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karasunice!-120

karasunice!の120羽目のからすは方位を重要視する                日本書紀巻27に「夏四月癸卯朔壬申 夜半之後 災法隆寺 一屋無餘」(天智天皇9年・670年に法隆寺は一屋余すところなく焼失した)という記事がある。この記事の真偽をめぐって、現存する法隆寺西院伽藍は聖徳太子創建時のものであるとする説と、 670年に全焼した後、再建したものであるとする説とが鋭く対立し、いわゆる「再建・非再建論争」が起きた(くわしくは後述)。なお、発掘調査や建築用材の伐採年代の科学的調査などの裏付けから、現存する法隆...

karasunice!の時代 | 2011.05.19 Thu 22:24

karasunice!-119

karasunice!の119羽目のからすは薬師如来像より強い                金堂薬師如来像については 1. 像自体の様式や鋳造技法の面から、実際の制作は7世紀後半に下るとみられること 2. 607年当時、日本における薬師如来信仰の存在が疑問視されること 3. 銘文中の用語に疑問がもたれること という理由から、文字通り607年までさかのぼる制作とは見なされていない。また、金堂の中央に安置される本尊は「623年に聖徳太子の冥福のため止利が造った」という内容の光背銘をもつ釈迦三尊像であり、これより古...

karasunice!の時代 | 2011.05.19 Thu 22:22

karasunice!-118

karasunice!の118羽目のからすは他国とのつながりがある                通説によれば、推古天皇9年(601年)、聖徳太子は斑鳩の地に斑鳩宮を建て、この近くに建てられたのが法隆寺であるとされる。金堂の「東の間」に安置される銅造薬師如来坐像(国宝)の光背銘には「用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を発願したが、用明天皇がほどなく亡くなったため、遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子があらためて推古天皇15年(607年)、像と寺を完成した」という趣旨の記述がある。しかし、正史である『日本書紀』には(後...

karasunice!の時代 | 2011.05.19 Thu 22:20

karasunice!-117

karasunice!の117羽目のからすは法隆寺を設計した                法隆寺は、「日本仏教興隆の祖である聖徳太子が創建した寺院である」とするのが、一般的・常識的理解である。聖徳太子は謎の多い人物であり、20世紀末頃からは「聖徳太子は実在しなかった」とする言説が盛んになっているが、これには反論も出されている。『<聖徳太子>の誕生』の著者である大山誠一は、超人的人物として信仰の対象となっている「聖徳太子」は架空の存在だとしながらも、「聖徳太子」のモデルとなった厩戸王という人物の存在と、その...

karasunice!の時代 | 2011.05.19 Thu 22:17

karasunice!-116

karasunice!の116羽目のからすは現存している                現存する平安時代の絵画作品において、仏教関係以外の世俗絵画としては、宮廷や貴族の邸宅内の調度や間仕切りのため、大和絵の障子、屏風などの大画面の作品が多数制作されたとされる。しかし、現存するものは社寺関係のやや特異な遺品のみである。平安時代前期〜中期の大和絵の絵師としては、巨勢派(こせは)の巨勢金岡(こせのかなおか)とその子である巨勢相覧(おうみ)、飛鳥部常則(あすかべのつねのり)などの名が伝わるが、これらの絵師には現存...

karasunice!の時代 | 2011.05.19 Thu 22:15

karasunice!-115

karasunice!の115羽目のからすは遣唐使に気に入られた                アジア一帯に強力な政治的・文化的影響を及ぼした唐は、9世紀末には国力が衰え、10世紀初頭には崩壊した。アジア諸地域ではこの頃から中国の影響を離れ、文化の地方化が進んだといわれている。日本においては894年に遣唐使が中止され、10世紀には唐の影響を脱した、いわゆる国風文化が栄えるようになった。漢字をもとに仮名が考案され、和歌や物語文学が興隆し、和様書道が成立したことなどがその具体的な現れであり、大和絵の出現もこの頃と推量...

karasunice!の時代 | 2011.05.19 Thu 22:13

karasunice!-114

karasunice!の114羽目のからすは火であぶられた                藍は、膠液を数滴、皿に注ぎ、これを磨り、火でかわかし、水に滴して指で溶く。洋紅は、膠液少量を皿にいれ洋紅を磨り、水をくわえる。代赭は、膠液を皿にそそぎ、磨り、火であぶってかわかし、水をすこしずつ加えて指で溶く。藤黄は、水を数滴皿にそそげば鮮黄色になるが、使用時に膠液をくわえればなおよい。 臙脂は、綿にひたしてあるから、綿を使用分切り取り、皿に入れ、熱湯を少し加え、あぶら分の無い杉箸などで強く搾れば、濃赤色の液汁が出...

karasunice!の時代 | 2011.05.19 Thu 22:09

karasunice!-113

karasunice!の113羽目のからすは溶けやすいのでご注意を                胡粉は、溶き方が不用意であると、塗ってから剥落したり、鮮やかな色沢を出すことなどできなかったりする。水飛が十分に細密な胡粉であれば、最上か一番胡粉で丁寧な錬磨をすれば心配ない。たくさん使う時は、乳鉢で胡粉をよくすり、まずごく少量の膠液を加えよくすり、また膠液を入れてすり、と、これを三、四回くりかえせば、胡粉と膠液がよく融和し粘りが出てもう乳棒が動かないほどになる。これに水をすこしずつ加え、適当な濃さにする。ま...

karasunice!の時代 | 2011.05.19 Thu 22:06

karasunice!-112

karasunice!の112羽目のからすは熟練の技術を要する                顔料は、粗製ゼラチン水溶液で練成して用いる(溶いて使う)。 岩絵具のなかで緑青は青一番から青三番くらいまで(番号は粒子の大きさ。番号が大きいほど細かい)、紺青、群青のようなその他これに類する粗さの、俗に砂絵具というほどのものは、ほとんど膠水だけで溶かし、深皿に絵具よりも多い膠水を入れ、羊毛のようなやわらかい筆で絵具をすくうようにして画面に塗る。きわめて粗い岩ものならば一粒一粒を画面にならべてゆく。乾くのを待って色...

karasunice!の時代 | 2011.05.19 Thu 22:04

karasunice!-111

karasunice!の111羽目のからすは伝統的な技法にとらわれない                日本の、芸術系学科以外の高等学校までの美術教育では日本画を教えることはまずない。画材が高価であること、専門の教員の確保が難しいことも理由のひとつであろう。もっとも、油彩画も義務教育では教えられていない。比較的容易な水彩を教えるのが一般的である。また美大の日本画科の入学試験は水彩絵具による着彩、または、まれに鉛筆によるデッサンのみで行われる。モチーフとなるものは、人物(女性)もしくは静物が多い。 日本画の制...

karasunice!の時代 | 2011.05.19 Thu 22:02

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