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基本データ ・字(あざな) :伯符(ハクフ) ・武力(最大5): ・知力(最大5): 略歴孫堅の長子。孫堅死後は、袁術に身を寄せている。その後、袁術に玉璽を担保とし、兵を借りて挙兵する。江東、江南を制圧し、「小覇王」と呼ばれた。しかし、担保としていた玉璽をもとに袁術が皇帝を僭称したため、袁術と対抗することになる。曹操と協力して、袁術を討伐したが次第に曹操とも対立するようになる。許都攻略を計画するが、かつて殺した太守の部下に襲撃され、それがもとで亡くなり、弟の孫権が跡を継いでいる。 感想孫策は、「小覇...
三国志の寸評★ | 2008.12.17 Wed 00:13
基本データ ・字(あざな) :文台(ブンダイ) ・武力(最大5): ・知力(最大5): 略歴孫策と孫権の父。黄巾の乱などの鎮圧に活躍している。その後、董卓が実権をとり悪政を行ったため、反董卓連合軍に参加した。そして、反董卓連合軍の先鋒として董卓軍を苦しめた。そのため、董卓は洛陽を捨てて長安に遷都している。その際、孫堅は洛陽にて玉璽を発見し勝手に手中にしたとされる。そのことにより、袁紹をはじめとする諸侯たちと亀裂が入り、自国に逃げている。その後、荊州をめぐり劉表と戦うが、計略に遭い戦死している。 感想...
三国志の寸評★ | 2008.12.17 Wed 00:11
基本データ ・字(あざな) :子瑜(シユ) ・武力(最大5): ・知力(最大5): 略歴諸葛亮の兄で、孫権に仕えている。穏やかな性格であり、直接的ではなく他の物事にたとえるなどして、相手の理解を求めた。孫権の信頼は高く、諸葛瑾が蜀へ使者として行くとき、張昭は「弟のもとにいって帰ってこないのでは」と言ったが、孫権は取り上げなかった。穏やかな性格なため派手さはなかったが実直に仕事をこなしていたため、孫権は諸葛瑾を重用している。 感想諸葛亮の兄という位置と穏やかな性格ということで、呉と蜀や呉の中においてス...
三国志の寸評★ | 2008.12.17 Wed 00:08
基本データ ・字(あざな) :幼平(ヨウヘイ) ・武力(最大5): ・知力(最大5): 略歴元は盗賊であったが、孫策に仕える。その後、孫権に仕え、孫権が戦場で窮地にあった際に助けている。孫権はそのことを深く感動し、諸将に周泰の傷跡を見せて酒をふるまっている。 感想孫権の信頼が高かった猛将だったようですが、あんまり思い入れがないです…。ただ、自分の身をかえりみず主君の孫権を助けており、忠義の将だったことがうかがえます。
三国志の寸評★ | 2008.12.16 Tue 05:24
基本データ ・字(あざな) :子布(シフ) ・武力(最大5): ・知力(最大5): 略歴孫策の招きにより、孫策の陣営に加わる。孫策を内政面でよくたすけ、孫策の版図拡大に活躍した。孫策死後は、「内政は張昭に」の孫策の遺言どおり、老臣ながら孫権を内政面で支えている。赤壁の戦いでは、非戦論を唱えたため発言力は低下したものの、孫権の酒癖の悪さなどに対し意見を述べている。 感想張昭は本当に文官といった感じですね。呉には他に張紘(チョウコウ)などがおり、呉は文官の宝庫といった印象があります。それが、呉を支えた...
三国志の寸評★ | 2008.12.16 Tue 05:22
基本データ ・字(あざな) :子敬(シケイ) ・武力(最大5): ・知力(最大5): 略歴周瑜の推薦で呉に仕える。荊州に曹操が侵攻してきた際に、呉の文官らは降伏を主張していたが、魯粛は抗戦を主張した。その際に、諸葛亮を呉に招き説き伏せ、曹操と戦い(赤壁の戦い)勝利している。そして、周瑜死後も、呉をよく守り、劉備との同盟を継続し曹操と対抗した。 感想魯粛は諸葛亮に翻弄されたイメージがあります。ただ、劉備との同盟で赤壁の戦いに勝利し、その後も曹操を対抗しているところをみると、単なる小心者というより彼なりの...
三国志の寸評★ | 2008.12.16 Tue 05:20
基本データ ・字(あざな) :孟徳(モウトク) ・武力(最大5): ・知力(最大5): 略歴祖父は宦官で、養子にきた父曹嵩(ソウスウ)の子。「治世の能臣、乱世の姦雄」と称され、政治、軍事の面で活躍している。また、教養も高かった。黄巾の乱の討伐に功を立てて名をあげた。その後は、董卓の専横と対抗している。董卓死後は、版図を拡大し袁紹との官渡の戦いに勝利したことで、天下の実権を掌握した。しかし、赤壁の戦いで孫権・劉備軍に大敗したため、天下統一の夢は断たれてしまったが、魏王となり中国全土に影響を与えている。 感...
三国志の寸評★ | 2008.12.16 Tue 05:18
基本データ ・字(あざな) :子桓(シカン) ・武力(最大5): ・知力(最大5): 略歴曹操の長男。有能ではあったが、曹操は三男の曹植を寵愛しており、後継者にはなかなかなれなかった。しかし、曹操の信頼を徐々に得て、太子となり曹操死後、魏王となった。その後は、漢王朝に禅譲を迫り、魏王朝を築いた。 感想曹丕は目立った感じではないです。ただ、三国時代の難しい中、魏王朝を築き呉や蜀と対抗している点から、有能な君主であったことがうかがえます。若くして世を去っていますが、もし彼が生きていれば司馬懿も晋の建国に...
三国志の寸評★ | 2008.12.15 Mon 10:55
基本データ ・字(あざな) :文若(ブンジャク) ・武力(最大5): ・知力(最大5): 略歴初めは袁紹に仕えていたが、曹操の配下となる。その知略は高く、各方面で曹操を補佐している。特に袁紹との戦い(官渡の戦い)では、決戦を主張し曹操軍を勝利に導いている。このようなことから曹操の信頼は高かったが、晩年は漢王朝について曹操と見解が異なり疎まれた。その後、荀?は曹操より贈り物の箱を受け取っているが、中が空であった。それが曹操の意志だと察し、自害している。 感想旗揚げ当初の曹操をよく補佐した名参謀だと思...
三国志の寸評★ | 2008.12.15 Mon 10:54
基本データ ・字(あざな) :仲達(チュウタツ) ・武力(最大5): ・知力(最大5): 略歴曹操に仕え才能の高さを評価されていた。しかし、曹操に司馬懿は有能であったせいか、警戒されていたようである。ただ、曹操死後も曹丕(ソウヒ)、曹叡(ソウエイ)にも仕え、重用されている。諸葛亮の北伐での戦いでは、持久戦に持ち込んで、北伐を断念させた。曹叡死後に、曹芳(ソウホウ)にも仕えたが、曹芳の補佐の曹爽(ソウソウ)に疎まれたため、病気と称して自宅にこもった。曹爽の警戒心が弱まったところを、クーデターを起こし...
三国志の寸評★ | 2008.12.15 Mon 10:53
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