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土井たか子という人をご存じだろうか。
昔、日本社会党の委員長だった人。
日本初の女性衆議院議長になった人。
けれどこの人、非常に北朝鮮に近い人で、親中であり、左寄りな人だ。
けれどこの人、「おたかさん」という愛称で人気になり、
「マドンナブーム」とか「山が動いた」などともてはやされたのだった。
北朝鮮による日本人拉致について、それはウソだと言い続け、
北朝鮮が拉致を認めてから謝罪した。
さらにこれは明確な証拠が有る訳ではないが、非常に疑わしい事が有った。
北朝鮮に拉致された石岡さんという人が命がけで日本に手紙を出した。
それを受け取った拉致被害者家族が土井たか子に相談したところ、それを相手にせず、
その直後に石岡さんはガス事故で亡くなったと伝えられた。
どうしても強い疑いを持ってしまう事例だ。
日本よりも大陸や半島を擁護する姿勢であるにも関わらず、
テレビなどが持ち上げ、もてはやし、人気政治家になってしまった。
この日本のテレビの能天気さにはいつも驚かされる。
内容などどうでも良いのだ。
見た目が良いとか面白いとか、ただそれだけでもてはやしたりする。
本当にいつもいつも、テレビマンたちのアホさ加減には頭にくる。
土井の後を継いだのが辻本清美とか福島みずほ、といった面々だ。
言っている事、やっている事は日本を貶め、日本に敵対的な国の擁護ばかり。
けれど、女性だから、とか、おもしろいから、とか、
そんな下らない理由でテレビが持ち上げ、なぜか人気になってしまったりする。
日本の地上波テレビのニュースや報道番組は見てはいけないと強く思う。
テレビを見るなら下らないバラエティ番組だけにしておいたほうが良い。
そう言えばマスコミによる、次期総理は誰が良いか、というアンケート。
これも実に不思議な結果がいつも出る。
石破茂が一位だったりする。
上位に来るのは小泉進次郎とか河野太郎とか、、、、。
そんなものが総理大臣になったら日本が亡びる、という様な面々だ。
本当にマスコミというのはどうかしている。
ある選挙区で女性候補が複数出馬すると、政策の違いなどはどうでも良く、
「美女対決」などと持ち上げて騒ぎ立てる。
その候補たちの政策や理念などはどうでも良いのだ。
本当にマスコミは頭にくる。
話は変わって、「外患誘致罪」をご存じだろうか。
これは外国と共謀し、日本に対して武力行使を誘発するなどをする犯罪行為で、
刑罰は死刑しかない重罪です。
外患誘致罪とかスパイ罪とか、国の存亡に関わる重罪は
世界でも死刑とか終身刑とかの、非常に重い刑罰が科されています。
外患誘致罪に近い様な怪しい動きが日本ではたくさん見られます。
つい最近ニュースになった重大な問題が有る。
経産省の審議会資料などに中国の「国家電網公司」の透かしが入っている事が発覚したことだ。
けれどこれ、地上波テレビのニュースなどでは殆ど報道されていない。
こういう重大なニュースを報道しない地上波テレビというのは一体なんなのか。
尖閣諸島には毎日の様に中国海警の船が来て日本の漁船を追い払ったりしている。
これも全然報道しない。
海外のニュースも殆ど理解して報道している様には見えない。
トランプは悪者でバイデンは良い人、という様な方向性の報道ばかりだ。
「もしトラ」などと言って、もしトランプが大統領になったら大変だ、
という報道が目につく。
アメリカ民主党のやっている事がこれだけ酷いというのに、
トランプの方向性は非常に現実的で社会を安定させようとしているのに、
なぜそういう報道になってしまうのだろう。
マスコミというのは絶大な影響力が有る。
テレビを見る人は少なくなったし、新聞をとる人も激減したが、
それでもまだ絶大な影響力を持っている。
日本を貶め、敵対的な国を擁護しようとする人間を持ち上げたり、
国家存亡への橋頭保になる様なニュースを報道せず、
与党の汚職は報道するが野党の汚職は一切報道しない。
何が重要なのか優先順位をつけられない人達なのだろうか。
それとも日本を貶める為に活動しているのだろうか。
もし戦争になったら戦わない、という人でも、自分の愛する人を守る為なら戦う、
という人が居る。
けれど、愛する人を守るのであれば国を守らなくてはならない。
同じ事なのだ。
国を滅ぼそうとする勢力を、ただ女性だからとか面白いからという理由だけで
持ち上げてしまうテレビというものは本当に罪が深い。
土井たか子の後を継いだ福島みずほは、
日本を守る為のセキュリティクリアランス法案に対し、
「国民総身辺調査法案」などと大嘘をまき散らしている。
国家(国家とは主権、国民、領土のこと)を守るのが議員などの仕事のはずだ。
なぜ日本を破壊しようとする人間が国会議員をやり、それをマスコミが持ち上げるのか。
とにかく皆さん、マスコミに騙されない様に気を付けましょう。
そして、マスコミが一切触れようとしないニュースに注意を向けましょう。
そして選挙では国を守ろうとする人に投票をしましょう。
国を破壊しようとする人達に決して騙されない様にしましょう。
土井たか子議員は北朝鮮の為によく働く政治家でした。政治の場で北朝鮮の代弁をしていました。金日成とは単独会見。よど号ハイジャック犯グループとも懇意。拉致は全面否定。 pic.twitter.com/XqA9OmZg29
— 鷹之丞 (@takanojyou) March 26, 2024
大椿さんが日本国籍以外の人のために政治をしているのは分かります。 https://t.co/5d4Qg1wU85 pic.twitter.com/JfMyuMC9cJ
— 沖みら (@okimira_jp) March 23, 2024
高市さん、よう言うてくれました👍
— ドンマイおじさん (@don_mai_don_mai) March 26, 2024
>当該構成員が所属する自然エネルギー財団は中国国家電網の会長が、会長を務めている団体に理事会メンバーとして参加。
エネルギー安全保障は我が国にも大きな影響を及ぼす中核的な課題の一つ。
速やかに詳細な事実関係を確認し、適切な対応をしていくことが重要。 pic.twitter.com/aPEnISMWsx
渡邉哲也氏「メディアは騒がないが、問題が起きているのは河野大臣絡みばかり、イージスアシュア、ワクチン、入国システム、マイナンバー、再エネ…」 https://t.co/SjuTEwwwYH @sharenewsjapan1より しかしメディアでは次期総理候補として大絶賛中。メディアの誘導に騙されるな。
— 🎌千葉の次郎長(一心会)本名は愛甲雄一郎 (@tibanojirotyou) March 26, 2024
かなりヤバい事になっている 危機感が必要
なぜそんな事をするのか 想像するしか無い
どこの政党に投票するか 区別して考える
やむにやまれぬ大和魂 日本保守党
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これまで身体操作の基本技術を例示してきましたが、「歩行の技法」をすでに解説していますので、すでに軽いジョギングや山歩きなどを実践していると思います。そのなかでも理解の早い人は、すでに基本的な「捌き」すら出来るようになっているかもしれません。
そこで、ここで本朝の身体操作に於いて、さらに重要な指標(【独】Merkmal:しひょう)となる「構え」について解説しましょう。
ところで、小学館の『精選版 日本国語大辞典』では「構え」について、次のような用例を挙げています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
〔名〕 (動詞「かまえる(構)」の連用形の名詞化) 自然なものに対して、人為的につくられたものや、たくらんだこと。
1)かまえること。つくり。結構。構造。かまい。
2)つくったもの。邸宅。家屋敷。また、それを囲む一区画。囲い。とりで。
3)工夫。計画。はかりごと。こしらえごと。工作。
4)用意。準備。したく。そなえ。
5)人の姿や態度
(イ) 恰好(かっこう)。様子。姿勢。身がまえ。
(ロ) 身体の部分のつくり。特に、顔かたち。
(ハ) 武道での基本姿勢。体や精神のそなえ。「正眼の構え」
6)=かまい(構)。「面付(つらつき)」
7)漢字の部首の名称。「門がまえ」「国がまえ」など。
8)将棋で、ある陣形を作ること。また、その陣形。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もともとかなり昔から「構え」という言葉は、古武道の用語として頻繁に使われているのですが、日本では同様にテニスやゴルフ、野球などの西欧のスポーツでもこの言葉は転用されて使われています。さらに言えば、武道やスポーツに限らず、概ね身体操作をともなうであろう舞や茶道、華道など、日本のすべての芸事で、基本動作としての「構え」ということは、非常に重視されているのです。
もっとも、西欧的な芸能であるクラシック・バレエなどでも、まず決められた基本の「形(Form:フォーム)」を作ることから出発して、そこに何らかの精神性を埋め込もうとするものの、それに比較して日本の伝統芸能である能楽や能楽の影響を強く受けた地歌舞などでは、「構え」たその時には、すでにそのこと自体に何らかの精神性が添(そ)えられており、その意味で本朝で言う「構え」とは、西欧的な「形(Form:フォーム)」という概念とは、やや異なった意味合いをしているのです。
そういう理解で考えると「構え」というのは、辞書的な意味をやや離れて、ある特定の身体操作を可能とするための予備的な基本姿勢と、その「心映(こころば)え」というものを含んだ言葉であると言えるでしょう。
そういう理解があると、「構え」の本当の意味がよくわかるのですが、実はこのよう予備的な基本姿勢の重要性というのは、別に武道だけに限らず、あらゆる身体操作をする際にも、考慮する必要があるのです。ところが、理解が浅い人はこのような「構え」の重要性がわからないので、あたかもその身体操作を猿真似をしているだけのように思いがちですが、実はこのような「構え」は、必ず何らかの合理的な理由があって行なわれているのです。
つまり、このような「構え」には、隠された何らかの必然性があることを知らなければなりません。
それを例示すれば、それは音楽の世界でも同じであり、何らかの身体操作をともなう以上、楽器を演奏する際の「構え」にも、実は重要な意味がそこには隠されているのです。
例えば、Led ZeppelinのJimmy Pageが、Power CodeとしてOpen Codeを掻き鳴らした瞬間に、コードを押さえたまま両手をVの字に挙げるアクションを頻繁にしますが、これは単に格好をつけてそういうことをしているわけではありません。実は、このように空中にギターを放り上げる身体操作をすることにより、ギターの胴鳴り音を最大限に高めることでOpen Codeによる共鳴音のなかに倍音成分を最大限に増大させ、凄まじい音圧を創り出そうとしているのです。
これは、実際に彼のアクションを真似して、同じコードを同じタイミングで大音量で演奏してみないと、全く理解できないことですが、やってみて初めてその意味がわかるのです。ところが、理解の浅いものはこのような隠された意味が判らずに、単なる猿真似をしているなどと思ってしまうのですが、そのような理解は実に浅薄だと言えるでしょう。
ここまでの理解があると、Simon Mayerがこの曲を弾くときに、何故頻繁にポジションを変えて、ブリッジ側でピッキングしたり、フロント側(ネック側)でピッキングしているかが、ようやく理解できる筈です。
つまり、ブリッジ側でマンドリンを弾いた音とフロント側で弾いた音は、たとえ同じポジションでマンドリンを弾いていたとしても、意味が全く違うのです。それは、矩形波の尖った音圧を欲しいのか、それとも優しい共鳴音を含んだ音が欲しいのかで全然意味が違っており、このようなピッキングのポジションをその曲のなかで頻繁に変えることは、Simon Mayerにとっては明白な必然性があってやっていることを、ぜひ理解して欲しいのです。
このような理解があれば、身体操作に於ける「構え」の問題の半分ほどは、理解できたと言えるでしょう。
ただし、この程度の理解というのは、ちゃんと楽器を演奏できるものにとってはごくあたりまえのことであり、別段大騒ぎをするようなことではないのです。もっとも、一度も「我も又、其れを極めん」という経験の無かった者にとっては、おそらく一生理解することの無かっただろうことかも知れません。
もちろん、音楽だけでなく、概ね身体操作をともなうであろう舞や茶道、華道など、日本のすべての芸事で、基本動作としての「構え」という言葉が喧(やかま)しく言われるのですが、その高度に統御された身体操作の精華(せいか)とも言えるものが、最も顕(あらわ)れているのは、本朝の古武道でしょう。
わたしも、いち古武道流儀の修行者として、日々そのような「構え」の問題に取り組み続けているわけですが、これにはできうる限り予備動作である「起こり」を消すことで、相手に次の動作をいっさい予測させずに、いきなり刹那の間に抜刀して相手を斬りつけるという「抜刀術」の技術にも集約されているわけです。
このような、いわゆる「抜刀術」というのは、「剣術」の膨大な大系なかの一部でしかありませんが、特定の流儀の「理合」に依拠するこのような「抜刀術」を、自家薬籠中の物とするためには、膨大な基礎訓練の繰り返しなしにできるわけもなく、日々、只管(ひたすら)基礎訓練を繰り返した結果、このようなことが漸(ようや)く可能となるわけです。これには、ある身体操作を範例として教える流儀に継承された「形」を通じて、それを百回でも、千回でも、万回でも、百万回でも、飽きること無く繰り返し修練することでしか、それは獲得できないのです。
ですから、高度な身体的統御の技術を持つ「術者」どうしの間では、そのようにして練り上げられたある特定の「構え」を見れば、一眼、それを見るだけで、もはや相手がどの程度の腕か判断がついてしまうものなのです。
したがって、下手にこのような人物と諍(いさか)いを起こせば、最早(もはや)自分の身も無事では済まないかも知れないと瞬時に理解できてしまうので、こういう「術者」どうしの間では、概(おおむ)ね争いごとは起きません。それどころか「心得たるもの」としての共感もあるので、多くの場合、そのような「術者」どうしの間では、通常、互いに敬意を払いあい、窮めて融和的な対応がされるものなのです。
ところで、軍隊というのは、従軍記などを読んでもわかる通り、歩兵などは朝から晩まで隊列を組んでひたすら歩くことが仕事だったりするのですが、そのような長距離の歩行を可能とするためには、分隊行進の練習をブート・キャンプなどで厳しく仕込まれるものです。そのため、このような分隊行進の訓練(Disciplin)の経験があると、無意識のうちに歩幅がきっちり揃ってしまうという特徴があったりするのですが、わたしなど、古武道で微妙な身体操作の機微(きび)まで実践的に学んでいるので、そういう歩行を一眼で判別できてしまうのです。
ですから、そういう人物が歩いていると、つい反応してしまう癖があったりするのですが、そういう「できる奴」が近くに寄ってきた時には面倒臭いので、「逃げろ、逃げろ」とさっさとその場から消え去ることにしているわけです。
ほんまに、面倒臭いねん(苦笑)。
参考
「戦前期大阪花街における地歌舞伝承と芸妓の動向 ―南地大和屋の史料と北陽 佐藤くにの言説を中心に―」 笠井純一 笠井津加佐 人間社会環境研究 金沢大学大学院人間社会環境研究科 2020年9月30日
参考文献
『ペリー歩行分析 原著第2版 正常歩行と異常歩行』 ジャクリーン・ペリー 医歯薬出版 2012年3月1日
追記
ところで、このような窮めたるものどうしの共感というのは、およそどんな職業でもあるもので、例えば、料理の世界でも、イタリア料理とか、フランス料理とか、中華料理とか、日本料理とかのジャンルを超えて、互いに流儀は違うものの互いに「我(われ)もまた其(そ)を窮(きわ)めんと欲(ほっ)す」と、心血を注いで研鑽をしたものたちの間には、その「心映え」に確かな共感というものがあるものなのです。
そのような事例を挙げると、フランス料理のヌーベル・キュイジーヌ(【仏】La nuovelle cuisine)というのは、日本料理、特に懐石料理を発見したことへの衝撃がそこには素直に表現されており、日本料理の季節感を活かした盛り込みの美しさ、ソースの軽み、旨味の追求などの要素が引用されることで、伝統的な重いソースで食べきれないほどの量の料理を出すフランス料理から、旬の素材を使い、その持ち味や色、機能性を活かしながら、皿に余白を残してごく少量を盛り込むという革新がなされたわけです。
もちろん、このような懐石料理の発見という衝撃は、イタリアにも及んでおり、ヌオーヴァ・クッチーナ・イタリアーナ(【伊】La nuova cucina italiana)として、イタリア料理も同時期に全く同様の大革新がなされ、余白が活かされながら華やかに飾られた皿への盛り込みが、近年ではイタリアでも頻繁にされるようになったのです。
特に、最近では、イタリア国内に多数の日本料理店が進出した結果、イタリア料理の世界でも、パスタを茹でる際にその寸胴のなかに昆布の切れ端を入れるという技法が開発されたりもしていますが、これはブロッコリーを茹でた茹で汁でパスタを茹でるという伝統的な技法の応用ではあるものの、日本料理の旨味という要素のイタリア的な引用であるわけです。
もっと言えば、このような一種のハイブリッド化というのが、スペインのエル・ブジという料理の革命家を通して、世界の料理界でもはやトレンドになっており、欧州ではすでに数年前から、鰹節の製造技法を使って干した鹿肉の塊に青黴菌を噴霧して熟成させることで、かちかちに脱水させて鹿肉の鰹節と呼べるようなものを作り、それを薄く削ってスープの出汁をとることさえされるようになっているのです。
要するに、それぞれの国の料理を、その骨格を残して見事に換骨奪胎させているわけですが、わたしなどそれを知ったときには、かなり悔しい気持ちになったものですが、これもう見事な「本歌取り」ですから、認めざるを得ません(苦笑)。
でも、ああた、古典がわからずに、トレンドばっかり追ったら、そりゃ、ただの無国籍料理にしかなりませんぜ(苦笑)。
参考
「日本の土壌と文化へのルーツ㊷ イタリア料理」 田中耕一郎 東邦大学医学部東洋医学研究室
「まつのジビエ」 NPO法人「森の息吹」
日本でもこれ作ってますけど、これヨーロッパのシェフが先にやってましたよね。ちょっと製法特許取るの無理ちゃうんかなぁ〜(苦笑)♪
参考文献
『イタリア料理大全:厨房の学とよい食の術 』 ペッレグリーノ・アルトゥージ 平凡社 2020年7月17日
『イタリアの地方料理 北から南まで280の料理』 柴田書店 2011年4月5日
『別冊専門料理 イタリア新時代 これからのイタリア料理』 柴田書店 2019年7月3日
追記2
楽譜、楽譜とか言うけど、平均律の楽譜なんて、TAB譜に比較して情報量めっちゃ少ないというか、あんなもんあかんねんけどね。だって、ギターなんておんなじ音で、ポジション最低でも3つぐらいあるわけで、平均律の楽譜ではそれを記述できないわけ。
つまりローポジションのパワー・コードで弾いた音と、ミドル・ポジションの音と、ハイフレットの音とか、全部意味違うと言うか、音が全然違うわけで、それを聴き取れるかどうかが、かつては能力だったんやね。
おっちゃんの時代なんて、Jeff BeckのJeff's Boogieとか弾きたくても、ポジションがわからん(ビデオなんて無かった時代だから)から、コンサートを見に行って、ああ、あんなポジションで弾いてるわぁとようやくわかって、ちゃんと弾けるようになったわけ。今は、YouTubeを見れば、簡単にフィンガリングとかわかるやん。それで弾けないとか、あんたそれどうよという話。はっきり言って、レコードだけしか無かった時代に同じ音を出すために、どんだけ膨大な努力をしたか、わかるんかと言いたい。
さらに言うなら、ナットがプラスティックか、水牛の角か、牛骨か、ブラスかとか、フレットがレギュラーか、ジャンボ・フレットかとか、やっぱりこの硬い音はメイプル指板で、この甘い音はローズ指板だとか、ああこのビブラートはスキャロッピングしてあるわとか、ブリッジはバダスかなぁ、いや違うオリジナルだとか、あれこのアーミングめっちゃが落ちてるやんか、これSGのブリッジ削ってもっと音落ちるように改造してあるわとか、これフロイト・ローズの音だとか、いやこれケラーだよなとか、ペグはこれグローバーとちゃうなぁ、シャーラかとか、ああこれロッキング・ペグの音してるわとか、弦はアーニーボールか、ギブソンか、ああこれダダリオでこれゲージは幾つだとか、ピック・アップはオールド・ギブソンで、いやシェクターかとか、ハム・バッキングではなくて、シングル・コイルの音だけど、これオールドのフェンダーのピックアップをさらにリワイヤリングしてあるわとか、いっぱいあるわけ。
もっと言うと、エフェクターひとつとっても、なるほどオレンジ・スクィーザーでトレブル・ブーストしてるのかとか、いやこれマエストロのエコープレックスをブースターにしてるわとか、しかもダンロップのワウ・ペダルでトーン・コントロールしてるのかとか、ああこれエフェクターでフランジャーかけてるわ、ちゃうわアンプのフランジングだとか、ああこのオーバー・ドライブはエレクトロ・ハーモニクスの音してるわとか、しかもエキサイターかけてるのかとか、エコーは、テープ・エコーか、スプリング・エコーか、鉄板エコーか、デジタルかとかいっぱいあるし、このアンプはフェンダーのツイン・リバーブか、こっちはオレンジか、これピービーか、これはマーシャルだわ、これポリトーンのタイニー・ブルートか、これハイワットだわとか、いやこのオーバ・ドライブした音は東京サウンドのグヤトーンか、音硬いけど綺麗なんでヤマハか、うんスモーキーなこれはローランドかとか、エレピはこれフェンダー・ローズの音が丸出しだわとか、こっちはヤマハか、違うわこれカーツウェルだとか、ああこのオルガンはハモンド特有の音だわとか、そこには膨大な機微(きび)があるわけよ。
そんなこと全てをレコードの音だけから聴き分けること、あんたらできますかと言いたい。わたしたちの世代は、それを実際にやってるんでね。おっちゃんの世代は、わけ知りこいてるの糞馬鹿の餓鬼どもには、一切理解できないような膨大な努力をしてきた世代なわけっすよ。
おっちゃんも、楽譜読むのあんまり得意やないけど、今時、楽譜入れたら、シーケンサーでなんぼでも演奏できるし、演奏するだけで楽譜化するようなソフトウェアいっぱいあるわけで。
そんなことより、楽譜化できないような音も、例えば、アーミング音とか、ピッキング・ハーモニクス音とか、弦を擦るスクラッチ音とか、スライド音とか、いっぱいあるわけ。
そういう総体で音楽というのはできているから、楽譜通りに弾けば良いとか、全く理解がおかしいわけ。そりゃ、その音を指定してあるんだから、そう弾くのはあたり前だけど、それだけなら、楽譜打ち込んで、シーケンサーで演奏させればいいわけで。そうじゃないのは、音楽というもの、いや、およそ芸術分野で全て問題となるのだけど、常に解釈というのが問題になるわけ。そういう解釈がきちんとできない奴というのは、ロックだろうと、ジャズだろうと、クラシックだろうと、演歌だろうと、民謡だろうと、民族音楽だろうと、なんでもいいけど、演奏家としては三流以下なわけ。
つまり、最終的に、それは態度(Attitude:アティチュード)という問題に行き着くのだけど、それがわからん奴が多すぎるわけ。
先人の莫大な努力に対する敬意なし(アティチュードなし)で演奏するだけなら、そんなもんただのパクリというか猿真似なんでぇ〜。それをちゃんと本歌どりして、自分の踊りにするから意味あるわけで。そういう理解なしに、ただただ猿真似やっているだけの奴が、ちょっと多過ぎるから、わたしなんて、それあんたどうよと言いたいわけ。
そんなしょうもない単なる模倣というか、猿真似芸のパッチ・ワークを聞かされたら、あんた怒り出すのあたり前でしょ、と言いたいわけ。
ああた、わかってますか?
なぁにが、K-POPじゃ(苦笑)。
Jazzクラブの名店、Blue Noteに開店から2ヶ月半で見限られるような連中が、音楽わかってるふりすんなやぁ〜♪
日本製のエロ・ビデオを違法コピーしてきて、それにガールズ・グループのセクシー・ダンスを編集で混ぜ込んで、闇でインターネットにばら撒いてるような阿呆どもに、偉そうにされたないわぁ〜♪
おまえら、全部「金太郎飴」みたいに、おんなじ芸やってるだけやないかぁ〜♪ 踊りだけやなくて、顔や表情の作り方までいっしょの「工場生産品」やしぃ〜♪
ほんまに気持ち悪いねん(苦笑)。
追記3
実は、そのような身体操作の技法としての「構え」という問題は、別に武道やスポーツだけで重要視されているというわけではなく、例えば、ローマ・カトリックに於ける堅信礼(【英】Confirmation)や按手礼(【英】Ordination)などの儀礼の際にも顕著に見られますし、また、大乗仏教、特に密教に於いては「印契( मुद्रा:mudrā:いんげい)」として、その「構え」自体がある特定の意味を表象する「秘蹟(ひせき)」にすらなっているのです。
特定の「構え」が表象する事例を、もっと例示すれば、中国の伝統的な秘密結社である「幇会(パンフェ)」の一員であることを示すある特定の「構え」というものがあり、それは次のような手の構えを示すことでなされたりするわけです。
また、身体操作として、まさにある特定の「構え」をして見せることでもそれは為されるのですが、もし相手がこのような「構え」を見せた場合には、その構成員はその「構え」を見せた人物を「大人(dàrén)」として扱わないと、廻り廻って自分たちが恥をかく羽目になるわけです。
わたしの確認したところ、どうやら現代の渋谷でも、中国人どうしで、それをまだやっているようです(苦笑)。
このような「構え」の事例を、もっと言えば、西欧ではコルナというサインがありますが、これをモチーフにした絵画は、地中海世界である古代ギリシャや、中世イタリアでも頻繁に見られるのですが、これはもともと「寝取られ男」を意味する侮辱の意味でした。
実は、このサインはヨーロッパに於けるキリスト教の受容以前の信仰が基盤になっており、そのような基層文化の名残りが顕れているのですが、このような信仰はキリスト教の受容とともに否定されたものの、その幾つかは民間に長く受け継がれており、所謂(いわゆる)悪魔崇拝のシンボルとしても知られているのです。
もっとも、キリスト教受容以前の基層文化の信仰を、悪魔崇拝などというのは全くの誤謬(ごびゅう)であり、実はそのようなキリスト教受容以前のディオニソス崇拝などの信仰であっても、現在でもローマ・カトリックではそのような古代的な信仰を形を変えて聖人として列席しており、これはごく普通に信仰の対象となっているものなのです。
ただし、現代では、これは「メロイック・サイン」として知られているのですが、わたしの調べたところでは、おそらくロニー・ジェームス・ディオがステージでやり始めたのが、最初なのではないかと推察しているのです。
ひよっとしら、こっちが先かもしれませんけどね(苦笑)。
汝の本源に遡及せよ。
P.S. R.I.P. Ronnie James Dio 2010/5/16
参考文献
『象徴的分類』 ロドニー・ニーダム みすず書房 1993年4月1日
『儀礼としての相互行為―対面行動の社会学』 アーヴィング・ゴッフマン 法政大学出版局 2012年6月1日
『カーニバル!』 ウンベルト・エーコ モニカ・レクトール V.V. イワーノフ 岩波書店 1987年5月7日
『祭りと叛乱』 イヴ=マリ・ベルセ 藤原書店 1992年6月1日
『日本的霊性 完全版』 鈴木大拙 角川学芸出版 2010年3月25日
追記4
これは、宗教学に熱い青春の血の全てを叩きつけた、Hackの王者、White Wizardの華(はな)と嵐(あらし)の物語である。
行くぞぉ、ゴングだぁ、とび出せファイト♪
出て来る奴は、ワン、ツー、霞打(かすみう)ちぃ〜(鞭のように撓(しな)るぶらぶらの手で、相手の眼球に叩きを入れる)♪
ノックアウトだぁ、右撚(みぎひね)り膝蹴(ひざげ)りぃ〜(体幹をとめたまま腰を捻り、相手の背中、腎臓付近の急所に膝蹴り)♬
いまだぁチャンスだぁ、飛び込み燕尾(えんび)打ちぃ〜(低い姿勢のまま相手の懐に飛び込み、肘打(ひじう)ちで下顎破砕骨折を狙う)♫
Hack、Hack、Hackの鬼だぁ♪
苦しくったてぇ〜、悲しくったってぇ、ノードのなかでは平気なのぉ♬
Packetが唸る(USBのBulk転送モード)と、胸が弾むわぁ♪
(あ、またError Packet出たわ。回線品質、悪いなぁ。輻輳(コリジョン)してるわ。もっと帯域確保せなあかんかなぁ。プロバイダー替えようかなぁ。)
レシーブ、トス、スパイクゥ〜、ワン・ツー、ワン・ツー、アタック♫
だって、泪(なみだ)がでちゃう、「男の子」だもん♪
泪も汗も、若いファイトで、青空にとぉぉくぅ〜、叫びぃたぁぁぃ〜♪
Packet、Packet、No. 1♬
Packet、Packet、No. 1♪
ノードでは、誰でもひとり、ひとりきりぃ♬
わたしの愛も、わたしの苦しみも、誰もぉわかぁって、くぅれぇなぁい〜♬
煌(きら)めくPacketが疾(はし)るぅ、UDPが燃(もえ)えるぅ〜♬
唇(くちびる)に薔薇(ばら)の花びら♬
わたしは、翔ぼう、白いPacketになぁってぇぇぇ〜♪
ping、echo、tracert、ベストを尽(つ)くせぇ〜♬
エース、エース、エースゥ、エースを狙えぇぇ〜♪
お蝶夫人! ひろみ負けなぁぁぁい!
おいこら、わし、嫌じゃ、こんな根性ものがたり(爆)。
それでは、解説しよう。「タァ〜イム、ボカァン」♪
スイス、チューリッヒの英雄であるアンディ・フグは、この時、散々これまで韓国人ファイターに苦しめられたテコンドーの「踵(かかと)落(お)とし」を自(みずか)ら習得(しゅうとく)し、その技(わざ)でブラジル出身で極真会チャンピオンのフランシコ・フィリオを「牽制(けんせい)」しているのだが、フィリオはその「虚(きょ)」を突(つ)いて、アンディに「奇襲攻撃」をおこなったのだ。
つまり、古典的なボクシングの技術なのだが、意図的に顎をかすらせるパンチを入れて、刹那(せつな)の間に、頸椎(けいつい)を軸にして頭蓋(とうがい)を振り子状に振動させ、脳をシェイクさせることで、アンディを昏倒(こんとう)させたのだ。このような「術理(じゅつり)」は、本朝の古流にも継承(けいしょう)されており、当流(とうりゅう)でも、そのような「叩(たた)き」が「奥伝(おくでん)」や「口伝(くでん)」として、継承されているのは、言う迄(まで)も無いだろう。
もちろん、わたしも、これ、「ちょっとだけ出来ます」。
昔むかし、中学生の時、「活法(かっぽう)」を知らんのに、ちょっと「切れて」これやってしもうて、同級生を一撃で「昏倒(こんとう)」させてしまったので、同級生から非常に嫌がられました。反省してます(苦笑)。
最後にアンディが繰(く)り出したパンチなのだが、これは古流でも広く継承されている「叩き」の「術技」なのだが、少林寺拳法で言うところの「圧法(あっぽう)」による「打撃(だげき)」を挿(い)れているのだ。これは、頸椎から頭部に走る「迷走神経」に、瞬間的に「叩き」を入れることで相手を瞬時に「昏倒(こんとう)」させているのだが、これを行うにはその腕(うで)を完璧に「脱力」して叩きを入れることができなくてはならないのだ。
このような「術技」は、当流でも中極意(ちゅうごくい)以上になると、流儀に伝わる「胴(どう)」の上から叩きを挿(い)れることで、打撃を体幹の深部にまで及ぼし、内臓破壊を狙う特殊な叩きを稽古することになるのだが、ここから先は「手解き」がされてないと、その「術理」を理解することが窮めて困難になってしまうのだ。従って、それを身につけたいものは、当流に入門しないと教えられない。まぁ、ここから先は、「奥伝(おくでん)」となるので、師範でもないいち門人である、わたしの立場では、これ以上の解説はしない。
ただし、ケース・スタディとして、次の「沢村正 VS ポンサワン・ソーサント戦」の映像を提示するので、これをどうしても学びたいものは、かつて神戸にあった「ポートアイランド道院」の森道基(もりどうき)八段大範士の薫陶(くんとう)を受けた弟子筋に入門して、ちゃんとその認可を得て、教えて貰うようにして欲しい。
ただし、通常は、性根(しょうね)の曲(ま)がった奴には、こんな「奥伝(おくでん)」は、決して教えてくれないのだ。嘗(かつ)ては、長年教えを受けて、すでに人柄のできた5段以上の人格者でないと、決して教えなかった「術技」なのだ。そのことは、呉々(くれぐれ)も心に留(と)め置(お)くべきだろう。
こんな危険な「術技」を一般人に使うような思いあがった輩(やから)は、その流儀(りゅうぎ)を破門(はもん)されて、全ての古武道流儀に「回状(かいじょう)」が廻(まわ)されることすらあるので、その師範に対して正(ただ)しく「辞儀(じぎ)」を尽(つ)くして、その教(おし)えを乞(こ)うようにして欲しい。
何やら勘違いした連中が、昔むかしに、厳島神社奉納演武会で先代宗家とわたしで最後にやった「演武」のビデオを観て、大騒ぎしているのかもしれないが、何度も説明しているように、あんなビデオを何千回、何万回観ても、「手解き」がされてないと、その根本的な理解には、決して至(いた)らないのだ。したがって、あんなものを、何度も観ても然程(さほど)の意味はないのだ。
そもそも、あの「演武」の最後の「形」である「真剣勝負」とは、道場ではお互い流儀の木刀を持って、あれをやるのだが、それで頭から何度も投げ飛ばされて、遂(つい)に切(き)れたわたしは、刀を持ったまま前回り受け身を取って、膝立ちになり、そのまま膝立ちで捌(さば)いて、「脛切(すねき)り」を「返(かえ)し」として試みたのだが、先代宗家にそれを再び木刀で受け止められて、無様(ぶざま)にもまた転がされたのだ。
あんたらも、やりたかったら、パクリなんてやめて、当流にきちんと入門しなさい(笑)。
俺も、リメークやっちゃおうかなぁ〜(爆)♪
ここであらためて、故人のご冥福をお祈り申し上げます。
参考
「活法殺法(柔道整復術の源)の歴史と医術武術の歴史〜活法・殺法の歴史は、医術・武術の歴史となり得るか〜」 帝京短期大学紀要 帝京短期大学研究紀要委員会 編 2014年
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これは人体の正中線上にある急所に対する打撃技術を用いて敵を制圧する法なのであるが、その急所がしたためてあるばかりで、何ら殺傷効力はない。 流派の技術を誇大表現しているに過ぎない。 参考までにこの年の内閣総理大臣は伊藤博文である。そしてこの年から日清戦争が開戦している。眠れる獅子と言われた支那と戦争を行う時勢なのに、素手で身体の一部を突きあげて殺す法だと言うのは、これが現実味を持たないのは明白である。
----------------------- @ 引用終わり
う〜ん、なんすかねぇ、この論文。その道の専門家でもない人物が、文献史学の知識だけで、まったく何の実践もなく論文を書くと、こうなるという事例っすよね。やっぱ、帝京大学にも医学部があるけども、まだ学問レベルがえらいひっくいんやねぇ。まぁ、こういう軽薄な学問をやる連中を、一般には「安楽椅子学者」と言って、まともな学会では、えらい馬鹿にされたりするもんなんっすけど。
ところで、これなんっすかねぇ(苦笑)?
ええと、ここまで解説しても、まだ信用できないと言うのなら、もう、わたしには、何も言うことはありません。
ほんまに迷惑なんで、わたしのところにまで、泣き言を言いにこんとってね。
ここまで解説してるんやから、もう(´・ω・`)しらんがな。自分でやれ、自分で。
追記5
大阪の若手芸人を嗤う
関西に住んでいるとTVを見ていても、大阪の若手芸人たちが、盛んに東京はどうこうでとか、よく知りもしない東京のことを腐しているのを聞いていて、不思議な気分になる。まぁ、はっきりと言ってしまうと、そういう吉本興業とかの芸人が、口々に大阪愛を語りながら、東京のことを扱き下ろすのを聞いていて、神戸っ子としては、大層気分が悪くなってしまうのだ。
彼らが、ひと口に東京などと言っているのを聞いていて、おまえの言う東京と言うのは、東村山のことなのか、立川なのか、町田なのか、西小山なのか、千駄木なのか、浅草なのか、上野なのか、目白なのか、代官山なのか、松濤なのか、東松原なのかなどと思ってしまうので、こちらとしては、何を言っているのかさっぱりわからず、東京なんて曖昧な括りだけで、こいつは何を言っているのだとしか思えないのだ。
もっと言えば。神戸っ子にしてみれば、関西なんて曖昧な括りで、京都や大阪、奈良、三重、和歌山などと一緒くたにして神戸が語られることに、酷い違和感があるので、大阪の連中が恰(あたか)も関西と言えば、大阪のことだと即座に考えてしまうのを見ていて、ちょっと薄気味が悪く感じてしまうわけだ。
昔むかし、下積み生活が長かった歌手のBOROが、ようやく「大阪で生まれた女」という唄をヒットさせた頃、ローティーンだったわたしも、深夜放送を聴いていると、雑音混じりのAMラジオからこの曲が流れてきて、それを聴いて酷く感動したものだ。
後年、BOROが書いた自叙伝を何かの拍子で読んでしまったところ、ひたすら創価学会のことを盛んに讃えて、池田大作せんせいがどうのこうのと書いてあるのを読んで、かなり白(しら)けてしまったのだが、そういうことは兎(と)も角(かく)として、この曲のように盛んに大阪の連中は、大阪、大阪、東京はなんだかんだと言う癖(へき)が、奥底までに染み付いるので、神戸っ子のわたしとしては、もう苦笑してしまうのだ。
当時、花登筺の原作で大阪商人の心意気を描いた「まけまへん、あたしは、銭の花を咲かせます」が決め台詞の『細うで繁盛記』や、五代友厚の銅像が建っている淀屋橋や江戸時代に世界に先駆けて米の先物取引がされていた堂島会所あたりの株屋を描いた渥美清の出世作である『大番』などの大阪を舞台にしたドラマが、盛んにTVで放送されていたのだ。
まだ、ローティーンだったわたしは、それを見ながらそれなりに面白がって視(み)ていたものの、快速電車に乗れば30分も掛からない街なのに、大阪という街は、えらく神戸とノリが違うことに、とても不思議な気分になっていたものだ。
そういう違和感は、藤山寛美がやっていた松竹新喜劇にも顕著で、藤山寛美がちょっと頭の足りない丁稚(でっち)を演じるのを見ていても、神戸とあまりにも文化が違うので、笑う前にふと考え込んでしまうので、どうにも笑えず、TVの画面を眺めながら、ほっぺたに赤い丸を描いた阿呆面の藤山寛美の顔をじっと見詰めつつ、このひとは、いまここで、何を語ろうとしているのだろうかとまで考え込んでしまうわけだ。
あまりにも大阪の連中が言うことに違和感が強いので、僅(わず)か33歳で没してしまった無頼派の織田作之助が書いた『夫婦善哉』などの小説も読んでみたのだが、何をやっても中途半端にしかできず、口先ばかりで何もやろうとしない主人公に腹を立ててしまい、こんなヘタレ野郎のやらかすことをすべて許容するその女房も理解できず、こんな出来損ないを許容することを「人情」などと言って讃えている大阪の連中にもちょっとばかり腹を立ててしまい、もう読んでいても段々と怒り出してしまうわけだ。
そういう違和感を感じていたところ、深夜番組の11PMか何かの番組で、大阪の放送作家というか小説家である藤本義一がでてきて、最近の上方芸人を叱責しながら、彼らが、新内も浄瑠璃も長唄も常磐津も何も知らないし、まともに勉強もせずに上方の演芸をやっていることを嘆き、最近の若手芸人は、あんな汚い言葉をしゃべっているが、大阪弁というのはあんなものではないと怒り出して、笑福亭松鶴(六代目)さんの芸を盛んに褒めているのを聞いて、ああ、そういうものかとようやく思い直したものだ。
それから随分経って、大阪で買い物をしていて、何気なく通天閣の側(そば)にある老舗の金物屋(創業は江戸時代なのだが、ごく普通の小さな金物屋だった)の暖簾(のれん)を潜って、店のなかで色々と商品を物色していたところ、生花に使う花切り鋏(はさみ)に目が留まったので、ちょっと商品について尋ねたところ、そこのご主人が奥から出て来て、この鋏の使い方や生花の流儀ごとの違いを解説してくれたのだ。
わたしは、武家茶道の遠州流をやっているのだが、生花は流儀が違う(もちろん、習っている先生の許可を受けていた。わたしも古武道をやっているので白足袋(しろたび)を履きますから、白足袋族とは喧嘩しません。)ので、そのことを告げて色々と相談したのだが、「はぁ、そういうことでしたら、この鋏より、こっちの花切り鋏のほうが、使いがってがよろしいでしょう。こちらなら、間違いのないものですから、こちらをお包み致しましょうか。」などと、言ってくれたのだが、その言葉使いの美しさと慇懃(いんぎん)さ、思いやりに、酷く感心してしまったのだ。
そこには、現代の大阪人にありがちな、えげつない「売らんかな」の商売人のイメージなどどこにもなく、飽くまでも客を思いやる正直な商売人そのもの姿であり、その対応を見ていてようやく合点(がてん)が往(い)ったのだが、本来の大阪商人とは世間で思われているようなものとは全く違っていて、現代の大阪の若手芸人というのは、そういうことを全く知らないただの他所から来た阿呆どもであることに思い至って、ようやく癇癪(かんしゃく)が治ったわけだ。
そういうことは、東京でも同じで、渥美清の銅像が建っている柴又界隈で酒を飲んでいると、小料理屋の女将さんが小綺麗に盛り込まれた小鉢をだしながら、「「フーテンの寅さん」なんて、あんなひと、タカマチのまくろ者で啖呵売(たんかばい)の流れものでしょう。ひとが大勢きてくれるのは有り難いけど、柴又なんて、そんな街じゃないのに誤解されてて、あたしたち、もう迷惑してるのよ」などと嘆かれたりすることもあったのだ。
コカイン乱用で逮捕された荒川の奴のほうが、原曲を唄ってたBOROより味があるとか、おまえらなんで怒りださんのや。
ほんまにおまえら怒り出せよ(苦笑)。
まぁ、大阪の芸人でも、このひとには、共感があったんやけどねぇ。若くして死んでもうたけど。
参考
「新内・新内流しとは」 三味線 〜哀歓と陶酔の美〜 新内節 富士松延治太夫
「若くして散った小染 存命であればちょうど古希で…」 佐藤雅昭 スポニチアネックス 2017年7月2日
追記6
江戸文化の縁(よすが)を偲ぶ
わたしは、神戸っ子ではあるものの、東京生活も10年を超えた辺(あた)りから、段々と水に馴染んできて、何気ないところから、東京に江戸の縁(よずが)を発見して、強い感銘を受けることが多くなったものです。
もちろん、そういう理解を得たのは、崩字(くずしじ)で書かれた江戸時代に出版されていた版物(はんもの)の原本や影印本を「崩字辞典」を片手に読むようになってからなのですが、さまざまなことを学んで行くうちに判ってきたのは、江戸文化のあまりの爛熟(らんじゅく)ぶりなのです。
例えば、享保(きょうほう)年間あたりに出版されていた和服生地の見本帳を見ていると、元禄(げんろく)あたりの華やかで色とりどりの柄(がら)が消えて、ほぼ縞模様ばかりが、驚くほど沢山載せられているのを発見してしまうのです。
それは、贅沢禁止の倹約令が出されたことを逆手に取って、江戸っ子の洒落っ気が如何なく発揮された結果なのですが、微細な柄の縞模様には、当時、大人気の歌舞伎役者が宣伝に一役買った「團十郎縞」とか、「子持ち縞」、「弁慶縞」、「盲縞」、「よろけ縞」とかの名称がそれぞれに割り振られているのですが、わたしも含めた現代人には、二つ並べて見比べてみても、もはや判別するのも難しいような微妙な違いしかないものが、沢山あったりするのです。
ところが、当時のひとは、そこに縞の名称がはっきりと付けられている以上、それを判別していたからこそ、着物に仕立てることで、それぞれが美(び)を競(きそ)っていたわけで、その審美眼の鋭さには、もう脱帽するしかないほどなのです。
そういうことは、釣りの流行にも認められるのですが、当時、100万を超える人口を擁(よう)する世界最大の都市だった江戸では、海岸や河川での魚釣りが大流行していたのです。日本最古の魚釣り指南書として有名な「何羨録(かせんろく)」という文献があるのですが、これは津軽采女という名前で陸奥弘前藩主津軽家の分家の三代目である4000石の旗本が、亨保8年(1723年)に書いたとされるのですが、江戸湾でのハゼ釣りを中心として、釣りの心構えから、色々な魚釣りの仕掛けまで、詳細な図録つきで詳しく解説されているのです。
このような釣りが、江戸前と呼ばれる近海や海岸、河川で行われていた理由のひとつは、江戸という街全体で、今でいうところの「リサイクル」が徹底されており、汚穢屋が市中の厠(かわや)から糞尿を集めてきて、それを郊外にもってゆき、それを原料として堆肥(たいひ)を作り、それを農家に肥料として卸(おろ)していたからなのです。
ところが、それから100年後、産業革命によって経済の発展が成熟に達したイギリス帝国の絶頂期、ビクトリア朝のロンドンですらも、農村から都市に流入してくる人口を支えきれず、その糞尿の処理に失敗したことから、河川のみならず地下水までもが汚染されて、猖獗(しょうけつ)の如くペストやコレラなどの伝染病が蔓延(まんえん)していたのです。
それもその筈で、当時、王族や貴族が集(つど)ったビクトリア宮殿には、トイレなどどこにもなくて、おまるに糞尿をして、それを庭園の植え込みの陰(かげ)に投げ捨てていたらしいのです。また、石造りの建築物が建ち並ぶロンドン市街の集合住宅でもそれは同じで、おまるにとった糞尿を、建物に面した石畳を敷き詰めた街路へ、窓を開けて投げ捨てていたのです。ちなみに、ロンドン市街の石畳の道には、中央部分に凹みがつけられており、雨が降ってくるとそこに糞尿や塵芥混じりの雨水が集まり、河川まで流れていくように設計されていたそうです。
ですから当時のロンドン市街の風俗を描いた絵画を見ると、確かに紳士熟女は連れ立って道の端を歩いており、中央部は馬車道になっていて馬車が行き交っていたわけですが、この馬車に継がれた馬の尻の部分には、ちょっとした覆いはしてあるものの、実質的に石畳の街路にその糞尿垂れ流しだったわけで、雨なんて降るとその跳ねっ返りが飛んで来るので、道の中央付近なんて歩けなかったのです。
そういうわけで、当時、人口100万を超える世界最大の都市であったにもかかわらず、江戸市中では、屎尿(しにょう)の回収と再利用が撤退していたため、海岸や河川が糞尿で汚染されていなかったので、将軍から江戸庶民に至るまで、多くのひとが魚釣りに興じることができたというわけなのです。
そういう釣り文化は、今も江戸の縁(よすが)を濃厚に残しているわけですが、浅草辺りでもそのような釣りの伝統は受け継がれており、屋形船に乗っての江戸湾でのハゼ釣りという遊びも、今だに盛んに行なわれているのです。
東京湾の河口付近の海底の泥の上に生息しているハゼを、屋形船でちょっとだけ沖に出て、船のうえから釣竿を垂れるわけですが、釣れたハゼやキスを、手の温度で煮えないように手を氷で充分に冷やしてから、小さな出刃包丁(鯵切り包丁の類い)で3枚におろして、それをごま油と綿実油でからっと揚げて、天麩羅にして食べるわけです。
わたしも、東京に棲(す)んでいた時分(じぶん)には、結構、頻繁にそういう釣り船に乗って、釣りたてのハゼの天麩羅を肴(さかな)にして、そこで出される江戸っ子好みの灘五郷や伏見の酒を好んで飲んでいたわけです。もっとも、最近では、東京では東北の酒も好んで呑まれるようになっているようで、そういう江戸の縁(よすが)を残すような老舗でも、会津や山形の酒が饗(きょう)されているようです。
そういった江戸文化の爛熟は、すでに江戸時代に行き着くところまでいっており、それを示すのが精妙な和竿(わかん)の伝統なのですが、そのなかでも異様なまでの先鋭化をして、一種の韜晦(とうかい:自分で自分を笑うような行為)の域にまで達していたのが、江戸の河川で盛んに行われていたタナゴ釣りという遊びなのです。
「国の天然記念物ミヤコタナゴと埼玉県【前編】」 日本財団 海と日本PROJECT in 埼玉県
タナゴというのは、コイ目・コイ科の淡水魚ですが、大きさは僅かに3cm程度、親指の先ぐらいしかない魚なのですが、それを玩具のようなミニチュアの竿と釣り道具で釣るという遊びなのですが、その道具立(どうぐだて)ての贅沢さというのは、もうわれわれ現代人の理解を超えるようなあまりにも精妙なものなのです。
そういった当時のガジェット(【英】gadget:いけてる道具)だったミニチュアの和竿やウキなどの釣具を使って、ほんの僅かに指に感じるアタリを手掛かりに、タナゴを釣り上げるという、もう笑い出してしまうような、オタク心を痛く擽(くすぐ)る遊びが、江戸時代に大流行していたわけで、これこそ江戸文化の爛熟を示す典型な遊びであると言えるでしょう(苦笑)。
ところで、最近の東アジアの海洋を、気象衛星などから赤外線カメラで空撮した映像をみると、日本近海はまったく海洋汚染が無いのにもかかわらず、中国の沿岸部とか朝鮮半島の沿岸部などというのは、肉眼でもわかるほど赤茶色の赤潮に濁ったありさまで、海洋汚染が非常に深刻な状況であるのが、はっきりと判るのです。実際に、韓国沿岸部での海洋汚染はかなり深刻であり、数年前にFDA(Food and Drug Administration:アメリカ食品医薬品局)は、韓国近海で獲れた海産物の缶詰を、大腸菌汚染の疑いがあるとして、輸入禁止にしていたほどなのです。
というのも、これらの国では経済発展を重視するあまり、下水処理などの都市インフラに投資をするのを怠った結果、農村から流入する都市人口に屎尿や工業廃水の浄化処理が追いつかず、河川や海洋などに直接汚水を垂れ流しているため、河川や海洋沿岸部の汚染が酷く進行してしまっているのです。さらに、近海での漁業でも、資源保護など一切考えずに、取れるだけの魚をなんでもかんでも獲ってしまう底引き網や延縄漁業ばかりをやり続けた結果、領海内での漁業資源が、もはや枯渇しかかっているのです。
韓国などという国は、日韓漁業協定での交渉で、日本側に韓国領海での操業を認める代わりに、日本の経済水域での操業を認めろなどと言っているのですが、実際には、そんな資源の枯渇した汚染海域と引き換えに、日本側での操業を認めろと言われても、日本の漁民には何のメリットもないので、日本政府は日韓漁業協定の再交渉を拒否しているが実情なのです。
そんな状況なのに、日本側が韓国漁船にGPS装置の搭載を義務付け、水産資源の保護を目的とした漁獲高の割り当てをしようとしたところ、それに難癖を付けてきたりと、越境しての違法操業をさせろと言わんばかりの暴言を言ってくる始末であり、その厚かましさには、もう怒りを持たざるを得ないほどなのです。
北朝鮮や中国などというのは、もっともっと悪質で、北朝鮮など違法操業をするために、銃器などで武装した漁船団が、繰り返し日本の経済水域に侵入して違法操業をしてきたり、中国なども中国海警局(【英】China Coast Guard)に護衛された船団が、国際的に認められた日本の経済水域を無視して侵入してきたりしてくるわけですが、挙げ句の果てには、国際的に日本の漁場だと認められている大和堆(やまとたい)にまで侵入してきて、違法操業を繰り返したりするのです。
実は、このような行為は、国際法からみて、もはや海賊行為一歩手前であり、日本政府もこれに厳重抗議をして厳正に対処した結果、近年はだいぶ違法操業が減りましたが、一時は危機的な状況ですらあったのです。
ところが、日本のマスコミは、このような周辺国の深刻な海洋汚染や、乱獲による漁業資源の枯渇については、ほぼ口を閉ざして報道していない状況であり、わたしなど、なんでそこをきちんと報道しないのか、かなり不審を抱くわけです。まぁ、誰が考えても判るように、そこにはおそらく何らかの圧力が働いているのでしょう(苦笑)。
ちょっと脱線したので話を戻して、江戸文化の爛熟ぶりをさらに書くと、江戸時代には松尾芭蕉に代表される俳諧(はいかい)の流行がありました。もちろん、優れた秀作を列挙して、その文化の高さを称揚(しようよう)しても良いのですが、わたしは、そうではなく、言語学的な理解をちょっと書いてみようと思います。
つまり、季語として表現された日本語の語彙(ごい)が、どこに傾いているかで、当時の人々が何に善美を競っていたかが、明晰に判ったりするのですが、そこには日本的な美を語る上での精粋(せいすい)が顕(あらわ)れており、まさに、そういう美を語る文化を、現代に生きるわれわれも享受(きょうじゅ)して、日々の生活のなかでそれに言及することで古人(いにしえびと)と美を共有していることを、ぜひ理解して頂きたいわけです。
そういう視点で見ると、季語などの俳諧の表現のなかに、「雨」の表現が異常に数多くあることに気が付くわけです。それは、「梅雨(ばいう)」「小糠雨(こぬかあめ)」、「五月雨(さみだれ)」、「氷雨(ひさめ)」、「霧雨(きりさめ)」、「驟雨(しゅうう)」、「時雨(しぐれ)」、「春雨(はるさめ)」、「緑雨(りょくう)」、「白雨(はくう)」、「暴雨(ぼうう)」、「沐雨(もくう)」、「雷雨(らいう)」、「霖雨(りんう)」、「秋雨(あきさめ)」、「秋霖(しゅうりん)」など、あまりにも多数の雨に関する表現が日本語にはあり、われわれは、雨の降り方、その音、降る季節などから、その呼び名を付けることで、それを詳細に分類して峻別(しゅんべつ)していたことが、ここに判るわけです。
また、雨が降る様子を表すオノマトぺ(【英】onomatopoeia)としても、日本語シソーラス、類義語辞典、表現辞典などを検索してみれば、「ぴちょぴちょ」、「ばらばら」、「しとしと」、「ざあざあ」、「ぽつりぽつり」、「どしゃどしゃ」などと、擬音語も異様なばかりに多数あることが、ここに判るわけです。
つまり、われわれは「雨」という自然現象のなかに、なにかの深淵(しんえん)を観(み)ていたわけであり、そこに微細な陰翳(いんえい)を観て、善美を語っていたというわけです。
ところで、あなたは「夕立(ゆうだち)」という言葉を聞いた瞬間に、雷鳴が鳴り響いてざぁっと雨音が響いている江戸の街を、手拭いを頭に被(かぶ)って、半纏(はんてん)を着た職人が、肩に道具箱を背負いながら、着物の裾(すそ)を尻に絡(から)げて、半雪駄を履いた足をガニ股にぴょんぴょんと運びながら、小走りに駆けてゆく姿が見えているだろうか?
わたしには、そのありさまが、ありありと見えているのだが...。
参考
「江戸で花開いた釣りの文化 ── 徳川治世下の釣客群像」 長辻象平 機関誌『水の文化』釣りの美学59号 ミツカン 水の文化センター 2018年7月19日
「ハゼ釣り・天ぷら 屋形船」 東京屋形船案内
「江戸の風流 屋形船」 公式はとバスツアー (お薦めは、これです)
「タナゴ用品」 和竿専門店 いなり町 東作本店
「多彩な「雨のオノマトペ」は感覚的にみえて、実はとてもシステマチック!」 小野正弘 さんたつ 2022.06.22
Version 1.2 -- 2023/11/21 Fix
]]>JUGEMテーマ:社会の出来事
もう何年も前から危機的であると言われてきた「サイレントインベージョン」。
日本の隣に有る独裁国家が軍事力ではなく、工作で密かに日本を侵略する動き。
ただ、この事について明白な証拠などなかなか出ては来ない。
殆どの場合状況証拠のみだ。
それはそうだろう、侵略者が明白な証拠を出すはずもない。
けれど、どう見てもおかしい、という事が多々有る。
オーストラリアでは前政権の時にこの「サイレントインベージョン」
を警戒して重要な対策を取ったものだった。
日本はどうか、というと、びっくりするくらい無防備であるだけでなく、
政治家、それも政権中枢に居る様な政治家がおかしなことをしている。
林芳正氏は1年に8回も中国を訪問して、日中友好議連の会長までしていたが
外務大臣になったり官房長官になったりしている。
河野太郎氏は河野家が経営する日本端子という会社で中国ビジネスを親子3代に渡って行っている。
自民党だけではなく、野党もかなり怪しいのだ。
野党の中にはあからさまに敵対的な外国の国益を代弁する政党も有る。
社民党はどう見ても朝鮮半島の国益を代弁しているし、
れいわ新選組は北朝鮮制裁案などの決議の時には必ず退席していると言う。
さらに立憲民主党の議員には外国籍である事が疑われる人間が多く居る。
そして共産党。なぜ日本では共産党が違法ではないのか。
なぜ日本に堂々と共産党が有るのだろうか、それはGHQの政策だったようだ。
自民党岸田派がパーティ券を大量に中国人に売っており、
パーティには多くの中国人が来ていた、という問題が指摘されているのに、
国会ではその事には触れない。
野党もだんまりだ。
公共事業にも怪しい事がたくさん有る。
公有地にソーラーパネルを敷き詰める様な事をする。
これには一応日本の会社が入札するが、その会社は直前に作った会社で、
さらに事業が進むと何故か中国の上海電力が入っている。
ソーラーパネルはウイグルで強制労働で作られていると指摘されている。
そのパネルを敷き詰めて、日本の発電所に上海電力が入り込んでいる。
危機感を持つ議員も居て、地方議会で追及するがのらりくらりとかわされてしまう。
自民党の大物議員だけでなく、維新が大阪などでやっている事は
どう見ても中国の国益に沿った事をしている様に見える。
大阪万博には中国製のEVバスを100台購入するという。
それを指摘すると、いやこれは日本の会社です、と言う。
日本で作った会社かもしれないが、実際にはバスは中国から買うのだ。
なぜオリンピックでも使った日本のトヨタ製のバスなどを使わないのだろう。
また最近、大阪では
「約1億2000万円の投資をした外国人に永住権付与」などを柱とする
「金融・資産運用特区」をしようとしている。
維新は概ね現実的な保守政策を持っているのに、なぜかこの中国べったりが目について、
どうしても支持する事が出来ない。
さて最近、重大な問題だと思える事案が発覚した。
このことはマスコミは殆ど報道していない。
自然エネルギー財団というところが政府に入り込み、再エネを推し進めている。
経産省の審議会資料などに中国の「国家電網公司」の透かしが入っている事が発覚し、
問題視されている。
自然エネルギー財団の会長は孫正義、そしてこの財団の大林ミカという人物、
さらにこれらに福島みずほ、河野太郎などの繋がりが指摘されている。
日本の吞気さはかなり重症だ。
この様な問題を聞いても、「別にいいじゃない、中国とも仲良くやれば」
程度の能天気な事を言う人がたくさん居る。
敵対的な独裁国家、実際に周辺国を侵略している独裁国家が
日本の重要インフラに入り込んでいる、
という事に対して強い危機感を持たないといけない。
国が侵略される、という話なのだ。
外国と仲良くするのは良いけれど、
ヤクザである独裁国家には充分注意する必要が有るのだ。
しかしこの問題、また例のごとくうやむやにされるのではないだろうか。
とにかく日本に敵対的な国の不利益になる事はマスコミが殆ど報道しない。
マスコミも既に取り込まれているという事だ。
特に酷いのが朝日、毎日、共同通信などだ。
どうしてここまで日本に敵対的な外国を擁護し、日本の批判ばかり繰り返すのだろう。
安倍さんが暗殺された事件には多くの疑問点が有り、
容疑者とされている人物の手製の銃の銃弾が死因ではないとしか思えない
という状況証拠が数多く出ている。
けれど、マスコミは一切報道しない。
これは本当にヤバい事だと思う。
既に日本は外国勢力に乗っ取られていると言っても良いのだろう。
一般国民も少しは危機感を持ったほうが良い。
アメリカではtiktok禁止法案が進んでいる。
日本はtiktokもラインも全く無防備で受け入れられているだけではなく、
公的機関が率先して使ってしまっている状況だ。
さらに経団連などの中国信仰は目を覆うばかりだ。
なぜこんなに中国べったりなのだろうか。
相手は独裁共産主義国家だ。
公平な貿易など出来るはずもなく、進出すれば技術を盗まれ、
共産党の気分次第で好きにされて全て奪われるのに、
なぜ中国に媚びへつらうのだろうか。
「多文化共生」などという美辞麗句に隠された日本侵略の意図を
感じ取らなければいけないのではないか。
日本の大企業の中には未だに「SDGs」とか「LGBT」とかを
盲目的に信じて乗っかってしまっている所が有る。
裏側に何が有るのか、気が付かないのだろうか。
この日本全体の能天気ぶりは相当なものだ。
日本が中国の日本省になるまで気が付かないのではないだろうか。
セキュリティクリアランス法案やスパイ防止法に反対する政党はどこなのか、
良く見極めたほうが良い。
一般国民が出来る事は選挙に投票することだ。
日本を貶めようとしている政党や議員には投票しない事が重要だ。
福島みずほはセキュリティクリアランスを
「国民総身辺調査法案」などと大嘘を垂れ流している。
「憲法改悪」とか「戦争法案」など、
今までも日本を守ろうとする事に対して嘘を言いふらして来た。
スパイ防止法に反対するのはスパイだけだ。
日本を守る為に、投票に行きましょう。
投票の前にその議員が怪しくないのか検討をしましょう。
中国国営企業「国家電網公司」の影響が疑われている自然エネルギー財団の大林ミカ氏が、なんと電力システム改革の検証にも関わっているとは驚いた。我が国の電力の安定供給のあり方を決める重要な審議会に外国勢力の関与があってはならない。内閣府のみならず経産省など他府省でも徹底的に調べるべき。 https://t.co/7KjXQoCfK5
— 玉木雄一郎(国民民主党代表) (@tamakiyuichiro) March 24, 2024
ジャーナリスト、有本香氏の「以読制毒」
— こちら夕刊フジ編集局 (@yukanfuji_hodo) March 21, 2024
大阪府と大阪市の「約1億2000万円の投資をした外国人に永住権付与」などを柱とする「金融・資産運用特区」の提案
大阪府の吉村洋文知事が説明しました
カナダで失敗した「投資移民」に重なりますhttps://t.co/h4nMKZpYzV#有本香 #投資移民 #吉村洋文 pic.twitter.com/86i31Aaukr
うわ。
— クロmium🐈⬛ (@ztkszero) March 24, 2024
さすが立憲民主党。
リンク先を速攻で消してる。
ちなみにサイト内を「大林ミカ」で検索しても出てこない。
そういうところだぞ。 https://t.co/iHNIF49mpL pic.twitter.com/egRWjLCpm9
再エネタスクフォースに中国共産党が絡んだ事件。
— ひろ【日本を愛する仲間たち】 (@atu0511) March 24, 2024
河野太郎→チェックミス?
ふざけんな💢
大林ミカ→福島みずほと密接?
おいおい、セキュリティクリアランスを強化して全員調査。少なくとも下記の2人はメンバーから外しなさい💢危なくてしょうがない。 pic.twitter.com/qX7ZLRgoUf
大林ミカ氏と立憲の西村氏との対談ページが立憲HPから削除される。立憲がやばいと思っているのなら、本当にやばいんだろう。 https://t.co/mhTDaUYM3o
— Tsukasa Shirakawa(白川司) (@lingualandjp) March 25, 2024
日本は既に中国に支配されている
疑問点が多すぎる
日本人だけが知らない安倍氏の功績
スパイなのだ
投票しなくてはいけないワケ
移民、難民 多文化共生は国を破壊する
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なにやら世の中には、逆張りをやって目立とうという根性なのか、ピント外れの訳知りを滔々(とうとう)と垂れて、世間で散々に叩かれている旧統一教会(世界平和統一家庭連合)を擁護しちゃうような困ったひとたちがいるわけですが、そういう連中は、浅薄な理解を振り回して、自分だけは真実を知っているとドヤ顔しているへそ曲がりなわけで、今回はそういう困ったひとたちを、実例を挙げて、批判してみたいと思います。
まず、最初は、オウム事件でオウム真理教を擁護して、宗教学者の藤原聖子さんに檄文まで書かれて徹底的に批判されているのに、未だに宗教学者を名乗っている島田裕巳という困った人物がいるわけです。
この人物は、宗教学者で東大名誉教授であった柳川啓一の東大時代の弟子であり、わたしの兄弟子に当たるわけですが、先頃、66歳で急逝した幸福の科学の大川隆法氏をおちゃらかすお笑い本を書いてみたりと、宗教学者としてのファイティング・スピリッツが全くないわけではないものの、このひとは矢鱈と「誰々はともだちだから」などと言って批判が腰折れしてしまうという、とっても困った人物なのです。
ある意味では、人情家なのかもしれませんが、今回の旧統一教会の問題についても、「旧統一教会が日本宣教の際に、その体質が変化してしまった」などという、何の根拠もない軽薄な「擁護」をしているわけですが、こういう本を読めば、旧統一教会というのが、その宣教のごく初期から、ずっと「淫祠邪教(いんしじゃきょう)」の反社会的な集団であったことがわかるわけで、そういうことを彼が知らないわけもなく、そういう軽薄な「言説」を宗教学者の肩書きでTVのインタビューなどで応えてしまう彼のいい加減さには、わたしなど、怒りを抱かずには、おれないわけです。
宗教学の泰斗(たいと)であった英国人のバートランド・ラッセル卿など、貴族の家柄であったにもかかわらず、反政府運動で2回も入獄しているわけで、わたしなど、宗教学者を名乗るのなら、そういう自分の学問に、徹頭徹尾、忠実にあって欲しいものだと、つい思ってしまうわけです。
まぁ、はっきり申し上げて、わたしなど、闘わない宗教学者なんて、敵前逃亡をやらかす兵士みたいなものだと思っているわけで、そういう腰砕けどもの尻を蹴り上げるのも、学者としての務めだとも思っているわけです(苦笑)。
最近では、YouTuberなんてひとたちが、俺にも言わせろとばかりに、ネットでも自分の見解を述べているわけですが、ひとによっては、自分の学問的な射程を超えて、訳知り顔で旧統一教会について語ってしまうような困ったひともいるわけで、その批判が適切であれば、全く問題はないのですが、どう見ても浅薄な理解を振り回して、結果的に旧統一教会を擁護してしまうような困った逆張りをするひとがいるわけです。
宗教学者として、このひとの言っていることは、あきらかに間違っていると思っているので、ここでそれを指摘をせざるを得ません。本人も俺の言ってることに文句あるのかぁなどと言ってるので、こちらもはっきりと文句を言ってみましょう。
このひと、旧統一教会問題を単なる宗教問題だと捉えて、戦前の国家総動員体制下での大本の弾圧と同視して、解散請求を出させるのは、政府が宗教弾圧を正当化する端緒となってしまう、戦前の国家総動員体制での宗教弾圧の数々を現代で許すことになってしまうなどと批判していますが、これは世間を誤導する全くの誤りです。
もう、すでにWikipediaでさえもはっきりと書いているように、この統一教会問題の根底にあるのは、統一教会と韓国の情報機関であるKCIAとが癒着し、反共の文脈で日本の右翼と結託して日本宣教が行われたという問題が根底にあるわけですが、これは要するに、最終的には外患誘致とか、そういう問題とも絡んでくるわけで、韓国人が宗教を使って、日本国内で日本人に対してそういう謀略を掛けてくることを、あなたは許容するのかという問題に至るわけです。
そういう裏事情を理解してない点で、もう言ってることが、あまりにも頓珍漢だとしか言えないわけです。
敢えて、もうちょっと解説すると、朝鮮総督府時代の朝鮮半島では、米国長老派教会とかものみの塔などが、治安維持法違反の容疑で何度も摘発されているわけですが、当時の資料を精査すると、これらの米国系のキリスト教会派は、キリスト教に入信すれば、朝鮮総督府に税金を納めなくても良いとかの虚言を弄(ろう)して宣教しており、さらに米国政府の意(い)を受けて、反政府暴動とかテロなどを、その背後から信者を焚き付けて惹起させていたわけで、そういう裏事情も理解せず、軽々な暴論を広められては迷惑でしかありません。
はっきり言いますが、こういう浅薄な訳知りの馬鹿の困りものには、きちんと反省して頂きたいものです。
もっと困りものなのは、きちんとジャーナリストとしての教育と経験を積んできたようなひとが、取材したら実はこうでしたぁとか、訳知り顔で旧統一教会を擁護するようなことを、平気で書いちゃうことなのですが、この窪田順生さんというひとも、まぁったくそういうひとなので、宗教学者として、こんな世間を誤導するような悪質なジャーナリズムもどきを、どうしても許容しておくわけにはいかないと思い、ここで批判せざるを得ないわけです。
まぁ、百歩譲って、この本は取材したら、こうでしたと言うことで、それはそれとしていったん置くとしても、スパイチャンネルを名乗る山田敏弘さんが取り上げて、その番組で窪田順生さんを盛んによいしょをしているのを見てしまっては、もう看過しかねるわけです。何故なら、言っていることの危うさを考えれば、これもう山田敏弘さんのジャーナリストとしての信頼性すら、根底から毀損(きそん)することにもなりかねないわけで、宗教学者としては、その危うさを、ここにはっきりと指摘せざるを得ないわけです。
ぶっちゃけ言いいますけど、共産党とスパイ防止法、つまり、統一教会が勝共連合を通して、共産主義からの防波堤になっていたということを挙げて「擁護」しているのだけど、はっきり言って、窪田さんの言ってることは片手落ちというか、もはやジャナーリストとしてのありかたとして、かなり問題あるんじゃないかと思慮します。
そもそも、旧統一教会を調べると、誰でもわかるようにKCIA初代長官の金鐘泌との癒着ということが、はっきりと言えるわけで、その文脈で、スパイ防止法のキャンペーンもやっていたわけなのですけど、当時、巣鴨プリズン収監中に米国の情報機関である中央情報局(【英】Central Intelligence Agency, 略称:CIA)と癒着した元A級戦犯の賀屋興宣などの政治家が、CIAのエージェントとして米国政府の意を受けて、日本国内で反共のキャンペーンをやっていたわけで、そこには、日本政府と米国政府との癒着という裏側の問題も関係するわけです。
当時、日本の右翼は、韓国の独裁者である朴正煕率いる軍事政権と水面下で癒着して、覚醒剤であるアンフェタミンを韓国国内で密造し、右翼の児玉誉士夫傘下のヤクザ組織を通して、漁船などを使って日本に密輸していたわけで、そういう連中と統一教会は癒着しながら、日本国内で宣教や勝共連合の街宣活動を行なっていたのであり、スパイ防止法と言うのなら、統一教会関係者なんて外患誘致で死刑になってもおかしくないことに関与しているわけで、おそらくそういう事実を窪田さんも知りながら、こういうことを言ってると、わたしは判断しているわけで、どういうつもりでそう言うことを言っているのかと、素直に怒りを持たざるを得ません。
そういう裏側の事情には、ほっかむりをしておいて、共産党が云々(うんぬん)、統一教会がスパイ防止法のキャンペーンを云々などと言っている窪田さんは、もはやジャーナリストとして、明らかに片手落ちだと言えるでしょう。それどころか、もしそういう裏事情までを知っているとするならば、もはや「ひと」としてのありかたとして、容認できる限度を超えているとさえ言えるのではないでしょうか?
そもそも、取材してきたらこうでしたというだけでジャーナリズムが成立すると思っている時点で、もうジャーナリストとしての資質が根本的に欠けていると判断せざるを得ないのですが、それがどれほど危険なことで、如何に世の中を誤導するのかということを、実例を挙げて解説してみましょう。
ベトナム戦争当時、ベ平連などというものを組織化し、憲法9条の会の発起人にもなっていた小田実という人物は、アメリカを旅行して『何でも見てやろう』という本を書いてあたりをとっていたのですが、ソヴィエト崩壊後に機密文書が公開されたことから、彼は旧ソ連の政治警察「国家保安委員会」、つまり、KGB(Komitet gosudarstvennoi bezopasnosti)のエージェントだったことが、疑われているのです。
また、さらに言えば、この人物の著作を精査することで、はっきりとわかるのですが、おそらくこの人物は、北朝鮮のエージェントでもあった可能性も窮めて高く、少なくとも日本国内でそのような北朝鮮のシンパを作るべく、意図的に世論を誤導させていたことは、もう明白に認められることなのです。
なぜなら、北朝鮮がもはや地上の楽園などではなく、悲惨で残酷な人権抑圧国家であることは、すでに在日朝鮮人の関貴星が『楽園の夢破れて―北朝鮮の真相』、『真っ二つの祖国―続・楽園の夢破れて』で1962年と1963年に告発しており、少なくともそのことは在日朝鮮人の社会ではとっくに知られていたのですが、それを1970年代になっても、まだ手放しで北朝鮮を賛美しようとしているというのは、もう明白に謀略であるとしか言えないわけです。
ベトナム戦争を背景とする米国政府の暴虐を見て、当時の若者たちは政府に対して叛旗を翻(ひるがえ)らせ、多くの学生たちがその尖兵として過激なデモ、もっと言えば騒乱事件、テロ事件などを起こしていたわけですが、そのような時代思潮のなかで、小田実の北朝鮮を賛美する扇動は、多くの純粋に社会正義を実現しようとした若者たちを意図的に誤った方向に導き、その人生を悉(ことごと)く灰にしてしまったわけで、そのあまりの薄汚さには、人間の根源からくる激しい怒りを、持たざるを得ないわけです。
さらに言えば、このようなことは、ジャーナリズムだけに関わらず、民俗学や文化人類学などの学術の分野でも言えるのですが、情報提供者(【英】informant:インフォーマント)への聞き取り調査を行う際に、その人物がすべて本当のことを言っているという前提に立って、何らかの論理を語るというのは、どう見ても学術として、あまりに稚拙過ぎると言わざるを得ないでしょう。
そして、そのような誤謬(ごびゅう)というのは、現代の慰安婦問題などにも顕著にみられるものであり、卑しくも学者を名乗るようなものたちですら、そういう初歩的な段階での学問的誤りに捕らわれているのを見てしまっては、わたしなど、慰安婦問題のあまりにも酷い顛末(てんまつ)を見るにつけ、日本軍の従軍慰安婦であると主張する韓国人を積極的に支援していたひとたちなど、それに対してどのように責任を取るのかと、怒りを以って痛罵(つうば)せざるを得ないのです。
最悪、最低なのは、民主党の菅直人政権下で国家公安委員会委員長も務めた岡崎トミ子という国会議員ですが、愚かにも日本大使館前でウィーン条約を無視して開催されていた慰安婦支援者の水曜デモに参加して、慰安婦とされるひとびとと一緒に反日スローガンを叫んでいたわけで、こんな虚偽の「妄念」に捕らわれて国会議員としての責務に非違する行為を繰り返す人物を、国家公安委員長に任命していた民主党という政党の罪禍(ざいか)は、どれほど酷いものかと、心の底から怒りを覚えざるを得ないのです。
それより、もっと醜悪なのは、最高学府である東京大学の教授をやっている外村大という人物ですが、彼はもはや意図的に世間を誤導させようとしていたことが明白であり、その人間としてのあまりの薄汚さには、宗教学者として許し難い怒りを持たざるを得ないわけで、こういう人物は、もはや学者としても、人間としても、完全にアウトだと思うわけです。
この人物は、こういう資料集成など作ったりもして、他の学者を威嚇、恫喝しているつもりなのですが、この資料のなかには、日本の敗戦時に、満州からの避難民が北朝鮮の領域に於いて、ソヴィエト兵と北朝鮮兵士による日本人狩りにより、暴行、略奪、多数の婦女子の強姦が繰り返されたという事実は、どこにも書かれていないわけで、彼の女性に対する性暴力を糾弾するなどというご高説が、如何に虚偽の「妄念」により為されていたかが、ここにわかるわけです。
外村大が、こんな資料集成を編纂するよりとっくの昔に、こういう書籍が社会思想社から出版されていたわけで、そういう事実を鑑みるに、彼が歴史的な事実を意図的に捻じ曲げようとしていることは明らかであり、もはや学者としての資質を疑わざるを得ず、そういう人物を教授として迎えた東京大学の馬鹿さ加減を、嗤(わら)わずにはいられません。そういうことをつらつら思うに、もう東京大学とか、いっそ解体したほうが、いいのじゃないでしょうか?
わたしも、こんな醜悪なことなど書きたくもないわけで、止むに止まれず仕方なく、嫌々ながら書いているのですが、本音を言えば、もう飽きあきしてます。もっとも、こんな悪質なことをやっている連中を、どうしても看過できないので、不承不承ながらも闘わざるを得ないわけです(苦笑)。
追記
まぁ、おふたりとも、笑いのわかるひとたちなんで、ちょっと看過しかねるところは、あるものの、あまりにも確信犯なんで、怒るに怒れないというところがあるわけですね(苦笑)。
窪田さんなんて、「俺は正義を追求するジャーナリストだなんて、とぉっても名乗れないよなぁ、俺はルポ・ライターだからさぁ、こう思ったから、こう思ったって、そのまま書いてるだけなんだよぉぉぉ」などといっちゃうわけですが、もっとも、わたしも、自己の「正義」なんて、これっぽちも信じてないわけでして、その辺りは微妙なところなのですね。
だって、ちょっと論理学をやればすぐに判るように、飽くまでもすべての論理というものは、前提条件の範囲で有効なのですから、わたしなんて、世の中に絶対的な「正義」なんてものは、どこにも無いと確信しているわけで、そういう意味で言えば、わたしも、アナキストとかの範疇に入るのじゃないかなどとも、思ったりもするわけです(苦笑)。
そういう理解をきちんと語るとすれば、「正義」というものは、せいぜいがところ、ある社会集団内部で規律された道徳なり倫理なりの範囲でのみ有効であると言えるわけで、それよりも広い概念として通用するのは、生物としての人間の本性に基づく道徳なり倫理なわけですが、それとて、実は、時代だとか、社会背景が異なれば、それさえも絶対的なものではなかったりするのです。
そのことをちょっと説明すれば、生物学的な知見にもとづく倫理ということで、近親相姦の罪ということがありますが、これとて、例えば、宗族社会の韓国や中国などでは、親等が大きく離れていようとも、同じ祖先を持つ本貫(ぼんがん)を同じくするひとの間では、婚姻を忌避するという習慣があったりするのです。そういうことから、韓国ドラマでは、知り合ったふたりの恋人が、実は、本貫を同じくするので愛し合いながらも、結婚に至れないなどということが、悲話として語られていたりもするわけです。
もっと、このことを説明すると、かつて満州居留民の日本人のもとへ、日本からお嫁さんが嫁いで来たのですが、不幸にもそのお嫁さんが不慮の事故で亡くなってしまい、その女性の妹が替わりに後妻として嫁いで来たそうです。ところが、それを見ていた中国の現地人は、宗族社会の倫理で規律されているので、それを近親相姦だとして大騒ぎになり、怒った中国の現地人が日本人居留民を襲撃してきて、日本人の邑(むら)を焼き討ちにしてしまったという事件も、当時、起きていたほどなのです。
日本人にしてみれば、もはや宗族社会ではないので、家と家との婚姻なのですから、姉が嫁いで死去した場合に、後妻としてその妹が嫁いでくるというのは、ごく普通の慣習であったわけですが、宗族社会であった中国の現地人から見れば、それはもはや看過できないほどの赦し難い反倫理的な行為と看做(みな)さざるを得なかったというわけです。
さらに、そういう近親相姦というものも、例えば、古代社会に於いては、聖別された王族などでは、ごく普通に見られたことであり、古エジプト王朝の姻戚関係など、現代の感覚ではもはや近親相姦ではないかと思われるような、ごく近い親等間での婚姻が繰り返されていたわけであり、このように王族などの特別の家系に於いては、近親婚というものも、社会的に許容されていたと言えるわけです。
さらに、生物学的な禁忌にもとづく倫理、道徳について考えてみましょう。たとえば、ひとを殺すというのは、究極の罪であるわけですが、それとて、現代に於いても、国と国とが争う戦争ということになれば、ひとがひとを殺すということが、賞賛の対象にもなるわけであり、このような価値観の転倒は、ごく普通に見られることであると言えましょう。
さらに、古代に於いては、ひとを殺して生贄(いけにえ)にして捧げるというのは、ある意味では、ごく普通に為されていたことであり、イタリア語の「危険」を意味するペリコローソ(【伊】pericoloso:危ない, 危険に満ちた)という言葉を、大辞典などで調べてみるとすぐに判るのですが、その語源は「人身供御(じんしんくご)」だったりするのです。つまり、その基層文化ではイタリアに於いても「人身供御」が為されていたことが、ここにわかったりするのです。
もっと言えば、マヤ文明なんてものでも、もちろん「人身供御」などということがされていたわけですが、その文献資料などをきちんと精査すると、そのような生贄(いけにえ)にされることというのは、社会的に極めて名誉なこととされており、その生贄にされるまでの一定の期間に於いては、食事や振る舞いに特別の扱いがされており、そのため、半(なか)ば自分から生贄になることを承諾さえしていることがわかるわけです。つまり、現代人、特に、阿呆のメル・ギブソン(Mel Gibson)が映画にしたような、血に飢えた殺戮を嬉々として行うような「人身供御」の文化伝統などというものは、当時のマヤ文明にもなかったことがわかるわけです。
まぁ、柳田國男先生が『一つ目小僧 その他』で論考したように、実は、本朝の基層文化に於いても「人身供御」の痕跡は、明晰にあったりするわけですが、おそらくはかなり古い時代に、贄(にえ)としてひとを捧げることは、本朝ではされなくなっていたようです。エドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse)は、大森貝塚から発掘された埋葬された人骨が、獣(けもの)を解体するのと同じように、解体されているのを見て、当時の日本に儀礼としての食人の習慣があったと類推しているようですが、わたしなど、それには同意致しません。
というのも、本朝の古代神話のなかには、明晰に東南アジア由来のハイヌウェレ神話の痕跡がみられており、そして、そのような殺された神の死体から作物が生まれたとする食物起源神話を含む文化は、縄文時代にはすでに日本列島に伝播していた可能性を、吉田敦彦さんが『縄文土偶の神話学―殺害と再生のアーケオロジー』で提示されておりますが、わたしも、それに同意する立場なわけです。
おそらく、当時、死と再生の儀礼として、葬送に際してその肉を畑に撒(ま)くとかしていたのでしょうね。まぁ、確実なことは、何も言えませんが、それが縄文時代には、すでに土偶(ひとがた)を破壊することに置き換えられていたとは言えるわけで、そういう意味で、本朝には、「人身供御」と言うのは、かなり古層ですでに禁忌(きんき)になっていたことがわかるのです。
宗教学に於いて、身体性の問題というのは、常に、重要な要素を含んでいると言えるでしょう(苦笑)。
追記2
わたしも、もう還暦を過ぎており、外形的な基準で言えば、「老人」の範疇に入ってしまうわけですが、今だに現役で手間仕事をやっていて、それどころか、どういう因果か何やら最前線での殴り合いもさせられたりしていることもあって、本人はまだまだ若いつもりで、それなりに現場に未練もあったりするのですが、周りにいる偉いひとたちから、「お前、そろそろいい加減にしたらどうだ」などと叱られることも、度々(たびたび)なのです。
そもそも、わたしのロール・モデルが、空の魔王と呼ばれたナチス・ドイツの爆撃機パイロットであるハンス・ルーデル(Hans-Ulrich Rudel)とか、中国の古典である『三国志』の五虎将のひとりで、60歳をとうに過ぎた老将の黄忠とかだったりするわけで、執拗に現場にこだわる理由も、その辺りにあるわけです。
「「老いてなお盛ん」な名将・黄忠は、本当に高齢で弓の名手だったのか?」撮影:上永哲矢 歴史人より画像を借用
そうではあるのですが、業界のなかでも中堅のひとたちから、「あいつ、いつまで現場をやるつもりなんだよ、もう勘弁して欲しいよなぁ」とか不平不満を囁(ささや)かれているのも、とっくに聞き及んでおり、本人も突撃戦の先頭を独(ひと)り突(つ)っ疾(ぱし)ることに、そろそろ疲れを感じているので、後進の人たちに道を譲って好々爺(こうこうや)のふりをしながら、笑顔を浮かべて腕組みをしつつ、黙って後ろで見ていたいという願望も、もちろんあったりするのです。
ところが、世の中には、わたしよりも、もっと血気盛んな人物がいるもので、例えば、わたしのロー・ティーンの頃からのロール・モデルのひとりでもあるThe Whoのピート・タウンゼント(Pete Townshend)なんてぇひとは、若い頃には、My Generationなんて唄で、爺(じじ)いになるまでに死んでやるとか言い放っていたわけですが、とっくの昔に爺いに成り果てているのに、いまだにぶち切れながら演奏をやって、そのファンを熱狂させたりなんてしているわけで、そういう熱い血潮の爺いどもを目(ま)の当(あ)たりにしては、うかうかと隠居生活なんてするわけにもいかず、「しょうがねぇ、俺もやらざるを得ないか」などと、あらためて思い定めてしまうわけです。
もっとも、それなりに若い頃は、六甲山系の縦走を、明石の裏山ぐらいから始めて宝塚辺りまで、山中を14時間掛けて走り抜けるということもできたわけですが、最近、ちょっと思いついて、阪神石屋川駅付近から登山道を登攀(とうはん)して行者道を駆け抜け、頂上付近にある渦が森展望台の近辺から脇道を抜けて、山道を駆(か)け下(くだ)っていたところ、脹脛(ふくらはぎ)の筋肉が断裂しかけたのか、突然、足が痙攣(けいれん)しだして、満足に歩けなくなったりもしたわけです。
たった2、3時間ほど奥駆けをしただけで足が痙攣しだすとか、本人は若いつもりでも体は正直なもので、もはや無理が効かない年齢になっていることを悟るわけですが、手持ちのボールペンで経絡を押して痙攣を止め、阪急御影まで跛行(びっこ)をひきながらおっかなびっくりソロソロと帰ってきて、そのまま行きつけの柔道整復院に行って治療を受けるという実に情け無い思いもしたわけです。
そういうこともあって、本人もそろそろ現場を引退したいという気持ちも持っているうえに、とっくの昔に、後進を育てることに義務感すら抱いているものの、今日日(きょうび)の若いものを見ると、どうにも癇癪(かんしゃく)が起きてしまうようなことばかりで、なかなか人格円満な好人物になれないことが、わたしの悩みでもあったりするのです。
もちろん、今の若い子にも、それなりの切実さというのはあるのでしょうが、還暦を過ぎた親爺になってしまった身としては、今の若い子の気持ちなんて、さっぱりこっきり判りようもないわけで、そうではあるものの、自分の若い頃と比較すると、みんなでいい子ちゃんを気取って、他人からの批判をひたすら恐れ、ひとの陰に隠れて最前線での殴り合いを徹頭徹尾避けようとするへタレっぷりには、とことんイラついてしまうのです。
それどころか、匿名性の陰に隠れて、他人をあからさまに揶揄(やゆ)して足を引っ張ってくるとか、もう醜悪な所業(しょぎょう)を平気でやらかす糞阿呆餓鬼どももいるわけで、そういう躾(しつけ)の悪い餓鬼どものやることを見ていて、さすがに我慢の限界を超えて、もう怒り出しているわけです。
まして、通りすがりや、乗り合わせた電車の車内でさえ、何やら偉そうな態度でこっちに「気持ち悪い」とか「頭おかしい」とか言い捨ててきて、言(ゆ)うてやったとドヤ顔さえしている大馬鹿ものさえもいるわけで、毎日、毎日、そういう阿呆の個人的な感想を聞かされていては、こっちとしては、五月蝿いを通り越して、もう激怒せざるを得(え)ないわけです。
だぁって、こっちは、もう色々と散々っぱらやり尽くしている立場なわけですが、そういうおまえは、いったいなぁにができるんじゃぁと言いたいわけで、なぁんにもできない、なぁんにもわからん阿呆餓鬼に、上から目線で偉そうに揶揄(やゆ)される謂(いわ)れなんて、おいこら、どこにあるんじゃと言いたいわけで、こっちにしてみれば、(´・ω・`)しらんがな、自分でやれ、自分でと言い続けているわけで、そんな泣き言まで、俺のところに言(ゆ)うてくるなよと、言いたいわけです(苦笑)。
そうではあるものの、わたしの30歳頃の人生設計でも、50歳まで現役を続けて、それ以降はのんびりとあまり儲からない焼き鳥屋の親爺でもやろうかなどと、お気楽なことを思っていたわけですが、世の中というのは、そんなに甘いわけはなく、年を取れば、今度は親の介護とかさまざまな雑事に煩(わずら)わされることばかりで、もうそろそろ楽になってもいい筈なのに、3徹4徹で寝ずに激務を熟(こな)していた若い頃とあまり変わりのない忙しさのなかに居ることに、突然、気付いたりもするわけです。
まさか還暦を過ぎて、こんなにも多忙な日々を迎えるなんて、若い頃には予想もしなかったのですが、世間ではもはや人生100年とまで言われるようになっており、むしろ定年を迎えて以後の長い人生を、きっちり考えねばならない世の中になっていると言えるでしょう。そういう意味では、今日日の若いものにも、そんなに人生、おまえの思う通り、順風満帆に行くわけないからなと教えておきたい気分にもなるわけです。
ところで、自分自身もそういう反省をしているわけですが、本人はまぁったく「頑張ってやっている」などという感覚がこれっぽっちもなく、「こんなもの、ここまでやるのは、ごくごくあたりまえやんけ」としか思っていないものの、あまりこちらのことを知らないひとたちなど、「そんなことをやるやつはいっぱいいるが、なぁんで、そんなところまでやっているんだ? おまえ、頭、大丈夫か?」などと呆れられることも、度々(たびたび)なのです。
もっとも、今日日(きょうび)の若い子たちは、そういうものごとをやるための機微(きび)が、どうやらさっぱりわかってないようですが、こちらとしては、幼少期から思春期を、神戸というど糞危ない街で過ごしてしまったので、至極(しごく)当然のように「俺もやらなければならない」と、ごくごく若い頃に思い込んでしまったという事情があるだけなのです。
だぁって、わたしの幼少期なんて、まだ、第二次世界大戦が終結してから、まだ17年しか経ってなかったわけで、もはや戦後ではないとか鳴り物入りで囃し立てられ、復興を期すべく東京オリンピックも開催され、これからはどんどんと生活が良くなってゆくだろうという夢や希望だけはあったものの、まだようやく高度経済成長のとば口に至らんとしていた頃であり、実際には豊かさから取り残された貧苦(ひんく)と困窮(こんきゅう)がまだそこらじゅうに蔓延しており、現代のような欲しいものは何でも手に入る物の溢(あふ)れた豊かな時代とは、そもそもがまぁったく異なっていたわけです。
1970年に大阪で万国博覧会が開催された頃でも、梶原一騎原作の極真会館総裁の大山倍達の半生を劇的に描いた『空手バカ一代』の連載が、講談社の『週刊少年マガジン』で始まると、たちまちTVアニメが制作されたり、映画が制作されたりするほどの大ブームを巻き起こしたわけですが、当時、大山倍達率いる極真会館と宗道臣が率いる少林寺拳法は、その覇権を巡って互いに道場破りをし合うなどの激しい抗争事件を繰り返しており、神戸三宮の生田神社の路地裏や東門筋の裏手辺りでも、極真会館と少林寺拳法の猛者(もさ)同士が、素手で壮絶に殴り合ったり蹴り合ったりする激しい集団抗争が頻発しており、当時、わたしはまだ8歳程度だったものの、そのあまりにも壮絶な乱闘を、子供ながら腰を抜かして驚愕しながら見ていたものです(苦笑)。
当時、水俣病などの公害問題が社会問題化しており、さらに沖縄での米軍の現地住民に対する暴虐が本土でも広く知れ渡り始めており、その最中(さなか)にベトナム戦争が激化してゆくなど、あまりの社会の矛盾に怒り出した若者たちが、政府に公然と叛旗を翻(ひるがえ)し、そのなかでも新左翼に煽動された若者たちが騒乱事件を起こすなど、時代は不穏な空気を孕(はら)んでおり、その頂点で東京大学安田講堂の占拠事件が起きるのです。
安田砦の攻防戦は、機動隊の突入により収束するものの、却って学園紛争の火の手は全国各地に飛び火してゆくのですが、新左翼の煽動もあり、徐々に先鋭化して過激化してゆく運動は、あさま山荘事件を契機として世間から見放され、大きく退潮してゆくのです。そのため、この時代のすべての物語には、どこかしら常に挫折感が沈潜(ちんせん)しており、それは一種の虚無感、もしくは、ニヒリズムと言えるようなものさえ孕(はら)んでいたものです。
そのような時代背景もあり、当時の人気TV番組というのは、それまでの様式美を重視した華麗な殺陣(たて)を売り物とした時代劇と打って変わって、あまりにもリアルな人殺しとしての斬り合いを、ありのままに描いた市川崑監督の演出による『木枯らし紋次郎』が、大ヒットしていたわけです。
中村敦夫演じる『木枯らし紋次郎』の決め台詞は、「あっしには、関わりのねぇことでござんす…」だったのですが、世間のひとたちは、社会からの疎外者としての無宿渡世人の紋次郎に、どこかしら自分の孤独と虚無感を重ねていたわけですが、紋次郎は社会との関わりを避けようとするものの、実際には、社会から打ち捨てられたひとびとを助けてしまうことから、いつも揉め事に巻き込まれてゆくというその不条理劇に、当時のひとびとは、ある種の共感を感じていたわけです。
そして、10歳の頃だったにもかかわらず、わたしが、ある種の共感を持って『木枯らし紋次郎』を見ていたのは、同時代性を以って時代の挫折を、わたしも共有していたからに外(ほか)ありません。
というのも、1970年に『いちご白書』という映画が、日本でも劇場公開され、それに伴って映画のTVコマーシャルも流されていたのですが、それを見たわたしは、今、世界では何が起ころうとしているのかを知る為に、さんちかタウンにあった行きつけの本屋のコーべ・ブックスにその原作本を買いに行ったのですが残念ながら品切れで、当時、神戸最大の本屋だった本のデパート日東館の階段脇の本棚で、ジェームズ・クネンの原作本をようやく見つけて買い込み、何度も何度も熱心に読んでいたものです。
それからしばらくして、神戸の名画座である良心劇場ビック映劇で、その映画も見たのですが、当時10歳だったわたしは、わからぬなりに社会の矛盾にある種の虚無感を感じてしまって、劇場からの帰り道、市バスのなかから三宮のリプトン塔の電飾を横目に眺めながら、映画の顛末にまだ悲嘆しつつ、夕暮れの街をひとり家まで帰ったことを、今でも憶えているのです。
そういうわけで、実は、当時、四畳半フォークとか、負け犬根性がもう大っ嫌いだったんっすけどね。『神田川』とか、もう、ぺ、ぺ、ぺ、ぺって感じですわね(苦笑)。
追記3
わたしが、何故、こんなにまでも、自己の原衝動(【英】original impulse)に駆り立てられているのかについて、どうにも書き足りないので、敢えてさらに書いてみますが、すべては神戸というど糞危ない街で、幼少期から思春期を過ごしてしまったことから、「これは、自分もやらざるを得ない」などと、思い定めてしまったが故(ゆえ)の身の不幸であるとも言えましょう。
そもそもわたしが、まだ8歳の頃のことですが、東京大学安田砦の攻防戦を目(ま)の当(あ)たりに見てそれに刺激されたのか、わたしの家の近所にある神戸市立葺合高校にも学園紛争の嵐が波及して、高校生がバリケード・ストライキをかまして講堂に立て篭もるという事件が発生したのです。
それは、土曜日か日曜日の午前中だったかと記憶しておりますが、高校からほど近いところにあったわたしの家族が住んでいた文化住宅の周囲にも、窓ガラスに鉄の網を被せた灰色の機動隊のバスが何台も何台も停車し、その周囲を住宅地には不釣り合いな盾や警棒、ヘルメットなどで武装した多数の機動隊員がウロウロとしており、子供でもわかるほどに街路にはただならぬ切迫感が満ちみちていたのです。
それは、昼頃に起こったのですが、わたしたち家族が家で寛いでいたところ、突然、門前に数人の足音がして、わたしたちが棲む文化住宅の一室に、いきなり数人の高校生たちが土足で逃げ込んできたのです。彼らは、顔面蒼白なまま、こちらを拝み倒しながら切迫した口調で「助けてください。僕たち警察に追われているんです。」などと口々に言うのです。
それを聞いたわたしの母親は、「あんたたち、あんな過激なことをするから、そうなるんでしょぉ。あんたたち、ほんとに何を考えてるのよぉぉぉ。」などと叫びながら、1.5mぐらいの石垣を降りれば劉外科の看護婦寮の敷地に抜けられる裏庭のドアを開けて、「あんたたち、そこから早く逃げなさい。すぐに行きなさぁぁぁい。」と怒鳴ったのです。
高校生たちが裏庭に降りるドアに殺到するや否や、玄関の呼び鈴が何度も鳴らされ、門のドアを叩く音が文化住宅の室内にも響き渡ったのです。それと同時に、刑事を先頭にして警察官たちが玄関先に殺到してきたのですが、先頭を切って踏み込んできた刑事は「おいこら、ここに逃げ込んできた連中がいるだろう。早くだせぇ。早くださんかぁ。」などと叫んでいるのです。ところが、母親は、「そんなこと知りません。うちには誰も来てません。あんたたち、何の権限でうちの家にきたのよ。」などと押し問答を始めるのです。
怒り捲(まく)った刑事は、「この家に逃げ込んだのを、俺は見たんじゃぁ。早く逃げ込んできた奴を出さんかぁぁぁ。」などと怒鳴るものの、母親は「知りません。うちの家には、誰も来てません。」などと言って、時間稼ぎの押し問答を続けようとするのです。ところが、それに焦(じ)れた刑事が、いきなり室内に踏み込んで来ようとするのを見てとって、母親は「あんたたち、土足で上がってこないでぇぇ。靴を脱ぎなさぁぁぁい。」と叫んだのです。
怒りながらも乱雑に靴を脱いだ刑事たちが部屋の中に雪崩れ込んできて、狭い室内を探し廻って、台所の横の裏庭に続くドアが開けられているを見た瞬間に、踏み込んできた刑事は「おまえら、よくもやりゃぁがったなぁ。こんちきしょう、あいつら、逃げやがったぁぁぁ」と大声で叫んだのです。散々に悪態をつきながら、刑事たちは焦りながら足早に家から出て行ったのですが、母親は目を剥(む)きながら胸を踏ん反り返らせて、玄関先で彼らを見送っていたのを、わたしは、今でもはっきりと憶えているのです。
そういう幼年期を過ごして、なんだかんだでとうとう高校生になってしまうのですが、当時の愛読書というのが、平井和正のウルフガイ・シリーズやゾンビー・ハンター・シリーズ、レイモンド・チャンドラーのパルプ・フィクションとかのハード・ボイルドだったりしたわけで、特に大藪春彦の神戸を舞台にした小説『汚れた英雄』に触発され、自分でも改造した軽排気量のオートバイを駆って六甲ドライブ・ウェイを全開走行していたものです。
当時、夏の早朝4時半頃、東灘区篠原台の高台から出発して、すべての信号を無視して全開走行で疾(はし)り、国道2号を通り抜けて舞子駅までの28kmの距離を10数分で到達するという遊びを度々(たびたび)やっていたのですが、ある日、塩谷付近の海岸沿いの緩やかにカーブする長いストレートを時速120kmで走行していたところ、バック・ミラーになにやらぽつんと小さな点が映るのを見つけたのです。その小さな点は、僅(わすか)か2、3数秒後にはバック・ミラー一杯に映るオートバイの影となり、その直後に爆音を響かせながら疾走する大排気量のオートバイに、あっさりと真横をぶち抜かれてしまったのです。
驚愕しているわたしの視界の隅で、緩いカーブで車体を倒した大型カウリングのオートバイに騎乗するライダーがこちらに軽く左手を挙げているのが見え、そして、その横腹にはでかでかとbimotaのロゴが描いてあったことを、今も明晰に憶えているのです。その数秒後には、そのオートバイは遥か遠くの緩いカーブを廻って視界から完全に消え去ったのですが、こちらが時速120kmで走行しているにもかかわらず、一瞬で抜かれていったことから考えて、おそらくリミッターを切る改造をして時速300km近い速度で走行していたのでしょう。わたしの記憶が正しければ、それはKawasakiのエンジンを積んだbimota KB2だったと思われます。
僅か数秒の出来事でしたが、多分、わたしは、一生このことを憶え続けていることでしょう。
当時、オートバイで六甲山を疾(はし)っていると、色々なことにでっくわすもので、その頃、行きつけのライダーが集まる喫茶店で聞き込んで、わたしも行ってみたことがあるのですが、芦屋川から有馬温泉に抜ける芦有ドライブウェイの途中にある展望台では、定期的にポルシェのエンスージアスト(【英】enthusiast)が集まるイベントが開催されていたのです。
わたしの記憶が正しければ、そのなかには品川ナンバーや横浜ナンバー、鎌倉ナンバー、広島ナンバー、岡山ナンバーのポルシェなども含まれており、日本全国から集まった何10台ものポルシェ乗りが、そのボンネットを大きく開け放ち、独自にチューニングした自慢のエンジンをアイドリングさせ、腹にこたえる振動音を周囲に響かせながら、お互いに何100万円も掛けて改造したエンジン廻りを見せ合っていたものです。
それもその筈で、神戸のJR住吉付近にあったポルシェの販売店では、数年前までずっとポルシェの販売数が日本いちだったわけで、今でも阪急御影から芦屋川の辺りでは、多数のポルシェがごく普通に走っている街だからです。普通の主婦が、八百屋や豆腐屋などに行くのに下駄替わりにポルシェに乗ってやってくるような街なんて、わたしもあまり聞いたことがないですが、この辺りはそういうお土地柄だったりするわけです(苦笑)。
そう言うお土地柄の話をもっと書けば、1981年に神戸では、神戸ポートアイランド博覧会が開催されたわけですが、その1、2年前のポートアイランド人工島には、立派な直線道路が縦横に張り巡らされ多数の街灯が整備されていたものの、碌に何の建物も建ってない空き地が広がるだけの場所だったので、夜間はほぼ無人となっていたのです。そこで、誰が始めたのか知りませんが、夜間に無人になっているポートアイランドの直線道路を使って、勝手にドラッグ・レース(【英】Drag race:ゼロヨン・レース)が開催されていたのです。
わたしも、その噂を聞き込んで、週末にオートバイに乗って神戸大橋を渡り、何度か見物に行ったのですが、何処(どこ)からやってきたのか、大排気量のエンジンを持つスポーツ・カーを改造してさらにボア・アップしたドラッグ・カーが、ポートアイランドに多数集結していたものです。
ドラッグ・レーサーは、いち早く速度を上げるためにタイヤをアスファルトの路面に空転させるため、摩擦熱で後輪から白煙を噴き上げながらスタートするのですが、2台の車の真ん中前方に立っているひとがチェッカー・フラグを振り下ろした瞬間に、もの凄い爆音を響かせながら、400m先のゴールに向かって突(つ)っ走(ぱし)ってゆくのです。
無人の街路で深夜に繰り広げられる祝祭(しゅくさい)は、非合法であるが故に一種異様な空気を孕(はら)んでいて、だからこそ集まった見物人たちは口々に叫び声をあげて熱狂していたわけですが、高校生だったわたしも、それを目(ま)の当(あ)たりにして、かなりの衝撃を受けていたものです。
ところで、もともとわたしは、小学生の頃からのThe Whoファンだったわけですが、1976年頃からのPunk Movementを受けて、それまでのEuro Progressive Rocckファンから一転して、Punkに入れ込むようになっていったわけですが、1979年のThe Whoの映画であるQuadrophiaを見てからしばらくして、背中までの長いCurly Hairにしていた髪を切り、Mods系のインテリ・パンクスをやるようになったわけです。
ところが、Jazzが染みついた神戸なんてぇ街では、Rock、特に、Punkなんてもう外道の音楽として嫌われていたわけで、あまりの世間の無理解ぶりに怒り出してしまって、当時、頭を赤や紫に染めたPunksが普通に街を闊歩(かっぽ)していた京都の百万遍辺りまで、軽排気量のオートバイに乗り、一般道を3時間以上掛けて走って、よく遊びに行ったものです。
当時、「河原町のゴミ捨て場」と呼ばれていた四条河原町BALビル近くのロック・バー治外法権で、JBL Paragonから耳を擘(つんざ)くような大音量で鳴らされるRockのレコードを聴いて、僅かに溜飲(りゅういん)を下げていたものですが、発売されたばかりのRushの『Moving Picture』を初めて聴いたのも、ここだった記憶があるわけです。
そういうわけで、当時、わたしがオートバイに乗って三宮まで行って、第1ミリオンの前に駐車したりなんかすると、交差点でフライヤーを撒いていたディスコの黒服たちに、「おまえ、そんな汚(きったね)ぇ格好をして、三宮を歩くんじゃねぇ。」とか、しょっちゅう喧嘩を売られていたものです(苦笑)。
ところが、そういう思春期をおくっていたPunksのわたしすらも、ひっくり返って驚愕していたのは、ドキュメンタリー映画の『ゆきゆきて、神軍』で全国的に有名になった神軍平等兵の奥崎謙三、そのひとなのです。彼は、よく三宮の交差点の真ん中に街宣車を乗り付けて、「わたしが、天皇ヒロヒトにパチンコを撃った奥崎謙三であぁぁる。もし、わたしの言うことが納得できないのなら、この街宣車を爆破するなり、わたしを逮捕せよぉぉ。」などと大音量で演説をしていたものです。
さすがに、奥崎ぐらいになってしまうと、街宣車の周囲を何人もの警察官が取り囲むものの、緊急配備された警察官たちは、口々に「先生、先生、もう勘弁してくださいよ。今日は、もうそこまででお願いします。すいません、もうやめて頂けますか? ねぇ、先生、先生、お願いしますよぉ。」とか言っていたものです。
そういう奥崎の危なさというのは、もう凄(すさ)まじいもので、いつもいつも顔面を紅潮させ激怒している奥崎が、警察官にマイクを取り上げられるまで押し問答が続くのですが、三宮の交差点には奥崎の怒声が大音量で延々と響き渡っていたのです(苦笑)。
お互い年喰っちゃいましたけど、百万遍辺りに屯(たむろ)っていたPunksの皆さん、今も元気にしていますか?
わたしのおともだちだった京都の元鬼Punksで、ライブの際に興奮してステージに上がろうとする観客を鉄パイプで殴り捲(まく)っていた狂犬○○は、一昨年、京都大学医学部附属病院で肺癌のため亡くなりました。
ところで、あなた、四条河原町のジュリーをまだ憶えてますか?
みんな、みんな、しっかり生きようね(苦笑)。
参考
Version 1.1 -- 2023/12/18 Fix
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