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イラク・アフガニスタン
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RAISING MY VOICE 010

 Maiwandのマラライはそのあとすぐに打ち倒された。彼女の犠牲は抵抗闘争家たちを鼓舞し、そしてイギリスに驚くべき敗北をもたらしたのだ。3000人近くのアフガニスタン人が死んだが、すべてのイギリス軍は破壊され、そしてこの勝利は独立戦争のわが国における画期的な指標となった。父は民主主義と人権がないがしろにされている時代にそれらの強力な支援者だったので、両親は私をマラライと名付けたのだ。 父は私の人生にもっとも重要な影響を与えるようになっていったが、一歳の頃はまだ父を知らなかった。国の政治的な情勢のために...

Nambo no Monya? | 2010.03.06 Sat 22:40

RAISING MY VOICE 009

 一方、私の母は教育を受けるチャンスさえなかった。彼女の人生は平易ではない。彼女の両親は、彼女がまだ若い時に亡くなった。だから彼女は自分の子供と、兄弟たちの両方の面倒をみなければならなかった。彼女には一家の大黒柱となった二人の兄がいた。母方の祖父母は40年間部族のリーダーとして、またはMalik(族長)として、実直でとても尊敬されていた。Zikenの人々は彼を「スティックホルダー」と呼んでいた。何故なら、誰かが賄賂をとっているのを見たら彼はその人をむちで叩くということで有名だったからだ。たとえアフガニス...

Nambo no Monya? | 2010.03.06 Sat 12:05

RAISING MY VOICE 008

 私が生まれて間もなく、私の家族はイランとの国境にある同じ州のFarah市に引越しをした。そこは、旱魃と暴風の被害で貧しくてまばらにしか人が住んでいない地区である。州一帯で50万人しか住んでいなく、Farah市の周辺地域ではそのうちの5万人が暮らしている。今日、Farahは首都Kabulからはほとんど見えなくそして忘れ去られている。しかしHeratやKandaharといった古い町の間の道路に沿った広い河川流域に偉大な軍隊たちが殺到した時代もあった。ペルシャのダリウス?世がかつてここを統治していた。異教徒の城として知られているアレ...

Nambo no Monya? | 2010.03.05 Fri 23:04

RAISING MY VOICE 007

CHAPTER 1THE ROAD FRON FARAH 私は1978年4月25日に、西アフガニスタンの山々が連なるAnardara地方のZikenという小さな村で生まれた。三日後のソビエト介入のクーデターが、私たちの生き方を永遠に変えた。一年以内に私たちは占領された国となり、そしてその時以来、戦争が全てであるとアフガニスタン人は知ったのだ。 私は10人の子供の中の二番目であり、7人の娘の中では一番上であった。私の家族はかなりの貧困に苦しんだが、決して不足しなかった唯一の必需品は愛であった。しかし私たちはしばしば恐怖におののきながら暮らしてい...

Nambo no Monya? | 2010.03.03 Wed 22:53

RAISING MY VOICE 006

 アメリカ合衆国の新大統領選挙期間中、バラク・オバマはアフガニスタンへの数万以上の軍隊の派兵については語ったが、私の国を破壊している汚職と軍事指導者的主義との二つの疫病については公言することはなかった。オバマの当選は合衆国の平和愛好者には大きな期待をもたらしたことは知っている。しかし、アフガンニスタン人にとってオバマの軍事増強は、タリバンとアルカイダを弱めることさえしないかもしれないが、無実の民間人にはさらなる苦しみと死をもたらすだけであるだろう。この本の教訓がオバマ大統領とワシントンの政策...

Nambo no Monya? | 2010.03.02 Tue 23:42

RAISING MY VOICE 005

 しかしアフガニスタンは、イギリス帝国からソビエト帝国、現在はアメリカとその同盟国などの超大国間の「グレートゲーム」の命懸けの遊び場として、長い間使われてきた。彼らはアフガニスタンを分断することによって統治することを試みてきた。彼らは、私たちを恐ろしく悲惨なめに陥れた悪党や原理主義者や軍事的指導者たちに金と権力を与えた。私たちは誤用されたり、誤って伝えられたりするのは望んでいない。私たちは世界中から警備と友人の手助けが必要だが、この終わりなきアメリカ主導のテロ戦争-実際にはアフガニスタン人に対...

Nambo no Monya? | 2010.03.01 Mon 23:09

RAISING MY VOICE 004

 数年間、私の支援者たちは私の人生についての本を書くことを勧めてきた。私自身について書くことは気楽なことではないので、私はいつも断り続けてきた。私自身の物語は重要ではないと思うのだ。しかし、私の友人たちはついに私を説得し、私の国の戦争世代の一員としての観点からアフガニスタンの人々の苦境について語るひとつの方法として、この本にむかうことになった。非道な悪政の過去三十年間に焦点を当てたアフガニスタンの政治的な歴史を語るひとつの手段として、私の個人的な経験を使用することに同意したのだ。私の州の...

Nambo no Monya? | 2010.02.27 Sat 10:10

RAISING MY VOICE 003

 私が地下活動家として働いている時、タリバンの時代は偽名として自分のことをJoyaと呼んだ。Joyaという名前は私の国では偉大な意義がある名前だ。Sarwar Joyaは20世紀初頭にアフガニスタンの作家であり、詩人であり、そして不正行為に取り組む憲法学者であった。彼は彼の民主主義の信念を曲げなかったために、24年近く刑務所で過ごし、そして殺された。 私は軍事指導者や原理主義者たちへの敵意を緩めるたり、彼らを告発する演説を和らげたりすることを拒否したので、その時、自由の為に死んでいったアフガニスタン人の長い...

Nambo no Monya? | 2010.02.27 Sat 10:05

RAISING MY VOICE 002

  あなたはこれを聞くとショックを受けるかもしれない。何故なら、合衆国とNATO同盟国によって、アフガニスタンの真実は、注意深く作りあげられた言葉やイメージの偽装の後ろに隠され、西側メディアによって疑問を挟む余地もなく繰り返し報道されてきたからだ。 かつてタリバンは権力の座から追いやられ、正義が私の国に戻ったと信じるようにあなたは導かれてきたのかもしれない。合衆国がアフガニスタンへ民主主義と女性の権利をもたらした証拠として、政権に投票し立候補する私のようなアフガン女性は擁護されてきた...

Nambo no Monya? | 2010.02.27 Sat 09:59

RAISING MY VOICE 001

ノーベル平和賞を受賞してもおかしくないアフガニスタンの活動家マラライ・ジョアさんのことを知りたくてネットや書物を検索しても、日本ではまだ充分な情報はほとんどない。彼女の自伝は出版されているものの、まだ日本語にはなっていない。なので、無謀ながらも横文字の本を生まれて初めて購入して、日本語訳を試みている。英語なんて大学の受験勉強以来で、辞書を片手に五十の手習いをやっているのだ。変な日本語や間違った訳など多々あると思うが、そんな場合はどうか指摘して頂ければ有難い。-----------------------------------...

Nambo no Monya? | 2010.02.27 Sat 09:52

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