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JUGEMテーマ:大河ドラマ 山口市滝町にある「山口県庁」です。 幕末、この辺りには「山口政治堂」がありました。 今もその一角に、政治堂の表門であった「藩庁門」が残されています。 文久3年(1863)に萩から山口に移った毛利敬親は、ひとまず中河原御茶屋で政務を執っていましたが、翌元治元年(1864)から山口城の造営に取りかかりました。 城と言っても天守閣がそびえる城でなく、大砲を据えて敵に備えるため、北と西の山を天然の要害とし、堀や土塁をめぐらし、八角形に近い敷地の西洋式城郭...
大河ドラマ「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2015.09.29 Tue 16:06
JUGEMテーマ:大河ドラマ 江戸時代、山口市を流れる「一の坂川」にかかる「御茶屋橋」辺りに、「中河原御茶屋」がありました。 御茶屋とは藩主などの休憩所として交通の要衝に置かれた公館のことで、「中河原御茶屋」は元禄以前からすでに設置されていたといいます。 文久3年(1863)4月16日、藩主毛利敬親は攘夷の指揮を執るため萩から山口に入り、以後御茶屋で起居し政務を執りました。 山口は山に囲まれた盆地なので、外国艦隊に攻められた時には、海に囲まれた萩よりは安全です。 以後、中河原御茶屋は、山...
大河ドラマ「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2015.09.28 Mon 19:00
JUGEMテーマ:大河ドラマ 山口市亀山町の一角に小高い山があります。 ここには、慶長年間(1596〜1615)に毛利秀元が築きかけて中止した長山城跡があったそうです。 明治33年に、その城跡が亀山公園として整備されました。 その頂上広場に長州藩第13代藩主「毛利敬親」の銅像があります。 毛利敬親は、天保8年(1838)に18歳で藩主となり50歳で毛利家を元徳に譲るまでの33年間、幕末の混乱期にありながらも有能な人材を登用し、窮乏していた財政の改革に力を注ぎ、結果として明治維新を成し遂げるきっかけ...
大河ドラマ「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2015.09.27 Sun 22:20
JUGEMテーマ:大河ドラマ 来年1月スタートのNHK大河ドラマ『真田丸』の新たな出演者が24日、同局から発表された。堺雅人演じる主人公・真田信繁(通称:幸村)にとって重要な存在となる石田三成役に山本耕史、大谷吉継役に片岡愛之助が起用された。山本は『平清盛』(2012年)以来、片岡は大河ドラマ初出演となる。 (オリコン) http://news.yahoo.co.jp/pickup/6175314 新たに出演するのは、豊臣秀吉役の小日向文世、北政所役の鈴木京香、千利休役の桂文枝、片桐且元役の小林隆、秀吉の側室・茶々(淀)役の竹内結子、石田...
大河ドラマ「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2015.09.24 Thu 15:46
JUGEMテーマ:大河ドラマ 高杉晋作終焉の地の向かい側に妙蓮寺というお寺があります。 鐘楼門 文久3年(1863)の攘夷戦争の際、萩藩兵の宿舎となりました。 境内には、兵法家・中島名左衛門の墓があるとのことで、探してみたのですが見つからず・・・ 後で調べてみたところ、この門の傍らにあったようです。 文久年(1863)5月、萩本藩世子定広の台場巡視に従いましたが、白石正一郎家での軍議において「築城不完全、射撃訓練不十分」と欠点を指摘したところ、反感をかい、当寺近くの新地の藤屋にて、過激...
大河ドラマ「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2015.09.23 Wed 22:43
JUGEMテーマ:大河ドラマ 下関の引接寺は、永禄3年(1560)に一徳和尚が豊前国の黒田村より移設した寺院です。 慶長3年(1598)、小早川隆景の遺言で、隆景の菩提寺として再興しました。 慶長12年(1607)から文化8年(1811)の204年間に、12回朝鮮通信使が日本に派遣され、朝鮮通信使の宿泊所となりました。 1769年に長府藩第9代藩主・毛利匡満によって再建された三門は下関市指定文化財となっています。 明治28年(1895)日清講和条約の為に来日した清国全権大使、李鴻章一行の宿舎となりました。 ...
大河ドラマ「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2015.09.23 Wed 22:42
JUGEMテーマ:大河ドラマ 防府の鞠生町の松が広がる砂浜は、かつて鞠生の松原と呼ばれる景勝地でした。 室町時代には、大内義弘がここで、九州に向かう足利義満をもてなしたといいます。 慶応3年(1867)9月、京都出兵の密約を結んだ長州・薩摩両藩は、幕府を武力で倒す命令「討幕の密勅」を密かに朝廷から出させ、同日、将軍が朝廷に政権を返上「大政奉還」がなされました。 両藩はあくまでも武力で幕府側を倒すことを主張。 長州藩は、奇兵隊などの先鋒部隊を鞠生の松原に集め、演習をさせました。 薩摩藩の軍艦...
大河ドラマ「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2015.09.23 Wed 22:40
JUGEMテーマ:大河ドラマ 美和(文)と久坂玄瑞と文との間には、子がいなかったため、義兄の小田村伊之助(楫取素彦)と美和の姉である寿との間の次男を養子とし、玄瑞の死後は久米次郎が久坂家を継ぎました。 しかし、玄瑞は京都で芸妓・辰治との間に子ができ、玄瑞の死後、元治元年(1864)辰治が男子を出産。 明治2年(1869)美和は、楫取素彦を介し、縁者に育てられていた隠し子の存在を知ることに。 同年、遺児・秀次郎は、長州藩に認知され、久坂家を継ぐことになります。 その後、大倉組という企業の台湾支社で勤務し、昭和7...
大河ドラマ「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2015.09.22 Tue 11:47
JUGEMテーマ:大河ドラマ 宰判・代官所(代官都合人役、管事)は、地区を束ねる萩藩独特の行政区分で、防府市域のほとんどは三田尻宰判に属し、代官所にあたる勘場は、当初三田尻御茶屋に隣接、後に岡村院内に移されました。 楫取素彦は、明治2年12月13日から翌年10月12日までこの三田尻宰判の管事を務め、諸隊騒動の鎮撫、地域振興に大きく貢献。 明治32(1899)年には、かつての勘場の近くに邸宅を設けて、防府に移り住みました。(防府市観光協会HP参照) 英雲荘(三田尻御茶屋)を見学後、この三田尻宰判跡を探して...
大河ドラマ「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2015.09.22 Tue 11:37
JUGEMテーマ:大河ドラマ 楫取素彦は、文政12年(1829)萩藩医・松島瑞蟠の次男として萩城下の現在の今魚店町に生まれました。12歳で儒者小田村吉平の養子となり、小田村伊之助と称します。 弘化4年(1847)、養父が亡くなり、小田村家を相続しますが、その頃、萩城下東郊にある松本村に移住、その後の転居で現在の旧宅地(椿東中ノ倉)に移ったと考えられています。 藩校明倫館で教授し、のち吉田松陰の妹・寿(ひさ)と結婚して、松下村塾でも指導に当たります。 四境戦争(幕長戦争)では幕府側との交渉にあたり、慶応3年(18...
大河ドラマ「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて | 2015.09.20 Sun 23:00
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