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イラク・アフガニスタン
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ミーナ

  「RAWAに連帯する会」の講演会などに何度か参加し、そして入会したのだけれど、いまいち「RAWA」のことがよく分かっていなかったと思う。だからこの本を読んで、「RAWA」のことがよくわかったし、その創設者の「ミーナ」という人がどんなに凄い人で魅力的な人だったいうのが、とてもよく分かった。比べることはできないけれど、武器を持たないという点で、もしかしたらゲバラ以上に凄い人だったかもしれない。 しかし、アフガニスタンの女性虐待の現状は、まだまだ改善されていない。やはり、ミーナが一番最初に取り組んだ「...

Nambo no Monya? | 2010.06.30 Wed 21:57

ナマ・テッチャン

  中村哲さんの講演会に行ってきた。開場前に到着したにも関わらず、会館の前にはたくさんの人たちが並んでいた。会場に入ったら、もう大半の席は埋まってい たが、一番前の端が空いていたので座ったら、幕が開くと、中村さんに一番近い席になっていてとてもラッキーだった。 ただ、今までにペシャワール会の報告で福元さんから聴いた話 や、書籍から知り得たことのような内容だったので、情報としては、僕にとっては新しいものは何もなかった。また、質疑応答の時間もなかったのは、少し残念だった。聞いてみたいことが...

Nambo no Monya? | 2010.05.23 Sun 01:12

人は愛するに足り、真心は信ずるに足る

 『あれも必要だ、これも必要だと言っていると、ほんとうに何もできない。しかしまあ、神というか、天というか、おそらく自分にはできないことまでは強制なさらないだろうというのが、私のささやかな確信で、「これだけやったから許してください」と言うしかないですね。それでいいんじゃないかと思いますね。』これが、25年間もアフガニスタンの人々に寄り添った人の言葉だ。なんという謙虚さなんだろう。アフガニスタンの山岳地帯で誰もしないからと、ハンセン病の治療に始まり、水がないからと井戸を掘り、食べ物がないからと...

Nambo no Monya? | 2010.05.11 Tue 18:57

RAISING MY VOICE 017

  この間、アメリカ合衆国もアフガニスタンに関わっている。私たちの国を解放するためのムジャヒディーンの正当な闘争という名目で、グルブディン・ヘクマティアルやアブドル・ラスル・サヤフやオサマ・ビン・ラディンのような最悪の極端主義者たちを合衆国が資金をだし、訓練し、武装化させた。もちろんオサマビンラディンはアフガニスタン人ではない。アメリカとパキスタンが裕福なサウジアラビアの極端主義者たちと共謀して、引き抜き、訓練して資金を与えた何千という外国人の中の一人である。この介入はソビエト連邦の最終...

Nambo no Monya? | 2010.04.18 Sun 11:14

RAISING MY VOICE 016

 しかしながらよくあるケースでは警察当局はかなり無慈悲であった。反体制の疑いがある家を通りすがりに、子供やゆりかごの中の赤ん坊でさえ当局は殺したという話を何度か聞いたことがある。 これらの年は、あなたは想像できると思うが、私の母にとっては、感情的にかなりつらかった。すでに述べたが、私の父が足を失ってすぐ後に、彼はひたすらアフガニスタンを去らなければならなかった。私たちは、父が隣国イランで避難していると信じたかったが、しかし、母が夫の知らせを聞くことは、長年まったくなかった。国中に猛威をふるう...

Nambo no Monya? | 2010.03.30 Tue 22:04

RAISING MY VOICE 015

 祖父はとてもおもてなしが手厚い人で、いつも自分自身よりも他人をたてる人であった。家族ではよく知られているひとつの逸話を子供の時に聞いた。それは、祖父が昼食を友人たちにおもてなしをしていた。そして、食事が配膳されようとしていたその時に、彼にひどく悪い知らせが届いた。彼の12歳の息子…私の父の兄である…は重い病気を患っていたのだが、その時に亡くなったのだ。客人たちのその知らせを打ち明けるよりも、食事を先に楽しんでもらうことを、いち早く確信していたのだった。彼がその悲しみを分かち合ったのは、食事も済...

Nambo no Monya? | 2010.03.29 Mon 21:31

RAISING MY VOICE 014

 しかし、彼が弟を深く愛したのと同じくらい、ババック伯父は多くの点で父とは違っていた。私の父は彼の世代のほとんどのアフガニスタンの男性とは似ていなかった。そして私たちの家庭には男尊女卑はなかった。私の伯父は、男性が家に来た時、少女たちはスカーフで頭を被うのを好んだが、私の父にとってはどうでもよいことだった。ある日、伯父はスカーフを買ってきて、私に身につけるようにお願いしてきた。伯父は私が他の男性と握手をするのも好まなかった。 少女の時、私はラファに住んでいる父方の祖母ととても親しくしていた。...

Nambo no Monya? | 2010.03.28 Sun 18:52

RAISING MY VOICE 013

 父の延命のために、医師たちは彼の足を切断しなければならなかった。実際、彼らは3回手術しなければならなかった。彼は、ソビエトとの戦争の間に手足の一本を失くした何百何千人のアフガン人のうちの一人であった。Handicap Internationalによる2005年度の調査では重度障害になったアフガン人は867000人にまで達したと見積もられた。父に再起不能の重傷を与えたような地雷は、未だに国の至る所に埋められたままで、子供たちや農夫たちに害を与え続け、地雷の製造者たちが帰国した後もずっと邪悪な仕事をし続けている。 あなたは想...

Nambo no Monya? | 2010.03.28 Sun 17:22

RAISING MY VOICE 012

 しかしながら私の父は民主主義に関わることを堅く決心していた。彼はベッドカバーの下にタオルと枕を詰め込んで、従兄の助けを得ながら、寝室の窓からこっそりと抜け出した。昼食の時間あたりまで祖父は彼は眠っているものだと思っていた。しかし欺かれているとわかった時、彼は非常に怒ったが彼の無事もまた祈ったのだった。祖父の怒りに敬意を表して、父は一週間家に帰らなかった。結局、父は許され、家に連れ戻された。 父はこれら数年間、非常に多くの危険を引き寄せ、1970年当初、医学の勉強を中断して、16ヶ月間刑務所に入れ...

Nambo no Monya? | 2010.03.28 Sun 13:40

RAISING MY VOICE 011

  このクーデターはアフガニスタンの諸問題についてソビエトの直接的な内政干渉を導き出した。親ソ派アフガニスタン人民民主党とハルクとパルチャムという大きな二つの派閥は、お互いを大量追放するだけでなく、反対者に対しての鎮圧や抹殺は容赦なかった。最初のソビエトの操り人形であるヌール・ムハンマド・タラキーは、1979年までの一時期を支配したハーフィズッラー・アミーンによってすぐに殺害された。ソビエト軍がカブールに進んだ時、彼らはアミンを殺害して、より当てになる操り人形のバーブラーク・カールマルをアフ...

Nambo no Monya? | 2010.03.25 Thu 21:26

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