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JUGEMテーマ:禅 チェンジ ユー(その1) 丸川春潭 6月23日に東京支部摂心会における講演会があり、慧日庵笠倉玉渓老禅子が「チェンジ ユー」のタイトルで講演されました。新到者に判りやすく禅の深いところまでを説きそして感銘を与える良い講演でありました。その後小生はこのタイトルで考えるところがあり、全然別の角度からの話をしたいと思いブログを書き始めました。 自分を変えたい!このままの自分では満足できない。その内実はいろいろなニュアンスの違いがありますが、こういう気持ちを持つ...
老師通信 | 2020.04.24 Fri 21:43
JUGEMテーマ:禅 「道眼(胆識)を付けるには」(その5) 丸川春潭 臨済宗の公案修行は古来から途中でやめるくらいなら最初からやらない方が良いと言い伝えられています。理由はいくつかあるのですが、臨済宗の公案修行は頂上を極めるのに最短距離で真っ直に急勾配に登るのではなく、ジグザグに大きく左右に振りながら急勾配を避けて登らせているので、途中での中断は真上の頂上が視野から外れたところで止まってしまうことにもなります。またもう一つは、頂上まで上がり切らないと四方の眺望ができないので...
老師通信 | 2020.04.24 Fri 18:55
JUGEMテーマ:禅 「道眼(胆識)を付けるには」(その4) 丸川春潭 公案修行は修行系の最たるものであり、余程の覚悟がなければ入門を許さないというのが、伝統的な臨済宗のやり方です。すなわち庭詰め(注1)とか旦過詰め(注2)という入門を安易に許さない伝統てきな儀式が現代でも臨済宗のお寺では残っています。江戸時代には本当に命がけという覚悟を見定めるまでは入門を許さないというのが常識であったのでしょう。このルーツは達磨大師に対する二祖慧可の断臂に由来しているのは当然です。現代の在家...
老師通信 | 2020.04.24 Fri 18:51
JUGEMテーマ:禅 「道眼(胆識)を付けるには」(その3) 丸川春潭 見性という言葉は6世紀に達磨大師が「直指人心見性成仏」と言う言葉を残されたのがはじめてと言われています。見性入理とは初則の公案を手がかりにオンリーワンな存在である自分に絶対の自己(永遠の命・普遍的な命・本当の自分)が不二一如に備わっていることを徹見することであります。悟りは境地であり見性は紛れもなくはっきりしているのですが、言葉で表現することはこの程度が限界です。そして人によってはズバリと徹底した見性をする...
老師通信 | 2020.04.24 Fri 18:44
JUGEMテーマ:禅 「道眼(胆識)を付けるには」(その2) 丸川春潭 公案修行は、公案の数を多く見るのが目的ではなく、公案を手がかりにしてちっぽけな自分という殻を破り、自意識などで濁った眼の鱗を落とすための修行です。 公案というものは全て非常識なもので頭頂葉(知性)では理解しがたいものです。この公案に対する真正の見解は知識の引き出しをいくらかき回してもそこにはありません。公案に込められた宗旨や境涯に公案三昧になって近づいてゆき、公案と一体になれば自然と見解は見えてくるも...
老師通信 | 2020.04.24 Fri 18:41
JUGEMテーマ:禅 「道眼(胆識)を付けるには」(その1) 丸川春潭 我々の禅は、人間形成を目的とした禅であります。したがって「本当の自分探し」とは云いますが、いわゆる宗教ではありません。すなわち葬式とか法事とかしかやらず人間形成の面が抜けている現代の宗教とは一線を画したいという思いで人間形成の禅は宗教ではないと云っています。 人間形成は知性のジャンル(相対樹)ではなく感性のジャンル(絶対樹)の充実にあります。そして人間形成を進める両輪として道力を付ける車と道眼を磨く車...
老師通信 | 2020.04.24 Fri 18:38
JUGEMテーマ:禅 「道力(胆力)を付けるには」(その4) 丸川春潭 前報で、数息観の評点について説明をしました。今回はいよいよ「道力(胆力)を付ける」核心に迫る、道元禅師の只管打坐(無念無想の観法)について、数息観法と比較しながら説明します。 只管打坐(無念無想の観法)は、数息することもなくまた何かをイメージすることもなく唯ひたすらに雑念を切る(頭頂葉の動きを止める)座禅行であり、日本の曹洞宗の開祖である道元禅師の提唱された座禅観法です。これはダイレクトに頭頂葉を止め...
老師通信 | 2020.04.24 Fri 18:35
JUGEMテーマ:禅 「道力(胆力)を付けるには」(その3) 丸川春潭 前報で、数息観の評点について記載が出ていましたので、どういうものかをご説明します。 「数息観評点記録のすすめ」 丸川春潭 小生の実践経験ですが、数息観評点基準に従って一日一炷香の評点付けをすることにより、従来では踏み込めなかった数息観の質の点検に踏み込むことができ、己の修行レベルに客観的視点を加えることができるようになった。その結果、昨日よりも今日、今日より明日こそはと、日進月歩で...
老師通信 | 2020.04.24 Fri 18:32
JUGEMテーマ:禅 「道力(胆力)を付けるには」(その2) 丸川春潭 前報(その1)で、いろいろの瞑想法を挙げて癒やし系とか修行系とかに区分して説明しました。今回は我々人間禅が推奨している数息観法について、その位置づけ・修し方・実態・最終的な方向付けについて説明したいと思います。 数息観法は息を数えることだけに集中するこころを磨く観法です。この数息観法は、癒やし系のツール(こころが落ち着き平静になれば気持ちが良い。集中力の向上を特には期待しない。)として使えますし、またや...
老師通信 | 2020.04.24 Fri 18:28
JUGEMテーマ:禅 「道力(胆力)を付けるには」(その1) 丸川春潭 先週東京荻窪支部第一回摂心会が開催され、提唱は支部長より初心のものが多いので「数息観」と「見性」というタイトルで二回法話をしてほしいと要請があり、先ずは令和元年5月30日(木)に「道力(胆力)を付ける」と題して法話しました。その内容を更にかみ砕いて、この擇木HPのブログとして連載したいと思います。 我々の禅は人間形成を積むための禅であり、修行(行を修める)であります。禅による人間形成には道力をつける車輪と道...
老師通信 | 2020.04.24 Fri 18:14
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