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庄内歴史さんぽ 講座ー庄内地区の歴史ー 第2回 明治以降の庄内地区江戸時代以降の合併から現在の松本市になる庄内地区の流れです。 信楽村合村願、筑摩村合村願、松本村の市合併につき境変更資料ですJUGEMテーマ:地区行事
まつもとJIN | 2011.07.13 Wed 10:46
善光寺道(北国脇往還)名称江戸時代には善光寺へ向かう道筋は、たいてい善光寺道といわれていたが、とくに、中山道洗馬宿でわかれて北に向かい、筑摩郡の郷原・村井・松本・岡田・刈谷原・会田・青柳・麻績宿を経て、猿ヶ馬場峠を越えて更級郡の稲荷山宿に出、篠ノ井追分で北国街道に合流し、丹波島で犀川を渡って水内郡の善光寺町(今の長野市)へ至る十九里半(約180?)の道筋を北国往還または善光寺道と呼んでた。 詳しくは右の写真を見てください。 ...
まつもとJIN | 2011.07.06 Wed 18:48
下記3個の写真は安政二年 安曇・筑摩両郡村々明細書上帳です。家数、人数などが記載されてます。 「松本大変」享保十年(1725)七月二十八日藩主水野忠恒は、酒乱発狂し、江戸城の松の廊下で長府(山口県)毛利家の世子毛利主水正師就にあうと、突然抜刀して切りつけてしまった。同じような出来事がありますね、そうあの赤穂浪士の話と同じです。 これは今で言うと婚姻届に似てます、どこどこの誰々さんが、どこどこの誰々さんと結婚しますという届出...
まつもとJIN | 2011.07.05 Tue 08:01
「庄内歴史さんぽ」 −庄内地区の歴史ーまだまだ知らない地域の歴史、そんな声があり今回その講座が松本市庄内地区公民館で行われなした。全3回ですがなんとか都合をつけて参加したいです。講師は松本市文書館館長:小松芳郎さんです。 松本藩の村々 現在松本市地籍内江戸時代町村圖古くから栄えていた庄内地区、同じ地区内であっても松本藩、高島藩と分かれていた。色々な事が判ってきました。PDFをうまく使えこなせないので、悪しからず^^JUGEM...
まつもとJIN | 2011.06.30 Thu 07:31
ゆっくりと道草気分で フォト散歩 「出川街道を歩く」 で 「中田家住宅」と「大慈堂」を見学しました。最初は「中田家住宅」です。沿革中田家は甲斐武田氏につかえていたが、武田家の滅亡のため松本で浪人になった。しかし小笠原貞慶公が松本の城主になるにあたって、そこに再就職を果たした。小笠原氏の移封に伴い岸和田、明石にも従った。その後松本に帰農し、新たな城主、戸田家時代に大庄屋になり、爾来明治2年まで続いた。明治13年には明治天皇の長野県御巡幸の際、休息され、今もその書院は残されている。中田家...
まつもとJIN | 2011.06.20 Mon 17:55
「ほっと塾」 ゆっくりと道草気分で ふぉと散歩大慈堂信府松本九番信濃二十七番入母屋造り平屋堂版ぶき 3×3間厄除十一面観世音菩薩長谷式十一面観世音菩薩立像 室町時代後期(推定) (立像)等身大161.5?出川大慈堂の本尊であり、一見一木造のように見えるが寄木造りである。前後矧ぎで彫眼、昭和初年に京都に送り、大修理を加え完全に彫りかえしてるが、下半身のみ原形をとどめている。鎌倉末の形をもつが、文明年間より下がり、室町時代永正年間のころと推定される。胴が長く足が短い、顔はもっと古様でよかったであ...
まつもとJIN | 2011.06.20 Mon 17:52
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