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旧町名90 四ツ谷の由来 この地域は明治時代には桑畑が多く、そこに四つの家があったところから 四ツ家村と呼ばれた。 明治四十七年農林省蚕業試験場松本出張所の開設・・・ 四ツ家と改められ、 昭和八年には四ツ山町、四ツ谷東区に分離した。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.10.06 Mon 08:51
宮渕の由来 宮渕の地名は、集落の北、城山陸陵の先端に勢伊多賀神社が祀られ、 その南は大門沢、田川、女鳥羽川などが合流する低湿地地帯であり、 山際は淵をなしていたことに由来する。この地域は二つ塚古墳などもあり、 古くから人が住んでいたことがうかがえる。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.09.30 Tue 05:30
都河岸の由来 都河岸の由来は定かではないが、国府亘理神社(今町)の神社名から 想像して、この地を筑摩郡にあった信濃国府と、延喜の東道「亘理の厩」 と推定し、さらに遠く都と結ぶ渡し場(亘場)と位置づけて都河岸と 呼んだのではなかろうか。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.09.22 Mon 10:09
幅(巾)上の由来 巾上の名は、慶安四年(一六五一)の検地帳に見られ、 近世庄内村の西半分を占めていた。 幅(巾)は川の土砂のたい積や侵食により作られた階段状の地形 といわれ、巾上はかつて田川によってつくられ、 その上に位置する集落であることから起こった名称といわれる。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.09.16 Tue 06:27
新田町の由来明治以後の市政の発展にともない、城下町の外側にも新しい町々が形成された。新田町もそのひとつである。明治2年に江戸定府藩士(江戸屋敷詰の武士)の帰国にともない、その屋敷として、新たに田町の西にできたので、新田町と命名された。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.09.09 Tue 05:00
旧町名85白板の由来白板の地名は、戦国時代にさかのぼり、開田を意味するという。また松本城天守築造の際、この地を用材とした白木坂の置き場としたのが、その由来とする説もある。天保三年に開通した犀川通船は、この地を船着場として、明治三十五年の篠ノ井線開通後まで続いた。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.09.02 Tue 06:44
城西町の由来この地域は近世には大部分が蟻ヶ崎村に属していたが、明治以降、旧城下町の周辺に新しい町がつくられた。城西町もその一つで、松本城の西側にあるので、この名がつけられた。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.08.26 Tue 08:44
駒町の由来この地域は近世には宮渕村、蟻ヶ崎村に属していた。町名の由来は、水野家の家臣鈴木伊織が「貞享義民騒動」の指導者多田加助の助命の特使として江戸より早馬でこの辺りまで来たが、精つき駒の足が折れ、処刑の時間に間に合わなかった。この駒を祀ったことによると言われている。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.08.20 Wed 15:42
幸町の由来旧源池小学校から中林橋までの南北に長い町で、大正十一年長沢町から分離して新しくできた町である。 町名は、この地の開発に貢献した石井祐助氏が父親幸正氏に因んでその一字をとり、また地域の人々の末長い「しあわせ」を願う意味も込めて幸町と名付けられた。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.08.13 Wed 05:53
明治以後の市勢を発展にともない、城下町の外側にも新しい町々が形成された。中原町もそのひとつである。その名の由来は、旧集落名による。原名は歌枕名所の「浅葉野」に関係するといわれている。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.08.05 Tue 07:15
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