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NIPPONkarasu-207

NIPPONkarasuの207番目のカラスは署名に参加した                 仙台藩の伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節は、1615年1月30日(慶長20年1月2日)にエスパーニャ国王フェリペ3世、同11月3日(元和元年9月12日)にローマ教皇パウルス5世に謁見した際、伊達氏の軍旗である日之丸大龍を掲げていた。 1858年(安政5年)、幕府目付岩瀬忠震と下田奉行井上清直は、和船に岩瀬忠震の先祖・伊達氏の旗であり、慶長遣欧使節が携えた日章旗を掲げて、神奈川沖に停泊中のポーハタン号に渡り、孝明天皇の勅許が無いまま、日米修好...

NIPPONkarasuで日本を元気に | 2011.04.24 Sun 16:19

NIPPONkarasu-206

NIPPONkarasuの206番目のカラスが旗にのっている                 1859年(安政6年)、幕府は幟から旗に代えて日章旗を「御国総標」にするという触れ書きを出した。日章旗が事実上「国旗」としての地位を確立したのはこれが最初である。 1860年(万延元年)、日米修好通商条約の批准書交換のため、外国奉行新見豊前守正興を正使とする幕府使節団がアメリカ合衆国に派遣され、アメリカ軍艦ポーハタン号と日章旗を掲げた咸臨丸に分乗して太平洋を横断した。 使節団はサンフランシスコに到着後、更に陸路・海路を経由し...

NIPPONkarasuで日本を元気に | 2011.04.24 Sun 16:09

NIPPONkarasu-205

NIPPONkarasuの205番目のカラスは徳川氏に仕えていた                 また、1673年(寛文13年)に、江戸幕府が一般の廻船と天領からの年貢米(御城米)を輸送する御城米廻船を区別するために「城米回漕令条」を発布した際、その中で「御城米船印之儀、布にてなりとも、木綿にてなりとも、白四半に大なる朱の丸を付け、其脇に面々苗字名是を書き付け、出船より江戸着まで立て置き候様、之を申付けらる可く候」と、御城米廻船の船印として「朱の丸」の幟を掲揚するように指示し、幕末まで続いた。 1854年(嘉永7年)3...

NIPPONkarasu | 2011.04.24 Sun 16:05

NIPPONkarasu-204

NIPPONkarasuの204番目のカラスは徳川氏に仕えていた                 日の丸(日輪)は、琉球でも太陽神(テダガミ)の象徴として、船印だけでなく首里王府が建てる石碑(玉陵の碑文など)にも刻まれていた。琉球では、日本の漁労民と同様に古くから太陽神が信仰されており、進貢船の日の丸も航海の無事を太陽神に祈る意味で使用されたものである。 近世における船旗関連の資料としては、1635年(寛永12年)に江戸幕府が建造した史上最大の安宅船「天下丸」(通称「安宅丸」)で「日の丸」の幟が使用されているのが...

NIPPONkarasu | 2011.04.24 Sun 16:03

NIPPONkarasu-203

NIPPONkarasuの203番目のカラスは狩野派によく描かれた                 江戸期には、「白地に赤丸」は意匠のひとつとして普及していた。江戸時代の絵巻物などにはしばしば白地に赤丸の扇が見られるようになっており、特に狩野派なども赤い丸で「旭日」の表現を多用するようになり、江戸時代の後半には縁起物の定番として認識されるに到っていた。 船印としては、薩摩藩に服属していた琉球王国が支那への進貢船に日章旗を用いており、これは当時の絵図からも確認することができる。進貢船の派遣は14世紀まで遡るが、...

NIPPONkarasu | 2011.04.24 Sun 16:01

NIPPONkarasu-202

NIPPONkarasuの202番目のカラスは天下を統一した                 日本で白地赤丸が日章旗として用いるようになった経緯は諸説あり正確には不明である。 一説には源平合戦の結果が影響していると言われている。平安時代まで、朝廷の象徴である錦の御旗は赤地に金の日輪、銀の月輪が描いてある。平安時代末期に、平氏は自ら官軍を名乗り御旗の色である赤旗を使用し、それに対抗する源氏は白旗を掲げて源平合戦を繰り広げた。古代から国家統治と太陽は密接な関係であることから日輪は天下統一の象徴であり、平氏は御旗に...

NIPPONkarasu | 2011.04.24 Sun 15:55

NIPPONkarasu-201

NIPPONkarasuの201番目のカラスは歴史に出てくる                 世界的歴史的に太陽が赤で描かれることは少なく、太陽は黄色または金色、それに対して月は白色または銀色で表すのが一般的である。日本でも古代から赤い真円で太陽を表すことは一般的ではなかったと思われる。例えば高松塚古墳、キトラ古墳には東西の壁に日象・月象が描かれているが、共に日象は金、月象は銀の真円で表されている。第42代文武天皇の即位以来、宮中の重要儀式では三足烏をかたどった銅烏幢に日月を象徴する日像幢と月像幢を伴って飾っ...

NIPPONkarasu | 2011.04.24 Sun 15:53

NIPPONkarasu-200

NIPPONkarasuの200番目のカラスは日の丸を見てる                 日本人の古代信仰として古神道に分類される原始宗教では自然崇拝・精霊崇拝を内包しており、特に農耕や漁労において太陽を信仰の対象としてきた。第10代の崇神天皇は、伊勢の祭神であり宮廷内に祀られていた太陽神である天照大神を宮廷外で祀るようになり、未婚の内親王を天照大神の御杖代(みつえしろ、神の意を受ける依代)として斎王を立てるようになった。やがて第40代天武天皇の頃に皇祖神として崇拝されるようになったことで、日本の国家統治と...

NIPPONkarasu | 2011.04.24 Sun 15:52

NIPPONkarasuと114

NIPPONkarasuの114番目のカラスは野菜がきっと嫌いだ                 ユーラシア大陸の東西両端の2つの離れた地域に分かれて分布する留鳥である。 分布の一方はロシア東部、中国東部、日本など東アジアで、もう一方はイベリア半島の一部である。いずれの地域においても局所的、飛び地状に生息域が存在する。 近年の遺伝子分析によれば、2つの地域個体群は種レベルで区別されることを示した。またイベリア半島内では化石も発見されており、両個体群の分化が数万年昔にまでさかのぼることがわかっており、イベリア半...

NIPPONkarasu | 2011.04.17 Sun 12:20

NIPPONkarasuと110

NIPPONkarasuの110番目のカラスは天へと消えていく                 旧北区・新北区に分布する。 日本では佐賀県(佐賀平野一帯)や福岡県(筑後平野一帯)といった有明海を取り囲む平野部を中心に生息していたが、近年は糸島市や福岡市西部にも分布を広げている。また、北海道・長崎県・熊本県・大分県の一部地域でも少数が生息している。ハシブトガラスのように群れを作らず、主にツガイ、もしくは巣立ち前の雛と少数単位で暮らす。また、ハシブトガラスよりも一回り小さく、黒地に白い羽を持つ。 生息地 日本で...

NIPPONkarasu | 2011.04.17 Sun 12:01

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