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JUGEMテーマ:大河ドラマ 萩の亨徳寺は、高杉家の菩提寺で、高杉晋作も墓参りに訪れていたそうです。 明治に建てられた「高杉家祖先歴代墓」と刻まれた墓碑がありましたが、平成4年に下関の東行庵に移されました。 開創は享徳元(1452)年。 木造の荘厳な三門は、元禄8(1695)年に建立されたものと伝えられています。 三門の扉に施されている鳳凰と孔雀の彫刻には、夜になると両鳥徘徊したり、喧嘩するため、くちばしと足を削りとってあるとという逸話が伝えられています。 ...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.18 Sun 21:15
JUGEMテーマ:大河ドラマ 美和(文)と久坂玄瑞と文との間には、子がいなかったため、義兄の小田村伊之助(楫取素彦)と美和の姉である寿との間の次男を養子とし、玄瑞の死後は久米次郎が久坂家を継ぎました。 しかし、玄瑞は京都で芸妓・辰治との間に子ができ、玄瑞の死後、元治元年(1864)辰治が男子を出産。 明治2年(1869)美和は、楫取素彦を介し、縁者に育てられていた隠し子の存在を知ることに。 同年、遺児・秀次郎は、長州藩に認知され、久坂家を継ぐことになります。 その後、大倉組という企業の台湾支社で勤務し、昭和7...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.18 Sun 21:08
JUGEMテーマ:大河ドラマ 楫取素彦は、文政12年(1829)萩藩医・松島瑞蟠の次男として萩城下の現在の今魚店町に生まれました。12歳で儒者小田村吉平の養子となり、小田村伊之助と称します。 弘化4年(1847)、養父が亡くなり、小田村家を相続しますが、その頃、萩城下東郊にある松本村に移住、その後の転居で現在の旧宅地(椿東中ノ倉)に移ったと考えられています。 藩校明倫館で教授し、のち吉田松陰の妹・寿(ひさ)と結婚して、松下村塾でも指導に当たります。 四境戦争(幕長戦争)では幕府側との交渉にあたり、慶応3年(18...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.18 Sun 20:39
JUGEMテーマ:大河ドラマ 第2次長州出兵失敗した幕府は衰退。薩長同盟による倒幕の動きが強まったため、徳川慶喜は前土佐藩主・山内豊信の勧告に従い、慶応3年(1867)10月14日に政権の朝廷返上を明治天皇に上奏し、翌日朝廷がこれを受け入れました。 大政奉還の舞台となった二条城の唐門 諸大名を集め、大政奉還を発表した二の丸御殿の大広間(一の間)には、等身大の人形でその様子が再現されています。 毛利敬親・元徳父子は、慶応3年(1867年)12月、官位復旧と入京を許されます。 同年冬、楫...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.18 Sun 17:47
JUGEMテーマ:大河ドラマ 杉百合之助の諱は常道(つねみち)。 子に杉梅太郎(民治)、吉田寅之助(松陰)、文(楫取美和子)など、弟に吉田大助、玉木文之進。 無給通組士の杉常徳(七兵衛)の子として生まれ、文政7年(1824年)に家督を相続し、同9年に滝と結婚。 石高26石という極貧の武士であったため、農業もしながら生計を立て、3男4女の7人の子供を育てていました。 そんな中でも、梅太郎、松陰の教育には力を入れ、熱心な勤王家でもありました。 天保6年(1835年)、弟の吉田大助が死去したため、吉田家の家督を...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.18 Sun 16:59
JUGEMテーマ:大河ドラマ 下関の引接寺は、永禄3年(1560)に一徳和尚が豊前国の黒田村より移設した寺院です。 慶長3年(1598)、小早川隆景の遺言で、隆景の菩提寺として再興しました。 慶長12年(1607)から文化8年(1811)の204年間に、12回朝鮮通信使が日本に派遣され、朝鮮通信使の宿泊所となりました。 1769年に長府藩第9代藩主・毛利匡満によって再建された三門は下関市指定文化財となっています。 明治28年(1895)日清講和条約の為に来日した清国全権大使、李鴻章一行の宿舎となりました。 昭和2...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.18 Sun 01:32
JUGEMテーマ:大河ドラマ 高杉晋作終焉の地の向かい側に妙蓮寺というお寺があります。 鐘楼門 文久3年(1863)の攘夷戦争の際、萩藩兵の宿舎となりました。 境内には、兵法家・中島名左衛門の墓があるとのことで、探してみたのですが見つからず・・・ 後で調べてみたところ、この門の傍らにあったようです。 文久年(1863)5月、萩本藩世子定広の台場巡視に従いましたが、白石正一郎家での軍議において「築城不完全、射撃訓練不十分」と欠点を指摘したところ、反感をかい、当寺近くの新地の藤屋にて、過激...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.18 Sun 01:08
JUGEMテーマ:大河ドラマ 桜山神社は、あの「お龍さん」とも縁があります。 龍馬の死後、下関に滞在していたおり、お龍は一時期、櫻山招魂社の運営のために設けられた 「あけぼの」という茶屋で、橙の実を短銃で撃ったり、一晩中飲み明かしたりして過ごしていたといいます。 この間、お龍は櫻山招魂場に祀られた人々への想いを、詠んでいます。 「武士の かばねはここに櫻山 花は散れども 名こそ止むれ」
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.18 Sun 00:16
JUGEMテーマ:大河ドラマ 萩市呉服町に、木戸孝允旧宅地があります。 木戸孝允(桂小五郎)の生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建て、瓦葺きの家です。 12部屋の家には、誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。 孝允は1833年(天保4)に長州藩医・和田昌景の長男として生まれ、7歳のときに桂家の養子となりますが、 実家のこの家で育ちました。 通称・桂小五郎。 藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となり、文久2年(1862)藩の要職に就...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 22:06
JUGEMテーマ:大河ドラマ 宰判・代官所(代官都合人役、管事)は、地区を束ねる萩藩独特の行政区分で、防府市域のほとんどは三田尻宰判に属し、代官所にあたる勘場は、当初三田尻御茶屋に隣接、後に岡村院内に移されました。 楫取素彦は、明治2年12月13日から翌年10月12日までこの三田尻宰判の管事を務め、諸隊騒動の鎮撫、地域振興に大きく貢献。 明治32(1899)年には、かつての勘場の近くに邸宅を設けて、防府に移り住みました。(防府市観光協会HP参照) 英雲荘(三田尻御茶屋)を見学後、この三田尻宰判跡を探して...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 21:45
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