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セブ今昔物語
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セブ今昔物語

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セブ今昔物語
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セブに長く在住する者として、どこの街も一朝一夕に生まれたのではなく、戦前の記録も含めて今と昔のセブの姿を記録に留めたい。
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セブ今昔物語 【6】 この鈍重で愛しき乗り物 トライシクルー下

 ☆ トライシクルの未来と新プロジェクト ☆ 【写真−1 日本のメーカー試作の電動トライシクル】  マニラ首都圏に本店のある『アジア開発銀行』(ADB)が5億ドルを投じて『電動トライシクル』【写真−1】のプロジェクトを進めている。  これは2017年までに10万台を新規に生産して排気ガス汚染の軽減に役立てようという趣旨で、大変結構なことであるがフィリピンに長年住んでいると『本気なのか、本当にできるのか』という疑問が起きる。 【写真−2 フィリピンでは貧乏人のポルシェと呼んでいる】  フィリピ...

セブ島工房  『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.06.03 Fri 19:22

セブ今昔物語 【6】 この鈍重で愛しき乗り物 トライシクルー中

 ☆ セブ島のトライシクル模様 ☆    本稿の上で掲載した最初の写真はセブ島北端に浮かぶ島に走るトライシクルで、こういった10人以上も乗るのは地方では珍しくなく、乗車定員など有名無実。 【写真−1 新車も多くまだまだ地方では交通の要】  トライシクルの乗客数について書くと【写真1】はセブ市内でも多く走っている型になるが、運転手側に横座りで2人、座席側には前方を向いて前と後ろに2人ずつ計6人の乗客が標準となる。しかし、この他に荷物を後方に積み、プラス運転手に車体重量を加えると相当な総重量に...

セブ島工房  『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.06.02 Thu 19:58

セブ今昔物語 【6】 この鈍重で愛しき乗り物 トライシクルー上

【写真−1 セブ島北部の島にて 10人くらいは乗ってしまう】  フィリピンの交通機関で内外に知られるのは、戦後に米軍が放出した軍用ジープを発祥とし、特徴ある形と派手に塗り分けられた色彩の『ジプニー』【写真−2】がある    交通の専門家によると『どこでも乗れて、どこでも降りられるジプニーは究極の公共交通の姿』と持ち上げるが、黒煙をまき散らして大通りを我が物顔に疾走し、横柄に駐停車を繰り返す姿には閉口する人も多い。 【写真−2 セブの目抜き通りを走るジプニー 正面にはセブで最初の4...

セブ島工房  『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.06.01 Wed 22:04

セブ今昔物語 【5】 セブの映画館の変遷 その3

 ☆ ダウンタウンにあった映画館の映画チラシ ☆    1898年のパリ条約でフィリピンはグアムなどと共にスペインからアメリカの植民地となったが、こういった歴史のある映画館が残っているように、フィリピンは早くからアメリカナイズされた国だった。    例えばアメリカを象徴するコカコーラも昨年『フィリピン100周年』(執筆当時)を祝っていて、日本でいえば明治最後の年にコーラが飲めたから日本よりはるかに進んでいる。  ちなみに私のコーラ体験は1960年東京・晴海で開かれた『宇宙博』の会場で、1962年か...

セブ島工房  『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.05.26 Thu 22:00

セブ今昔物語 【5】 セブの映画館の変遷 その2

☆ 猛爆撃と艦砲射撃でも生き残ったダウンタウンの映画館 ☆ 【写真−1 タリサイはセブ市に隣接する市で、現在人口20万人以上】  1945年3月26日、アメリカ軍はセブ市南にあるタリサイの海岸に上陸。【写真−1】  対する日本軍は陸軍第35軍を中心とする1万5千人余。アメリカ軍は物量に物をいわせた空爆、艦砲射撃で徹底的に敵側を叩いてから上陸する戦法を採るので、どこも焼野原が広がり、終戦直後にセブ上空から撮られた写真【写真−2】がその凄まじさを証言している。 【写真−2 黄色い矢印のある建物が残ったヴ...

セブ島工房  『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.05.25 Wed 20:27

セブ今昔物語 【5】 セブの映画館の変遷 その1

 私の少年時代から高校生くらいまで、実家のあった隅田川と荒川放水路に囲まれた地域には、映画館が封切館と名画座を含めて確か7館あった記憶を持つが、これら映画館は全て閉館し跡地はマンションや駐車場になってしまった。セブでは映画館はどうなっているのかその今昔を書き記す。    ☆ 浅草でまた映画館が消えた ☆    その昔の東京・浅草六区は日本で有数の映画興行街で映画館は数多く連なっていたが、戦後のテレビの普及と共に寂れる一方だった。 【写真−1 浅草六区のかつての映画館】  日本一高い...

セブ島工房  『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.05.24 Tue 19:42

セブ今昔物語 【6】 セブ島で走っていた『鉄道』の跡を追って その3

 =2年半も『セブ今昔物語』を途中で止めていたが、日々変わるセブの姿を記憶に留めるために再開する=    ☆ いにしえのセブの鉄道にまつわる話など ☆    セブの鉄道は1907年9月16日に運行開始、今も健在なら100年以上の歴史を持つ。  この鉄道がセブ市を挟んでアルガオとダナオが線路の発着駅となっていたのは蒸気機関車の燃料となる石炭をどちらも産出したためで、今でもアルガオ方面では採掘する鉱山が残り、山を横断する道路脇には石炭の欠片を見ることがある。 【写真−1 1927年のアルガオ町までの...

セブ島工房  『日本は戦争をしたいのか』 自衛隊を海外に出すな | 2016.04.21 Thu 19:50

セブ今昔物語 【5】 セブ島で走っていた『鉄道』の跡を追って その2

戦前の鉄道はセブ市を中心に南北に走っていた    鬼籍に入られたが、学徒出陣で海軍に入隊した体験を持つ方がセブに住んでいた。兵隊となって上陸したのがセブ港で、港から歩かされて汽車に乗りセブ市の北、今なら車で20分ほどの郊外リロアンまで行ったと語り、セブに鉄道があったことを私は初めて知った。 リロアンには激戦地だったレイテ島への支援、攻撃をする海軍の舟艇基地があって、『船の特攻攻撃をやらされそうになったが、病気になって外された』と戦中の思い出話は多い。 その話の中でセブから乗車した駅はど...

セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2013.09.15 Sun 18:00

セブ今昔物語 【4】 セブ島で走っていた『鉄道』の跡を追って その1

⇒この文はセブのタウン誌『Navi de Cebu』第3号に寄稿したものだが、加筆及び写真を改めて【セブ今昔物語】4回目とし、4回に分けて本HPに掲載する。 【写真左が掲載誌の表紙】 【写真右がその掲載内容、4ページに渡っている】  サトウキビを運んだ線路と蒸気機関車   セブ島は山がちと前号に書いたが、北部、ボゴ市からメデリン町にかけてはサトウキビ畑が連なる、左のような平坦な風景が続く。 メデリンには1928年創業の精糖工場があり、この工場へ畑で刈り取ったサトウキビを運ぶために周辺にいくつもレールが敷...

セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2013.08.29 Thu 19:07

セブ今昔物語 【3】の下 セブ島の山岳部を貫く『セブ中央横断道路』の今昔

 (下)尾根筋のジップ・ラインとマヌンガル山  タブナンは人目に付かないセブ島最奥に位置し、時々この辺りで警察や軍による大がかりな大麻栽培畑摘発のニュースが流れる。 摘発された大麻草はその場で焼き捨てるらしいが、信用の置けない警察や軍のことだからこっそり持って帰る者もいるだろうと見ているがどうだろうか。 このように隠れて犯罪行為をするにはもってこいの地域だが、その昔のゲリラ司令部のあった場所など土地の古老に聞けば分かるだろうが既に過去の出来事。ゲリラ『討伐』でセブの深い谷間を這いずっ...

セブ島工房 cebushima.com :『節電から適電へ』 | 2013.04.03 Wed 12:57

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