問題文として出されていた物語のあらすじをかいつまんで説明すると、
『あるところにずるい宝石商がいました。この宝石商は買い取りをお願いしてきた客に対していつもうそをつき、「これはあまり値打ちがないものだね」とうそをついて安く買い取っていました。そこへ純真で不憫な女の子がやって来ました。宝石商はその少女の純真さと不憫な境遇に心を打たれ、この時ばかりは本当の相場で少女の持ってきた宝石を買い取りました。』
こんな話。しかし、竜之介は「宝石の真贋は素人にはなかなか見分けられない」という事実、それから「物の値段には相場というものが存在し、需要と供給によって変化する」という常識がまだ分かっておらず、この物語の起承転結をよくつかむことができなかったのである。
これはこの生徒さんが珍しいということではなく、そういう常識を知っていて問題文の内容を理解できるかどうかというのが国語の点数を左右する重要な要素の一つなのである。なので私はこの授業でそういった常識について具体例を挙げながらかみくだいて説明をした。
そこでふと竜之介に「なんでも鑑定団とか見たことない?」と尋ねたのだが、見たことがないという。私は夏休みの間に1〜2回でいいので見てみて欲しいとお願いした。
もしなんでも鑑定団を見ていれば、素人には物の真贋の見分けがつきにくくだまされても不思議ではないこと、またそういう鑑定をする人間がいること、「これは復刻版が出てから相場が下がったんですよ。それまではもっと高かったですね」という鑑定士のコメントを聞いたりなど、上記の物語を理解するポイントが身についていた可能性は高い。
このエピソードから私が言いたいのは、テレビを見ることは国語力や一般常識を高めるのに役立つので(もちろん見過ぎるのは良くないが)ある程度、色々な番組を見た方がいいということである。以前、書店で「基礎から国語力をつけよう」といったタイトルの本に目を通したところ、「小学生の女の子が野球を見たことがなく、ピンチヒッターという言葉を知らなくて長文がうまく読めなかった」ということが書いてあった。これについても、何も球場まで足を運ばなくてよいからテレビでちょっと野球中継を眺めているだけでも知ることができたのではないかと思う。
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大まかなやり取りは次のような感じである。
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かのんちゃん(6歳)
「お父さんがお魚を食べたらアニサキスに当たっちゃって、お腹が痛くなったんだけど、お魚はお腹が痛くないんですか?」
司会者
「お父さん、大変だったね。いつそんなことになったの?」
かのんちゃん
「昨日。うふふっ…」
先生
「お父さん、大変だったねぇ…」
かのんちゃん
「うふふふっ…」
先生
「アニサキスの最終的な目的地は人間の身体の中じゃないんです。だから人間の身体の中に入ると内臓から一生懸命逃げ出そうとするんです。だから痛いんです。お父さんには二度とアニサキスにかからないよう、あんまり生食しないようにねって言っておいてね」
かのんちゃん
「お父さんがアニサキスに当たった数は、これで3回目なの!」
一同
「あははは…(笑)」
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文字に起こすといまいち伝わりにくいかもしれないが、小さな女の子がたどたどしい口調でアニサキスという難しい単語を連発したり、お父さんが実は3回もアニサキスに当たったという経歴を全国放送で暴露してしまうなど、聞いていて本当に笑いがこみ上げてくる内容である。興味ある方はぜひ元の音源を聞いて見て欲しい。
(↓一応 Youtube のアドレスを載せておきます)
https://www.youtube.com/watch?v=NXsj4N9IF3w#t=393
この話題でふと思い出したのだが、私も小さい頃、一度だけ子供電話相談室(TBS)に電話をかけたことがある。質問の内容は「招き猫には右手を上げているもの、左手をあげているもの、そして両手をあげているものがありますが、何か違いがあるんですか?」というものだった。
そして、ラジオ放送というのは大体このような方式が多いと思うのだが、いきなり本番の放送に対して電話がつながる訳ではなく、放送が始まる前にまずスタッフの人が電話に応対し、放送するのにふさわしい内容かどうか確かめる。そして採用された場合には本番中に再び電話を掛け直すことになり、そうでなかった場合は「後で調べてまたこちらからお電話します」という対応となる。私の場合は後者だった。
そして実際に放送後、それが先生だったのかスタッフの人だったのかはもうよく覚えていないが、子供電話相談室から私の家に電話が掛かって来た。回答の内容は「色々な種類があるようですが、特に意味の違いはないと思います」という味気ないものだった。私は幼心に「う〜ん、何か意味がありそうだけど…自分的には鋭い質問だと思ったんだけど…気のせいだったのかぁ…」と少しがっかりした記憶がある。
そして時代は2015年である。インターネットで「招き猫 右手 左手」と入力して検索すれば、あの日相談室の先生やラジオスタッフが調べようもなかった事実が一瞬にして画面に表示される時代になった。
『右手を挙げている猫は金運を招き、左手を挙げている猫は人(客)を招くとされる。両手を挙げたものもあるが、欲張りすぎると「お手上げ万歳」になるのが落ちと嫌う人が多い』(Wikipedia 『招き猫』より抜粋)
やはり右手と左手の違いはあったのだ。
ただ、時代は変わっても変わらない大切なことがあると思う。それは分からないことを「分からない」と言う勇気である。あの時の子供電話相談室がそう言ってくれていたら私のがっかり感はなく、そして調べることをやめなかっただろう。招き猫自体は大した話ではないのでよいのだが、自分がよく知らないことを適当に答えてしまうことはこうして間違った知識を広げたり、本当は何か大きな発見につながるかもしれない疑問をつぶしてしまう可能性がある。物を教える立場にある私は自分への戒めも込めてこのことを強調したい。
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