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イエス様の力ある技は、イエス様を心底受け入れた方、また、神様の道を通って受け入れた方には、だれにでもできます。神様の道から外れた普通の教会の信者さん、信じられますか?私は道です。本当の道を行けば、あなたにもイエス・キリストの癒しの奇跡はできるのです。神がなさるのですから。私は、私と言うたった一人で教会です。立派な大聖堂もありません。神様は大聖堂を見て信じなさいとは言ってはいません。聖句がその身に生きるために。
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エゼキエル書2章(『みことばの光』誌によるデボーション)

JUGEMテーマ:教会キリスト教   主の臨在を前にしてひれ伏したエゼキエルを、再び神のことばと霊が自分の足で立たせる(1,2)。砕かれ、神の霊を受けずして、生まれながらの自分で果たせる使命ではないのである。 その使命は、「イスラエルの民」「反抗する国民」に、「神である主はこう言われる」と、みことばを伝えることである。反逆の民ならば聞かない。しかし、「聞く聞かないに関わりなく」語らなければならない。聞いてくれないと分かっても語らなければならない。聞かせることが使命ではなく、みことばを...

田舎牧師のモノローグ | 2022.09.13 Tue 09:15

エゼキエル書1章(『みことばの光』誌によるデボーション)

JUGEMテーマ:教会キリスト教   エゼキエルの預言者としての召命の背景が示されている。「神々しい幻」の数々(1、4-27)。細かい意味は不明だが、いずれも神の圧倒的な威厳を示している。それを見せられたエゼキエルはひれ伏す。そして、そのとき初めて主の声を聞く(28)。 みことばは、語るものというよりは伝えるものである。それは自分のことばではなく神のことばなのだから。だから、まずみことばに聞くということがなければならない。必ずしもすべてを理解する必要はないが、正確に聞き取れて、それをその...

田舎牧師のモノローグ | 2022.09.12 Mon 10:07

ヨハネの福音書21章1−14節(『みことばの光』誌によるデボーション)

JUGEMテーマ:教会キリスト教   弟子たちは恐らく復活の主にお会いするためガリラヤにいた(1-2)。なにゆえかは分からないが、彼らは湖に出て漁をした。ところが夜通しやっても何も取れなかった(3)。主は岸辺に立たれ、「子どもたちよ、食べる魚がありませんね」と彼らに声をかけられ、舟の右側に網を降ろすように言われる(4−6)。弟子たちはそれが主とは知らないままだが、言われたとおりにして大漁となる(6)。かつて弟子たちがまだ正式な弟子として召される前に、同様の場面が展開したことを思い出す(ルカ5...

田舎牧師のモノローグ | 2022.09.10 Sat 10:20

ヨハネの福音書20章19−31節(『みことばの光』誌によるデボーション)

JUGEMテーマ:教会キリスト教   「『平安があなたがたにあるように。』こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。」(19−20) イエスはご自分の傷付いた手と脇腹を彼らに示されることで、平安を与えようとされる。その傷跡は、それが確かにイエスご自身であることを示すと同時に、イエスが彼らの罪のため確かに身代わりの死を遂げられたことを示す。その傷跡が、永遠の平安を私たちに与えるのである。 「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平...

田舎牧師のモノローグ | 2022.09.09 Fri 08:19

ヨハネの福音書20章11−18節(『みことばの光』誌によるデボーション)

JUGEMテーマ:教会キリスト教   13節の、御使いに対するマリアの言葉は、2節の弟子たちに対するマリアの言葉と微妙に異なっている。先には「主を取って行きました」だったのが、ここでは「私の主を取って行きました」になっており、先には「私たちには分かりません」だったのが「私には分かりません」になっている。つまり、皆の中の一人としてイエスを捜し求めていたマリアはいつの間にか個人的に主を捜し求めているのである。誰かが捜しているから自分も、というのでなく、誰が捜さなくても自分は、という思いで主を...

田舎牧師のモノローグ | 2022.09.08 Thu 09:21

ヨハネの福音書20章1−10節(『みことばの光』誌によるデボーション)

JUGEMテーマ:教会キリスト教   マグダラのマリアの、「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません」という報告を受け、墓に走ったペテロともう一人の弟子(1−4)。彼らはそこに不自然に置かれた、イエスの遺体を包んでいた亜麻布と布を「見て、信じた」(5−8)。信じたと言ってもマリアの証言を信じたというだけで、復活を信じた訳ではない(9)。「それで、弟子たちは再び自分たちのところに帰って行った。」すなわち、ユダヤ人を恐れて戸を閉め切っていた部屋の中に帰って...

田舎牧師のモノローグ | 2022.09.07 Wed 09:33

ヨハネの福音書19章31−42節(『みことばの光』誌によるデボーション)

JUGEMテーマ:教会キリスト教   「彼らは自分たちが突き刺した方を仰ぎ見る」。ゼカリヤ書12章10節の預言の成就を、イエスの脇腹が突き刺されたことに見ている。 ゼカリヤ書の当該節の全文はこうである。「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。」 実際に突き刺した者はローマ兵だったが、仰ぎ見るの...

田舎牧師のモノローグ | 2022.09.06 Tue 10:29

伝道者の書10−12章(聖書通読箇所から)

JUGEMテーマ:教会キリスト教   「あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様に、/風の道がどのようなものかを知らない。/そのように、あなたは/一切を行われる神のみわざを知らない。」(11:5) 私たちは「一切を行われる神のみわざを知らない」と、神のみわざに対する無知を告白する作者。「私は神のみわざについて、その一切の意味を知らなくてもよいのだ」と慰められる。 では、そのような者として、どのように生きるべきか。 「結局のところ、/もうすべてが聞かされていることだ。/神を恐れよ。神の命令...

田舎牧師のモノローグ | 2022.09.05 Mon 10:51

ヨハネの福音書19章1−16節(『みことばの光』誌によるデボーション)

JUGEMテーマ:教会キリスト教   「イエスは答えられた。『上から与えられていなければ、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに引き渡した者(単数)に、もっと大きな罪があるのです。』」(11) ピラトにイエスを十字架に付ける権威があるのは、神がそれを与えられたからであり、彼自身がそうしたくなくてもイエスを十字架に付けるのは神の御心によることである。だから、ピラトよりも「わたしをあなたに引き渡した者」すなわちユダに、もっと大きな罪がある。 だが、「...

田舎牧師のモノローグ | 2022.09.05 Mon 09:46

ヨハネの福音書18章28−40節(『みことばの光』誌によるデボーション)

JUGEMテーマ:教会キリスト教   「ユダヤ人の王なのか」というピラトの問いかけ(33)。それは、カエサルに対する反逆者なのか、という含みを持つ。主はそれが、ピラト自身の評価なのか他の人の評価なのか、と問いかける(34)。かつての、ピリポ・カイサリアでの弟子たちへの問いかけを思い起こす(マルコ8:27以降)。 ピラトは、「自分はユダヤ人ではないのだから、そう思っているはずがないだろう。あなたの同胞たちがそのことで私に訴えたので聞いたのだ」と返し、「何をしたのか」と話題を変えようとする(35...

田舎牧師のモノローグ | 2022.09.03 Sat 09:30

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