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JUGEMテーマ:大河ドラマ 野田別邸跡地(菜香亭)を見学後、毛利元就を祀る「豊栄神社」と毛利敬親・元徳親子を祀る「野田神社」へ向かいました。 国道9号線七尾山トンネルのそばにあり、境内左手に野田神社、右手に豊栄神社が並んで鎮座しています。 豊栄神社は、長州藩毛利家の礎を築いた毛利元就を祀る神社で、関ヶ原の戦いの敗戦により、安芸国から長門国に移封された孫の毛利輝元が、広島から萩へ居城を移した際に、元就の霊を春日神社内に祀ったのを始まりとしています。その後、神霊は萩城内に移されたとさ...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 16:46
JUGEMテーマ:大河ドラマ 露山堂 は、毛利敬親が藩庁を萩から山口に移した際、藩庁内につくられた茶室です。 茶室とは名ばかりで、その実堂内では討幕の密議が行われていました。 その後維持管理が行き届かず荒れ放題になっていることを知った品川弥二郎が明治24年に香山公園内に移築しました。 現在も茶室として茶会などが催されているそうです。
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 16:42
JUGEMテーマ:大河ドラマ 山口の御茶屋は、山口御茶屋、または中河原の地に置かれたことから山口中河原御茶屋とも呼ばれ、一の坂川沿いの中河原駐車場と浜屋餅舗のあたり一帯にありました。 御茶屋といっても、単にお茶を飲んだりするところではありません。(^_^;) 御茶屋とは藩主が休んだり、泊まったりするために造られた建物で、萩往還沿いには山口・三田尻・佐々並の3つがありました。 その中でも山口と三田尻の御茶屋は長期滞在ができる施設でした。 元禄(西暦1688〜1704)以前にはすでに設置されており、大内氏の重...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 16:33
JUGEMテーマ:大河ドラマ 薩長連合結成の密議のため、慶応3年(1867)9月薩摩藩の重臣・小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通、らが山口を訪れた際に、当時道場門前にあった安部半助方の枕流亭の2階で長州方の木戸孝允、品川弥二郎、伊籐博文、広沢真臣らと会見し、盟約が成立し、幕府を倒す連合討幕軍の結成を誓いました。 枕流亭は、その後2、3度移築され、近年修理されて香山公園内に移されました。 自由に建物の中を見学できます。 二階へ上がります。 当時この部屋で幕府を倒す密...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 16:30
JUGEMテーマ:大河ドラマ 香山墓所に至る参道は、「うぐいす張の石畳」と呼ばれ、石畳を強く踏みつけたり手を打ったりすると、「キュ」という音がこだまします。 これは周囲の地形や石段による音響効果によるもので、意図してそのように作られたものではなく、偶然の結果であると考えられているそうです。 また香山墓所の前には、「勅撰銅碑」も建っています。 明治維新における毛利敬親の偉業を伝えるため、明治天皇の勅令で明治29年に建立されたものです。 香山墓所は、萩市の天樹院、大照院、東光...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 16:29
JUGEMテーマ:大河ドラマ 瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口市香山町にある曹洞宗の寺院で、国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれています。 室町時代、大内氏25代の大内義弘が、現在の場所に香積寺を建立。 義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし、足利義満に敗れて戦死。 義弘の弟である26代大内盛見が兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を建設中、盛見もまた九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431年)に戦死。 五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃に完成しました。 陶氏の7代当主陶弘房の死後、...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 16:29
JUGEMテーマ:大河ドラマ 山口県庁の敷地内には、大正時代に建てられた旧県庁舎と旧県会議事堂が残されていて、山口県政資料館として利用されています。 レンガ造り、西欧風の建物で国の重要文化財指定。 旧県庁舎では県政に関する展示コーナー、物産展示コーナーがあり、旧知事室や旧正庁会議室は当時のまま保存されています。 旧県庁舎 旧県会議事堂 山口県庁 旧知事室 旧副知事室 旧正庁会議室 知事公舎の庭に保存されたいた鯱
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 16:28
JUGEMテーマ:大河ドラマ 1863年(文久3)藩主・毛利敬親は、萩から山口へ拠点を移し、中河原御茶屋で政務を執っていましたが、今の県庁の位置に藩庁の移転を計画し、翌年の元治元年(1864)から御屋形とよばれる居館をここに築き始め、慶応3年(1867)に竣工しました。 天然の要塞となる山に囲まれ、砲台や水濠などを備えた城郭で、当時としては最先端の西洋式八稜城郭でした。 坂本龍馬が、西郷隆盛との面談が失敗して怒って帰った桂小五郎を呼び出したり、敬親に拝謁するために、ここを何度か訪れているそうです。 この藩庁門...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 16:27
JUGEMテーマ:大河ドラマ 厚狭毛利家(あさもうりけ)は、江戸時代の毛利氏の一門家老のひとつ。かつては、四本松毛利家とも呼ばれていました。 毛利元就の五男・毛利元秋を祖とし、のち元就の八男・元康が跡を継ぎ、関ヶ原の戦いの後長門厚狭(現在の山口県山陽小野田市)に10,500石を与えられたのが始まりです。 厚狭毛利家の菩提寺は、厚狭駅から1kmほどのところにある洞玄寺にあります。 本堂 明治2年(1869)11月、解散命令に抵抗した奇兵隊の脱退騒動にあたり、洞玄寺の住職・実音(じつおん)...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 16:26
JUGEMテーマ:大河ドラマ 小野田市高須にある厳島神社の境内に「来嶋又兵衛生誕地」の記念碑があります。 来島又兵衛は、この近くに屋敷を構えていた喜多村家の次男として誕生。 20歳の時、俵山(長門市)の来島家に婿養子に行きました。 来島又兵衛 文化14年(1817年)1月8日、長門国厚狭郡西高泊村、無給通組の下士・喜多村政倫の次男として生まれましたが、天保7年(1836年)、大津郡俵山村の大組(八組)の上士・来島政常(又兵衛)の婿養子となります。 弘化3年(1846年)、江戸に出て剣術修...
大河ドラマを追いかけて | 2015.10.17 Sat 16:25
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