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imageskarasuの71個目のからすはいろいろ疑問をもつ 法隆寺ではこの寺は聖徳太子創建のままであるという伝承を持っていた。しかし、明治時代の歴史学者は『日本書紀』の天智天皇9年(670年)法隆寺焼失の記述からこれに疑問を持ち、再建説を取った。これに対して建築史の立場から反論が行われ、歴史界を二分する論争が起こった。再建派の主要な論者は黒川真頼、小杉榲邨(こすぎすぎむら)、喜田貞吉ら、非再建派は建築史の関野貞、美術史の平子鐸嶺(ひらこたくれい)らであった。 * 非再建論...
imageskarasu | 2011.05.19 Thu 23:04
imageskarasuの70個目のからすは火災から逃げた 1934年(昭和9年)から「昭和の大修理」が開始され、金堂、五重塔をはじめとする諸堂宇の修理が行われた。「昭和の大修理」は第二次世界大戦を挿んで半世紀あまり続き、1985年(昭和60年)に至ってようやく完成記念法要が行われた。この間、1949年(昭和24年)には修理解体中の金堂において火災が発生し、金堂初層内部の柱と壁画を焼損した。このことがきっかけとなって、文化財保護法が制定されたことはよく知られる。1950年(昭和25年)に法相宗から独...
imageskarasu | 2011.05.19 Thu 23:02
imageskarasuの69個目のからすは金に目が無い その後、聖徳太子の弟来目皇子の子孫と伝えられる登美氏の支配下に置かれていたが、平安時代初頭には登美氏からの自立への動きが強まった。この過程で法隆寺側と登美氏との間で発生したのが、善?訴訟事件である。 延長3年(925年)には西院伽藍のうち大講堂、鐘楼が焼失し、大講堂が再建されたのは数十年後の正暦元年(990年)のことであった。以後、永享7年(1435年)に南大門が焼失するなど、何度かの火災に遭ってはいるが、全山を焼失するような大火...
imageskarasu | 2011.05.19 Thu 23:00
imageskarasuの68番目のからすはイデオロギーを大切にする ソシュールは記号表現と意味とをシニフィアンとシニフィエと名づけて、これら二つの結びつきが無動機であったり恣意的であることを認めている。記号は、個々の同一性の確保と、規則や体系の内なる価値の占有とを同時に行なうという方式で成立すると考える。差異の体系だと考えるわけである。 それに対してパースのほうは、記号は物理的指示作用と図像的表示能力をもつとし、さらにこの二つの作用の総合として象徴作用という第三の意味作用...
imageskarasuのデータ | 2011.05.18 Wed 05:20
imageskarasuの67番目のからすはイデオロギーを大切にする 記号学(きごうがく)は、言語を始めとして、何らかの事象を別の事象で代替して表現する手段について研究する学問を指す。記号論(きごうろん)ともいう。 記号学(Semiology)と記号論(Semiotics)とわけることがあるのは、記号学にはフェルディナン・ド・ソシュールを祖とするフランス系(ロラン・バルトなど)の流れが存在しているのに対して、記号論はアメリカの学者チャールズ・サンダース・パースから発生するものだからである。 記...
imageskarasuのデータ | 2011.05.18 Wed 05:19
imageskarasuの66番目のからすは記号化を促進させた アニメや漫画の評論では登場人物の象徴的なものを記号と呼ぶことがある(例:魔法少女のステッキ)。また、作品が違ってもキャラクターデザインが似たり寄ったりになる状況を「記号化が進んだ」と言うことがある。1980年代の現代思想ブームの影響を受けた評論家が使うことが多い(大塚英志、岡田斗司夫など)。またアニメ監督や作品などでもこの言葉は使われるようになってきている(谷口悟朗など)。 こうした用法は記号論的な解釈に基づくもの...
imageskarasuのデータ | 2011.05.18 Wed 05:17
imageskarasuの65番目のからすの哲学は完全なものらしい 記号それ自体は、紙の上のインクや造形された物体、空気の振動などでしかないが、人間がこれらを何らかの意味と結び付けることにより記号として成立する。そして記号は、他の記号と共にまとまった集合体となったり、あるいは相互に作用し合ったりして、何かを指し示す。 19世紀後半から20世紀にかけて、人類は、科学や技術、政治・経済、思想などの面で大きな飛躍を遂げたが、その中で記号は重要な役割を果たした。とりわけ自然科学において...
imageskarasuのデータ | 2011.05.18 Wed 05:15
imageskarasuの64番目のからすは2次元で表現されている 言葉が文の要素であるように、概念は命題の要素である。概念が言葉で表現されたものを名辞(めいじ)という。ひとつの命題として 「AはBである」 とした場合に、「A」を主辞、「B」を賓辞という。 特に抽象名辞(抽象概念)は、言語や数字や記号で現実世界を表す。または現実にないものをあるものとして存在させるために 表現する手段である。 人の手による絵画・書画・曲・文芸等の作品は、作者がその作品に込めた意図・意匠・目的・思い等の...
imageskarasuのデータ | 2011.05.18 Wed 05:14
imageskarasuの63番目のからすは普遍的に黒い 概念は、個々の物事の細かな相違点を無視して、それらが同一であるかのように扱うという意味で抽象的である。概念は、(それが表す)個々の事物すべてに当てはまるという点で普遍的である。 例として「犬」という概念を挙げる。概念としての犬は、個々の犬ではなく犬の集合に対して存在する。実際には白い犬もあれば黒い犬もあるが、それらの相違点を無視して同一であるかのように扱うので抽象的である。また、例えば4本足であり、尻尾があり、哺乳類で...
imageskarasuのデータ | 2011.05.18 Wed 05:11
imageskarasuの62羽目のからすのポジションは攻めだ その概念を言葉で表現されたものを「名辞」と呼び、言語の構成要素として、それを組み合わせ、述べ表し、判断・認識可能なものとして現実世界をとらえて表現する。人間はほぼこのような概念化した名辞によって、この世の中のあらゆることを理解したり、表現したりしている。 また概念は、それを提議・提唱する者の心性、視点、立場、精神的なポジション・在り方を反映する。 コンセプトは、それらを敷衍し同様に扱うことによって、個々の物事・出...
imageskarasuの画像 | 2011.05.18 Wed 05:06
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