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そもそも社会は、君主という核を得ることにより拡大を指向し、今日の発展の基盤を築いた。しかしその恩恵が人民に及ぶや、我々は平等思想を手に入れ、民主社会を夢に見た。近代とは、その民主を構築するための実験場であり、個人の可能性を追求する舞台であった。だが民主主義は、容易に「個人」を押し潰す。 言うまでもなく、現代社会を先導するのは世論である。民主主義国家における政策は、世論に基づき、少数意見は黙殺される。言わば「流行」に乗れない者は、民主政策により虐げられるのである。極論を述べるなら、6人が4...
俳句・第二芸術から世界へ | 2011.10.21 Fri 00:30
交流域の広がりにより生じた波が、他域文明のエッセンスを社会に注入する時代は終わった。急速に収縮した地球は、もはや文化を熟成させる余裕など持たない。グローバル化とは、技術で個人をあぶり出すムーブメントの呼称であり、裸になった個人は、自らの能力のみを頼りに、競争社会を生きる。 時の流れは速度を増した。かつては人生に合わせて刻まれていた時間が、今では、移り変わる嗜好に合わせて過ぎ去っていく。明治時代、「夢を求める個人」として再生した日本人さえ、時空の狭間の「孤人」となりつつある。 さて、これ...
俳句・第二芸術から世界へ | 2011.10.06 Thu 11:29
世界を覆いつつあるこの波は、これまでに日本が経験してきたどの3つの波よりも、はるかに大きい。 グローバル化―――人々はそう呼びながら、夢を抱いて身を投ず。しかしその打ち寄せるところは、混乱という名の岸辺かもしれない。果たしてこの巨大な波は、いかなるものか?
俳句・第二芸術から世界へ | 2011.10.01 Sat 23:22
西洋との接触は、個人の集合体としての社会を形成する基盤となった。つまり、理想を知ることにより完全性の欠如を認識した人々は、「個人」としての眼を持った。そして、善悪を自ら判断しながら、他者と関わりを持つ道を選んだのである。文学上、ここに口語体が台頭する。 さて、これまで述べてきたことには、違和感を持つ者も多かろう。特に俳句においては、西洋の写実主義に感化され、子規は客観を唱えたのではなかったか・・・と。 第3の波がもたらした最大の変化は、「個人」を生み出したところにある。個人の眼が生じた...
俳句・第二芸術から世界へ | 2011.09.25 Sun 10:28
905年、初の勅撰和歌集である古今和歌集が成った。正岡子規は歌よみに与ふる書の中で、その撰者である紀貫之を「下手な歌よみ」であるとし、それまで国家の至宝としてあったこの歌集を地に貶めた。 子規は言う。 「古今集」はくだらぬ集に有之候。その貫之や「古今集」を崇拝するは誠に気の知れぬこと・・・駄洒落か理窟ッぽい者のみに有之候。 たしかに、万葉の歌が心情を発散させる傾向にあるのに対し、それを内に秘めたまま、深い瞑想(迷走)状態に陥ってしまう歌の数々。あたかも型にはまるかのように、切り取った...
俳句・第二芸術から世界へ | 2011.08.19 Fri 10:26
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