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小寺大明神から歩道橋を渡り、御着城址へ。 御着城跡公園 御着城は、別名は茶臼山城、天川城と呼ばれ、城内に山陽道や城下町をとり込んだ惣構えの平城でした。 赤松氏の一族小寺氏の居城で、永正16年(1519年)に小寺政隆が築城したといわれています。 天正7年(1579年)に羽柴秀吉に攻められ落城、城割が行われ廃城となりました。 現在、御着城公園となっており、堀や土塁が残っています。 黒田官兵衛顕彰碑 目薬の木 官兵衛の祖父・重隆の代に黒田家は備前・福岡から姫路に移り、広峯神社の御師(...
大河ドラマ「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2014.01.14 Tue 11:18
姫路からJRで御着へ。 わずか3分で到着 ホームに降りるとこの看板が! 官兵衛ゆかりの地に降り立ったという気分がします 改札を出るとすぐに天川が見えてきます。 旧山陽道、天川に架かる現在の天川橋 文政11年(1828年)姫路藩の築造の旧天川橋は、昭和53年10年、御着城跡公園内に移設保存されています。 途中、地元の方に御着城へ行く道を訪ねました。 その時、ちょうど目の前にあったのがこの徳證寺(とくしょうじ)。 ここも何か由緒があるお寺らしいわよと教えられ、...
大河ドラマ「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2014.01.12 Sun 22:42
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」は、2回を終了しましたが、ひどい出来だと思います。 片岡鶴太郎のあの鼻のメークは、ギャグとしか思えないです。 期待してたんだけどなあ。 JUGEMテーマ:NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」
ジュンコの日記 | 2014.01.12 Sun 20:58
黒田官兵衛(岡田准一)の初陣と恋模様でした。 官兵衛が罠だと気づいたお蔭で櫛橋左京進(金子ノブアキ)だったかな?は助かったのに、 「余計なことはするな」って…。 どれだけ外様ということで差別しているんでしょうね。 ありがとうの一言くらいあってもいいのに。 官兵衛は、おたつ(南沢奈央)に告白しようとしてましたけど、 すでに嫁ぐことになってしまいましたね。 もうちょっと早ければお嫁にできていたかも。 これも運命!? JUGEMテーマ:NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」
軍師官兵衛 岡田准一 | 2014.01.12 Sun 20:56
JUGEMテーマ:NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」姫路城の黒田職隆と龍野城の赤松氏とは、境界線が接しているため小競り合いが続いていました。そんな時、萬吉は、母の病に効く薬草を取りに龍野の竜神池まで行き、赤松側に捕えられます。そこで、父:職隆が龍野城に乗り込み赤松氏と直談判して萬吉を取り戻しました。そんな危険を冒しても採ってきた薬草のかいもなく、母は、「まっすぐに生きるのですよ」と言い残し死んでしまいます。萬吉は、母の遺言を胸に、学問、武芸に励みます。職隆の所へは、赤松側へ取り込もうと使者がきますが、職...
大河ドラマ「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2014.01.12 Sun 03:56
JUGEMテーマ:NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」 今隣りで、ダンナが「軍師官兵衛」の録画を見ています。 先週見れなかったので。 第1回の感想を書いていませんでした。 まあ、第1回というのはむずかしいもので 大河ならばだいたい幼少時代からですから、岡田くんはあまり出ないし。 舞台設定や時代背景の説明がどうしても多くなります。 正直言って、ベタだったというか(笑) できのあまり良くない嫡男がいて、やさしい母は病弱で(結核で)、父は厳しくて 母の叱咤や死をきっかけに、変わっていく。 幼馴染の女の子と...
観世音寺シアター * 楽屋 * | 2014.01.12 Sun 00:13
小寺政職(片岡鶴太郎)の近習となった黒田官兵衛(岡田准一)は、 自分たちは“よそ者”の立場であり、 出過ぎたまねをしないよう黒田職隆(柴田恭兵)からくぎを刺される。 永禄6年(1562年)、赤松軍が小寺領内に侵入し、官兵衛は初陣を迎える。 幼なじみのおたつ(南沢奈央)が見送る中、 家臣の母里武兵衛(永井大)と共に戦場に駆けつけた官兵衛は、 敵の陽動作戦を見抜き自軍を勝利に導く。 戦から戻った官兵衛は、 おたつと同じ時を過ごすうち、彼女への思いを募らせていく。 そんな折、いまだ宿敵・...
軍師官兵衛 岡田准一 | 2014.01.11 Sat 15:43
JUGEMテーマ:NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」 官兵衛の母:岩は、播磨国明石郡枝吉城主の明石宗和(あかしそうわ)の娘として、1531(享禄4)年に生まれました。そして、1546(天文15)年、15歳の時に官兵衛が生まれました。枝吉城神本神社の上の台地に枝吉城石碑があります。枝吉城(枝吉4丁目7)は、明石氏によって室町時代中頃(1500年ころ)に築かれた城で、明石川西岸は人口も集中し発展した土地でした。1585(天正13)年、城主となった高山右近重友が、船上城を新たに築き移った事により廃城となりま...
大河ドラマ「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2014.01.11 Sat 03:27
JUGEMテーマ:NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」 官兵衛の姫路城について紹介します。官兵衛は、姫路城で生まれ後に城代になりました。当時の姫路城は、御着城主:小寺氏の出城で西への備え(龍野城;赤松氏)のためのもので、櫓のようなものがあっただけだろうと想像します。築造は、1555(天文24)年ころ、小高い姫山に官兵衛の祖父:黒田重隆が築造したのが始まり説が有力です。姫路城に天守閣が建ったのは、1580(天正8)年、播磨平定に乗り込んだ秀吉に、官兵衛が姫路城入りを勧め、官兵衛が城普請をして天守閣をも...
大河ドラマ「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2014.01.10 Fri 12:30
JUGEMテーマ:NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」官兵衛の父:職隆(もとたか)は御着城主:小寺政職(まさもと)の家臣として姫路城代として仕えており、母:岩は、播磨国明石郡枝吉城主の明石宗和(あかしそうわ)の娘でした。姫路城と龍野城の赤松政秀との間で小競り合いがあり、そんな時に、萬吉(官兵衛)は、母の病に効く薬草を取りに龍野城の領内に入り、つかまりましが、父:職隆が赤松氏とかけあって救出します。当時は、姫路城は、御着城の支城としての位置付でした。また、龍野城は、山頂に城があって名門赤松氏が治めていました...
大河ドラマ「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2014.01.09 Thu 03:45
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