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JUGEMテーマ:教会キリスト教 「イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。/恐れるな、娘シオン。/見よ、あなたの王が来られる。/ろばの子に乗って。」(14−15) もし主が軍馬に乗ってエルサレムに来られたら、それはエルサレムにとって滅びを意味していたに違いありません。しかし、主は平和を象徴するろばに、しかもろばの子に乗って来られました。人々に、ご自分の死による平和を告げ知らせるために。 それにしても、ろばの子のヨロヨロ、チョコチョコとし...
田舎牧師のモノローグ | 2022.08.14 Sun 07:10
JUGEMテーマ:教会キリスト教 イエスはベタニアの、マルタ、マリア、ラザロの家に来られました。その日が「過越の祭り」との関係で示されています。つまり、イエスが過越の子羊として十字架に死なれる日までのカウントダウンが始まったのです(1)。 そこに食事の席が設けられ、マルタは給仕し、ラザロはイエスと共に食卓についている人たちに混ざります(2)。 マルタが給仕していたことは、以前の出来事を連想させます(ルカ10章)。いかにもマルタらしいことです。一方マリアはイエスの足に高価な油を惜しげ...
田舎牧師のモノローグ | 2022.08.13 Sat 09:33
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「私は あなたが行く道で/あなたを教え あなたを諭そう。/あなたに目を留め 助言を与えよう。/あなたがたは 分別のない馬やらばのようであってはならない。/くつわや手綱 そうした馬具で強いるのでなければ/それらは あなたの近くには来ない。」(8,9) 主の教えや諭しが私たちに分別を与え、強制されてではない、自由と愛による積極的従順を可能としてくれます。分別がない信仰は危険です。それは強制力による従順であり、神から離れて行く危険が常に伴います。ここに、みこ...
田舎牧師のモノローグ | 2022.08.12 Fri 09:23
JUGEMテーマ:教会キリスト教 大祭司カヤパの、イエスを民と全国民のいのちの代償として殺すという最悪の殺害計画表明は、神がその年の大祭司である彼の口を通して語られた、イエスがすべての人々の罪の代償として死なれることの予告でした(49−53)。 そして、この私たちのために代償の死を遂げられたイエスに対する態度または関わり方が、私たちの生死を決定します。大祭司のように、イエスを自分とは無関係な存在として、あるいは不都合な存在として、無視したり憎んだりして切り捨てるか、それともイエスを...
田舎牧師のモノローグ | 2022.08.12 Fri 09:18
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「なんと大きいのでしょう。あなたのいつくしみは。/あなたを恐れる者のために あなたはそれを蓄え/あなたに身を避ける者のために/人の子らの目の前で それを蓄えられました。/あなたは 彼らを人のそしりから/御顔の前にひそかにかくまい/舌の争いから 隠れ場に隠されます。」(19−20) 敵たちのそしりや嘲りに晒されながら、ダビデは偉大な神の慈しみについて賛美します。敵たちの酷い言葉や態度を、「忍耐する」だけでなく、そこに神の慈しみを見て「賛美する」のです。 ...
田舎牧師のモノローグ | 2022.08.11 Thu 10:34
JUGEMテーマ:教会キリスト教 イエスが涙を流されたことについて(35)『みことばの光』は言います。「イエスは永遠のいのちの主であり、よみがえりの主である。地上の別れの悲しみや同情を表したのではなく、すべての人間に死をもたらす罪という存在に、人がこれほどまでも支配されていることへの悲しみであろう。」概ねその通りだと思いました。 そして、私たちもまたこの主の悲しみを悲しむなら、それは「神のみこころに添った悲しみ」であり、「後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせ」ることになり、復...
田舎牧師のモノローグ | 2022.08.11 Thu 10:20
JUGEMテーマ:教会キリスト教 外国人の妻を娶るということにおいて罪を犯した神の民たち。しかし、民たちの中から自発的な、悔い改めを申し出る声が挙がり、民族挙げての悔い改めが敢行されます。 シェカンヤの、「しかし、このことについてイスラエルには今なお望みがあります」(2)ということばに、主イエスの与えて下さった希望を思います。この方は、罪ある私たちを愛し、その罪をすべて担って死なれた方です。この方のゆえに、私たちの望みは尽きることが決してないのです。 ですから、罪を示された...
田舎牧師のモノローグ | 2022.08.10 Wed 08:30
JUGEMテーマ:教会キリスト教 「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」(25−26) ラザロのよみがえりを信じていなかったマルタ。イエスには、病気を克服することができても死は克服できないとどこかで思っていたのでしょう。しかし、主はそのマルタを、文字通り何でもすることがおできになるご自分を信じる信仰へと導かれます。 「わたしを信じる...
田舎牧師のモノローグ | 2022.08.09 Tue 21:58
JUGEMテーマ:教会キリスト教 もう一つの通読箇所、コリント人への手紙第一5章から、罪を悲しむべきことを改めて示されました。罪を罪として認めることからして難しいことです。心の柔軟さが求められます。 そんなことを覚えながら箴言を読んだとき、1節のみことばが心からの祈りとなりました。「王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。/主はみこころのままに、その向きを変えられる。」(1)権力者である王の心は自分中心で頑なに見えますが、すべての権力の源である主の手の中にあっては水の流れのよ...
田舎牧師のモノローグ | 2022.08.09 Tue 10:24
JUGEMテーマ:教会キリスト教 イエスの愛されていた兄弟姉妹のうちの一人、ラザロが病気になりました。それをお聞きになったとき、主は言われました。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」(4)ラザロの病気は死に至る病であること、しかし死で終わらず、神とイエスが栄光をお受けになるためのものだと言われたのです。 それと、ユダヤでの死に向かわれるイエスの御姿とが二重写しになって話は進行して行きます(7−10、16)。イ...
田舎牧師のモノローグ | 2022.08.08 Mon 18:41
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