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先日、 日本の職人さんたちがチームを組んで 海外に出向き、 何でも無料で修理しますよ、というTV番組※を見た。 たしか、 *大工 *左官 *家具 *リペア *家電 の5人の匠だった。 行った先はギリシア。 財政難のあおりを受けて 建物のあちらこちらにある 不具合が手つかずのままになっている 老人ホーム と 同じように 電気のない暗い図書室で 子どもたちが本を読む 子どもハウス。 この2...
ぱんせどフランセ | 2017.08.23 Wed 07:41
インタビューをする時 話してくださる方はたいてい決まって 「うまく話せないと思うけど」 「そんなにお話するようなことは ないんですけど」 「何をお話したらいいのか」と仰います。 たしかに目の前に座った相手が、 ノートを広げ レコーダーにスイッチを入れて マイクを自分の方に向け、 さあ、喋ってくださいとばかりに 自分を見つめるのだから、 そういう場面に慣れている人でなければ ちょっとドギマギして不思議はありません。 なのだけど、これもまた決...
ぱんせどフランセ | 2017.08.22 Tue 07:51
子どもと大人の違いは、 経験の多さや大きさの違いに 他ならないのではないかと思う。 経験というものには、 暮らしの中での 実際的で具体的な経験もあるだろうし、 本を読み、話を聞き、 周りの人々を観察するなかでの 精神的な経験もあるだろう。 五感を通じて 日々、自分の世界を広げていく 感受性と想像力と思考力と共感力。 そういう経験を重ねて 子どもから大人へと日々変化していく。 その経験の質と量の違いが 大人と子どもの違いであ...
ぱんせどフランセ | 2017.08.21 Mon 08:06
人との出会い方には2種類ある。 ふと、そんなことを思った。 人と出会う、というのは 相手のことを心に留めて 自分との結び目を作っていくということだ。 微笑みを交わし いくつかの言葉を交わし いくらかの時間を共に過ごし じゃあね、とそれぞれの道へと帰っていく。 そういうのは”行き会う”のであって、 ここでワタシが思う “人と出会う”というのとはちょっと違う。 ”行き会う”を”出...
ぱんせどフランセ | 2017.08.18 Fri 07:49
今日は盆の送り火の日。 子どものころ、 玄関先で焚く迎え火と送り火を 母のそばで眺めるのが好きだった。 小学生も高学年になり 台所を手伝えるようになると お迎え団子を作る役目をもらい嬉しかった。 2階の父が使っていた和室には 父が使っていた卓と客用の卓が並んでいて、 その上を 父の好物の菓子、果物、酒が埋めていた。 2つの卓の手前には小さな卓があって 胡瓜の馬と茄子の牛と 父をはじめ、亡くなった身内の名前を記した 経...
ぱんせどフランセ | 2017.08.16 Wed 14:07
8月15日、終戦記念日。 この“終戦記念日”という言葉が メディアから聞こえてくるたび、 祖母は「終戦やない、敗戦や」と言った。 敗れたということを棚にあげた 終戦という言葉が、 祖母にはどうにも、 糖衣を被せたきれいごとのように思えたらしい。 集団疎開に出していた幼い我が子を 戦争孤児にするのなら 一緒に死んだ方がいいと 夜汽車に乗って大阪から島根まで 単身迎えに行き 空襲警報が鳴り響くたびに 電灯を消...
ぱんせどフランセ | 2017.08.15 Tue 15:27
立秋を過ぎて、 日差しがすこし、やわらかになってきた。 暑さも、 熱風に包まれているというか、 体温よりすこし高いくらいの湯に浸かっているというか、 ギラギラから、ジリジリ、ジットリと 夏の峠を越えた気怠い感じになっている。 そんな気怠さを季節の醍醐味と味わう 休日ならではの贅沢な気分で ぼんやりと座っていた今日の朝。 ミーンミンミンミンミンミーン ミーンミンミンミンミンミーン ミーンミンミンミンミンミーン と、ジリ...
ぱんせどフランセ | 2017.08.14 Mon 20:27
8月になりました。 子どもの頃は、まるまるひと月夏休みの この8月が、夏のど真ん中という感じでした。 向日葵 スイカ 海 花火 大人になって、この、 8月、夏真っ盛りという感じに、 ちょっと異なる感覚が混じってきました。 天神祭が過ぎ、 祇園祭が過ぎ、 土用が過ぎて、 夏が行こうとしている。 そんな感じがするのです。 今に集中しようと思いながら、 先の方に意識が、雪崩れるように走っていっている。 そ...
ぱんせどフランセ | 2017.08.01 Tue 07:54
コトバの意味を知るというのは ほんとうのところ、 とても難しいことだと思う。 辞書をひいて、文字的に、 なんというか頭で理解するということと、 ハッとか、アッとか、 そうか、そういうことなのか…と お腹の底から湧いてくる理解という 2つの分かり方があって、 後者の方は格別に難しい。 また、それだからこそ、 そうか、そういう意味だったのか、と コトバについての思いが深まるからこそ、 人の心は丸く、深く、鋭くなっていけるのだと思う、 ...
ぱんせどフランセ | 2017.07.24 Mon 08:29
仕事は判断の連続だ。 一つ何かをするには、 人は必ず何かしらの判断をしている。 たとえば、メール一つ打つにしても、 伝えるために コトバを選び、語順を選びと、 判断を繰り返している。 小さな作業一つでも、 ミスはないか、不備はないか、 そこには無意識であっても 判断が生まれているのだと思う。 選択と判断を行うというのは 時として、とても怖い。 いま目の前にある問題を解決するために、 どんな選択をしたって ...
ぱんせどフランセ | 2017.07.21 Fri 14:01
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