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常磐町の由来松本市が市政を施行した明治四十年頃までは、この辺り一体は長沢町とよばれていたが、家並みも続かない新開地であった。大正三年四月に区長制がしかれたのを機に長沢町は七区に分けられた。その際、この地は、松本の松に囲んで常に変わらぬ常盤の松をイメージして永久不変を願って常磐町と命名された。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.07.28 Mon 08:47
弥生町の由来大正九年八月、松本高等学校本館が竣工し、これにともなって本町角から鍋屋小路をへて松高正門までの道路が拡幅され、宮村から県町までが弥生町と名づけられ、大正十一年十一月の松本市議会で承認された。町名の由来は、道路の開通が陽春の候であったのに因むという。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.07.23 Wed 07:37
大正九年八月、松本高等学校本館が竣工し、それにともなって周辺道路が整備され、旧松本商業学校跡から中林橋までを若松町と名付けた。町名の由来は、松ば竹・梅あるいは鶴とともにめでたい取り合わせとされ、また松本の松にも通じるので、松の若葉のようにみずみずしく発展することを願って命名された。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.07.15 Tue 05:08
金山町の由来明治以降の松本の発展の中で、旧城下町の内外に新たな町々が形成されたが、金山町もその一つである。 この町名は、火の神様で鍛冶職が崇敬する金山様という社があることによってこの名がつけられた。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.07.01 Tue 05:05
征矢野の由来征矢野の地名は、古代に信濃の国から朝廷に梓弓が献上されたが、その弓に用いられた征討の矢(征矢)がこの地でつくられたという伝承による。中世には信濃守護小笠原氏の住館が井川にあり、この辺りにも町割があったといわれる。近世には庄内組征矢野村とよばれた。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.06.23 Mon 15:18
笹部の由来この地域は、江戸時代から明治のはじめまで、笹部新田村または笹部村であった。地名の起こりは古代の豪族の姓(かばね)−称号−の一つ雀部(ささきべ)で、笹部と変化したとも伝えられる。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.06.09 Mon 08:35
高宮の由来この地域は、寛永年間(一六三三年ころ)に鎌田村から分村し、明治のはじめまで高宮新田村といった。地名の由来は、この地が出川町に祀られている多賀神社(多賀宮)の入口に当たることから、その社名によるといわれている。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.06.02 Mon 17:30
両島の由来両島の地名は、この地が上島、下島の二地域からなっていたことによる。両島には足手送りという厄除け行事が伝えられている。江戸時代初期にはアカハラ(赤痢)が蔓延したので、村人は大きな足半を作って、村の入口四の所の高い木につるし、大男がいるように見せかけて疫病神を追い払ったという。 JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.05.28 Wed 04:46
鎌田の由来「かま」とは水の湧き出る釜状になった地形をいい、鎌田は湧き水地帯の水田の意味である。かつてこの地には大きな沼があり、龍神が棲んでいて人寄せの時に椀膳を貸してくれるように祈れば、借りられたという伝承があった。この地は中世は井川城の城下町であり、また江戸時代は庄内組鎌田村であった。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.05.20 Tue 04:57
和泉(いずみ)町の由来町人町・東町の枝町の一町名。この町の成り立ちは古く、天正十三年(一五八五)頃といわれ、 由来はこの辺りから清水が湧き出たからとも、 倉品和泉という人物が住んでいたからともいわれる。東町の北に続く善光寺堂に沿い、家数百一軒、 小路は南から東側に長称寺小路、観音小路、前栽小路、 西側には袋町から東町に出る小路があった。JUGEMテーマ:街
まつもとJIN | 2014.05.12 Mon 17:32
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