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リオ五輪開会式、評価される日本移民も参加。と南米移民

JUGEMテーマ:ブラジル移民 #日本人なら、記憶にとどめてほしい南米移民の活躍,     ブラジルで、リオの夏季五輪開幕。なんと開会式に日系人も参加してるという。 そういえば、wikiでも紹介されてた記事(下記)でも、評価されてた日本人移民。   『日系ブラジル人は政治や経済などで、高い地位に就くものも多い他、       特に長年の農業における高い貢献は非常に高い評価を得ている。 』      最近に混迷を深めるブラジルである...

北からぴーまんなつぶやき | 2016.08.06 Sat 13:58

ブラジル移民(5)ブラジルの日本人は遊牧民か!?

日本のメディアは、毎日中国の経済、韓国の躍進、それに北朝鮮の衛星ロケットの件が一面をにぎあわせている。ブラジルの話題は皆無である。若いころ開高健の本をよく読んだ。特にアマゾンの釣りの話、ブラジルの宝石の話は、海外への興味と夢を膨らませてくれた。ワールドカップの開催日が近づいたせいかもしれないが、テレビでもブラジルの話題が多く取り上げられるようになった気がする。あるテレビ局は新しくサンパウロ支局を開設したとのことである。番組では、ブラジルで一番美味しいシュラスコの店と、リオのカーニバルの話題を...

Road to Brasil | 2012.09.18 Tue 17:32

日本とブラジル(2)ヴェンセスラウ・デ・モラエス 徳島から始まるサウダージ

ポルトガルにヴェンセスラウ・デ・モラエスという作家がいた。サウダージの作家と呼ばれていた。彼自身は特に日本にサウダージを抱いていた。モラエスは、長きにわたる日本への追慕のすえ、徳島を死の地にすることを決め住み着いた。理由は、なき愛人ヨネへの追慕である。福本ヨネは芸者であった。モラエスはヨネを落籍して結婚する。ただ、病気がちのヨネは早く他界することになるが、彼女の死後ヨネの話していた徳島の風景が忘れられず、徳島に移り住む。40歳年下のコハル、ヨネの姪と一時は同棲するが、(この部分は嫌いな展開で...

Road to Brasil | 2012.08.07 Tue 16:39

日本とブラジル(1)新田次郎とサウダージ ブラジルの憂いの感情

作家、新田次郎は1980年に没している。1979年から彼の『孤愁』が新聞に連載される。そこで、サウダーデというポルトガル語が紹介され、サウダーデの主人公にポルトガル人のモラエスが登場する。サウダーデはあまりにも日本語訛りがするので、サウダージとここでは訳すが、それでも本来の発音にはほど遠いものであろう。サウダージとは、『現在は失ってしまった幸福を思うことによって生じるメランコリー。』のこと。ブラジルでも別れ際親しい人から、『EU SAUDADE VOCE』と言われる。。私は『I MISS YOU』程度の挨拶、言葉だと...

Road to Brasil | 2012.08.06 Mon 17:28

ブラジル移民(5)ホントのブラジル人は何処にいる

ブラジルの憲法は、第5条によって、人種差別を禁止し、人種差別には保釈が認められない犯罪として,違反者は禁固刑に処せられる。ブラジルで使われる教科書は出版社の自由に任されていると聞く。ただし、その最低条件として、人々の出所、人種、性別、肌の色、年齢などあらゆる形の差別や偏見がないこと、とされている。ブラジルの人口は現在一億八千万人。日系移民が多いといったところで、たかがその0.8%である。ドイツからの移民を加えてもしれている。それに、ポルトガルからの移民を入れても、総人口にはとどかない。ブラジル...

Road to Brasil | 2012.07.09 Mon 17:38

ブラジル移民(4)私は三世。今はカンセイ(CANSEI)

入植した30万の日本人は、現在では120万人。六世まで誕生している。タクシーの運転手が、『私は三世。一生懸命働いてきたが、今はCANSEIだ』という。CANSEIとは、ポルトガル語で、『私は疲れたよ』という意味である。リベルダージを訪れると、見知らぬ土地でがんばってきた、日本からの入植者の夢と希望、希望と失望,繁栄と失意を感じる。日本の移民資料館では、100年の移民の歴史がショーウインドウに納められ歴史の一こまとして整理されつつある。リベルダージには今も生きる日本人の歴史がある。日本の文化をかたくなに守...

Road to Brasil | 2012.07.08 Sun 14:32

ブラジル移民(3)さあ、行こう!一家を挙げて南米へ!

Se、Cambuci、Vila Mariana、Bela Vistaの4地区に囲まれリベルダージは今は人口7万人の町だ。リベルダージのブラジル日本移民資料館を訪れる。30年前に開館したとのこと。それから30年、現在訪れる人はまばらなように思われる。アメリカ、ロサンジェルスの日本人街も当時と比べ、たいそう様変わりしていた。慣れ親しんだ日本人街の雰囲気はもうなかった。リベルダージも例外ではない。世界が自国の文化的な個性をなくし始め、大きな文明の枠、たとえばイスラム社会、キリスト社会と言うような、大雑把な枠のなかにに整理されよう...

Road to Brasil | 2012.07.08 Sun 14:28

ブラジル移民(2)リベルダージ(日本人街)の憂鬱

ブラジルに行く日本人旅行者は今でも、日本人街(リベルダージ)に足を伸ばしたいと考える。日式のホテルも、日本語が通じる病院もあり、ポルトガル語がまったく理解できなくても、この街では不自由はしない。 大きな地図で見る ポルトガル語が話せないという理由で、リベルダージに宿をとる人も多い。リベルダージから10分程度はなれたところに、コンデ・デ・サルゼダス(通称コンデ街)という名の街がある。1912年ごろから、入植生活に馴染めなかった者、時には逃げてきた者がサンパウロのコンデ街の傾斜地に集まるように...

Road to Brasil | 2012.07.08 Sun 14:21

ブラジル移民(1)笠戸丸 ブラジル移民の代名詞

1908年、今では移民の代名詞となった『笠戸丸』に乗った791名が、52日間の希望と不安の航海の末サントスに入港する。日本移民の歴史の始まりである。上陸後の生活は困窮、過酷を極め目的どうりに入植したのは191名であったという。其のほか者は、過酷な労働環境,期待と現実の大きな乖離F特に、契約上の)もあり、入植せず街に逃げていったものも多かったようだ。それでも、2年後、1910年には旅順丸に乗り、900名が海を渡っている。そして日本からの移民は1933年ごろをピークを迎えることになる。この時期は年間2万人がブラジルに渡っ...

Road to Brasil | 2012.07.07 Sat 14:11

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