[pear_error: message="Success" code=0 mode=return level=notice prefix="" info=""]
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。」(3:4) 実にシンプルな、罪の定義。罪とは律法に違反すること。よもやここにあるように「罪を犯し続けている」信仰者はいないだろうが、肉が律法を守り行い得ない以上、自分には(他の人と違って)罪はない、とは誰にも言えないのである(1:8)。 正直でありたい。そうすれば、主は豊かに赦して下さる(1:9)。
田舎牧師のモノローグ | 2022.12.03 Sat 09:56
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「私たちは罪ある者で不義をなし、悪を行って逆らい、あなたの命令と定めから外れました。私たちはまた、あなたのしもべである預言者たちが・・・語ったことばに、聞き従いませんでした。主よ。義はあなたにありますが、顔をおおう恥は私たちにあります。・・・主よ。顔をおおう恥は私たちにあり・・・ます。私たちはあなたに対して罪を犯してきました。あわれみと赦しは、私たちの神、主にあります。まことに、私たちは神に逆らいました。・・・」(9:5−11) エレミヤに語られた7...
田舎牧師のモノローグ | 2022.12.02 Fri 11:23
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「これらの災害によって殺されなかった、人間の残りの者たちは、悔い改めて自分たちの手で造った物から離れるということをせず、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた偶像、すなわち見ることも聞くことも歩くこともできないものを、拝み続けた。また彼らは、自分たちが行っている殺人、魔術、淫らな行いや盗みを悔い改めなかった。」(20−21) 災害は人間にとって、主を知り、悔い改めるための絶好の機会となる。だが、多くの人たちは終末的な最悪の災害に遭っても偶像を捨て...
田舎牧師のモノローグ | 2022.12.02 Fri 11:19
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「私ダニエルは、何日かの間病気になったままでいた。その後、起きて王の事務を執った。しかし、私はこの幻のことで驚きすくんでいた。それを理解できなかったのである。」(27) 御使いガブリエルは幻をダニエルに「理解させよ」という命を受ける(16)。そこでガブリエルはその意味をダニエルに「知らせる」(19−26)。それでもダニエルは、それが「理解できなかった」と正直に述べている。 みことばに対する謙虚さを見る。分からないことを分からないとする勇気を見る。本...
田舎牧師のモノローグ | 2022.12.01 Thu 09:26
JUGEMテーマ:教会キリスト教 ヨハネの手紙第一1章 「私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。」(5) 光の中を歩むとは、全く罪を犯さずに歩むということではない。罪を赦しの光で照らされ、悔い改めながら歩むこと、光なる神の前に隠れたところなく歩むことである(7−10)。 「私はまったく潔白だ」とい...
田舎牧師のモノローグ | 2022.11.30 Wed 14:16
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「そこでこの人たちは言った。『われわれはこのダニエルを訴えるための、いかなる口実も見つけられない。彼の神の律法のことで見つけるしかない。』」(5) 「するとダニエルは王に語った。『王よ、永遠に生きられますように。私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の危害も加えませんでした。それは、神の前に私が潔白であることが認められたからです。王よ、あなたに対しても、私は何も悪いことはしていません。』」(21−22) 道徳的に何の落ち...
田舎牧師のモノローグ | 2022.11.29 Tue 09:48
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「ダニエルはこう言った。『神の御名はほむべきかな。/とこしえからとこしえまで。知恵と力は神のもの。・・・』」(2:20) 本当の知者は、神に感謝し賛美する。神の前に謙虚である。なぜなら彼らは自分の知恵と力が自分のものではないことを知っているからだ。ここに、本当の知者と紛い物との違いがある。神は本当の知者を受け入れ、彼らに真理を教えられる。 「主を恐れることは知識の初め。/愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」(箴言1:7)
田舎牧師のモノローグ | 2022.11.25 Fri 14:22
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りと内側は目で満ちていた。そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。『聖なる、聖なる、聖なる、/主なる神、全能者。/昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。』・・・二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して行った。『主よ、私たちの神よ。/あなたこそ/栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。/あなたが万...
田舎牧師のモノローグ | 2022.11.25 Fri 10:32
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「自由な者として、しかもその自由を悪の言い訳にせず、神のしもべとして従いなさい。」(2:16) 私たちは「自由な者」であり、「しもべ(奴隷)」である。一見矛盾したこの実存こそクリスチャンである。私たちは、与えられた自由をもって、積極的に、喜んで、肉の欲求ではなく神に従うのである。奴隷のように神に仕えているとしたら、その人は未だ罪の奴隷なのである。 神のしもべとされてはいても、与えられたかけがえのない自由を、「もう赦されているのだからこ...
田舎牧師のモノローグ | 2022.11.25 Fri 10:26
JUGEMテーマ:教会キリスト教 ラオディキアの行いの「生ぬるさ」とは一体どのようなことか。 Morrisは、この町に供給される水が遠隔の温泉から引かれており、町に到着するまでに生ぬるくなっていたことと関りがあると推測する。M.J.S.Rudwick と E.M.B.GreenがMorrisに引用されている。「熱いお湯は癒し、冷たい水は元気付けるが、ぬるま湯はいずれの目的にも役に立たず、嘔吐を催すのに役立つのみである。」 恐らく「生ぬるい」行いとは、試練を経ない中途半端な敬虔さのことだろう。ラオディキア...
田舎牧師のモノローグ | 2022.11.24 Thu 10:30
全1000件中 251 - 260 件表示 (26/100 ページ)