[pear_error: message="Success" code=0 mode=return level=notice prefix="" info=""]
江陵(かんぬん)ではどこかに泊まっているのだが思い出せない。ここからバスで海岸沿いに束草(そくちょ)へ行き、そこから雪岳山(そらくさん)へ向かうが、北朝鮮との境界線の38度線に近くなるので、検問所があった。 バスが停められ車内に兵隊が乗って来て乗客の様子を確認しながら、後ろの方の席に韓国人に混じって座っていた小生の所へやって来た。目を合わせないように知らないふりをしていると『パスポート』と名指しされた。 韓国人に紛れていれば分からないだろうと思ったが、そこは日本人と韓国人の違いは分か...
セブ島工房 | 2018.08.20 Mon 19:38
光州の夜は腹下しで散々な目にあったが、朝になって恢復しソウル方面へ北上する途中の次の目的地『扶餘=ぷよ』へバスで向かう。 扶餘は1400年前に栄えた朝鮮王朝の一つ百済の都のあった場所で、当時朝鮮半島は高句麗、新羅、そしてこの百済の三つの王朝に分割されていた。 こういう古い都なら李朝の家具や焼き物があると足を伸ばしたが、光州で日本語のガイドブックなど全てなくしているから、ハングル表記のバスの案内などサッパリ分からず困ったが、何とか扶餘まで行くことが出来た。 扶餘では墳墓や博物館へ行き...
セブ島工房 | 2018.08.19 Sun 20:13
韓国には1982年8月に行った。その頃は学校に通っていて、短い夏休みがあったのでそれを利用して行くが、目的は李朝家具と韓国で使われている木工道具を調べるためであった。 今は日本、韓国共にヴィザなしで行き来できるが、当時は日本人が韓国へ入るにはまだヴィザ取得の必要な時代で、南麻布にある韓国領事館へ行き申請し、観光ヴィザなので午前に行って午後には受け取れた。 東京から韓国へ行くとなると当然飛行機を考えるが、当時は低価格航空会社などまだ運航していなくて往復航空運賃は高く、しかも金浦空港が韓国...
セブ島工房 | 2018.08.18 Sat 20:16
大学生の夏休み時に東海道を歩いた。その動機はいつかは東海道の全行程を歩いて制覇してみたいであり、高校生の時から日本橋を起点にどこまで歩けるか何度かやっていた。 一番距離を伸ばしたのは小田原までで、一緒に歩いた級友と小田原駅の切符売り場前でシートを敷いて寝ていた所、朝になって駅員に起こされたが、既に通勤客がかなり歩いていて、駅員も無下に追い出す気はなかった記憶がある。 ただし、日本橋から小田原までだと距離にして100キロ近く、途中泊まらないと行けないはずで、それだとどこかの場所で泊まって...
セブ島工房 | 2018.08.17 Fri 19:55
セブ市から幹線道路を北上すること80キロほど行った所に『イリハン』という山の中の集落があり、そこには1945年8月24日にセブ島内で戦っていた日本軍が投降、降伏文書に調印をした場所がある。 1945年8月15日に『玉音放送』があり、日本軍が敗戦を受け入れ降伏した日と歴史には刻まれるが、それは日本国内及び情報伝達が機能していた現地や部隊に限られ、軍隊としての組織が壊滅していた多くの将兵は、その後も山野を彷徨い戦いが終わったことを知らない者も多かった。 このイリハンの幹線道路沿いに細いパイプ上部に白地...
セブ島工房 | 2018.08.15 Wed 20:48
1985年8月12日、羽田発伊丹行きの日本航空123便ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落して、今年は33年目になり、遺族や関係者が墜落現場を訪れ、慰霊が行われた。 小生の場合、この日何していたかはっきり覚えていて、この時はお茶の水にある東京医科歯科大学に入院していた。 右手の小指根元を機械で切って縫合処置などをしたが、術後の経過であまり指が曲がらなくて仕事に不便なので、どこで知ったのか覚えていないが、この大学病院に指の専門家がいて診察を受けて再手術が決まったが科名は『形成外科』。 最初は美...
セブ島工房 | 2018.08.12 Sun 19:31
日本の1年間で祝日のない月は6月だけで、祝日は年間16日ある。この祝日数はアジア、アフリカ、中国、中米のいろいろな国に住んだ経験から見てかなり多い。 祝日=休日になり学生や普通の月給ベースの会社勤務者には嬉しい制度だが、1日働いていくらの日雇い労働者には一月の半分以上の収入が減り、影響は多大と思うがそういった声はかき消されたようだ。 その祝日の制定16番目に当るのが今日の8月11日の『山の日』で、制定されたのは2016年。この20年前の1996年に15番目の祝日として『海の日』が制定された。 この海...
セブ島工房 | 2018.08.11 Sat 19:28
1945年(昭和20年)8月6日、8月9日は、アメリカが落とした原爆によって広島、長崎の無辜の民が大量殺戮された日として忘れてはならない日だが、この両市について書いてみたい。 順序としては広島になるが、先に訪れたのは長崎の方で、そちらから始めたい。長崎には高校の修学旅行で訪れていて、その後九州方面には何度も行っているが、長崎は西の外れにあり行きたいとは思いながら、行く機会はない。 今の高校の修学旅行は海外へ出かけるのも多いらしいが、当時の中高校は京都、奈良方面、高校は九州地方というのが多かっ...
セブ島工房 | 2018.08.10 Fri 19:45
今の小学校や中学校にはプール設備はあって当たり前だが、小生が小学生の頃はプールを持った小学校など区内に何校もなく、ある方が珍しかった。 【今思うと公園の少ない当時の千住には珍しかった公園である】 そういう環境の中、小学校のクラス担任が隣りの荒川区に転任して、その小学校にはプールがあって夏休みに同級生と一緒に泳ぎに行って泳がしてもらった記憶がある。 その時代の夏は今ほど猛暑ではなく、涼を取るのは扇風機で充分であったが、夏休みになると区営のプールが営業を始め、そこへ行くのが日課の...
セブ島工房 | 2018.07.30 Mon 20:33
『暑いと言うから暑くなる』と、『暑い時には暑いと言わない』などと暑さも気の持ちようで何とかなると言われ、それもそうかなと思いながらも、さすがに日本で観測史上最高の41.1度を記録したと聞くと、そんな精神論など何にもならない。 【天気概況で読み上げられるバスコの気象観測所にて】 41.1度を記録したのは埼玉の熊谷で、同地は暑さ日本一を売り物にするくらいだから驚かないが、東京の青梅で東京では史上初めて40度を超えた40.8度を記録したから尋常ではない。 青梅は山間に開けた町で多摩川の渓谷の涼を...
セブ島工房 | 2018.07.24 Tue 19:11
全127件中 91 - 100 件表示 (10/13 ページ)