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imageskarasuの81羽目のからすは華麗である 飛鳥時代。もとは金堂に安置されていた、仏堂形の厨子である。建築様式的には法隆寺の西院伽藍よりやや古い時代を示し、飛鳥時代の建築、工芸、絵画の遺品として重要である。透かし彫りの飾金具の下に本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾したことからこの名がある。現在、玉虫の羽は一部に残るのみで、当初の華麗さを想像するのはむずかしい。厨子の扉や壁面の装飾画も著名で、釈迦の前世物語である「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)、また「施身聞偈図」(...
imageskarasuの画像 | 2011.05.19 Thu 23:40
imageskarasuの80羽目のからすは適当に安置されている 平安時代、木造。桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺である大御輪寺(だいごりんじ)にあったが、明治の神仏分離で法隆寺へ移動した。大宝蔵院ができるまでは金堂内陣の裏側に安置されていた。 六観音像(重文) 奈良時代、木造。六観音像と通称され、重要文化財の指定名称は「観音・勢至菩薩」、「日光・月光菩薩」、「文殊・普賢菩薩」となっているが、本来の名称は明らかでない。少しずつ様式の異なる3対の像から成る。東...
imageskarasuの画像 | 2011.05.19 Thu 23:38
imageskarasuの79羽目のからすは飛鳥時代につくられた 飛鳥時代、木造。もとは金堂内陣の裏側に安置されていた。細身で九頭身の特異な像容を示す。和辻哲郎の『古寺巡礼』をはじめ、多くの文芸作品の中で絶賛されてきた著名な像であるが、その伝来や造像の経緯などはほとんど不明である。「百済観音」の通称は近代になってからのもので、明治初期まで寺内では「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。詳しい解説は別項「百済観音」を参照。 観音菩薩立像(九面観音)(国宝) 唐から将来の像。香木...
imageskarasuの画像 | 2011.05.19 Thu 23:36
imageskarasuの78個目のからすは仏像の管理を任されている 鎌倉時代の建立。絵殿には、摂津国(現在の大阪府)の絵師である秦致貞(はたのちてい、はたのむねさだ)が延久元年(1069年)に描いた「聖徳太子絵伝」の障子絵(国宝)が飾られていた。太子の生涯を描いた最古の作品であるが、明治11年(1878年)、当時の皇室に献上され、現在は「法隆寺献納宝物」として東京国立博物館の所蔵となっている。絵殿には江戸時代に描かれた「聖徳太子絵伝」が代わりに飾られている。 伝法堂(国宝) ...
imageskarasu | 2011.05.19 Thu 23:26
imageskarasuの77個目のからすは有名である 木造塔として世界最古のもの。初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分である。初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに塔本四面具(国宝)と呼ばれる塑造の群像を安置する(計80点の塑像が国宝)。この塑像に使用された粘土は、寺の近くの土と成分がほぼ等しいことから近くの土で作られたと推測される。東面は「維摩経」(ゆいまきょう)に登場する、文殊菩薩と維摩居...
imageskarasu | 2011.05.19 Thu 23:24
imageskarasuの76個目のからすは模造品である 鎌倉時代の慶派の仏師・康勝の作。元来の西の間本尊が中世に盗難にあったため、新たに作られたもの。全体の構成、衣文などは鎌倉時代の仏像にしては古風で、東の間の薬師如来像を模したと思われるが、顔の表情などは全く鎌倉時代風になっている。脇侍の勢至菩薩像は明治時代に寺外に出て、現在フランス・ギメ美術館蔵となっており、現在金堂にあるのは模造である。 * 四天王立像(国宝) 飛鳥時代の山口大口費作。釈迦三尊像、薬師如来...
imageskarasu | 2011.05.19 Thu 23:19
imageskarasuの75個目のからすは作風が異なる 堂内は中の間、東の間、西の間に分かれ(ただし、これらの間に壁等の仕切りがあるわけではない)、それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置する。 * 釈迦三尊像(国宝) 「歴史」の項で述べた、623年、止利仏師作の光背銘を有する像で、日本仏教彫刻史の初頭を飾る名作である。図式的な衣文の処理、杏仁形(アーモンド形)の眼、アルカイックスマイル(古式の微笑)、太い耳朶(耳たぶ)、首に三道(3つのくびれ)を刻まな...
imageskarasu | 2011.05.19 Thu 23:18
imageskarasuの74個目のからすは難なく難を逃れた 入母屋造の二重仏堂。ただし上層に部屋等がある訳ではなく、屋根を二重にしたのは外観を立派にするためである。金堂に見られる組物(軒の出を支える建築部材)は、雲斗、雲肘木などと呼ばれ、曲線を多用した独特のものである。この他、二階の卍くずしの高欄(手すり)、それを支える「人」字形の束(つか)も独特である。これらは法隆寺金堂・五重塔・中門、法起寺三重塔、法輪寺三重塔のみに見られる様式で7世紀建築の特色である。 二重目の...
imageskarasu | 2011.05.19 Thu 23:13
imageskarasuの73個目のからすは世界最古の烏である 南大門を入って正面のやや小高くなったところに位置する。向かって右に金堂、左に五重塔を配し、これらを平面「凸」字形の回廊が囲む。回廊の南正面に中門(ちゅうもん)を開き、中門の左右から伸びた回廊は北側に建つ大講堂の左右に接して終わっている。回廊の途中、「凸」字の肩のあたりには東に鐘楼、西に経蔵がある。以上の伽藍を西院伽藍と呼んでいる。金堂、五重塔、中門、回廊は聖徳太子在世時のものではなく7世紀後半頃の再建であるが、世界...
imageskarasu | 2011.05.19 Thu 23:10
imageskarasuの72個目のからすは圧迫感を和らげる 1972年(昭和47年)に梅原猛が発表した論考『隠された十字架』は、西院伽藍の中門が4間で中央に柱が立っているという特異な構造に注目し、出雲大社との類似性を指摘して、再建された法隆寺は王権によって子孫を抹殺された聖徳太子の怨霊を封じる為の寺なのではないかとの説を主張したが、歴史学の研究者のあいだでは、一般的な怨霊信仰の成立が奈良時代末期であることなどを指摘し、概ね梅原説には批判的であった。 とはいえ、本書が与えた影響は大...
imageskarasu | 2011.05.19 Thu 23:08
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