太宰治の名作「走れメロス」。
一度はお読みになった方が多いのではないだろうか。
実は,この作品が誕生するについては,太宰治自身が人を待たせた経験が影響しているらしい。
讀賣新聞編集手帳に書かれていたので,興味のある方は引用記事をどうぞ(https://www.yomiuri.co.jp/note/hensyu-techo/20231216-OYT8T50001/ 讀賣新聞オンライン「12月16日 編集手帳」)。
【写真−1 黄波戸姓は全国に40人半数が長門市に住む】
『長門市駅』の手前が写真−1の『黄波戸(きわど)駅』で、現在は山陰本線の駅になっているが、1928(昭和3)年に駅が開業した当初は『正明市駅(現在の長門市駅)』から分岐する美祢線の終着駅であった。
5年後の1933(昭和8)年に同駅は山陰本線の駅として組み込まれたが、近くの海岸には『黄波戸温泉』があり、公営の温泉センターが青海島を臨む温泉として人を集めるが、駅の利用者は1日10人を切っている。
【写真−2 晴れていれば文字通り晴れやかな景色が広がる】
山陰本線と並行して国道191号線が『北長門海岸国定公園』内を通っていて、『黄波戸駅』を過ぎると写真−2のように車窓左に大きく開けた海岸沿いを走り、左手に延びるのは青海島のようだ。
青海島右手側に立ち寄ろうとする美祢線終点の仙崎があり、更にその右手には長門市市街地が広がり、14:29に『下関駅』を出た各駅停車列車は丁度2時間半かけて『長門市駅』に16:59に到着する。
【写真−3 同駅から目的地の益田駅まであと1本乗車】
写真−3は『長門市駅』に到着した直後で、電光表示板の左側は山陰本線の益田方面、中は山陰本線の下関方面、右側が同駅から出る美祢線の『仙崎駅』行きで、17:45発なので45分以上の乗り継ぎ時間があって余裕がある。
山陰本線は電車と気動車が入り混じって運行されているが、各駅停車列車は旧い車両を運行区間によって塗分けられていて、緑、黄色、赤色、無塗装があり、下関−益田間は赤色の『国鉄キハ−40系気動車』が使われている。
【写真−4 金色に縁取りした階段の形状には意味があるのか】
乗り換え時間に余裕があるのでホーム上を歩いていると、写真−4の長門市の観光案内看板があり『青海島』を紹介しているが、その右側に金子みすゞの代表作『大漁』の文が掲げられ、その表示の素っ気なさにいかにも金子みすゞを感じた。
青海島は長門市の北にある奇岩で知られる島で、今は橋によって本土側と繋がっているが日本百景にも選ばれ、江戸時代から明治末期まで沿岸捕鯨の基地となった港があったが近代捕鯨の波に乗れず捕鯨は消滅し、同島内の『向岸寺』には捕獲した鯨の胎児を埋葬した『鯨塚』があり、金子みすゞの詩作に影響を与えている。
【写真−5 山口県内で人口数11番目の長門市】
『長門市駅』は山陰本線と美祢線が乗り入れる長門市の中心駅で、山陰本線運行上同駅で折り返すように重要な駅になるが、写真−5のホームへ向かう改札口には活気は感じられず、1日の乗客は300人台がやっとという水準の有人の直営駅。
長門市は人口3万人で、下関市と長門市で衆議院山口4区になるが、横死した安倍晋三が70%前後の得票率で当選を重ねた自民党の金城湯池選挙区で、自民党は保守政党と言われるが保守するのは政治信条ではなく既得利権であって、地方議員からこの既得利権を握っているのが自民党の強さで、金に汚く嘘を平気でするのも同党の連中。
【写真−6 その内広大な構内と駅前を再開発してガラッと変わるかも】
『長門市駅』北口の様子が写真−6で、夕間暮れが近づいているせいもあるが人の姿は見えず寂しい雰囲気の駅前を歩くと、傍の土産店の上にスティーションホテルがあったが、営業しているのかどうか分からなかった。
『長門市駅』のかつては機関区があったために構内は広く、レール本数も多くその名残りで列車の夜間滞泊駅になっていて、蒸気機関車が運行していた時代には転車台も備え、この転車台は東武鉄道がSL列車を運行するために2016(平成28)年に『下今市駅』に移設された。
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俵万智の最新歌集『アボカドの種』に歌われた世界は、たとえば、?の「シャルドネ」、「ホスト万葉集」など、私には遠い世界だが、老いた両親との生活を歌った「キーホルダー」は、至近距離の世界だ。
耳遠くなって青葉の風吹いて母の小言は父に届かず
鼻水が出れば鼻水出たなあと鼻水をただ拭う父なり
愚痴、不満、悲観、諦念、母からのマイナスイオンたっぷり浴びる
新聞をとることゴミを捨てること一日百歩の父のリハビリ
そして「キーホルダー」冒頭の作、「九十の父と八十六の母しーんと暮らす晩翠通り」に、ありゃぁ!俺は万智さんの親世代なんだ、とはっと気づいた。
『サラダ記念日』でデビュー当時は、「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」という作品が示すように、俵万智さんは、高校の国語教師だった。同じような公立高校を職場とする若い同僚、といった感じで、年齢差など全く意識しなかったのだ。それにしても、なんという鈍感と苦笑した。しかし、こうしたちょっとした驚きも、このトシになれば、弱った脳のいい刺激になるだろう、と微笑もしてみた。
当時、編集委員の一人だった教科書に、俵万智のエッセイを推して載ったことなども、思い出した。俵万智作品が、まだ教科書にあまり採られていない頃だった(平成6年文部省検定済)ように思う。
掲載本文「ジグソーパズル」の後半 ▼
この教科書はこれまで採られたことのない教材がほとんで、親しかった昔の同僚が、教育出版の『新選 現代文』採用したけど、新教材ばかりで担当の先生、頭抱えているよ、と笑いながら伝えてくれたことも思い出す。新教材発掘を目標にしていた私としては大満足の教科書で、「ヴェニスの商人の資本論 岩井克人」、「なぜ車輪動物がいないのか 本川達雄」、「レイニー河で ティム・オブライエン 村上春樹」などの提案採録、今でもよかった、と思っている。本川達雄さんの教科書登場は多分これが最初ではないかと思うが、その後よく採られたし、ラジオ深夜便では大人気の登場者となった。「山の動く日来(きた)る」で始まる与謝野晶子の「そぞろごと」と「忘れ草つむ――女性の短歌・俳句」の一章も、今となっては先駆的だった気がする。
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『サラダ記念日』の鮮烈なデビュー以来、俵万智さんの歌集もエッセイ集も愛読している。講演を聴きに行ったこともある。最近の歌集。『アボカドの種』も取り寄せて読んだ。各紙・誌の書評も好評だったし。東京新聞は「土曜訪問』で取り上げ、作品の成立や背景、テレビの密着取材など、詳細に報じた。
NHKの「プロフェッショナル――仕事の流儀』は毎回観ていて、俵万智さんの時も観て、歌人の制作現場の映像に感銘を受けた。その四ヶ月にわたるドキュメンタリー番組が。この歌集の成立にも大きな役割を果たしたこと。歌集の「あとがき」にある。歌集の題名となったアボカドが大好きで、種からの水耕栽培も楽しんでいる、とも書いている。言葉から言葉をつなぐだけなら。例えばAIにだって出来るだろう。心から言葉を紡ぐとき、歌は命をもつのだと感じる、とも。
今日(2/15)の朝日新聞夕刊。「素粒子」に引用された一首は「優しさにひとつ気がつく ✕でなく〇で必ず終わる日本語」。これは歌集の帯にも載っている一首だ。歌集の最後の章は「答えは言葉」、末尾の一首は「つかうほど増えてゆくもの かけるほど子が育つもの 答えは言葉」だった。人を育て、励まし、癒すのは心と深く結びついた言葉――ということを改めて強く思った。
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新課程の科目「文学国語」の時間です。
2年8組。ペアワーク、しっかり取り組んでいますね。
「山月記」です。虎になっちゃうやつです。なつかしいですね。
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昔々、比叡山に赴く途中、梨木神社に隣接する廬山寺の前を通りかかったら、「源氏物語執筆地 紫式部邸宅跡」と大書された看板が目にとまった。側に大弐三位の「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」の歌と、紫式部の「めぐりきて みしやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな」の歌が刻まれた碑も建てられていた。歌碑は、この地が紫式部邸跡であると考証した角田文衛博士によって歌が選ばれ、1995年(平成7年)に建立された。比叡山に上るため、鴨川を渡って出町柳に急いだ。廬山寺墓所には、慶光天皇陵をはじめとして、皇族や公家の墓が数多くあることは後で知った。
「源氏物語 執筆地 紫式部 邸宅跡」の看板の掲げられた廬山寺表門 (撮影 1999・11・13)▲
廬山寺門前の紫式部歌碑 ▲
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NHKの大河ドラマ「光る君へ」の第3回(1/21放映)で、碁を打つ道長と藤原斉信に、藤原公任が宮中の女性たちからもらった恋の歌を見せ、女性の話に3人が華を咲かせる…『源氏物語』の雨夜の品定めを思わせる場面があった。
昔々、『源氏物語』読破に何度も挑戦したが、その都度、途中で挫折。 岩波の日本古典文学大系で読んだのだが、この大系本は頭注を参照するのが煩わしく、結局、新潮社の日本古典集成の脇注が便利と分かって、その5巻本で最後まで読めたのだった。
谷崎潤一郎訳は持っていたが、原典より先に現代語訳を読むことには抵抗があった。 マンガ本、「あさきゆめみし」なども出ていたが、手にする気にはなれなかった。源氏物語関係の書籍も今手元にあるのは、下の1冊だけ。
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NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まった。主人公は紫式部。平安時代の宮廷が主な舞台。『源氏物語』の作者の一代記。
作者は大石静。ヒロイン「まひろ」の母の死など、ちょっと筋立てに無理も感じられたが、まだ始まったばかり、期待して観ている。下の画面は第二回(1/14)の一場面。
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朝日新聞連載の「柄谷行人回想録 私の謎」を愛読しているが、昨日( 12月20日)は古井由吉との交流について語っていて、面白かった。 古井由吉は小田切秀雄が命名した「内向の世代」の一人だが、その世代は現実を内側からつかもうとした世代だし、1937年生まれの古井たちの世代は、戦争を子供として経験した世代だ、と柄谷はいう。 子供の場合。 いつか戦争に行くという 気持ちはあっても、 実際に徴兵される大人とは異なる。 しかし、それで子供が世界を観ていないわけじゃない。 子供の方が現実をよく見ているということもある。 そのような優れた子供の一例が、大江健三郎だという。 なるほどと思った。 わが恩師小田切秀雄の名も久しぶりに目にした。 「メモ」に簡単な紹介記事も載っている。
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太宰治の名作「走れメロス」。
一度はお読みになった方が多いのではないだろうか。
実は,この作品が誕生するについては,太宰治自身が人を待たせた経験が影響しているらしい。
讀賣新聞編集手帳に書かれていたので,興味のある方は引用記事をどうぞ(https://www.yomiuri.co.jp/note/hensyu-techo/20231216-OYT8T50001/ 讀賣新聞オンライン「12月16日 編集手帳」)。
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太宰治の名作「走れメロス」。
一度はお読みになった方が多いのではないだろうか。
実は,この作品が誕生するについては,太宰治自身が人を待たせた経験が影響しているらしい。
讀賣新聞編集手帳に書かれていたので,興味のある方は引用記事をどうぞ(https://www.yomiuri.co.jp/note/hensyu-techo/20231216-OYT8T50001/ 讀賣新聞オンライン「12月16日 編集手帳」)