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寛文延寶の頃 左文字包保という 刀鍛冶がいて代々 鍛冶頭をしていたことによる。 鍛冶小路の場所・鍛冶小路名の石柱・不明 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.07.15 Wed 15:26
二十四小路13 桜河岸(さくらがし)小路 念来寺の通路に桜の並木のあったことからつけられた。 現在、念来寺は鐘楼が残っているだけである。 桜河岸小路の場所・石柱不明 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.07.08 Wed 15:30
二十四小路12 神明(しんめい)小路の由来 伊勢町通りの中ほどにあった小路。その奥に 神明宮が祀られていた。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.07.01 Wed 14:28
二十四小路10 庚申(こうしん)小路の由来 庚申小路常福寺の庚申参拝路であったことからつけられた。 現在は北向き観音が祀られているが、 毎年子どものお祭りが続けられていて、 お庚申小路と呼ばれている。 庚申小路名の石柱不明 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.06.24 Wed 10:00
二十四小路9 新(しん)小路の由来 中の橋と中町を結ぶ小路で、小池町とは城下町の特徴で あるくいちがいとなっている。貞享年間の頃、中町孫四郎の 願いによって屋敷の内に小路を開け肴店をはじめたという。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.06.10 Wed 10:38
二十四小路8 玄知(源智)(げんち)小路の由来 玄知(源智)小路小笠原氏の家臣 邊縫殿之助が入道して玄智と號しここにいたことに基づく。 有名な井戸はその宅址である。あたかも町内飲料水の水源に当たるのをもって 現在の当て字となった。 玄知(源智)小路名の石柱不明 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.06.03 Wed 09:53
二十四小路7 裏小路(うらこうじ)の由来 東町大橋から大手橋(千歳橋)までの女鳥羽川左岸を 中町の裏にあたることから裏小路と呼んだ。 天保三年(1832)犀川通船の運航により日本海の 海産物が運ばれるようになると 道幅一間の通り沿いは 魚屋などが軒を並べにぎわった。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.05.28 Thu 11:26
二十四小路6 同心(どうしん)小路の由来 同心小路石柱 この小路は元禄九年(一六九六)に藩主水野忠直が設けた 町同心の屋敷があったので 同心小路とよばれた。 およそ十人の町同心が住み、本町・東町・安原町にあった 同心番所に詰め 昼夜をわかたず、城下の治安維持と商取引の不正を取り締まった。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.05.21 Thu 17:18
二十四小路5 山家(やまべ)小路の由来 山家小路石柱東町の成り立ちは天正十五年(一五八七)と 伝えられ 三丁目の区分は大正三年四月である。 山家小路の名称は慶長十八年(一六一三)と記録にある。 信府統記に昔は紺屋町と言い、中比鍛冶町といい、 今は山邊小路というとある。山辺への出口の町である。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.05.13 Wed 08:27
正行寺(しょうぎょうじ)小路の由来 東町から、下横田町にある真宗正行寺の山門にいたる参道であった。 正行寺は、松本城天守を築造した 石川数正・康長父子の菩提寺である。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2015.04.29 Wed 10:21
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