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東京慕情 その(26) 文化篇−3 東京の縁日 お酉さま、朝顔市、ほおずき市

 千住の実家近くに大正時代に作られた『大正道路』があって、子ども頃この通りでは夜店が開かれていた。夜店は縁日に出るもので、この通りには小さな『お稲荷さん』があって、それにちなんでいるが、子どもにとっては夜店の面白さと楽しさしか用はなかった。 【写真−1 平日の何もない神社も面白い】  いつ頃この夜店がなくなったのか知らないが、老人ばかり住む町になってそういった催しを行う元気が失せたことがなくなった理由の一つと思うが、記憶の中にあるだけで写真などは一切ない。  そこで写真に残っている東...

セブ島工房 | 2018.06.04 Mon 21:04

東京慕情 その(25) 千住篇−10 北千住駅西口の駅前通り

 千住は足立区になるが、千住何丁目という地名はあっても、北千住というという地名はなく、北千住というのは上野から出ている常磐線の駅名であると再三書いている。 【写真−1 写真を撮った時は雨で少々暗かった】  駅名を『千住』と付ければ良かったのに北千住となったのは、隅田川の向こうに南千住という駅があって、あちらは南だからこちらは北にしようとした、当時の鉄道関係者の教養のなさの表れで、今更いっても仕方がない。なお、南千住は荒川区になり南千住という地名は江戸の昔からある。  駅名の付け方で...

セブ島工房 | 2018.05.20 Sun 20:12

東京慕情 その(24) 千住篇−9 荒川放水路−2 千住新橋の今昔

 前回その(23)の中で『千住新橋』について触れているので、もう少し書き加えたい。 【写真−1 整備され過ぎて面白い区域でなくなった】  写真−1は千住新橋の千住側堤防の上流側から撮ったもので、河川敷は綺麗に整地されて野球のグラウンドになり、自転車道も作られ都会のオアシス的な空間となっている。  しかし、この辺り一帯のかつては葦の生える遊水池のようになっていて、四手網で小魚を獲り、ザリガニ、カニを獲る絶好の場所であった。  今、仮に当時の迷路のような草の生い茂る遊水池が残っているようで...

セブ島工房 | 2018.04.27 Fri 10:39

東京慕情 その(23) 千住篇−8 荒川放水路−1

 子どもの頃、放水路へ行って川と土手の間の葦の生える遊水地でザリガニ、カニ、魚などを獲ったり、その遊水地を埋めたグラウンドで野球をすることが多かった。 【写真−1 右側が下流】  自宅からは子どもの足で、路地裏や公園などを抜けても放水路の土手までは10分もかからず、当時は土手といっていたように、土を盛った堤防が延々と続いていた。  写真−1は今の放水路の堤防の様子で、斜面の部分はコンクリート・ブロックで固められているが、子どもの頃も町に面する側はコンクリート・ブロック工事が進んでいて、...

セブ島工房 | 2018.04.18 Wed 20:08

東京慕情 その(22) 文化篇−2 東京の喫茶店さまざま

 喫茶店へ行った一番古い記憶は、小学生の頃父親と行った浅草の店で、そこで記憶しているのが『ハンバーガーはこの店が日本で最初』という父親の言葉であった。   【写真−1 浅草には喫茶店はたくさんありそうで少ない】  本当にそうなのか分からないが皿の上に乗ったハンバーガーを食べたような記憶を持つが、どのようなハンバーグであったかどうかは覚えていない。後年、洋食で有名な『ヨシカミ』の近くにあったなとその店のある辺りを探したことはあったが、記憶もあやふやであったために探すことは出来なかっ...

セブ島工房 | 2017.12.23 Sat 22:31

東京慕情 その(21) 文化篇−1 今はない想い出の名画座

 かつては都内の目ぼしい駅の傍には必ず映画館があるような時代もあったが、今はほとんどが消滅する憂き目に遭っている。これは前にも書いたが、千住という隅田川と荒川放水路に囲まれた地域でも、松竹、日活、東宝、東映の封切館と、その他に洋画の名画座が1館、邦画の名画座2館の計7館あった。 【写真−1 かつては1階にある映画館であったが今はエレヴェーターで上へ行く】  これら千住の映画館が櫛の歯を引くように廃業し、最後の映画館となったのは旧日光街道沿いのビルの地下に一番新しく出来た洋画専門の名画座で、...

セブ島工房 | 2017.12.17 Sun 20:28

東京慕情 その(20) 千住篇−7 想い出の駄菓子屋の四季

 駄菓子屋へ足繁く通ったのは小学生の頃で、中学生になると全く行かなくなったから昭和20年代後半から30年代初めにかけてとなるが、その頃はまだ写真を撮るなど無理で、勿論当時の写真は撮っていない。 【写真−1 5円10円という世界であった】  掲載した写真−1は上野不忍池畔にある『下町風俗資料館』を見学した時のもので、そこに展示してある駄菓子屋風景はこんなに古くはない気もするが、これに近かった雰囲気でかつてを思い出させてくれる。  実家の近所に『マスダのババア』と呼んでいた駄菓子屋があり、毎日のよ...

セブ島工房 | 2017.12.08 Fri 12:08

東京慕情 その(19) 千住篇−6 近所にたくさんあった風呂屋

 子どもの頃、千住の実家の周りには風呂屋はたくさんあり、近い風呂屋は1分もかからず、遠くても15分くらいの所にあり、その日の気分で行く風呂屋を変えていた。 【写真−1 今はスーパー銭湯など称し昔のような悠長な風呂屋でなくなった】  当時は家に内風呂を持っている家は珍しく、風呂屋へ行くのは当たり前の時代で、戦後に建てた実家は木造平屋の家であったが、2階建てに建て替えた時、いつでもお湯が使えるシステムの風呂場をしっかり作ったが、やはり風呂屋が良く風呂屋通いは続いていた。  今は銭湯という呼び...

セブ島工房 | 2017.12.03 Sun 18:17

東京慕情 その(18) 上野篇−4 上野駅前から上野公園へ

 上野駅のアメ横へ向かう出口を出て右手に行き、信号のある道路を渡った向かいに『西郷会館』という3階建てのビルがあった。あったというのはこの会館は2012年に『UENO3153』というガラスを主体にした新しい建物に建て替えられた。  このビルの名前のUENOは分かるが3153の意味が分からず地番と関係があるのかと思ったら何のことはなく、3153をサイゴーサンと読むことから来ている。小生の生まれ育った千住の商店街も『1010』と名付けてセンジュウと読ませて引っかけているのと同じで、あまり頭の中味は感心しない名付け方である。...

セブ島工房 | 2017.08.27 Sun 12:24

東京慕情 その(17) 建物篇−2 今はない記憶の中の建物

 建物には寿命があるといわれ、老朽化や耐震性などを理由に解体されて建て替えられるが、企業が持つ建物などは効率性を理由に解体される物が多く、その中で写真に残していた東京の著名な建築物について綴ってみたい。   【写真−1 場所柄バブルの頃はかなりにぎわった】  写真−1は赤坂にあった『赤坂プリンス・ホテル』で撮った時期は2010年3月末、桜を観に日本へ帰った時ホンジュラス時代の知人達と赤坂のレストランで会った時、時間があったので青山通りを歩いた時の一枚である。  この建物は写真で見ても分...

セブ島工房 | 2017.08.20 Sun 20:30

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