』と区別して呼んでいる。
【写真−5 ヤンゴン市内はアジアの首都共通の交通渋滞が激しい】
ミャンマーには各国からのODA資金が入り日本が断トツであるのは知られ、例えば2018〜2019年統計では日本は6億4600万ドルを援助していて、2位は世界銀行の2億2千万ドルで3倍も注ぎ込んでいてどう見ても異常で、しかもその中味は借款という借金でその率は90%以上に上回り軍事政権を助けているのは間違いない。
こういう歪なODAは他の国でも行われているが、ミャンマーの場合は軍と日本の政財界が密接しているための癒着から来るもので、さすがに軍事クーデター以降は日本政府は人道目的以外のODAは止めるといっているが、それ以前のプロジェクトは進行中で日本政府は軍事政権へ対する制裁意志は露ほどもない。
写真−5は雨の激しく降るヤンゴン市内をタクシーに乗っていた時に見かけた路線バスの様子で、車体の『出口』表記にはオヤッと思ったが、これは日本の中古バスをそのまま走らせているためで、東南アジアの街角ではよく見かける光景。
【写真−6 こういう当たり前の活動光景に戻ることが民主といえる国】
ミャンマーを訪れた2014年当時は民主派勢力が伸長し、写真−6のようにヤンゴン市内の街角には民主派を率いるスーチーの写真を前面に出して宣伝活動をしていて、ミャンマーも自由な政治活動が認められているとの印象を与えた。
ところが今年2月の軍事クーデターによって、ミャンマーの選挙で選ばれた民主派は一斉検挙され、スーチー以下指導者は裁判にかけられ、先日スーチーに実刑判決が下った。軍事政権は他のでっち上げた罪状を併せるとスーチーは禁固100年以上というからスーチー抹殺を考えていて茶番の何物でもないし、国際社会の反応が鈍いことにも気にかかる。
民主派は軍事政権に抵抗するものの既に死者1000人以上、拘束者多数となっていて先の見えない状態だが、こういった軍事政権の暴挙がまかり通るのも、中国を筆頭とする民主主義を敵視する権力があるためで、日本もその方向へ向かっているのを否定出来ない時代となっている。
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