【写真−1 兵庫県内のJRの最東端の駅で特急は停まらない】
しかしJR西は『大阪駅』−『神戸駅』−『姫路駅』間87.9キロを神戸線と名付けていて、駅での案内でもそう表示しているが、現地の事情を知らないと神戸線は山陽本線とは別物と思ってしまい選択する列車を間違え易い。
路線沿線には大きな市が並び、『大阪駅』−『西明石駅』間は複々線、『西明石駅』−『姫路駅』間は複線になっていて名実共に阪神間の通勤通学の大動脈になり、写真−1は『尼崎駅』でJR神戸線に並行して私鉄大手の阪神と阪急が走っているので競争は激しい。
【写真−2 先頭車両に乗ったが地方の暇な車内光景の様】
この路線も新快速、快速、普通列車が走り、その中で『大阪駅』−『姫路駅』間を通して走る普通列車はなくて、次々と乗り換える必要があり、写真−2は『大阪駅』から乗車した車両内の様子で、この光景は都市圏で普通に見られる。
JR神戸線は1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けたが、翌18日には『大阪駅』−『尼崎駅』間と『西明石駅』−『姫路駅』間は運転を再開した。
最後に残った不通区間の『住吉駅』−『灘駅』間が4月1日に開通したことによって74日ぶりに全線が開通したが、さすがに震災後30年近く経っていると震災の痕跡はどこにも見えず、しいて言えば沿線のビルが新しいなと感じたくらいであった。
【写真−3 三宮駅と元町駅と大阪寄りの駅の方が神戸は賑やか】
東海道本線と山陽本線の境界が『神戸駅』というのは今回の旅で初めて知ったが、写真−3は『神戸駅』のホームの様子で、『神戸駅』手前の『三宮駅』の方が乗降客は多いためにホームの雰囲気は普通の駅の様に混雑感は見られないが、駅舎は1930(昭和5)年竣工の歴史的築で近代化遺産に指定されている。
また、同線を走る特急列車によっては『三ノ宮駅』に停まって、『神戸駅』を通過するのもあって、しかも新幹線は『新神戸駅』が山の手の方に造られ同じ神戸でも相互の接続性はない。
【写真−4 ホームの目の前に砂浜が広がっているとは意外】
『大阪駅』を出た列車は写真−4の『須磨駅』に到着し、同駅では『西明石駅』行きの列車に乗り換えるが、左側に待ち構えているのは『姫路駅』の先にある『網干駅』行きの快速で、普通列車だけの乗車旅なので見送る。
『須磨駅』のある一帯は神戸の海浜地帯で、ホームから見える砂浜は万葉集にも歌われた須磨海水浴場で、長さは1800mあって阪神では最も大きい砂浜になるが、ホームからは砂を運んで造成した埋め立て地のように見えた。
【写真−5 新幹線からは淡路島を繋ぐ明石海峡大橋が見える】
『須磨駅』からは『西明石駅』行きの普通列車に乗り、『西明石駅』から『姫路駅』行きに乗り継ぐが、同駅には山陽新幹線が接続していて、写真−5は在来線の『西明石駅』ホームの先に交差する様に新幹線駅が造られている。
こういう地味な駅に新幹線駅が設けられたのは、山陽新幹線はトンネルの多い路線で、『新神戸駅』は神戸の山腹に造られたために地形上待避線が設けられず、それを補うために『西明石駅』に新幹線駅が造られ、そういえば新幹線に乗った時に『西明石駅』で停まって後続の列車に追い越されたことがあった。
【写真−6 交通の要衝で観光地でもあり駅の造りは立派】
細切れに普通列車を乗り継いで『大阪駅』から写真−6の『姫路駅』に到着するが、同駅からは『相生駅』から海沿いの赤穂線に入り『播州赤穂駅』まで行く普通列車が出ていて、乗車まで50分分ほどあるので駅を出て姫路城まで行こうかと思った。
姫路城は新幹線で通過する都度に車窓から見えていつかは行って見たいと思っていてこの機会に傍まで行こうと思ったが、時間は限られ荷物を背負って雨の中を歩いて行くには少々気が重く駅を出てから考えようとなった。
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今日はお台場冒険王と東京都庁に行きました。お台場冒険王で食べたチキンラーメンとかき氷と唐揚げ推し良かったです&東京都庁の展望台からの景色やオリンピック展示良かったです。
JR四国予讃線で今年も2日間限定の駅津島ノ宮駅が開業します。この限定駅は参拝客のみならず鉄道ファンも多く訪れそうです。(ぉぃ)
さて、私は小学4年生から中学3年生までの間兵庫県西宮市に住んでいて、阪急電車の神戸線と今津線と甲陽線はよく乗ったり見たりしていました。大阪や神戸に行くときは基本的に西宮北口(HK08)から阪急神戸線の特急でしたが、JRや阪神電車のときもありました。西宮北口駅周辺は電車だけでなく当時西宮球場近くにあったスイミング教室とかでもお世話になりました。
その中の一つ阪急甲陽線は昔記事を書いていた戦前の阪急電車と阪神電車の激しい対立の産物であることはご存知でしょうか?
今回はその阪急甲陽線誕生秘話を書きます。
兵庫県西宮市には「西宮七園」という高級住宅地があり、阪神甲子園駅(HS14)やJR甲子園口駅(JR-A51)周辺にあり野球の聖地甲子園球場で有名な甲子園、阪急西宮北口駅西にある昭和園、同じ西宮北口駅の北にある甲風園、阪急甲東園駅(HK24)近くにあり関西学院大学など学校が多い甲東園、阪急甲陽園駅(HK30)周辺にあり甲山のふもとの甲陽園、阪急苦楽園口駅(HK29)より北西の場所にある苦楽園、阪急夙川駅(HK09)とJRさくら夙川駅(JR-A53)と阪神香櫨園駅(HS18)にまたがった地区が該当する香櫨園となっていて、いずれも大正から昭和初期に阪急や阪神が開発したものであり、現在でも関西有数の高級住宅街であるとともに西宮市トップクラスの人気小中学校学区にもなっています。(西宮七園の詳しい解説はこちら)その西宮七園は西宮北口駅前の西宮球場跡地を再開発したショッピングモール「阪急西宮ガーデンズ」の由来でもあります。
その中の香櫨園は阪神電車が開業して間もなくの1907(明治40)年に誕生し、開設者の香野蔵治(こうのくらじ)と櫨山喜一(はぜやまきいち)の名字の頭文字から名づけられました。
その香櫨園は8万坪という巨大な敷地に大きな池(現在でも片鉾池として残っています)や高さ50mから滑り落ちるウォーターシュートや水上自転車や小高い丘を行き来するリフトやメリーゴーランドなどを兼ね備えた明治日本では屈指の遊園地でした。
しかし駅から少し離れていてアクセスに難があったことから開業わずか6年後の1913(大正2)年に香櫨園駅より南側に海水浴場を開設すると同時に遊園地のアトラクションの一部を移設し、そのまま遊園地は閉鎖となり、跡地は住宅地として再開発することになりましたが、そこに阪急が阪神間の高速電車を建設することになりその跡地を通るルートで敷設することになり、香櫨園跡地の近くに夙川駅を開設することでこのエリアは事実上阪急のものになりました。
これには阪神も黙っておらず、今度は香櫨園から北の阪急より先にありラジウム温泉で有名だった別荘地の苦楽園までのトロリーバスを運行する計画になり、1922(大正11)年に免許を取得しました。
これを聞きつけた阪急は夙川から苦楽園のふもとを経由して甲山山麓の甲陽園まで至る甲陽線を急遽整備することになり、阪神の免許取得の数か月後に免許を申請して、許可を得てすぐ着工し、わずか2年後の1924(大正13)年に開業しました。その間に阪神は阪急対抗としてトロリーバスから鉄軌道への免許変更をすることになりましたが、結局は断念しました。
その3年後の1927(昭和2)年には香櫨園と苦楽園の間にトロリーバスの事実上の代替となる路線バスを開業し、これが阪急バスの前身となったほか、のちに阪神バスも甲陽園乗り入れを果たしています。
甲陽線は開業時は苦楽園や甲陽園への行楽客輸送が役目でしたが、やがて時代の変化につれて苦楽園や甲陽園はレジャー地から高級住宅地に再開発されることになり、その後沿線には学校も多数誘致され学生も多く利用するようになり、近年はアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の聖地としても甲陽線と周辺地域は人気を集めています。
甲陽線開業時は阪急創業時の車両である1形が使われていましたが、その後神宝本線などで不要になった810系や1010系や2000系などが使われるようになり、1998(平成10)年以降は山陽電鉄須磨浦公園駅(SY07)直通打ち切りで余剰になった増結車両の有効活用に加え今津線(南)ともどもワンマン運転になることから6000系が使われるようになりました。甲陽線の6000系ワンマン車両は今津線(南)と共通運用です。
阪急と阪神と西宮の歴史を語る上で、香櫨園や苦楽園や甲陽園をめぐる争いは重要だと思います。
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昨年の秋に西宮市甲子園でオープンしました
台湾カステラ&台湾から揚げの店『カバのおしり。』
JR甲子園口駅南口から徒歩10分。
国道2号線沿いの かごの屋甲子園店さんのお隣です。
コインパーキングも近くにありますよ。
国道2号線沿いにあります。
ちょっとした手土産にぴったりです。
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布引の山、南側の斜面を中心に紅葉していました。
駅から近いですし、このコースは人気ですね。平日ですが沢山の人が楽しんでいました。
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西宮市上甲子園に10/4オープンしました
台湾カステラ&台湾から揚げの店『カバのおしり』の
キャラクターをデザインさせて頂きました!
JR甲子園口駅南口から徒歩10分。
国道2号線沿いの かごの屋甲子園店さんのお隣です。
コインパーキングも近くにありますよ。
オープン日にお邪魔させて頂きましたが
焼き上がり待ちのお客さんでいっぱいでした。
焼きたてのいい香りがします。
まだプレオープン状態みたいですので
定休日など情報が確定しましたら
再度お知らせいします〜
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【作詞:千家和也 作曲:浜圭介 歌手:内山田洋とクール・ファイブ】
【写真−1 リーダーの内山田洋は2006年に70歳で鬼籍に】
内山田洋とクール・ファイブは第10番 沖縄・九州編 長崎 『長崎は今日も雨だった』に続く2回目で、同曲を作曲した『彩木雅夫』は9月16日に89歳で死去し、その作曲歴を見ると森進一の『命かれても』、『花と蝶』、『年上の女』、クール・ファイブでは『逢わずに愛して』があり、殿様キングス『なみだの操』と何れの曲も昭和の歌謡史に残る曲であった。
1969(昭和44)年発売の『長崎は今日も雨だった』は同グループのデビュー曲ながらミリオンセラーを記録するが、この時代の歌手は1年間で3枚も4枚もレコードを出し、それだけレコードは売れたことにもなるが、同曲は4年目で14枚目の発売になっている。
【写真−2 震災後にメリケン波止場はメリケンパークとして整備】
この曲の歌詞には『神戸』というフレーズが4回出て来るだけで、それ以外の神戸を現す語彙は登場しないが、1番に『〜船の灯りうつす 濁り水の中に〜』というのがあって、神戸が港町であることを示すが、これだけであり他のご当地ソング同様『神戸』の部分を入れ替えれば港町ならどこでも通じるご当地ソングになる。
神戸は横浜と並ぶ日本を代表する港を持ち、中でも神戸は1868(明治元)年に造られた『メリケン波止場』は有名で、淡谷のり子の代表曲1937(昭和12)年の『別れのブルース』にメリケン波止場のフレーズがあり、同曲は最初『本牧ブルース』の名前で作られ、そのために横浜がメリケン波止場の本家だというどうでも良い説もある。
写真−2は1960年代の神戸港を写した絵葉書で、まだこの頃は戦前からの建物が港沿いに建ち並び 荷役も今の巨大なコンテナで運ぶ船ではなく沖に停まった貨物船から艀に移して港に運ぶ方式を取られている様子が分かる。
【写真−3 横浜より当時の洋館は多く残っている】
江戸幕府は幕末期にアメリカなど5ヶ国と条約を結び鎖国から開国に踏み切り、その時開港されたのが函館、新潟、横浜、長崎、そして神戸の5ヶ所で、条約では外国人居留地を設けることが義務化されていて、神戸の場合、最初は港近くに居留地を設けていたがやがて周辺に設けるようになる。
特に六甲山麓は居留外国人に好まれその一つが写真−3の『北野町山本通り』で、戦争末期1945(昭和20)年3月17日と6月5日の野坂昭如著『火垂るの墓』に出て来る『神戸大空襲』を免れて一群の洋館類は残り、1980(昭和55)年に周辺を含めて『重要伝統的建造物群保存地区』に選定され、観光客を集めている。
【写真−4 建物だけを見ると西欧の佇まいでサービスも良かったという】
開港された港には西洋式ホテルが造られ、特に横浜の『ニューグランド』と神戸の『オリエンタル』は歴史的価値も付帯して有名だが、『神戸オリエンタルホテル』は1870(明治3)年に開業した、日本における西洋式ホテルで最古級になり、建物は何度か移転を繰り返している。
写真−4は昭和初期に撮られているが、右側の建物はメリケン波止場近くの海岸通りに1907(明治40)年に建てられた三代目のホテルで、前を走るのは港を結ぶ『臨港線』、走っている蒸気機関車は『B50』型だが、この威風堂々とした建物も神戸大空襲で被害を受け戦後に取り壊された。
オリエンタルホテルは次々と経営母体を変えて存続を図り、一時は倒産したスーパー最大手の『ダイエー』傘下にもなったが、2010(平成22)年に上述の建物のあった場所が再開発で17階建てのビルを建て『オリエンタルホテル神戸』という名で名門復活を目指して営業を再開している。
【写真−5 こういう被害を見越して建設をするが自然はそれを上回る】
1995(平成7)年1月17日、兵庫県南部地域はM7.3の地震に見舞われ、後に『阪神・淡路大震災』と命名され、特に写真−5の高速道路が波を打って基礎から折れている様子は都市型地震の恐ろしさを見せつけた。
後年、写真−5の高速道路沿い神戸に住んでいた知人からは『這って逃げた』と地震に遭遇した当時の話を聞いて、その怖ろしさを改めて感じたが、首都圏なども直下型地震の起きる確率がかなり高まっていて住むにはどうかという時代だが、その時はその時でという気持ちで住んでいるのであろう。
同地震は2011年の『東日本大震災』の発生までは戦後最大の死者6400人余を数えたが、当時小生は東京に滞在していて、その日の早朝に泊まっていた建物の屋外に大きな音と共に停電になったことを覚えていて、この大きな揺れが神戸を中心に未曽有の被害を生じさせるとはその時は思わなかった。
【写真−6 オウムと統一教会は体力か頭脳かで浸透しただけの違い】
同じ年の3月20日に『地下鉄サリン事件』が発生し、この時も日本に居たが、被害の大きかった地下鉄はいつも利用していた日比谷線と千代田線で、もしかすると自分も被害に遭ったかも知れないと思ったし、犯行グループが北千住駅から乗車したという事実には唸った。
写真−6は事件を伝える新聞紙面だが、これ以前から事件を起こした『オウム真理教』に対するニュースは山のように報道されていたが、サリン事件後に山梨県にあった教団施設を捜索して教祖などを逮捕しても、公安当局が事前に教団を摘発出来なかった責任は大きかった。
この当時、今問題になっている『統一教会』のインチキ性は社会問題化していたが、オウムの事件以降統一教会問題の注目度は薄れ、それが今の統一教会の自民党への浸透を許した一因と見られ、先日の安倍の『国葬儀』もどうせ国民はすぐに忘れるだろうと政府は見込んでの強行開催となり、何事も反省なく忘れ易い日本人の特筆が招いた。
【写真−7 こういう伝統からか西方面には優れた喫茶店が多い】
港町は新しい文化が入って来る所でもあり、缶コーヒーを初めて販売したコーヒー業最大手『UCC』で知られる上島コーヒーも神戸発祥だが、日本で最初にコーヒーを飲ませた店は諸説あるが、写真−7の図に描かれた神戸の『芳香堂』を挙げる人も多い。
芳香堂は天保年間(1830年〜1843年)に創業した老舗で、当初は宇治茶を中心の茶業であったが、明治年間になって写真−7左上の看板で分かるようにコーヒーを扱っていて、当時は『加琲』という字を使い、印度産というのにも目を引かれる。
写真−7の元は神戸商人を表した木版画で、1882(明治15)年に作られたものだが、それに先立つ1878(明治11)年に当時の讀賣新聞に芳香堂でコーヒーを飲ませる広告が載っていて、これが日本で最古のコーヒーを飲ませる店としての根拠とされているが、文献が残っている中ではと見るのが妥当ではないか。
この芳香堂、現在も企業として存続していて、元町にはコーヒー店も営業しているが、その昔は現在のようなコーヒー・ミルはなくて石臼でコーヒー豆を挽いたといい、同店では昔を再現してインド産の豆を石臼で挽いて出しているというから一度飲んでみたい気はする。
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桜が咲きましたね。
弓弦羽神社のしだれ桜がかわいくて好きなので見に行ってきました。
右側はもう木が古くて、花が少なくなっていました・・・。
今日は地車が出ていました。久しぶりに見ました。
コロナでお祭りも自粛続きでしたがやっぱり時々祭りの囃子も聞きたいですね。嬉しくなります。
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今年も御影のケーキ屋さんsecessionにお菓子の家が飾ってありました。
人形ひとつひとつの表情までとても細かく作り込まれていてすごい力作です。
ここのケーキは珈琲にぴったりで美味しいですよね。
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神戸北野にあるキッシュ専門店『神戸・近藤亭 Quiche-ya (きっしゅや)』。各三宮駅から徒歩7〜8分程度の北野坂の少し東にあります。
店頭写真を撮り忘れましたが、お店は階段を降りた地下1階です。
1階にひっそりと看板とメニューがあるのでこれを目印に↓↓
隠れ家的な感じで、お洒落な雰囲気。
お邪魔したときは平日の夜だったこともあり満席ではなかったですが、店内は14席のカウンターのみなので、予約していった方が確実です。
■メニュー
その名のとおりキッシュ専門店ですが、キッシュだけではありません(よく聞くCMみたいな謳い文句になりました)。18時からはキッシュはもちろん、充実したビストロ料理、ワインを楽しめるBARタイム営業となっています。
◆スモークサーモンとグレープフルーツのサラダ 900円
グループフルーツのはいったフルーティーなサラダ。見た目も華やかでスモークサーモンもたっぷり。
◆ほうれん草のキッシュ 550円
◆ポークのリエットのキッシュ 570円
(写真は連れと半分ずつシェアした状態↓)
お店の方が気を利かせて、二人で注文したものを半分ずつにして、写真の状態で提供してくれました。
キッシュは入り口のショーケースには10種類〜20種類くらい並べられており、ケーキみたいにショーケースをみながら選べます。
ここであらためてキッシュとは…
キッシュはフランス・アルザス地方の素朴な郷土料理です。カリッと焼いたタルトに生クリームと卵で作る生地を流し込み、様々な具材を加え、オーブンでじっくり焼き上げたものです。
(お店HPより)
とくに一番シンプルなキッシュ「キッシュ・ロレーヌ」は、飴色に炒めた玉葱と細かく刻んだベーコンの入ったこちらの定番人気メニュー。
『ほうれん草のキッシュ』は、「キッシュ・ロレーヌ」にボイルしたほうれん草を入れたキッシュ。
『ポークのリエットのキッシュ』はポークと鶏レバーをじっくり煮込んで潰したリエットのキッシュで、店舗限定メニューになります!
これまで私の中でキッシュは勝手にスパニッシュオムレツのタルト版のイメージだったんですが、全然違いました。卵焼き感は全くなくて、どちらも口当たりが滑らかで、生クリームと玉ねぎの甘味とミルキー感がすごい。
タルトもサクッと軽く、生地の塩味と甘味がマッチしてうまい。
これまで食べたキッシュとは似て非なるものでした。
◆骨付仔羊の低温ロースト 1,950円
◆アフォガート450円
こちらメニューは『アフォガート(バニラアイス・リキュール)』となっているのですが、お酒が苦手な旨を話していると、お店の方がリキュールを使わずに作って下さいました。何かにつけて気を利かして下さる優しいお店です。
◆ブルーチーズ入りガトーショコラ 400円
お店の外観や雰囲気、店員さんの気配りも素敵でした。お料理も見た目もきれいでこだわりのあるメニューばかりだったので、また行ってみたいお店です。
◆住所/神戸市中央区山本通1-7-5 メゾンブランシュ地階
◆電話/078-232-0620
◆営業時間/テイクアウト 11:00〜23:00
Bar 18:00〜23:00(LO22:00) Barタイムメニューはこちら
◆定休日/月曜(祝日の場合は翌日)
◆席数/14席(カウンターのみ)
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【写真−1 博多は新大阪から7駅目】
今回の新幹線グリーン席利用で唯一席が取れなかったのが、『さくら551号』で、京都始発で鹿児島まで行くが博多で下車をするが、指定席を取るのが面倒なので自由席で行くことにした。写真−1は乗り換えた新大阪駅の表示板で10時8分に発車する。
【写真−2 ドアが開いても殺到しないところが日本か】
ホーム上の自由席の乗降口は写真−2のようにかなりの乗客が列を作り混みあっている。目立つのは海外から来た人で、この列車のグリーン席の席が取れないのは海外からの団体客が席を占めたようだが、今のコロナウィルス騒ぎでこの手の乗客は激減。
【写真−3 席取りの煩わしさを思うと少々高くても指定席を選ぶ】
最初は自由席だから席に座れないのかと思ったが、京都から来たさくら551号は窓際だけに乗客が座り、席を選ばなければ座るのは簡単であった。写真−3は首尾良く3列席の窓側に座り車内を撮ったものですいている感じだが隣の席はすぐに埋まった。
【写真−4 それにしても広大な一等地をJRは持つ】
新大阪駅を出てから写真−4の操車場を目にする。近郊を走る車両が停められているが、こういう広大で利用価値の高い土地を保有しているのが国鉄から民有化されたJR各社。民有化はこの土地を放出あるいは再開発させるために仕組んだとの見方もある。
【写真−5 喫煙者は吸い殻をきちんと始末しないから嫌われる】
写真−3はさくら551号内で見た『喫煙スペース』。こんな狭い所で吸ってどこが良いのかと思うが、喫煙者にとっては長時間吸えないのは苦痛らしい。そこから喫煙は病気と同じで完治は大変だが、かつて喫煙者がのさばっていた時代を思うと嬉しい時代。
【写真−6 列車が走り出して慌てて撮った写真】
さくら551号は山陽新幹線と九州新幹線を走り、山陽新幹線では停まる駅が少なく、写真−6は次の新神戸駅。この駅には山陽新幹線が開通した当時に降りたことがあったが、神戸とはいいながらずいぶん辺鄙な山の中に駅を造ったなとの印象が強かった。
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