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JUGEMテーマ:教会キリスト教 「主がこう言われるからです。『風を見ず、大雨を見なくても、この涸れた谷には水があふれる。あなたがたも、あなたがたの家畜も、動物もこれを飲む。』これは主の目には小さなことです。主はモアブをあなたがたの手に渡されます。」(17,18) 釣りをしに行って大雨に降られました。軒下に雨をしのぎながら、海に小さな怒涛となって注ぎ込むどぶ川の流れを見ていました。「きっとこの川の流れが収まって来たら、雨は間もなく止むんだろうな」などと考えていました。 &n...
田舎牧師のモノローグ | 2020.06.26 Fri 09:27
JUGEMテーマ:教会キリスト教 アハブの死後、イスラエルに背いたモアブ。そのような中、屋上から落ちて重体となったアハズヤ。内憂外患です。 そんなとき、多くの人たちは神にすがります。アハズヤもそうでした。 ところが、この天地をお造りになった唯一の神を知っていたはずのアハズヤは、自分のこの先がどうなるかを知るために、「エクロンの神バアル・ゼブブ」に伺いを立てます。イスラエルの神に伺いを立てなかったのは、イスラエルの神が自分にとって不都合な未来を告げるかもしれないと恐れた...
田舎牧師のモノローグ | 2020.06.24 Wed 08:48
JUGEMテーマ:教会キリスト教 この箇所を読むとき、41節のみことばにいつもひっかかります。「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか・・・」 悪霊につかれた子どもを連れて来た父親ではなく、癒すことのできなかった弟子たちに言われたものでしょう。そう言われると、悪霊を癒すことのできない不信仰を指摘されて突き放された、弟子たちの気分になります。自分にもできないので、追いつめられて行きます。 で...
田舎牧師のモノローグ | 2020.06.23 Tue 09:23
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「イエスは皆に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(23) 「自分の十字架」っていったい何だろう、とよく思わされます。一般的にはこの言葉は、人それぞれが負うべき苦しみ、あるいは過去に犯した過ちと理解されているようです。でも、主が言われたのはそういう十字架のことでしょうか。 この言葉は、主がご自分の十字架と復活について語られた後で語られた教えです。十...
田舎牧師のモノローグ | 2020.06.21 Sun 22:29
JUGEMテーマ:教会キリスト教 ヤイロという会堂司の娘、それから長血を患っていた女性の癒しが記されています。 まず、40節の「イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。みなイエスを待ちわびていたのである」との記述に目が留まりました。これは、ゲラサ人の地の人々と、何と対照的なことでしょうか。 イエスの驚異的な力による悪霊追放を目撃した「ゲラサ周辺の」人たちは、「イエスに、自分たちのところから出て行ってほしいと願った」のでした(37)。それは、何事もない日常や...
田舎牧師のモノローグ | 2020.06.20 Sat 08:36
JUGEMテーマ:教会キリスト教 16−18節に目が留まりました。ここでの「燭台のたとえ」は、マタイの「山上の説教」とは別の文脈に置かれていますね(参照マタイ5:15−16)。 ルカの方では「種蒔きのたとえ」に続き、その教えを補完しています。端的に言って、その人の内側にあるものは隠しようがない。みことばに本当に聞けた人は、必ずみことばを「しっかり守り、忍耐して実を結」ぶようになる(15)。「ですから、聞き方に注意しなさい」と続いているのだと思います。 一番大切なのは聞き...
田舎牧師のモノローグ | 2020.06.18 Thu 09:45
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「種蒔きのたとえ話」とその解説です。 イエスさまの解説を注意深く読むと、四種のみことばを聞く人たちについて、それぞれ前半がその人のみことばに聞く態度、後半はその後の試練とそれに対する対処という構成になっていることが分かります。 最初の人は「左から右へ」みことばを聞き流してしまう人。彼らの聞いたみことばはそもそもその人の心のうちに根付いていないので、「後で」悪魔が来てそれを取り去ってしまいます。 二番目の人は、みこ...
田舎牧師のモノローグ | 2020.06.17 Wed 08:56
JUGEMテーマ:教会キリスト教 イエスと出会った「罪深い女」の人。今でいえば、性風俗業界で働いている人でしょうか。 この女性の気持ちを考えました。 まず、『みことばの光』が言うように、律法の厳格な順守を重んじるパリサイ人の家にこのような女性が入って来ることは考えられないことでしたから、とっても勇気の要ることだったに違いありません。それでも、そこまでしてイエスに会いたかったのです。 どうしてでしょうか。私には、彼女が自分の罪をすでに赦してもらった...
田舎牧師のモノローグ | 2020.06.16 Tue 08:56
JUGEMテーマ:教会キリスト教 イエスさまに正直に疑問をぶつけ、聖書のみことばによって答えを得て行くバプテスマのヨハネ。私たちにも同じことが許されていることの恵みを『みことばの光』は教えています。本当にすばらしい恵みを主に感謝します。 ただ一点。ここは神学校時代、ハッとさせられた箇所の一つです。先生は、32節の意味を学生たちに問いました。すると、学生たちの多くは、「それはイエスさまが恵みの福音を伝えたのに(笛を吹いたのに)その時代の人々が応じず(踊らず)、バプテスマのヨ...
田舎牧師のモノローグ | 2020.06.15 Mon 16:03
JUGEMテーマ:教会キリスト教 互いの関係についての教えが続きます。 まず求められていることは、「師のように」なること(39−40)。程度においてということではなく、質において師のようにされることです。それは、師である主イエスからよく学び、この方の「十分」な「訓練」を受けることによって得られます。まず、みことばによく学び、その教えを自分のものとし、人にも教え、師と同じように行動するのです。もし学びと訓練とを行わないで、師のように誰か他の人を導こうとしたら、それはまさに「盲...
田舎牧師のモノローグ | 2020.06.12 Fri 08:31
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