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埋橋(うずはし)の由来 古代の埴(土器)が埋蔵されていたことから、埋埴が埋橋になったという。地名の起こりは古く中世にも埋橋卿があり、また天正検地帳には埋橋村が記載されている。町名はこの埋橋村を継承したものである。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.03.04 Tue 05:29
向島の由来 この町は大正の初期、松本城天守閣より南向こうを眺めた時、薄川の手前を東西に流れる長沢川南沿いに、四方を川に囲まれた地形が島のように見えた事から、向島と命名された。当時の長沢川は現在の川幅よりも約三倍ほど広く、水は一面に漂い、川面にはアヒルなど泳いでいた。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.02.24 Mon 15:05
竹平町の由来大正十一年に長沢町が七区に分かれ、七町が成立した際に、水から所有する土地を提供して町づくりに貢献した竹内愛人氏に因み、竹内家の中輿の祖である氏の祖父の平米氏の姓名の各一字を取って、竹平町とした。また同じころ成立した常磐町が若松町の松、梅ケ枝町の梅に竹が揃うと、松竹梅の縁起に因むめでたい町名になることも加味されている。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.02.18 Tue 05:33
長沢町の由来深志神社の南、長沢川にそったあたりは酒屋とよばれていたが、明治四十年市町村制施行に伴なって、筑摩村の一部が松本市に合併したのを機に、長沢区とした。その語、博労町東裏に、大正七年に筑摩部が開校、同八年に長野県工業試験所が開業した際に、町割が行われ、常磐町・錦町・梅ケ枝町・栄町など七句ができ、長沢町はそのい一地域の町名となった。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.02.10 Mon 08:40
小柳(こやなぎ)町の由来 城内武家屋敷の一町名。 大名町の東側、地蔵清水町と大柳町の南に位置した。 二〇〇石から三〇〇石前後の俸禄の武士の屋敷があり、 北の大柳町に対して小柳町と呼ばれた。「信府統記」には「小柳町、南北九拾間余家数西ヶ輪四軒東ヶ輪五軒」とある。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.02.04 Tue 05:34
旧町名54 西博町の由来明治以降の松本の発展の中で、旧城下町の内外に新たに町々が形成されたが、西博町もその一つである。この町名は、旧城下町の町名である博労町の西側に当たっているのでこの名がつけられた。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.01.28 Tue 17:25
放光寺の由来この地域は、近世は蟻ヶ崎村の中にあった。町名の由来は真言宗の古寺放光寺があったからで、蟻ヶ崎村が放光寺村と呼ばれたこともあった。放光寺は明治の廃仏後曹洞宗として復興し、松本地方でも最古に属する県宝の「放光寺水造十一面観音立像」(秘仏)を有する。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.01.20 Mon 08:50
県町の由来この地には県の宮や県塚の地名、古代の遺跡があるので、筑摩の県があったところと推定されている。大正九年旧制松本高等学校が現在のあがたの森の地に創設された際、町が造られた。町名は筑摩の県に因むものである。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.01.13 Mon 16:37
袋(ふくろ)町の由来水野忠直の時代(慶安のころ)に造られた城外侍屋敷で、江戸時代の終わりには 六十石取前後の武士が住んでいた。この町は南が入り口で、中ほどは鍵の手に曲がり、北端は行き止まりという袋小 路になっていたので形にちなんで袋町と呼ばれた。防備のために工夫された町割りである。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.01.11 Sat 17:55
上馬出し(かみうまだし)の由来馬だしは、城門の前に人馬の出入りを敵にしられないように築いた土手の事である。上馬出しは、北門馬出し郭から和泉町へ抜ける通りをいう。尚江戸が上手になるので城下町の北が上馬出しになり、東門馬出しから東町に抜ける通りが、下馬出しである。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2013.12.31 Tue 08:18
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