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1年を通じて『 何とかデー』というのは毎日のようにあるが、12月11日が国連の定めた『国際山岳ディー』になるとは、山が好きな小生でも初めて知った。 日本にも2016年から『山の日』というのが国民の祝日に制定されたが、制定する根拠など何もなく1996年から始まった7月第3月曜日の『海の日』に対抗する形で作っただけの安直な代物。 休日が増えるのは官庁や企業で働いている正社員には良いだろうが、日給月給労働者や今や半分近くを占めるようになった非正規労働者など多くの人には痛い休日増で、素直にこんな祝日を楽し...
セブ島工房 | 2018.12.11 Tue 19:01
焼け跡闇市派と呼ばれた作家『野坂昭如』が亡くなったのは2015年12月9日、85歳であった。 小沢昭一、永六輔と共に1970年代に『中年御三家』として芸能活動をした三人だが、最初に亡くなった小沢昭一は2012年12月10日、83歳で没し、野坂が小沢の命日の翌日に亡くなるとは奇縁というべきか。 永六輔は野坂の亡くなった翌年の2016年7月7日に83歳で没していて、早稲田大学に縁のあったこの三人が相次いで亡くなって、昭和の一時代が終わった感じがした。 野坂の作家デビューは33歳の時で、その作品は今も代表作に挙げられ...
セブ島工房 | 2018.12.10 Mon 19:21
日本とアメリカが戦った『太平洋戦争』の開戦は12月8日(アメリカ時間では12月7日)の『オアフ島真珠湾攻撃』から始まったと知られているが、実際はフィリピンとマレイシアへの攻撃の方が時間的には早く、それについて書き綴りたい。 昨年、フィリピンの最北端にあるバタネス諸島にある島を訪ねたが、その中心になるバタン島に日本海軍陸戦隊が1941年12月8日、午前7時50分頃上陸し、無抵抗で同島を占領した。 真珠湾攻撃での最初の爆撃は7時55分と記録されていて、戦端が開かれたのはバタン島の方が時間的にはわずかに早...
セブ島工房 | 2018.12.08 Sat 18:59
セブから日本へ行く場合、かつては成田空港が窓口で、運航会社もフィリピン航空(PR)一社の独占、しかも毎日ではなく週3便程度であった。 ところが今はセブからは羽田、名古屋、大阪、福岡へと各方面に路線が伸び、セブ―成田便など毎日複数便が就航していて利用する方には便利になった。 また、PRの独占路線であった日本行き便が低価格航空会社のセブ・パシフィックが参入し、日本の低価格航空会社も就航するようになって割高であった運賃も下落している。 このように日本行きの便が増えても、日本人観光客がセブに...
セブ島工房 | 2018.12.06 Thu 19:08
ラオス・ヴィエンチャンに住んでいた時、ラオスの滞在ヴィザを得るまではヴィエンチャンからメコン川の向こう岸にあるタイのノンカイへ出国し、またヴィエンチャンへ戻ることを繰り返した。 ノンカイはタイ北東部にあり、バンコクから来る鉄道の終着駅を持ち、メコン川最初のオーストラリアが架けた橋でラオス・ヴィエンチャンと繋がり、人口は20万人近くありながらタイの田舎町という印象が強い。 街中には割合大きなショッピング・センターがあり、日本資本の関係する『イオン』が入り、映画館も4館あって、ヴィエンチ...
セブ島工房 | 2018.12.05 Wed 18:29
東京の実家の同じ並び50〜60メートル先に『ミウラ』さんという家があった。庭が木や草花に囲まれて何となく子どもには怪しい感じのする家で、その家には妖怪のような老人が住んでいると子どもの間では有名であった。 実際、その老人の姿を垣根越しに見かけると目を合わさずにソソクサと立ち去ったが、このミウラ老人、日本で最初の南極探検に参加した人物で知る人ぞ知る人であった。 そういった歴史に名を残す人であったが、そのことを知ったのはだいぶ後で、既にミウラ老人は他界していて存命なら話を聞けたと...
セブ島工房 | 2018.11.30 Fri 21:06
コンゴ民主共和国(Democratic Republic of the Congo)はアフリカ内陸部にあり、アフリカ大陸ではアルジェリア民主人民共和国に次ぐ面積を持つが、コンゴと名前の付く国は隣にコンゴ共和国(Republic of the Congo)があり紛らわしい。 コンゴ民主共和国になる前の国名は『ザイール共和国』と称していて、こちらの方が分かり易く、小生がアフリカ・ザンビアで暮らしこの国へ行った時もザイールという国名であった。 ザイールへ行ったと書いたが、正確にはザンビア国内を旅行した時、ザンビアか...
セブ島工房 | 2018.11.28 Wed 18:53
1970年11月25日、作家『三島由紀夫』が市ヶ谷にある自衛隊・東部方面総監部に乗り込み、バルコニーで演説後、総監室にて割腹、同行者に介錯されて死亡。いわゆる『三島事件』が起きた。 確か次の日の朝日新聞だったと思うが、一面紙面に総監室内に三島の首が転がる写真が大きく掲載され、普通ならこういう写真は公には掲載出来ないと思っていたから、そういう写真が全国紙に掲載されたことの方が三島の死より衝撃的であった。 この三島の自殺を契機に11月25日を『憂国忌』として、右翼有志によって毎年開かれていたが、最...
セブ島工房 | 2018.11.26 Mon 20:10
フレディー・マーキュリーというのはロック・バンド『クイーン』のボーカリストで、と書くまでもなく、その生涯をたどった映画『ボヘミアン・ラプソディー』が全世界で公開され、日本などではクイーンの再ブームが起きている。 そのフレディーが亡くなったのは1991年11月24日で、既に27年経ちHIVの感染症のために45歳で没したフレディーだが、1946年生まれの今も健在なら今年は72歳。 当時不治の病とされ、薬や治療法のなかったHIVが近年、薬でHIV発症を押さえる治療法が確立しだし、この薬が当時あったら、フレディー...
セブ島工房 | 2018.11.24 Sat 20:14
『虐殺』という言葉を国語辞典で引くと、『残虐な手段で殺すこと』とあり、語彙として『大量虐殺』が載っている。 この大量虐殺を英語では『MASSACRE』というが、今から9年前の2009年11月23日、ミンダナオ島中西部マギンダナオ州アンパトゥアン町でMASSACRE事件があった。 虐殺された人数は58人で、この中に報道関係者32人が含まれていたため、世界的にも問題になった事件だが、月日と共にその衝撃は風化し、フィリピン国内でも事件のあったことが忘れられつつある。 マギンダナオ州というのは『Autonomous Regio...
セブ島工房 | 2018.11.23 Fri 21:49
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