JUGEMテーマ:中国武術
C先輩が、就職して下関に帰った一年後の夏のことです。私は、既に大学を卒業していましたが、就職もせずに、道場経営をするための準備に勤しんでいました。
そんなある夏の日の事です。先輩が、下関から小学校の体育館に出稽古にやって来ました。先輩は、下関で少林流空手の道場に入門して、稽古に励んでいました。その道場も、防具付きの組手をやる流派だったので、剣道出身の先輩には合っていたようです。
下関でかなり熱心に少林流空手を稽古していた先輩の動きは、見違えるようにスピーディーになっていました。さすがに、スピードが真骨頂である少林流空手を一年間修行しただけの事はあります。
私も、防具を着用して、先輩の前蹴りを受けてみました。いや、正確に言うと、受けようとしたんですが、構えてから、いきなり、
「ヤ―ー!」
と言いながら、放たれた先輩の前蹴りは、あまりに速過ぎて、受けることが出来ませんでした。
「ドン!」
と言う音と共に先輩の前蹴りが、私が着用していた胴に当たりました。
傍で見ていた友人は、それを見て、
「速い!」
と言って舌を巻いてました。胴を二枚重ねて着用し、その下に暑いバスタオルを入れていても、まるで鐘撞棒で胴を突かれたような重い衝撃がありました。防具無しの素の状態では、絶対に喰らいたくない蹴りです。
もっとも、やられっ放しの私ではありませんでした。やられたら、やられただけの分はヤリ返すのが、私の性分です。一分ほど、たった今自分の身に起きた事を顧みて対策を考えました。で、先輩に、
「なるほど、分かりました。もう一本、お願いします。」
と言って、構えました。
すると、先輩は、また、
「ヤ――!」
と気合を入れて、中段右前蹴りを放ってきました。私は、素早く腰を落としながら、左前腕を内側から外側に向って小さく回しながら、その蹴りを受け流しました。脛骨の内側を体全体を使った受け技で流された先輩は、痛そうな顔をしていました。
ウマく受けられたので、もう一度、練習したかった私は、先輩に再び蹴ってもらうように頼みましたが、先輩は、私の受け技を避けるようにして、蹴り脚を私の体の左側に放ちました。私が、笑いながら、
「どうして蹴らないんですか?」
と尋ねると、先輩は、
「痛いやないか。」(ー ー;)
と言って、実にイヤそうな顔をしました。C先輩は、体はゴツイ人ですけど、ひどく痛がりな人なんだと言う事をこの時、初めて知りました。(^^)
この日は、稽古を無事終えた後、遠方から訪ねて来た先輩を歓迎するために、皆で近くの居酒屋へ繰り出し、酒を酌み交わしながら、楽しいひと時を過ごしました。
中国拳法の下地があったC先輩は、その後、少林流空手の道場でぐんぐんと実力をつけて昇段し、師範代の地位にまで登り詰めました。(終り)
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JUGEMテーマ:中国武術
老師について中国拳法を学び始めた私たちですが、当時、C先輩以外にも、後輩や高校時代のクラスメイトなど、数人が、老師の指導を受けていました。
老師より、「自分たちで色々工夫して、稽古に励むように」と言う指示を受けていた私たちは、時々、知り合いが勤めていた小学校の体育館を借りて自主練習に励んでいました。そんなある夏の日の事です。
C先輩との稽古中に、私が先輩を中足(足の親指の付け根)で蹴って、先輩がそれを受けた時に、私の足の爪で先輩の前腕の皮膚が、刃物で切ったようにスパッと切れて出血すると言う事故が起こりました。
これは、老師から、
「ホントは、夏でも長袖のシャツを着てないとダメなんだ。足の爪で皮膚が切れるからね。」
と言われていたにも拘らず、みんな半袖Tシャツで稽古していたために起きた事故です。この忠告を聞いた時は、正直、
「そんな事が、あるんかな?」
と疑問に思ってましたが、自分自身が自分の足の爪で先輩の皮膚を切ってしまったので、老師の教えを認めざるを得なくなりました。それ以降は、私たちは、夏でも長袖のTシャツを着用して稽古するようになりました。また、稽古前には、必ず手足の爪を切る習慣もつきました。
我々が、夏の稽古に励んでいた時、友人のM君が、我々の稽古を見学に来ました。M君は、大学の少林拳法部に在籍していた拳法初段の腕前です。「少林拳法」というのは、末永節(すえながみさお)が大陸で学んだ中国拳法に福岡に伝わる杖術や柔術の理合いを採り入れて創始した独特の拳法流派です。名前が似ているので、よく「日本少林寺拳法」と間違えられますが、少林寺拳法とは全く違うスタイルの拳法です。
M君は、ただ見学に来ただけだったんですが、成り行きで彼にも稽古の相手をしてもらう事になりました。少林拳法は、グローヴと胴を着用し、ガンガン乱取りをやる流派です。技の理合いと言うよりも、どちらかと言うと、動物的な戦闘本能を発達させて、相手と組む人たちが多いんですね。
M君も、そうでした。身長は165?で体重も60?弱だったので、決して大柄な人ではないんですが、こちらがちょっと油断すると、すぐに
「テー―ショッ!」
と少林拳法独特の気合を入れながら、鋭い中足蹴りを入れて来ます。私も、胴と面を着用して、彼と組んでみました。勿論、彼に怪我をさせたくはなかったので、M君には攻撃だけをやってもらいましたが、型が全然違うので、彼の攻撃技をどう捌いていいかが分からず、何発かいいキックをもらってしまいました。
それを傍で見ていたC先輩が、自分もM君の攻撃を受けてみたいと言い始めました。で、二人が組んだんですが、C先輩も、M君の攻撃には、苦戦していました。何とか、先輩は、彼の放った前蹴りを前腕でジャストミートして受け落としたんですが、蹴りを受けた直後に先輩の前腕の一部が、プク―ッと膨れ上がって直径3?ほどのコブができました。M君の重い前蹴りを受け流さずに、正面から受けてしまったので、こうなったんでしょう。それを見たM君は、
「それは、マズいんじゃないですか?大丈夫ですか?」
と心配してましたが、先輩は、
「全然痛くないんで、大丈夫だと思うよ。」
と答えていました。先輩の言葉通り、コブは、すぐに消えて行きました。
こういう瞬間的なコブを見たのは、その時が初めてじゃありませんでした。それ以前に、老師が太極拳サークルの会員だった後輩のK君の額をやや曲げた人差し指と中指で打たれた時、彼の額に瞬間的なコブが、二つ出来たのを見た事があります。その時も、コブは一瞬だけ現れて、すぐに消えてなくなりました。マンガみたいな現象ですが、古式の拳法をやっていると、こういう特異な現象にしばしば出会います。
額に二つのコブが出来たK君と二人で、老師の指導を受けた時のことです。その時、老師は、我々二人に、離れた状態で対峙させ、全く当たらない突きや蹴りを放つ稽古を指導なさいました。
まず、私がK君に向かって、突きや蹴りを放ちます。K君は、その突きや蹴りに反応せずにジッと立っているようにと指示されました。それから、私にK君に向って、間合いを詰めて行くようにと仰いました。すると、彼は、気圧されたように後ろに下がります。
老師は、
「今、鷹野君が、気の勝負で勝ったんだ。当たらない突きや蹴りでも、それを相手が受け流さないと、相手は気を削がれた状態になるんで、弱くなるんだよ。」
と仰いました。で、今度は、離れた状態で、もう一度私がK君に向って当たらない突きと蹴りを放ち、K君が、それを受ける動作をするようにと指示なさいました。すると、私が間合いを詰めて行っても、K君は、私に気圧される事もなく、逆に前に出て来ました。
自分たち自身で経験しておきながら、たった今自分たちの身に起きた事が、信じられませんでした。役割を変えて、同じことをやってみましたが、やはり、当たらない蹴りや突きを受けない私が、K君に気圧され、受けると二人の気のレベルは、同等に戻りました。
驚いたK君が、
「そんなマンガみたいな。」
と言うと、老師は、
「これが、精神作用の為せる業だよ。古式の拳法って言うのは、マンガや小説の世界に登場するような武道なんだ。」
と答えられました。
私は、老師が中国に帰国なさった後に、入門した和道流空手の道場でも、同様の事を目にした事があります。ある時、数人で先生の指導を受けていた時、私の横に立っていた先輩が、先生に向って正拳突きを放ちました。勿論、話しながら、離れた位置から放たれた正拳突きなので、先生にその突きが届く事は無いんですが、先生は、その瞬間、その拳からご自分に向って来る見えない延長線を前足を少しお引きになりながら、手の平で受け流されました。
これを目撃した時、老師の教えを思い出し、その後、自分が指導する時も、弟子が離れた位置から自分に向って、突き蹴りの動作をした時は、同様にその気を流すようになりました。
ちょっと話が、自主練から離れてしまいました。話を元に戻します。
M君の前蹴りで、C先輩の前腕に瞬間タンコブが出来た事件から、一週間後に、C先輩と私は、老師から、前に出ながら、敵が上段や中段に向って放って来る前蹴りを受け流す太極拳の実戦技術をご指導いただきました。
そして、まだ残暑厳しい晩夏のある日、またM君が、我々が自主練している小学校の体育館にやって来ました。
前回、ウマくM君の前蹴りを受け流せずに、前腕に瞬間タンコブが出来てしまったC先輩でしたが、今回は、自信があったようです。再び、防具の胴を着用してM君と対峙しました。
M君が先輩に、
「いいですか?蹴りますよ。」
と尋ねると、先輩は、
「ああ、いいよ。蹴って来て。」
と答えます。そう言われたM君が、いつものように、
「テー―ッショ!」
と言う気合と共に、鋭い前蹴りを放つと、先輩は、左の腕を下に突き出しながら、M君の前蹴りを見事に受け流しました。この時、先輩が使った受け技は、敵の脛が自分自身の前腕の上を滑べっていくように受け流す技術です。
M君は、
「こんな風に、蹴りを受けられたのは、これが初めてです。」
と言って、かなり驚いていました。前回前腕に瞬間タンコブが出来た先輩でしたが、今回は、M君の蹴りをキレイに受け流すことが出来たので、満足げな顔をしてました。蹴りを受け流した前腕も、無傷でした。
この夏の自主練習の翌年に、勤めていた会社を辞めてフリーター生活を送っていたC先輩は、教員採用試験に合格し郷里の下関に帰って行きました。(つづく)
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王は、安徽省でその名を知らない者はないほど、その武名を轟かせた拳法の使い手だった。身長も、190?以上あり、体重も110?あるかなりの巨漢だった。
大抵の拳法家は、彼と立ち会うとその体格と体力に圧倒され、殆ど勝負にならなかった。王を倒して名を上げようと、挑戦して来る者は、後を絶たなかったが、王を負かせる人間は、まだ一人もいなかった。
唯一の欠点は、彼が、大酒飲みだと言う点だった。拳法の稽古の次に酒が好きだったので、夜の稽古が終わると、毎晩一升くらいは軽く飲んでいた。
だが、ある日、肝臓に鈍い痛みが走るようになった。師匠にその事を告げると、師匠は顔をしかめて、
「大体、お前は、飲み過ぎなんだよ。今の調子で飲み続けると、肝臓を壊して、拳法の稽古どころじゃなくなるぞ。」
と言った。
「どうすればいいでしょうか?」
「とりあえず、一週間に一回は、飲まない日を設けるようにしろ。」
「分かりました。そうします。」
本音は、たとえ週一回であっても、飲まない日を設けることは辛かったが、拳法の稽古は、続けたかったので、師匠の忠告に従って、休肝日を設ける事にした。師匠は、言葉を続けた。
「それからな、お前、顔に黄疸が出かかってるぞ。かなり肝臓が傷んでる証拠だ。針か指圧が出来る按摩に頼んで、傷んだ肝臓の調子を整えてもらえ。お前の体力なら、二ヶ月もすれば、肝臓の調子が元に戻るから。」
「ハイ、分かりました。」
そうは答えたが、生まれてから、一度も風邪すら引いたことがない丈夫な体だったので、漢方医や按摩の心当たりが全くなかった。八方手を尽くして、探していると、拳法使いの王が指圧をしてくれる按摩を探していると言う噂が広まった。
師匠から忠告されて一週間後の事である。一人の痩せた小柄な男が、王を訪ねて来た。
「知り合いから聞いたんですが、王さん、指圧の出来る按摩をお探しだそうですね。私が、診て差し上げましょうか?」
「あんた、指圧が出来るのか?」
「ハイ、一応、按摩と指圧を生業にしてますので。」
「そうか、じゃ頼む。」
王は、そう言って、李と名乗ったその男を家に招き入れ、ベッドの上に横になって、李の施術(せじゅつ)を受けた。李は、マッサージで王の体の血流を良くしてから、肝臓に関係のある全身のツボに指圧を施した。痩せっぽっちで小柄な体をしているくせに、李の指先は恐ろしく強かった。王は、全く予測していなかった激痛に
「ああーー、殺す気か?」
と悲鳴を上げた。すると李は、
「これでも、ユックリ押してるんです。暫く我慢なさって下さい。この程度の指圧でこれだけ痛みを感じられると言う事は、王さんの肝臓は、かなり傷んでるって事です。一週間に一回は、お酒を飲まないようにした方がいいですよ。」
と言った。王は、
「ああ、師匠にも同じことを言われたよ。」
と答え、また李の指先がツボに入る度に、悲鳴を上げた。だが、不思議な事に、施術が終わると、肝臓の鈍い痛みは消え、全身が爽快になるのだった。王は、
「これは、2ヶ月くらいコイツに按摩と指圧をしてもらったら、体調が元に戻りそうだな。」
と確信した。それから、2ヶ月、週一回か二回、李の施術を受けて、かなり体が軽くなって来た。顔に出かかっていた黄疸も、きれいに消えていた。李は、
「もう施術の必要は、ありません。でも、まだ完治したわけじゃないですよ。少なくとも、後10ヶ月くらいは、週一日、休肝日を設けないと、また、元に戻りますから、その点は、充分注意なさって下さい。」
と釘を刺した。
「ああ、分かったよ。世話になったな。」
「いえ。では、私はこれで。」
李は、恭しく頭を下げて、帰って行った。
それから、二週間後の事である。王の家に、挑戦状が届いた。王は、「ヤレヤレ、またか」と些かうんざりした気持ちになったが、挑戦状を受け取った以上、戦わないと逃げたと言われる。自分の武名が地に落ちる事は、武道家としての誇りが許さない。挑戦状の一番最後には、李某と名前が書いてある。知らない名だったので、大した武術家じゃあないだろうと気楽に挑戦を受ける事にして、指定の日に指定の場所に足を運んだ。
そこは、町の広場だった。噂を聞きつけた人たちが、既に大勢集まっていて、固唾をのんで試合が始まるのを待っている。
相手は、まだ来ていないようだ。人垣で囲まれたスペースに王は歩いて行って、対戦相手の到着を待った。すると、見物人たちをかき分けて、一人の男が、王の前に歩いて来た。
「アッ!お前は!」
「そう、あの時の按摩です。」
「なんで、お前がここにいるんだ?」
「なんでって、私は、拳法使いですよ。拳法じゃ食えないんで、生活のために按摩をしてるだけで。」
「まさか、お前、俺の事を調べるために、俺に近づいたんじゃないだろうな?」
「ご名答です。あなたの肝臓は、まだ完治していない。どこがあなたの弱点か、この指がシッカリ覚えてます。大柄なあなたに、まともにぶつかっても、勝てませんからね。点穴法をフルに活用して、戦う事にしました。」
李は、王に向って右手の指を開いてニヤリと笑った。王は、
「ナニ!ハッタリかましてんじゃねえぞ!」
と叫んだが、胸の奥に言いようのない不安が広がった。そもそも、李の顔を試合場で見たこと自体で、度肝を抜かれていたので、それだけで、王は心理的に先手を取られていた。だが、李は、165?程度の小柄な男だ。王は、この俺がこんなチビに負けるわけがないと思い直して、肚を決めて試合に臨むことにした。
互いに、拳法の礼式でお辞儀をして構えた。李の構えは、蟷螂拳のそれだった。王は、内心、
「なんだ。蟷螂拳か。脅かしやがって。蟷螂拳なら、対戦経験もあるから、大丈夫だ。どうせ、突き腕や首、眼なんかに向って、連続的に点穴技を放ってくるつもりだろうが、そうは問屋が卸さない。こっちは、蟷螂拳のパターンは、頭に入ってるんだ。」
とほくそ笑んだ。
二人は、じりじりと間合いを詰めた。王は、様子を見るつもりで、先に李の顔面に縦拳突きを入れた。案の定、李は、それを躱しながら、王のツボに向って、蟷螂手で連続的に突きを入れて来る。その動きに慣れていた王は、李の連続攻撃を受け流していった。王が、
「これは、いける!蹴りを入れたら、一発で終わりだ。」
と判断し、前に出る。だが、王の右脛骨に李の右足先が触れた途端、王の肝臓に激痛が走り、王は膝をついてしまう。次の瞬間、李の手刀が王の頸動脈に入り、王は、そのまま気絶した。
李が、肝臓に繋がっている王の中都と蠡溝(レイコウ)に足先で点穴を施したのだ。李の作戦勝ちである。脚のツボに点穴するために、わざと蟷螂手を見せて、蟷螂手で連続攻撃をし、王の警戒心を上半身に集中させておいて、脚の急所を狙ったのだった。
王の武名は地に落ちてしまい、李はその後、どこへともなく姿を消した。王は、この試合以降、一切酒を飲まなくなった。
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JUGEMテーマ:中国武術
※プライバシー保護のため、家族関係の設定や個人名等は、変えてあります。
ある秋の日のことだった。統一郎は、孫の守(まもる)を連れて、家の裏手の山へと入って行った。竈で燃やすための芝を刈り取るためだったが、道の途中で、守に山の中で採れるアケビや椎の実が実っている場所や、ケガをしたときに止血剤として使えるチドメグサが生えている場所を教えた。
守は、統一郎の三男の息子である。三男は、本土で商売をしていた関係で、満州の開拓団には加わらなかったので、ソ連侵攻時の災難を免れたのだった。
山歩きをしながら、山の中で生きるための術(すべ)を守に教えていると、突然、守が、
「爺ちゃん、おなか空いた。」
と言い始めた。だが、二人とも芝刈りをしてすぐ帰るつもりだったので、握り飯も持って来ていない。守は、家に帰るまで空腹を我慢するしかないと諦め始めた。すると、統一郎が、
「そうか、じゃあ、川に行こうか?」
と答える。守は、子供心に、釣り竿もないのに川なんかに行って、どうするつもりだろうと思ったが、口には出さずに、黙って統一郎の言うままに祖父と一緒に沢に下った。
沢に着いた統一郎は、守の見ている前で、ザブザブと川の中に入って行って、水中を凝視しながら、両手を水中に入れて、
「オイ!」「ホイ!」
と言いながら、素手で川魚を捕まえて、5匹ほど河原に放り投げた。守は、
「エー――?(@_@) ジイちゃん、すげえー!」
と思わず叫んだが、総一郎は、いつもと変わらぬクールな口調と表情で、
「こんくらいあれば、よかやろ?」
と守に言って、川から上がり、腰に下げていた鉈で器用に川魚の内臓を切り出し、沢に降りる前に拾い集めていた芝や枯草に火を点け、小枝に串刺しにした魚に携帯していた塩を振りかけて火で炙り始めた。
暫くすると、こんがりといい匂いがし始めた。二人で、焼いた川魚を平らげ、再び、山に入った。統一郎は、孫に色んなことを教えるのを楽しみにしているらしく、雨が降る前の予兆や嵐が来る前に現れる前兆などを教えていた。
ふと気づくと、太陽が西に沈みつつある。統一郎は、内心、
「しまった!教えるのに夢中になり過ぎて、日が傾いてるのに気づかなかった。」
と思い、急いで芝を刈って、下山することにした。日が落ちてしまうと、まだ幼い孫を連れて下山するのは、かなり危険が伴うからだ。統一郎は、少し緊張した声で、
「守、すぐ芝を刈って、暗くなる前に山を下りるぞ。」
と守に言った。緊張感が伝わる口調だったので、守も黙って頷いた。
統一郎は、枯れてすっかり葉の落ちた2mほどの高さの木の前に立ち、右腰に下げていた鉈を左手で、左腰に下げていた鉈を右手で同時に抜いた。
それから、フワー―ンと2m半ほど跳び上がり、落下しながら、物凄いスピードで鉈を振るい、
「カン!カン!カン!」
と言う乾いた音とともに、何十本もの枝を切り落として行く。統一郎が着地したのと同時に、バサバサと言う感じで、大量の枝が統一郎の足元に落ちる。まだ、足りそうにもなかったので、もう一度跳び上がって、同じことをした。二回の跳躍で、暫く困らない程度の量の芝を切り落とすことが出来たので、それらを素早く鉈で切った蔓で結んで、背中に負った。
その光景を口をアングリ開けて、見守っていた守に、統一郎は、
「すぐ、山を下りるぞ!」
と言って、守を連れて急いで山を下りた。
帰宅した守が、この事を両親や兄たちに話すと、さすがに誰も「おジイちゃんになったら、出来るようになる」事だとは、思わなかった。
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ある中国拳法家が、まだ高校生だったころの話。
ある日、体育の授業でラグビーの練習試合をすることになった。彼がラグビーボールを持ったチームメートと並走していると、そのチームメイトが、彼にパスをよこした。ボールを受け取って、彼が走り続けていると、横目にタックルを仕掛けて来ようとしている奴の姿が見えた。相手が近づいてタックルを仕掛けた瞬間、彼は後ろ足を前足に素早く引き付けてから、サイドキックを相手の顔面に向けて放った。
彼の踵は、見事に相手の顔面にめり込んだ。
すると、先生が、血相変えて飛んで来て、
「お前は、なんちゅうことをするか?<`^´>」
と彼を厳しく叱りつけた。でも、これは仕方がないのだ。だって、条件反射なんだから。(><)
ある土曜日の午後、C先輩が、うららかな青空の下、某小学校のグラウンドの側の椅子に座って、同じように隣に座っている用務員さんと世間話をしていた。グラウンドでは、小学生たちが、ソフトボールの練習に興じている。
C先輩は、話しながら、ふと横に向けていた顔を正面に向けた。すると、眼の前にグラウンドから飛んできたソフトボールが迫っていた。先輩が、咄嗟に十字受けの構えを取ると、ボールは、先輩の右掌で弾き返されて、キレイな放物線を描いてグラウンドの真ん中に飛んで行った。
先輩が、拳法をやってなかったら、鼻の骨が潰れていたかも知れない。
ある拳法使いが、少林寺拳法や空手の有段者を集めて、河原で稽古をつけていた。二人一組でやる稽古をしていたので、一人、あぶれてしまった。あぶれてしまったのは、少林寺拳法の有段者の男だった。
その男は、土手の上にキャンプ用の椅子を立てて、それに座って、稽古を見物していた。その彼が、ふと自分の横を見ると、巨大な蛇が鎌首をもたげていた。その瞬間、彼は、横にピョーーンと3mほど跳び、地面スレスレで肩からクルッと見事な受け身を取って立ち上がった。
それを見ていた一同は、皆一様に驚いて、
「今、物凄いジャンプしたねえ!」
と彼に言ったが、彼には、全く聞こえていないようで、
「ヘビ、蛇、ほら、ほら、ヘビ!」
と一生懸命そのヘビを指さして、叫んでいた。
後で、その男に、同じ姿勢で同じ方向にジャンプさせてみたが、何度やっても、1mちょっとしかジャンプできなかった。
これは、極度の恐怖心がなせる業である。
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JUGEMテーマ:中国武術
下の画像をご覧ください。
鉄掌功で有名な顧汝章が、12枚の耐火煉瓦を割った場面の写真です。
顧汝章は、幼い頃より潭腿を長じて少林拳と鉄掌功を学んだ武人です。この試し割を見る限り、この人の掌打の威力は、相当な物のようです。
人が、この威力のある掌打で打たれたら、一溜まりもないでしょう。まともに当たればの話ですが・・・・・・
この人が、劉森巌と言う武術家と公開試合で闘いました。彼の打ち出す掌打が、何度も劉の顔面にヒットしましたが、劉は倒れずに、顧を滅多打ちにして顧を負かしています。以前は、ネットで二人の試合を視聴することが出来たんですが、今は削除されているようです。
耐火煉瓦を掌打で12枚割れると言うのは、普通じゃありません。どんなに空手を長年修行しても、これは、出来ません。沖縄空手の人であっても、中国から沖縄に秘密裡に伝わっている特殊な気功法を修行してない限り出来ないはずです。
にも拘らず、顧は、試合でボコボコにされています。これは、一体どういう事でしょうか?それは、動かない耐火煉瓦を武術気功で12枚割ることが出来ても、それを動き回る相手に当てるための特殊な訓練を積んでいない限り、キチンと武術や格闘技を修行した人には勝てないと言う事です。
"Bricks don't move around."(「レンガは、動き回らない。」)
この点は、世の中にあまり知られていない部分だし、広く誤解されている部分でもあります。繰り返しになりますが、気功法を実戦や組手試合で活かすには、基本功だけでなく、動き回る敵を捕らえて打撃を当てるための特殊功を修練する必要があると言う事です。その特殊功を学べば、人間離れした速度の動きを身に着けることが出来るのです。中国武術や気功法を学んでいる方に分かりやすく説明させて頂くと、所謂「飛毛脚」と同じ原理の気功法をそのまま武術に活かすために行うのが、この特殊な気功法の鍛錬だと言う事です。
昨日の記事の中で紹介した本部朝基は、これを修行していたので、プロのボクサーを相手に蹴りを使わずに勝利を収めると言う離れ技をやってのける事が出来たんです。
そうじゃなかったら、50代や60代になって本来スピードが相当落ちているはずの空手家が、蹴りを使わずに、プロボクサーを手技だけで負かすことなんか出来るわけがありません。
組手や試合で、あまりに常識外れの強さを発揮する人は、例外なく、こういう特殊な訓練を積んだ人だと考えて差し支えないでしょう。合気道の植芝盛平なんかも、そういう範疇に入る人です。あの場合は、気功法ではなく、密教的な訓練の成果ですが・・・・・・
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会社JUGEMテーマ:中国武術
劉博は、春の清明節の休みを利用して、妻の美麗の故郷である黒竜江省へ遊びに来ていた。
美麗と出会ったのも、彼女と結婚式を挙げたのも北京だったし、結婚前に美麗の両親に会いに行った時以来の訪問なので、これが二度目の妻の故郷への訪問である。
その時は、仕事の都合でトンボ帰りで北京に戻ったので、妻の実家や親族の事を何も知らなかったが、今回ユックリしているうちに、この一族のほとんど全員が、武術の使い手である事を知った。道理で、夫婦ゲンカした時に、美麗を殴れなかったわけだ。 (「空手・拳法物語 2 ― 夫婦ケンカ」http://koshiki.jugem.jp/?eid=1071)
美麗の実家に着いたその晩に宴が催され、美麗の兄の家族も紹介された。その家族には、男の子が一人いて、名前を龍飛と言った。龍が天を飛び回るように、大人になって世の中で活躍できるようにと願って両親が付けた名前だった。
龍飛は、まだ9歳だったが、減らず口は叩くし、イタズラはするしで、両親も些か持て余していた。
夜遅くまで宴は続き、美麗と一緒にしこたまビールや白酒を飲んだ劉博は、床に就いた。翌日、朝早くに目が覚めて、二日酔いを覚ますために、まだ寝ている美麗を置いて、一人で近くを散歩していた。
すると、近所の松林の近くで龍飛が、拳法の型を一人で稽古している。
「よう、坊主、やっとるな。中々うまいじゃないか。」
「まあね、4歳のころからやってるからね。」
「ふーん、ここの一族は、美麗も含めて、みんな武術を使えるって話だな。」
すると、龍飛はニヤッと笑って、
「昨日、美麗姉ちゃんから聞いたよ。」
と言う。
「美麗から、何を聞いたんだ?」
「夫婦ゲンカして、姉ちゃんにボコボコに殴られたんだって。オジちゃんには、一生無理だよ、姉ちゃんを叩くのは。オジちゃんは、武術の素人だし、姉ちゃんも、俺と同様に、4歳くらいから稽古してんだから。」
これを聞いて、カチッと来た劉博は、軽く龍飛の頭を手の平で叩いた。いや、叩いたつもりだったが、龍飛にサッとそれを躱されてしまった。「オッ、こいつ!」と思って、追いかけて叩こうとしたが、龍飛は、それも、軽くかわしてしまう。
「へ、へ、へ、叩けるもんなら叩いてみなよ。でも、オジちゃんには、オイラを叩くことは出来ないよ。」
と憎まれ口を叩きながら、笑顔で逃げていく。我ながら、大人げないとは思いながらも、あまりにその言い方が大人をバカにした口調だったので、劉博も、ムキになって龍飛の頭を叩こうとしたが、どんなに龍飛の頭を叩こうとしても、龍飛は、ヒラリヒラリと劉博の攻撃を全て躱してしまう。一分ほど、龍飛を追いかけて攻撃を続けたが、全て龍飛に躱された劉博は、「ハアハア」と肩で息をしながら、動きを止めてしまった。
すると、そこへ、龍飛が素早く近づいて来て、劉博の脛を思いっきり蹴る。
「イテッ!このガキ!」
ますます、頭に来た劉博は、近くに落ちていた石を拾って投げつけようと思ったが、さすがにそれはマズいと思い直し、地面に落ちていた閉じた松ボックリを拾いながら、連続的に龍飛に投げつけたが、それも、全て龍飛によけられて、とうとう疲労困憊して、その場に座り込んでしまった。
劉博は、内心、「とんでもない一族と関わりを持ってしまった。」と美麗と一緒になったことを些か後悔した。
この時、劉博が、小石を龍飛に投げつけていたとしても、一切当たらなかっただろう。龍飛は、4歳の頃から、毎日父親から特別な訓練を施されていたからだ。
その訓練とは、どんなモノだったのか?それは、竹の筒の端に小さな穴を二つ開けて、その中に紐を通し、その竹筒を頭頂に立てて、顎下でその紐を結んで筒を固定し、松ボックリや木製の玉を上に投げて、落下地点に素早く移動して竹筒で受け止めるという訓練だった。これを二年ほど、訓練して、百発百中で竹筒で受け止める事が出来るようになったら、今度は、眉間のやや上に竹筒を装着し、正面から投げつけられる松ボックリや木球を竹筒で受け止める訓練をするのだ。飛んで来る物をよく見ていないと出来ない芸当である。
前者は、素早いフットワークと反射神経を鍛えるもので、後者は、主に動体視力と平常心を鍛えるための訓練である。
幼い頃から、こんな訓練を積んだ子供を素人の大人が殴ろうとしても、土台無理な話だ。
]]>JUGEMテーマ:中国武術
※プライバシー保護のため、家族関係の設定や個人名等は、変えてあります。
安斎一家は、艱難辛苦の果てに、満州から朝鮮半島を経由して、やっと日本に帰って来た。乗っていた船から博多港が見えた時は、家族全員が歓声を上げた。いや、船に乗っていた全ての引き揚げ者たちが、喜びの声を上げていた。
統一郎は、無事、家族を連れて帰って来れてホッとしていた。ソ連兵に拳銃を突き付けられた時のような危機的状況は、何度かあったが、統一郎の臨機応変な対応のおかげで、一家は、無事日本に帰国することが出来たのだった。
博多港に着いて上陸した引き揚げ者たちは、皆一様に疲れ切った表情をしている。無理もない。いつ殺されても、いつ強姦されてもおかしくない極限状況の中で、食うや食わずの強行軍で帰って来たのだ。誰だって疲労困憊する。
博多に着いても、統一郎たちは、満州に渡った時に親戚に管理を任せていた本宅まで徒歩で帰らねばならなかった。本宅に着いたときは、もう夜中になっていた。
その日から、食糧難との戦いが始まった。戦争が終わっても、食っていかねばならなかった。
統一郎の実家は、代々農家だったので、田んぼや畑は沢山ある。ある日、統一郎は、畑に出て作物が食い散らかされていることに気が付いた。大方、腹を空かした野犬か狸が侵入して来たんだろう。何とかしないと、飯の食い上げになってしまう。
とりあえず、塀の横までレンガで壁を作ることにした。耐火煉瓦を家人たちと一緒に運んで来て。その表面にモルタルを塗りながら、只管、レンガを積み上げていく。ただし、一番端は、レンガを真ん中から半分に割らないといけない。それに気づいた孫が、統一郎に、
「ジイちゃん、金槌取って来るよ。」
と言って、母屋に戻ろうとすると、統一郎は、
「要らん。」
と一言言って、
「でも、・・・・・・」
と戸惑いの表情を浮かべる孫の守(まもる)を無視して、レンガを手に取ると手刀をその真ん中に当て、
「フン!」
と気合を入れた。驚いたことに、レンガは、キレイに真っ二つになった。統一郎は、その後も、淡々と必要な分だけのレンガを手刀をレンガに当てた状態から次々と割って行った。それを見ていた家族たちは、一応に目を丸くしながらも、
(「ああ、きっと、おジイさんになったら、出来るようになるんだろうな。」)
と納得していた。そんな事、あるわけがない。
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※プライバシー保護のため、家族関係の設定や個人名等は、変えてあります。
安斎家の人々は、満州の自宅を引き払い、日本に帰国するために徒歩で朝鮮半島に向っていた。
ソ連が、日ソ不可侵条約を破って、満州に侵攻してきたからである。安斎家の人々は、ソ連との国境からかなり離れた地方に住んでいたので、侵攻が始まった当初は、ソ連軍の侵攻による被害を受けずに済んでいた。
だが、それも時間の問題だった。噂で耳にする話は、悲惨なものばかりだった。財産は、侵攻して来たソ連兵に全て没収されるとのことだった。それくらいで済めば、まだいい方だ。場合によっては、侵攻して来たソ連軍兵士によって、男は銃殺され、女は少女まで強姦されると言う話だった。馬車を手配して朝鮮に向かいたかったが、侵攻の混乱で、それもままならず、止むを得ず徒歩での出発になった。
なるべく早く満州から、朝鮮半島を経由して日本に帰国しなければならない。当主である統一郎は、強い危機感を抱いていた。既に、関東軍兵士だった長男はソ連軍に捕らえられ、シベリアに抑留されていた。長男は捕らえられたとは言え、まだ生きている。生きていさえすれば、また再会できる可能性もゼロではない。だが、残された家族は、何があっても無事に日本まで連れ帰らねばならない。
そんな思いで、真冬の満州荒野を寒さに震えながら、進んでいた。そのまま、歩き続けると全員凍死しそうだと言う思いに駆られ始めた頃、前方に小屋らしきものが見えて来た。
統一郎は、内心、ホッとした。
(「助かった!これで暖が取れる。一晩この小屋で過ごして、翌朝、陽が昇ったころに、また朝鮮に向かって行けばいい。」)
と考えた。連れている家族は、統一郎の妻、まだ中学生の次男と長男の嫁とその娘たちだけである。何もない事を祈りながら、小屋に入った。幸い、小屋の中は、無人だった。
暖炉があったので、火を起こし、室内が暖まって来た。極寒の中、長い距離を歩きに歩いて来た安斎家の人々は、やっと人心地ついた気分だった。
と、その時だった。いきなり小屋のドアが開いて、身長2mはあろうかと言うソ連兵が拳銃を手にして、小屋に入って来た。
統一郎以外の安斎家の人々は、
「ああ、もう終わりだ!」
と絶望した。だが、ソ連兵が入って来た瞬間、統一郎は、フワーッと2m半ほど跳び上がり、両掌で下からソ連兵の拳銃を取り上げたのだった。
件のソ連兵は、たった今自分の身に起こった事が信じられずに、暫く、ポカーンとした表情で、人差し指だけを引き金を引く動作で動かしていた。それから、我に返り、慌てて小屋から逃げて行った。自分が拳銃を向けた相手が、只者ではないとさすがに気づいたようだった。
だが、安斎家の人たちは、当主である統一郎のその動きを見ても、何も気づかなかった。みな、
「きっと、おジイさんになったら、こんなことも出来るようになるんだろう。」
と思っていただけだった。もちろん、そんな事は、あるわけがない。
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武術家、特に拳法家の条件反射についてのエピソードを三つほど、紹介したい。三つ「ほど」である。私自身のエピソードも入っているが、それは、まあ、オマケのようなものだと考えていただきたい。
まず、第一は、「福岡武道物語 ? “Don't think. Feel !” part 2」(http://koshiki.jugem.jp/?eid=112)に登場するC先輩と「福岡武道物語 番外編 ? ― 手錠を引きちぎる男」(http://koshiki.jugem.jp/?eid=119)に登場する私の幼馴染O君のエピソードである。
ある時、O君は、休暇を利用して、C先輩の郷里下関に遊びに行った。C先輩は、O君とともに下関の名所旧跡を訪ねた。その途上でのことである。二人で話しながら歩いていた時、O君が、良からぬことを思いついた。で、C先輩に、
「今、襲われたら、どうしますか?」
と言いながら、O君は、いきなりC先輩に抱き着いて投げ飛ばそうとした。その瞬間、C先輩の右の拳が、O君の唇の部分に入っていた。C先輩は、慌てて、
「アッ!ごめん、ゴメン。🙏」
と言って、必死でO君に何度も謝った。しかし、これは、古式の拳法の経験者にいきなり掴みかかったO君が悪い。
私も、一人で道を歩いている時に、いきなり後ろから人に抱き着かれて、右の後ろ肘打ちを相手の右脇腹に入れ、左手で相手の右肩を掴んで投げてしまった事がある。相手が、「ウッ!ワアッ!」と叫んで、背中から地面に叩きつけられてから、そいつが自分の後輩だと気が付いた。今でも、大変申し訳ないことをしたと思っている。因みに、この時、私が使った技は、拳法ではなく、和道流空手の「ピンアン三段」の応用である。
次のエピソードは、知り合いの拳法使いの話である。
ある時、彼が佐賀県の神埼市の禅寺で、拳法の合宿を行った。お弟子さんたちは皆学生だったので、大学の夏休みに一週間ほど寺に泊まり込んで、弟子たちを指導しながら稽古に励んだ。二日目の朝、彼が本堂で眠っている所に、お弟子さんの一人が来て、
「先生、起きて下さい。朝ですよ。」
と言って、彼を両手でゆすった瞬間、彼の裏拳打ちが、お弟子さんの鼻に入った。お弟子さんは、
「ウッ!」
と叫んで、鼻を押さえたが、手の平の下から血がダラダラと流れ落ちた。その翌朝、そのお弟子さんは、離れたところから箒を使って彼を起こそうとした。お弟子さんが、箒の先で彼をつつきながら、
「先生、朝ですよ。起きて下さい。」
と言った途端に、箒が「バーン!」と音を立てて、彼の裏拳打ちで払いのけられた。お弟子さんは、
「やっぱり!」
と言って、笑った。(^^)
最後のエピソードは、このブログでも紹介したことのある孫老師のエピソードである。
ある日、孫老師が、交差点で信号待ちしていると、老師の妹さんの友人が、たまたま老師の姿を見つけて、後ろから、
「お兄さん!」
と言って、老師の右肩を軽く叩いた。その瞬間、老師の一本貫き手が、その女の子の急所に入って、彼女は気を失った。救急車を呼ぶ大騒ぎになり、その後、老師は、妹さんから大目玉を食らうことになった。下手したら、彼女は、死んでいたかもしれないからである。
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