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平成27年5月29日(金)、北海道・道北の廃校廃村への旅、 添牛内駅跡からは、R.239で霧立峠を越えて、 途中から県道に入り、川上、滝下、達布を通るルートを選びました。 添牛内−達布ルートは、平成元年8月、KATANA750で ツーリングしたときにも通っていますが、 まったく記憶に残っていません。 そのときは、北母子里駅−添牛内−達布−小平−遠別−幌延と走り、 サロベツ原野の旅人宿まで行きました。 30泊31日、夏休みをまるごと使ったツーリングでした。 途中の風景がやたらに記憶に残るようになったのは、 出張抜きなら3泊...
HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ) | 2015.06.29 Mon 07:28
平成27年5月29日(金)、北海道・道北の廃校廃村への旅、 この日は旭川空港から和寒町東和開拓、増毛町歩古丹を経由して、 小樽市銭函まで約310kmを走るというスケジュール。 「昼食をどうしよう」と田中さんと相談したところ、 東和開拓から約45km離れた幌加内町添牛内の 旧JR深名線添牛内駅跡でとることになった。 添牛内はR.239とR.275の交点にあり、移動の途上に立ち寄るにはちょうどよい。 深名線の廃止は平成7年9月だから、今年は20年目。 田中さんによると、 「添牛内駅の駅舎は、旧深名線の中でいちばん雰囲気が...
HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ) | 2015.06.27 Sat 08:03
平成27年5月29日(金)、北海道・道北の廃校廃村への旅、 東和開拓の探索の目的地、下司さんの生家跡は、残念ながら屋根が大きく陥没していた。 中をうかがうと、いろいろなものがガレキになっていた。 木で造られた棚や机は、少しずつ朽ちて、土に還ってゆくのだろう。 ブロックのコーナーとなっている場所は、窓ガラスが割れずに残っていて 部屋の雰囲気を醸し出していた。 「誠実 勤労 前進 和寒高校」の貼り物は、成瀬さんの写真で目になじんだもので、 しっかりと残っていて、嬉しかった。 画像1:開拓農家跡...
HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ) | 2015.06.26 Fri 07:22
平成27年5月29日(金)、北海道・道北の廃校廃村への旅、 東和開拓の探索の目的地、下司さんの生家跡は、Mさんの開拓農家跡よりも奥にあることは間違いない。 しかし、道筋は定かではなく、川近くの道筋がありそうな場所はササ藪となっている。 朝に届いた成瀬さんからのメールを見直すと、 「遥か先に「不自然な松」の気が見えますので、それを目標にすると良いと思います」 と記されている。 行く手の方向を見ると、谷間に一本高い木が見える。 幸い、木までは広い草原が続いているので、 田中さんと「あの木を目指して...
HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ) | 2015.06.25 Thu 07:12
平成27年5月29日(金)、北海道・道北の廃校廃村への旅、 東和開拓の探索の目的は、「集落の記憶」で往時の暮らしを語っていただいた下司さんの生家跡を見に行くことだ。 主要道からの分岐点 東和二股は、あるはずのバス停が見当たらないため、その位置はわかりにくい。 しかし、学校跡からだと「2つ目の橋を渡ってすぐ左手の脇道を進む」とアタリをつけて、ダートの道をクルマをゆっくり走らせた。 成瀬さんに貸していただいた「東陵小学校閉校記念誌」の中の校下略図は、探索にはとてもありがたい資料だ。 やがて、青っぽい作...
HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ) | 2015.06.24 Wed 07:21
平成27年5月29日(金)、北海道・道北の廃校廃村への旅、 東陵小学校跡と二又(東和寄り)バス停の間、主要道沿いには 畑と作業小屋、往時の住居と思われる家屋が見られる。 地形図で見て、道路の右側には、トラクターが置かれた作業小屋がある。 周囲には畑があり、通いで耕作されている様子だ。 道路の左側には、木造二階建ての風情ある家屋が建っている。 今は物置として使われているのであろうか。 そばに大きなマツの木が立っているのが印象的だ。 新旧の住宅地図の比較で、推定した東和開拓の閉村時期は 平成12年頃...
HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ) | 2015.06.23 Tue 07:17
平成27年5月29日(金)、北海道・道北の廃校廃村への旅、 東和からは枝道をほぼ南に向かって進み、 東和開拓の小学校跡(東陵小学校跡)を目指しました。 東和開拓には、昭和22年、海外からの引揚者、農家の二三男などが 入植を開始した。 和寒町内には、東和をはじめ7つの戦後開拓地がある。 東和−東和開拓間は4?強。 整備された舗装道をクルマで走るとすぐだが、 ダートを歩くとまずまずの距離が感じられたことなのだろう。 高低差は72mあった(標高は、東和が164mに対し、東和開拓が236m)。 東陵小学校は、へき地等...
HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ) | 2015.06.22 Mon 07:29
平成27年5月29日(金)、北海道・道北の廃校廃村への旅、 塩狩からは和寒バスターミナル横のセイコマに立ち寄り、 和寒町最北部の廃村千選のポイント 東和(とうわ)に向かった。 改めて地図を見ると、塩狩−和寒−東和のラインは、ほぼ南北にまっすぐだ。 東和は3戸7名(H.26)、65歳以上の割合86%の高度過疎集落。 東和開拓への道が分かれる三差路の角には商店跡があり、 成瀬さんのレポートでは赤いコカコーラのマーク入りの看板が印象的だったが、 残念ながらその看板は失われていた。 東和小学校は、へき地等級2級、児...
HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ) | 2015.06.18 Thu 07:18
平成27年6月1日(月)、秋田県の廃校廃村への旅、 最初に立ち寄ったのは、上小阿仁村萩形(はぎなり)です。 文政5年、阿仁町萱草・根子から11戸が移転し、開かれたという萩形集落では、戦前まではマタギを生業とする狩猟文化が盛んでした。 萩形集落跡の手前1kmには村営 萩形キャンプ場があり、 少なくてもここまでは舗装道が続くと予想していました。 しかし、萩形ダム堤体から3kmで道はダートとなり、 さらに2km走ると土砂崩れ現場に出くわしました。 しかたがないので、その先はクルマを停めて熊鈴をつけて歩いて行くこと...
HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ) | 2015.06.17 Wed 07:23
平成27年5月29日(金)、北海道の廃校廃村への旅、 旭川空港では、廃校廃村めぐりの横つながりの田中さん(旭川市在住)に 迎えていただいた。 旭川市街を避けて、上川盆地を走り抜け、 ゆるやかな塩狩峠(標高259m)を越えて、和寒町に入ってすぐ、 田中さんは私が予定していなかった塩狩小学校の跡地を案内してくれた。 塩狩小学校は、へき地等級2級、児童数25名(S.34)、昭和7年開校、昭和44年閉校。 編者が訪ねた「廃校廃村」リストのトップを飾っているのは、 昭和56年7月、駅近くの塩狩のユースホステルに...
HEYANEKOの棲み家(へき地ブログ) | 2015.06.15 Mon 07:18
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