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天神小路の由来 町人町・本町五丁目から東へ入る一町名。 本町から天神の社が見通せるので、天神小路と呼ばれた。 なお、ここには小笠原秀政時代に京都右近に模した 天神馬場が設けられていた。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.02.09 Mon 15:05
出居番(でいばん)町の由来 出居番とは口々番所や筏番所へ交代で詰番に でる職のことで、水野氏の時代におかれたこの町は、 それらの任務にあたる武士が居住していた ところである。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.02.01 Sun 05:22
田(た)町の由来 城外武家屋敷の一町名。 この辺りはかつて大門沢の左岸の低湿地で水田の あったところに慶安年間(一六四八〜十六五二)、 水野氏により武家屋敷が設けられたので、 この町名がついたといわれる。 幕末の家数は東側十六軒西側二十一軒で、 百石前後の武士の住む町であった。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.01.26 Mon 14:27
生安寺(しょうあんじ)小路の由来 町人町・本町から東へ入る小路。 かつては生安寺(現在は蟻ヶ崎に移転)を見通せることの できる小路であった ため、この名がついたといわれる。 また、三月・五月には節供のひな人形を売る店が連ねたので、 ひな小路とも呼ばれた。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.01.19 Mon 14:06
下馬出(しもうまだし)町の由来 東門馬出し部から東町へ抜ける通りで、 北門馬出し郭からの通りが上馬出しと 呼ばれたのに対して下馬出しと呼ばれた。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.01.12 Mon 17:11
塩屋(しおや)小路の由来 東町から分岐する六つの小路の一つで、恵光院につきあたる。 町名は塩屋孫兵衛という豪商が居住していたことに由来する。 この小路にあった井戸は底が海底へ通じ、昔より塩を供給す る老翁が出現したと の伝説がある。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.01.05 Mon 17:44
作左衛門(さくざえもん)小路の由来 東町から分岐する六つの小路の一つ。 名主萩原作左衛門がこの小路を開通させた事に因み、 この名がつけられた。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.12.29 Mon 08:41
口張(こうばり)町の由来 武家屋敷の最北端に位置する。 「信府統記」に「同心町北ノかうばり町 東西七拾二間余家数南ヶ側七軒北ヶ輪 一軒」とある。 「松本市史」では紅梅町とあることから、 当初紅梅の木があって起源となり、 後に今の名に訛ったのではないかと述べられている。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.12.22 Mon 11:55
観音(かんのん)小路の由来 和泉町から分岐する二つの小路の一つ。 和泉町より大安泉寺の観音堂に通じる 道であったので、この名がつけられた。 大安泉寺は真言宗の寺で、観音霊場信濃百番、 三十三番札所めぐりの第一番札所となっており、 歴代城主の祈願所であった。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.12.15 Mon 09:26
蚕玉町(こだまちょう)の由来 大正三年、この地に大日本一代交配蚕種普及団が設立され、 その周辺に町が形成された。町名も蚕にちなんで命名された。 また近くには往古から泉があり思兼乃神と太玉乃神が祀られていたが、 元禄年間に薄川の氾濫で流失した。 その後太玉乃神の祠が再興されて、池を「お玉の池」と呼ぶようになった。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.12.11 Thu 17:40
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