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長々と書き連ねたこの拙文も今回が最後になる。今回の旅は欲張った行程でルソン島北部を回ったが、2度と行きたくないという観光地の多い中、またこの地方へ行って見たいという気持ちを持った。 【写真−1 近年は国内便の安売り合戦になって空の利用客は急増】 写真−1はマニラ国際空港第4ターミナル内の待合室の様子で、かなり込み合っている。第4ターミナルなどというともっともらしいが、ここはマニラ空港に国際線専用と国内線専用のターミナルに分かれた古い時代の2つあった中の国内用ターミナルであった。 その...
セブ島工房 『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.10.14 Fri 20:00
【写真−1 車が目障り】 フィリピンの世界遺産で最初に登録されたのは『バロック様式の教会群』があり、1993年に登録された。教会群と言うように4つあって、3つはルソン島、1つはフィリピン中部のパナイ島にある。 パナイ島は『ミアガオ教会』といって、この教会は拙稿の『パナイ島ぶらり旅2015』にあるように2015年の12月に訪れた。 今回のルソン島紀行ではイロコスにある世界遺産『パウアイ教会』を訪れたが、実はイロコスにはもう1つ登録された『サン・オゥガスティン教会』があって、こちらは街並...
セブ島工房 『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.10.09 Sun 12:28
フィリピンの首都はマニラと思っている人は多いが、私の記憶では首都はケソン市とあったが、いま改めて調べたらやはりケソン市はフィリピンの首都であった。 ただし、ケソン市が首都であったのは1948年から1976年までで、この時の大統領は独裁者マルコスであったから、簡単に首都を代えられたのであろう。独裁者の時代というのは首都などご都合で代えることが多く、ミャンマーなどその典型的な例で、国名と首都名の変更はおろか、首都も移転した。 【写真−1 イントラムロス内には大学など教育施設も多い】 現在...
セブ島工房 『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.10.04 Tue 20:52
これからのマニラ逍遥はイロコス地方を回って、飛行機の都合でマニラに滞在した時のもので、今回はマニラにある由緒ある建造物や博物館を訪ねた。 【写真−1 入口は右手側に回った所にある。本館は右手奥、道を挟んだ向こう】 写真−1はマニラにあるリサール公園内にある国立博物館で、マニラで宿泊したホテルが公園のそばなので歩いて向かうが、ホームレスもだいぶ多く、といって平和的な感じがするのはフィリピンだからだろうか。 この博物館、正式には『Museum of the Filipino People』といって、この近くに国立...
セブ島工房 『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.09.25 Sun 20:59
正確にはマニラ首都圏ケソン市にあるクバオだが、初めてフィリピンに行きしばらく滞在した知人の家がクバオ近くの高級住宅地内にあった。フィリピンは貧しいとの先入観を持っていたが、高級住宅地内は全くの別世界で、日本でも見られないような豪邸が連なっていた。 【写真−1 この線は比較的空いていた】 その住宅地からクバオ行きのジプニーが出ていて、お手伝いに混じってクバオへ出かけた。今回のイロコス行きはこのクバオ近くにバス・ターミナルがあって、様子を見るためにクバオへ出かけた。 写真−1はクバ...
セブ島工房 『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.09.14 Wed 19:44
日本大使館に用があるのではなく、同建物内にある広報文化センターの図書室に用があって、午前の早い時間に軽量鉄道とタクシーを乗り継いで向かう。 【写真−1 広報文化センターの図書室はかなり貧弱】 写真−1は大使館正面入り口付近の様子で、所在地はマニラ湾沿いに走る大幹線道路のロハス通り沿いにあり、この通りを左手側に進むとアメリカ大使館もある一等地。 日本大使館は最初からここにあったのではなく、かつてはマカティ市にありここへは1997年に移転してきた。移転前の大使館には何回か行った事があっ...
セブ島工房 『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.09.09 Fri 20:58
チャイナ・タウンにある中華門の前は広場になっていて、中央に噴水のある池がある。その噴水の向こう側に写真−1のサンタ・クルス教会がある。 【写真−1 見上げる向こうには高層マンション。再開発が進んでいる】 なかなかチャイナ・タウンの教会にしては瀟洒な感じで、創建は1619年。日本では大坂冬の陣で豊臣が滅びたのが1614年だから、徳川体制がほぼ磐石になった頃と同じになる。 しかし、写真の建物は創建後何度も地震などで建て替えを繰り返し、最後の全壊は1945年の日本軍と連合軍が戦った『マニラ市街戦』...
セブ島工房 『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.09.03 Sat 19:52
泊まったホテルはマニラにある『チャイナ・タウン』に近い。歩いて行くには遠くタクシーでは近過ぎるし、タクシーなどに乗ったらマニラの地獄的な渋滞に巻き込まれてしまう。 【写真−1 実用本位の自作トライシクル】 そこで、小回りの利くトライシクル(3輪バイク)を利用する。写真−1はそのトライシクルで、驚いた事に市販のバイクに側車を付けた見慣れたものではなく、ハンドル以下パイプを組み合わせて溶接した自家製。しかもエンジンは農業用にでも使う小型エンジンを乗せていて、良く造るものだと感心する。 ...
セブ島工房 『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.08.29 Mon 19:18
LRT−1号線はマニラ首都圏に最初に走った軽量高架鉄道で、1984年開業というからマルコス独裁政権に陰りの見え始めた頃で、その前年8月21日、マニラ国際空港でアメリカの亡命生活から帰国した前大統領の父親、ベニグノ・アキノが暗殺されている。 【写真−1 時間的には空いていた。実は駅構内で写真は禁止】 暗殺後、激動の時期を迎え1986年のエドサ政変につながるが、この首都圏初の高架鉄道もマルコスとその取り巻きに賄賂が贈られたのは間違いないであろう。写真−1はLRT−1号線の『カリエド駅』の様子で、マニラ国際...
セブ島工房 『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.08.24 Wed 19:42
マニラ首都圏には軽量高架鉄道が3路線あって、今回利用したのは1984年開業、全長18.4キロのLRT−1と2003年開業、全長13.8キロのLRT−2の2路線で、もう一つは1999年開業、全長16.8キロでMRTと呼ばれている。 【写真−1 フィリピンは電気代が発電、送電、配電と利権がからみ超高いので有名】 LRT−1とLRT−2は同じ会社だが、交わる駅では相互乗り入れでなく、乗り換えに不便。一方、MRTも LRT−1と交わる駅はあっても相互乗り入れせず、長い距離を歩かされる。3路線で総延長50キロにも満たないのに...
セブ島工房 『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.08.20 Sat 21:45
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